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迷宮〔あな〕の洗濯屋さん 【 スライムワールド 】  作者: 弥竹 八
カッパ淵の冒険
14/49

歓喜咲楽 ― えらぎあそび ―

 タプ~リ。


 タプ~リ。



 泥の色をした不規則な波が岸へ寄せてきます。


 波は岸へ打ちあがると、無数の枝のような触手をザワっと空中に伸ばし、すぐに次の波へ潜るように掻き消えます。


 チェロは、立ちくらみを起こしてその場にへたり込みました。

 アイラさんがすぐに抱え上げてくれましたが、その腕の中でグッタリしています。

 顔が真っ青です。

  

「気持ち悪い・・」


 チェロは小さくつばを飲み込んで、顔を歪めました。

 胸にもお腹にも、ヌタヌタぐいぐいと吐き気が押してきています。 

  

「急ごう!『うめき』がはじまってる!」


 そこへ


「おーい!」

「おお~い!」

「大丈夫か~!」

 

 カッパたちが口々に声を上げながら、一斉にこちらに向かってきました。

 

「いつもより広めに間とって並んどくれ! 太鼓衆は板の設置、念入りにねえ!」


 一際よく通る声が、先頭の真ん中辺りから響くと「おお~!」と、どもよしのような返事とともに、カッパの隊列が規則正しく岸辺に広がっていきます。


「ナナコさま!」

  

 アイラさんが、指示を出していたカッパに駆け寄ります。

 ナナコと呼ばれたカッパは、立ち止まってアイラさんに笑いかけると、グウっとチェロを覗き込みました。

 

「おうおう、無事だったかい?」


 ニッコリ笑ったなナナコカッパは、チェロの頭にモミモミと手を置きました。

 

「もう『うめき』がはじまっています。こんなことって・・・」


「なあに! こんなもそんなも、起きちまうときにゃなんだって起きるもんだ! あんたとミルはこの子らと一緒に陣にいておくれ。オババのフォローも頼むよ」


「わかりました」


 アイラさん、ミルさんが同時に返事をします。

 チェロはふたり連れられて、ピアノちゃんとピアニカさんも一緒に、来た道を引き返しました




 


 夕日が輝いています。

 灼々かつ寂々と燃え立っています。

 森辺の木々は、森ごと夕日に焼かれたように真っ黒なシルエットとなって、物語らぬ亡者の列さながらにチェロたちを遠くから睥睨していました。


 チェロは、なんだか暮れ行く夕日そのものが怖いものに感じていました。

 いつもならお家に帰る時間です。

 お家に帰って、おじいちゃんと一緒に晩ごはんの仕度をしたり、お風呂に入ったりしている時間です。

 夕日の柔らかい光が、お家の天窓から優しく落ちてくる様子や、お風呂場の窓から差し込む感じをなぜか今、鮮明に思い出してしまいます。


 それなのに今日の夕日は全然違うものに見えました。

 あったかいおやすみの時間を、だんだんと知らせてくれるふんわりしたものではなく、まるで当たり前に進んでいた昼と夜の連鎖を焼き切る悪意のように。世界を卑下する冷酷な笑いのように、それはとても怖いものに映りました。

 

 ――おじいちゃん。心配してるかな?・・早くお家に帰りたいな・・・。


 チェロは不安と寂しさで悲しくなってきました。

 それに、さっきからずっと嫌な音が聞こえてくるのです。

 音なのか声なのかよくわからないし、注意を向けないと聞こえないくらいの小さな音ですが、まるで何かが苦しんで唸っているように聞こえてくるのです。

 さっきアイラさんがいっていた『うめき』というのがこれなのかもしれません。

 できるだけ聞かないように両手で耳を塞いでいるのですが、フとした瞬間に耳で拾ってしまいます。

 その音を聞くだけで、ますますチェロの胸の中に、正体のわからない不安を呼び起こして引っ掻き傷を残していくのです。

 今日はもう何回目なのかも忘れるくらいですが、またも灰色の不安がチェロの鼻にツーンとした痛みを引っ掛けながら、じわりと目の奥を押しました。

 

「にゃお~お」


 ベジタローが頬を寄せてきてくれました。

 ベジタローの体温や、ふわふわの感触がとってもあったかく感じられます。

 気づいてみれば、今日のお昼過ぎからこっち、全く知らない人たちと一緒に、わけのわからないまま、ゴロゴロ転がされ続けて迎えた状況でした。

 ベジタローだけが見知っている存在です。

 でも、そのベジタローこそが、今の状況に導いた張本人でもあるのです。

 

 ――あったかくてとっても嬉しいけど・・・。  

 

 チェロは沸き立ってくる心細さに振り回されながら、ベジタローを抱き寄せ、毛皮に精一杯爪を立ててやりました。



 チェロたちはさっき登った岡の上にいました。

 岡を丸く囲むように、旗が立てられ、その真ん中に据えられた大きな井桁の枠組みに火が投じられました。

 パチパチと音を立てながら、ゆらゆらと炎が育っていきます。


 旗に囲まれた内側に沿って、チェロたちの他に首長竜とシマシマイルカ。それからカッパの子供達が円になって座っています。

 イルカは水を張ったタライの縁にアゴを乗せて、ジッと炎をみていました。


 何人かのカッパの女官たちが、かがり火を背にした淵の方角に小さな祭壇のようなものを設えています。

 真剣な面持ちでいろいろと準備に勤しむ女官たちとは対照的に、カッパの子供たちは、おとなしくしながらも小さく肩をぶつけあったり、珍しそうにチェロたちに視線を投げかけてきたりと、まるでお祭りでも待っているかのように楽しげでした。

 チェロの隣で、所在無さ気に目を伏せているピアニカさんと、その腕に抱かれているピアノちゃんも、今はチェロと同じような貫頭衣をきせてもらって、ただ座っています。

 

「あの・・」


 ピアニカさんが、そばにいたアイラさんに弱々しい声で呼びかけました。


「助けていただいておいて心苦しいのですが・・・わたしたちはなんとか街に帰れないものでしょうか?・・・」


「それは・・」


 アイラさんは答えづらそうに、かがり火の前にいたネネコおばあちゃんへ、チラリと目を向けました。  

 おそらく今の質問が届いていたであろうネネコおばあちゃんは、無言で目の前にある大きなかがり火に、葉っぱのついた枝を投げ入れました。

 その枝は、少し時間をおいてからボウッと大きな炎を生み、香ばしくてどこか爽やかな不思議なにおいを広げました。

 ネネコおばあちゃんは、近づいてくると、よっこらせいとあぐらをかきます。


「ピアニカさん・・だったね」


「はい・・・」


 ピアニカさんは、改めて見るネネコおばあちゃんの巨体に気押されて、少し体を反らしました。

 ネネコおばあちゃんは、そんなピアニカさんを気遣うように、ゆっくりした微笑を広げて、キョトンとした顔で見上げているピアノちゃんにニッコリ笑いかけました。


「もちろん、あたしらだってすぐに帰してあげたいと思ってるよ」


 言いながら、チェロに目を移し、ピアニカさんに視線を戻します。

 言葉を吟味するように少し空中を見上げると、不意に振り返って祭壇の前にいた女官になにかの合図を送りました。


「まず。今ここで何が起きているのかちゃんと説明しようかねえ」


 ネネコおばあちゃんは、ゆっくり話しはじめました。


 世界中のいろんなところから流れてきた穢れがこの淵にたまってしまうこと、その穢れが時々妖魔を呼んだり生み出したりしながら凝縮してしまうこと、その後でデデ・スライムに変わってしまう穢れをカッパ族が浄化していること。

 さらにはこんなにも大規模な穢れは見たことがないということ、そして今、まさにその浄化をしようとしていることも正直に、噛んで含めるように丁寧に教えてくれました。

 そして浄化が終わらないことには淵を渡ることはできないと付け加えます。


 チェロは暗い目で宙を見上げましたが、そこにまたまた不思議な光景が映りました。

 祭壇の上には、白いお皿が斜めに立てかけてあって、かがり火を照り返していたそのお皿がじわりじわりと青く光りはじめたのです。

 どんどん光は強くなり、白い光を放ちはじめると、光の帯は、かがり火の上に留まり、大きなボールのように膨らみました。

 すると、ボールの中にゆらゆらと人影のようなものが現れはじめ、そのうち忙しく動き回るカッパたちの姿に変わりました。

 カッパの子供たちが感嘆の声を上げてはしゃぎはじめます。


「あ~!兄ちゃんだ!」 

「かあちゃんいた!」 

「すげ~!」


 騒ぎは大きくなっていきます。

 見ていると、その映像の中に、さっきの法円がチラリと映りこみました。

 次の瞬間、ボールの中からも、淵の方からもまばゆい光がほとばしり出て、はしゃぎ声がいっぺんに悲鳴に変わります。


「全く、さっきから・・困ったもんだあの子たちにも・・」

 

 ネネコおばあちゃんは、立ち上がって淵の方を見ながら、やれやれと眉を寄せました。

 

「話の途中になっちまったが、とにかくあんたたちはきちんと帰してあげるよ。だから、もう少しつきあっておくれよ。それに・・」


 今度はしわだらけの顔を楽しそうに歪めます。


「こんなにもわけのわからない状況にやってきてくれたあんたたちは、きっと精霊の御使いに違いないのさ。それはこの大きなイベントにあんたたちの助けが必要だってことなのさ」


 二ヒヒといたずらっ子のように笑うと、祭壇へ向かって歩き出しながら「ワクワクするねえ」と言い残していきました。






 淵の方から朗々とした声が響いてきます。


 ―― あ~あ~~~~~~~・・・・・。


 途中で一オクターブ跳ね上がった声が、星のきらめき出した空に広々と広がっていきます。

 ついで


 ドン!

 ドン!


 お腹の底まで届いてくるような太鼓の音が聞こえてきました。

 光のボールには、カッパの男たちが、風船みたいにポッコリポンポンとお腹を膨らませて、お腹を叩いている様子が映されています。

 握った拳でお腹を叩くたびに、ドン!ドン!と届いてきます。

 チェロは立ち上がって淵を見下ろしました。

 後ろにカッパの子供たちがわらわらと集まってきて、キャーキャー騒ぎ始めました。

 等間隔に焚かれたかがり火がズーっと向こうまで続き、その後ろに遠目に見てもわかるほどまん丸なカッパたちが腹太鼓を打ち鳴らしています。

 その左右では、鏡のようにきらきら光る大きな板をちょこちょこ動かしているカッパの姿が見えます。


「あれは反響板なんだよ。太鼓の音をもっと大きくするものなの」


 いつの間にか隣にきていたアイラさんが教えてくれました。

 両手首に大きめの鈴がついています。チェロの肩にポンと手を置くと、シャラリと澄んだ音を鳴らしました。

 

「アイラさんもドンドンするの?」


 チェロが不思議そうにアイラさんのお腹に目を向けると、アイラさんはくすぐったそうに笑いました。


「腹太鼓が打てるのは男衆だけよ」


「そうなんだあ・・」


「そう。わたしたちは太鼓と歌と踊りでスライムを鎮めるんだよ。チェロちゃんは?」


 チェロは思わず嬉しくなってアイラさんを見上げます。


「わたしも歌と踊りで魔法をかけるの。そっか、やっぱりスライムは歌と踊りが好きなんだね」


 アイラさんはフフッと微笑みました。


「おんなじね」

「おんなじだね!」


 そうしている間にも、太鼓の音はどんどん大きくなり、女の歌声とひとつになっていきます。

 夕日は完全に沈み、わずかな残光を残すのみでした。

 星は輝きを増し、かがり火の明かりを透かしてなお、数を増やしていくようです。

 そういえば・・あの嫌な音が聞こえません。

 

 ――太鼓の音でいなくなっちゃったかな?  

  

 いつの間にかチェロは、すっかり元気を取り戻していました。

 そこへ後ろからカ~ン!と高い音が聞こえてきます。

 振り返ると、ネネコおばあちゃんが祭壇の前で拍子木を構えているところでした。


 カ~ン!


 カ~ン!


 カ~ン!

 

「はじまるわ。 チェロちゃん、ここで見ていてもいいけど陣からは出ないでね」


 アイラさんが真剣な目になってチェロに告げると、かがり火の周りで円になっていた女の人たちに合流しました。

拍子木の音が響くと、歌も太鼓もピタリと止まります。

  

「凄いねえ! こんな凄い『送り』は初めて見るよ!」


 不意に背後から声をかけられました。

 そこに、チェロより少しお姉さんに見えるカッパの女の子がひとり、ニコニコしながら立っていました。


「おくり?・・」


「うん! 穢れた姿で産まれちゃったスライムをキレイにしてあげるの。それが『送り』だよ」


「悪いスライムをキレイにできるの?!」


 チェロはびっくりしました。 

 カッパの女の子はきょとんとして「悪いスライム?」と首を傾げます。


「別に悪いスライムじゃないよ。穢れた姿で産まれちゃっただけだよ」


「悪いスライムじゃないの?」


「う~ん。ここではそおゆう風には言わないなあ。街のスライムは悪いことするの?」


「おじいちゃんが、いいスライムと悪いスライムがいるって言ってたの。わたしのお家にもいいスライムはいるけど、悪いスライムは時々、川とか池とかに出てきて泥みたいな色ですっごく臭いんだって。わたしはまだ見たことなかったんだけど、あのスライムは泥みたいだから悪いスライムかなって思ったの。あ、でもアナの中にいるスライムは毒を出したりして悪いことするんだって!」


 ふうんと首をかしげたままのカッパの女の子は「違うスライムなのかなあ・・」とひとり言のようにいうと、ニパッと顔を変えました。


「まあいいや! あたしはピコだよ。兄弟たちを助けてくれてありがとう!」


「きょうだい・・?」


「ほら、あの竜やイルカのことだよ。あの子たちはマムの娘なんでしょ? あたしたちもマムの子供だから兄弟なんだよ」


「・・マムってだれ?」


 ピコと名乗ったカッパの女の子は「ええ!?」っと驚いて体を仰け反らせました。


「マムってビッグ・マムのことだよ! ホントに知らないの?」

 

 今度はチェロが首をかしげました。

 

「神さまのビッグ・マムしか知らないよ。教会もあるよ」


「だからそのビッグ・マムだよ!」


「じゃあ神さまがお母さんなの?」


 チェロの首がさらなる角度をつけていきますが、ピコちゃんは「あ~!」と言葉を探して両手の指をワキャワキャ動かしましたが、そこへ調子の変わった拍子木のリズムが届いてきました。


 カン! カン!

 カン! カン!


「後で説明するよ。ホントにはじまるよ」


 ピコちゃんが声を落としてすばやく言いました。

 かがり火に照らされたピコちゃんを見て、チェロはようやく気がつきました。


「ピコちゃんは、さっきイルカちゃんを運んでくれた人だったんだね。今、気づいた」


 ピコちゃんは嬉しそうに笑いながら、くちばしに人差し指を当てました。

 チェロはピコちゃんの耳に顔を寄せ、もっと声を小さくしました。

 

「わたしはチェロです」


 そういってニッコリ笑います。ピコちゃんも嬉しそうに笑いました。




 拍子木が一際大きく鳴らされました。

    

 カン!カン!カカン!

 カン!カン!カカン!!


 カカカ!カカカカ!カカカカカン!!


 ドン!!



 太鼓が夜空に爆ぜました。

 空気がビリビリ震えます。



 ドン!!



 淵も。

 森も。

 山も。


 空までも震え、雲も散らすのではないかと思えるほどの大音声です。


 ドン!


 ドン!


 ドン!ドン!ドン!


 カン!


 岸にいるカッパ衆も拍子木を持っているようです。

 大地も揺れるような太鼓の余韻をついて、硬い音が火花のように空へ飛び散ります。


 ドン!ドドドンド!

 ドン!ドドドンド!

 ドン!ドドドンド!

 ドン!ドドドンド!


 カン!カン!ンカーン!

 カン!カン!ンカーン!



 ハぁア~~~~・・・・


 歌声が響きました。


 その途端、太鼓の凄まじい重低音にも、空に抜けていく拍子木の音にも、ありありと色彩が現れました。

 パワーと勢いと勇ましさにあふれていた音が、急に丸みを帯びて優しくなったように感じられます。

  

 ダン!


 ダン!


 シャン!


 シャン!


 岸にいる拍子木をもった男衆と、アイラさんと同じように手首に鈴をつけた女衆が、前後に移動しながら足を踏み鳴らし、腕を差し上げます。

 太鼓の大音量の中でも的確に通る鈴の音が空気を抜けて届いてきます。

 

 チェロのいる陣の中でも鈴の音が響き始めました。

 アイラさんたちは、のどを垂直に伸ばし岸辺の歌に合わせてコーラスを棚引かせます。


 シャン!


 鈴の音もぴったり合って、澄んでいるのに温かいその音にチェロは、体や心の中にあった悪いものが溶けて出て行くようなスッキリとした心地よさを感じました。


 なんという豪快さでしょう。

 なんという繊細さでしょう。


 チェロはこの場所に無数の大きな光の花が、すごい勢いで咲き開いていくような感覚を覚えました。

 視覚的なイメージがどんどん流れ込んできます。

 それだけではありません。

 チェロの中に香りが現れます。

 舌の上にも甘露が広がっていくように感じました。

 全身が、音にと歌に溶けてほどけていきます。

 

 子どもたちが、ダンスの輪をつくって歓声を上げます。

 チェロも輪の中に飛び込みました。

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