蠢動
カッパたちの宴は合いも変わらず盛り上がっていました。
ネネコおばあちゃんは広大な広間の真ん中に歩み出ると、高らかに声を上げます。
「みなの衆! 聞いとくれ~い!」
その声に続き、いたるところで悲鳴や罵声が響きはじめました。
「ほーれさっさと目え覚ましなよー!」
しらふのカッパたちが、酔いどれ連中にドッシャンドッシャンと水をぶっかけ周っているのです。
「なにしゃーがる!」
「うわっぷ! なんだ朝かあ?」
「はいはい、皆の衆、起きた起きた! 緊急事態だよ~!」
ネネコおばあちゃんがパンパンとよく響く音で手を叩くと、居並ぶカッパの衆はようやく静かになりました
「どうしたって~のよ、オババさま」
「呑んでるとこ邪魔しないでちょ~だい」
「説明するからよく聞いとくれよ~!」
緊急事態だといっているのに、ネネコおばあちゃんもカッパ衆もなんだかのんびりしています。ネネコおばあちゃんがよく通る声で言いました。
「いいかい、よくお聞きあんたら。今、淵じゃあね、マムとファンク・ブルが妖魔と闘ってんだ。呑んだくれてる場合じゃないよ。あたしらも加勢するよ」
カッパ達は、一斉にきょとんとした顔をネネコおばあちゃんに集めました。
「オババさま。ファンク・ブルは俺たちもよう知っとるが、マムってえのはあのビッグマムのことかね?」
「そりゃもちろんビッグマムのことさね。今回の淵の穢れっぷりを見かねておいでくださったんだろうさ」
「ビッグマムが闘ってる?」
ビッグマムは、カッパたちがこの地に移り住むずっと前から信奉する精霊です。
名前が示す通り、全てのカッパたちの生みの親なのです。
「こうしちゃいらんねえ、オババさま、いこう!」
何日も酒びたりだったのにも関わらず、いっぺんに顔つきを変えたカッパたちは次々に立ち上がりました。
ネネコおばあちゃんをはじめ、誰もビッグマムを見たものはいません。
でも、誰ひとりビッグマムを疑う者もいません。
カッパたちは、常に精霊に守られてこの世にあることを知っています。
そして、自分たちも精霊のために闘うのは、当たり前のことでした。
整然と広間の出口に進むカッパたちの前に、ひとりのカッパが血相を変えながら走りこんできました。ネネコおばあちゃんが、外へ様子見に行かせたうちのひとりです。
「オババさま大変です!」
「どうしたんだい?」
まだ年若いカッパは、ぜえぜえと荒い息をつきながら真っ青な顔を上げました。
「淵の底が・・裂けました!」
クラクラクラ。
カタカタカタ。
小さな振動が続いている中、カッパの隠れ里はワタワタと混乱していました。
チェロは、急いで作ってもらった貫頭衣と皮のサンダルを着け、アイラさんに抱えられたまま他のカッパの人たちと一緒に進んでいます。
「地震が来てるから一応避難するんだよ」
早足で歩きながらアイラさんはチェロの頭を撫でてくれました。
ピアノちゃんとベジタローはカッパの男の人たちが捜しにいってくれているそうです。「外に出ればすぐ見つかるよ」とアイラさんは少し固い笑顔で言いました。
チェロのすぐ後には、カッパたちに持ち上げられた首長竜と、担架に乗せられたピアニカさん。それからチェロよりちょっとだけお姉さんに見える女の子カッパがシマシマイルカを抱えてついてきています。
急に中断するしかなかったピアニカさんの治療は、とにかく避難が済んでから再開させるそうで、今はまだ目を閉じたまま眠っているように見えます。
洞窟を出て、淵をくるりと一望できる小高い岡の上に降ろされると、いつの間にか随分時間がたっていたことに気がつきました。
お空はぼんやりと色を失いながら、薄いオレンジ色を混ぜ始めています。
「なんだろあれ?」
ひとりのカッパが、夕日と反対側を指差しながら不思議そうな声を上げました。
チェロもつられてカッパが指差すほうに目をやると、ずっと先の淵の上空で、いくつかの黒い影が大きな円を描きながら回っているのが見えました。
くるくる回る円の動きに沿って、ぼんやりと糸のような光が引いていましたが、突如としてそれは、巨大な光の法円に変わりました。
暗くなりつつある空の下、一際光り輝く法円は、複雑な幾何学模様や不思議な文字の羅列を浮かび上がらせます。
カッパたちがどよめきの声を上げ、チェロはとてもキレイだと思いました。
ですがその時、
『いけません!』
叫び声がチェロの頭の中に響きました。
ビクリと体を震わせたチェロと同様、カッパたちのどよめきもピタリと止まりましたが、響いてきた声に応えるようなタイミングで、光の法円が淵に向かって落下ました。
光が爆発し、みんな一斉に悲鳴を上げました。
チェロはアイラさんに抱かれたまま身を固くしましたが、恐る恐る目を開けて周りを見渡しました。特に変わった様子はありません。
「なんなんだありゃ~?」
身を低くしていたカッパたちも、ザワザワしはじめましたが、どよめきの中をくぐるように「わ~お~」と聞きなれた声が届いてきました。
「ベジ!」
チェロはアイラさんの手から降りて、ベジタローの首根っこに抱きつきました。
ベジタローは嬉しそうに頭をこすりつけます。
「ベジ! ピアノちゃんはどこ!?」
「なあ~」
ベジタローはチェロの後ろに回りこむと、チェロの膝の後ろを頭でぐいぐい押しました。
チェロはすぐさまベジタローの背中によじ登り「ピアノちゃん連れてくる!」とアイラさんに告げます。
「まって!」
振り返ると、ピアニカさんがよろよろと立ち上がってこちらを見ていました。
「ピアノがいないの! あの子はどこ!?」
ピアニカさんの治療をしていたふたりの女官が、あわてて止めようとしていましたが、ピアニカさんはその手を振り払ってフラフラと近づいてきます。
体を包んでいた布がばさりと下に落ちて、裸がむき出しになりましたが、気づくそぶりもありません。
「ピアノはどこにいるの!」
ほとんど叫ぶようにいいました。
「今、迎えに・・わあ!」
答えかけた途中でベジタローが走り出しました。咄嗟にベジタローの首にしがみつきます。
ベジタローはどんどん走りました。
ピアノちゃんはすぐに見つかりました。
隠れ里の入り口から東の方へ少し離れた水際に、布を体に巻きつけただけのピアノちゃんが、淵に向かってなにやらやっています。
ベジタローと共にそばまでいくと、ピアノちゃんは泣きながら木の枝を握り締め、必死の様子で淵の水面をピシャピシャ叩いていました。
「ピアノちゃん!」
後ろからピアノちゃんに抱きつきました。
「心配したよ~!」
ピアノちゃんは涙で顔をくしゃくしゃにしながらチェロをみると、ゆっくり口を動かしました。
『チェロちゃん・・』
声にはなっていませんでしたが、チェロにはそう言ったように感じられました。
「ピアノ~!」
後ろからピアニカさんの声がしました。
ピアノちゃんごと振り返ると、ピアニカさんを抱えた男のカッパと、アイラさんとミルさん。他にも何人かのカッパがこちらに向かって走ってくるところでした。
そばまでくるとピアニカさんは飛び降りるようにして、ピアノちゃんに抱きつきました。
「ああ・・・よかった・・ピアノ・・・」
ピアニカさんはボロボロと涙を流しながらピアノちゃんを抱き締めて、頬ずりを繰り返します。
突然、わけのわからぬまま卒倒し、障害が残る可能性まで示唆されて、さらに気がつけばいきなりいなくなったのですから、どれほどの心配があったのか推し量るのも難しいでしょう。
そのピアノちゃんが、少なくとも目を開いて立っている。その感激たるやいかほどのものでしょうか。
アイラさんやミルさんはだけでなく、事情もわかっていないはずのほかのカッパたちも、その姿にあてられて涙を流していました。
チェロももちろん嬉しかったのですが、お母さんに抱きしめられているピアノちゃんをみて、ちょっとだけ複雑な気分になってしまいました。
少しさびしそうに視線を落としたチェロの足元に、ザブリと波がかぶさってきました。
「わわ!」
慌てて岸の方へ逃げましたが、波が引いたその岸との境界線にぴちぴち跳ねる半透明の生き物が、ずっと向こうの方まで一斉に打ち上げられたのを見て、さらに後ずさります。
「なにこれ!」
次の波がまた一斉にそのおかしな生き物を淵へ引き戻します。
波を追って淵に目をやった先に、今度は山のような巨大な影が飛び込んできました。
「なにあれ!!」
山が淵を渡っていきます。
アイラさんの足にしがみついたチェロは目をまん丸に見開きました。
ピアノちゃんを抱えてチェロの横に立ったピアニカさんも短い悲鳴を上げます。
アイラさんはチェロにくっつかれたまま、よろりとあとずさりましたが、なぜかその場に膝を折ると、膝立ちになって両手を顔の前に組みました。
見れば、他のカッパたちも同様に、祈るようなポーズをとっています。
「・・・マム・・・。」
ミルさんがつぶやきました。
涙をこぼしながら歓喜に満ちた目で、山のような影を見つめています。
そこへさっき頭に響いてきた声がまたも聞こえました。
『攻撃をやめてください!』
「これもなに~!?」
チェロは足をバタバタさせながら、ひざまずいたアイラさんの肩にすがりますが、目を上げたアイラさんは突然、「伏せて!」と、チェロを自分の腕の中に引っ張り込みました。
さっきと同じ光の爆発が起きました。今度はさっきより随分近いです。
音や衝撃はとくにないのですが、とにかく圧倒的なエネルギーが、体の外も内も凄い勢いで通り抜けていくような感じがして、なんだかボーっとしてしまいます。
暫くの間、全員がその場に突っ立ったまま動けませんでした。
アイラさんに肩を揺すられてハッとしたチェロは、視線の先にあるピアノちゃんの様子がなんだかおかしいことに気づきました。
ギュッとくちびるを噛みしめ、睨むように淵を見ています。
――どうしたんだろう?
ピアノちゃんの視線を追ったチェロの目は、次なる異変に辿りつきました。
「こんなことって・・」
アイラさんの声が震えています。
さっきまで落ちかけた日の光を受け、オレンジ色にそまりはじめていた淵の水が、なんだかペタンとした質感の、暗い暗褐色に変わっていました。
静かに波打っていますが、普通の波のような一定間隔のそれではなく、まるで水面についている不規則な模様が、それぞれ勝手にのるのると動いているような不気味な波です。
まるで生きているかのように・・・。
「デデ・スライムだ・・・こんな規模・・・信じられない・・・」
カッパの男の人が、愕然とした声でつぶやきました。
デデ・スライム。
通常。街において「スライム」といえば生活に役立つ有用な『資源』としてのそれです。
しかし、『あな』――。
街の地下に広がる、無限とも思える迷宮を行く者にとっての「スライム」とはこのデデ・スライムのことを指します。
毒を吐き、人を溶かし、物理的な武具は寄せ付けず、「退く」という選択肢を一切持たない。迷宮のいかなるモンスターより性質が悪い存在。それがデデ・スライム。
デデ・スライムが見渡す限りの淵の表に、夕日を不気味に照り返しつつ、のたくりはじめていました。




