チェロの夢
チェロはゆっくりと息をつきました。
白くて柔らかい布で、赤ちゃんのようにおくるみされたまま、ゆったりと霊泉につかっています。
「アイラさん」と紹介されたカッパ族のお姉さんの胸にいだかれたまま、うっとりと力を抜きました。
客車から降りたチェロは、ネネコおばあちゃんを紹介されました。
おっきな緑色の身体をしたその姿に、チェロはびっくりして小さな悲鳴をあげてしまいましたが、ネネコおばあちゃんは身体を小さくかがめて、チェロの頭を優しくなでてくれました。
「おお、おお、びっくりしたねえ人族の女の子さん。あたしはネネコ。ここのカッパ族の族長さね。このファンク・ブルとはお友達だよ。な~んにも怖いことはないから安心しておくれ」
そう言って皺だらけの顔を、もっと皺だらけにして笑いました。
チェロはそのしわしわの顔にもびっくりしましたが、ブルさんの「大丈夫だよ」という、鷹揚な声で、ようやくネネコおばあちゃんをちゃんと見ることができました。
人族以外の人たちも街にはたくさんいますが、はじめてみる人種です。
こんなしわしわの顔をした人は見たことがありませんでしたし、ブルさんとおんなじくらい大きいのにおばあちゃんなのが不思議でした。
それでもチェロは一生懸命その顔に目をむけて「・・チェロといいます」と、ペコリと頭を下げました。
ネネコおばあちゃんは、もっと皺を深くしながら満足そうに「ん~ん~」と言いました。
「チェロ。あんたはどこも怪我していないだろうけどね。きっとたくさん怖い思いをしただろうからね、お風呂に入ってその怖い気持ちを流してしまおう」
「とらうまのかいしょう」ということをするのだそうです。
アイラさんに抱きかかえられて泉に足が触れたときは「ひゃ!」っていうほど冷たい感じがしましたが、ゆっくりゆっくり首元までつかっていくとだんだん身体がぽかぽかしてきました。
「なんにも怖いことないからね。力を抜いて。今、どういう風に感じているかを感じてみて・・」
手足をくるまれたチェロは、とにかくおとなしくしているしかありませんでしたが、目を上げてアイラさんを見ると、アイラさんはおっとりと優しく笑い返してくれました。
いわれるままにチェロは、目を閉じます。
ですが、『感じる』といわれても、何をどうすればいいのかよくわかりません。
―― 感じる・・感じる・・かんじる・・・?
しばらく色々考えてみましたが、やっぱりよくわかりません。
不安に押されて目を開けてみると、やっぱりアイラさんは優しく微笑んだままチェロを見つめていました。
「チェロちゃん・・。今、身体は冷たい? あったかい? 足はどうなってるかな? お手てはどう? 怖くてギュってなってるかな? それともフウってなってるかな? 肩は? おなかは? お胸は?・・・」
チェロはもう一度目を閉じるとアイラさんの言葉どおりに、自分の内側に意識を向けてみました。
あったかい。
とても、あったかい。
それになんだかいいにおいがする。
優しくて、柔らかいにおい。
優しくだっこされてる。
身体にふれるアイラさんの胸が柔らかい。
知ってる・・・。
この感じは知ってる・・・。
――おかあさん・・・。
・・・・。
・・・・。
ふうーっと眠りに落ちていくような感覚の中、ずーっと遠くから声が聞こえてくるようでした。
――怖かったねえ。
・・・おっきなクモが出てきたの・・・。
――おっきなクモ?
・・・それで、ブルさんが食べられそうになったの・・・。
――食べられそうになったの? それはびっくりしたねえ。
・・・そのあとお山みたいなおっきなのが降ってきて、波がどっかーんってなって、車はごろーんってなったの・・。
――まあ、それはほんとに怖かったね。
・・・うん。 ほんとにこわかった・・・ほんとに・・ほんとに・・・・・ほんとに・・・・・・。
――でももう大丈夫。 ここは安全だよ。 みんなここにいるよ。
・・・だい・・じょう・・ぶ・・?
――ええ。 本当に大丈夫。 安心して・・。
・・・・・・・・。
チェロは白くて温かい闇の中に、くったりと溶けていきました。
そしてチェロは夢を見ました。
もう何年も前に、幼いチェロを残して遠いお空に昇っていった、お母さんの夢です。
とっても優しかったこと、あったかかったこと、柔らかくていい匂いがしたこと。
はっきり顔も覚えていませんが、チェロはどんなときでもお母さんの雰囲気を思い出すことができました。
「いつでもチェロのそばにいてくれるんだよ」
おじいちゃんはいつもそういってチェロの頭をなでてくれます。
寂しくて泣いてしまうこともありますが、その度にチェロはお母さんが形見に残していった小さなスプーンの形をした首飾りを、ギュッと握ってガマンしてきました。
お母さんがチェロをだっこしてくれています。
――よくがんばったね。
――えらかったね。
――大好きだよ。
チェロは嬉しくって、照れくさくって、何もいわずにお母さんの胸にギュッと顔をうずめました。
――いつまでも元気で笑っていてね。 ずっとチェロのそばにいるからね。
そういうとお母さんは、光の玉になってクルリと優しくチェロを包みました。
チェロはその光の中でふんわり丸くなって、とっても安心しました。
――お母さん
――おかあさん
――おかあさん・・・。
「・・おかあ・・さん・・」
チェロは、ぼんやりと目を開きました。
愛おしそうに目を細めてチェロをみていたアイラさんと目が合います。
まだ夢見心地の視線をゆっくり動かして、もう一度アイラさんを見たチェロは小さな声で囁きました。
「今ね・・・お母さんとお話してたの・・・」
アイラさんは「うん」と小さくうなずきます。
「ずっといっしょにいてくれるって・・・だから・・わたし寂しくないよ・・・」
チェロはうっとりと目を閉じながら、もう一度深く息を吐きます。
抱きしめられるにまかせて、そのままここに蕩けていくような心地でした。
アイラさんは、チェロを抱きしめながら、呼吸や脈を注意深く確認しました。
霊泉による心理治療は、効果にずいぶんと個人差があります。
治療深度は本人の性質や性格によって異なりますが、素直な者ほど深く癒しの手が届くのです。
多少、状況認識に揺らぎがあるようですが、概ね、チェロの治療はうまくいったようです。
「にゃあおう・・」
治療中、ずっとチェロから離れなかったベジタローが心配そうな声を出します。
その声にチェロはゆっくりと目を開けました。
「ベジ・・・」
「あーおー」
ベジタローに促されるように、ゆっくり周りを見渡したチェロの目に、やはりおくるみに包まれたピアノちゃんとピアニカさんが映りました。
少し向こうでは、首長竜が長い首を持ち上げたのが見えます。
泉に入る時、間近で見る竜の大きさに驚いたチェロでしたが、今はもう怖くありません。
アイラさんがゆっくりとチェロの身体を起こしかけました。
「大丈夫? 起きられるかな?」
チェロはコクリと頷き、身体を支えてもらったまま、アイラさんの太ももに座らせてもらいました。
――そうだった。『れーせん』に入ってたんだ。
まだぼんやりとしたまま、両手で泉の水を掬い上げてみます。
普通の水のようにサラサラしていません。
ちょっぴり、とろとろというかぬるぬるというか、不思議な感触です。
――あれ~? これスライムだ~?
水面をパタパタ叩いてみるとプタペタする感じです。
――やっぱりスライムだ。
アイラさんは微笑ましくチェロの様子を見ていました。
「どうしたの?」
「アイラさん。このお湯、スライムだよ。どうして銀を敷いてないのにこんなにおとなしいの?」
チェロはキョロキョロと周りを見回しました。
底にも縁にも銀を張っている様子はありません。
お家にいるスライムは、何もないところにおいて置くと、ゆっくりゆっくりうにょうにょ動いたり、小さな玉になってころころ転がったりしますが、しばらくすると小さくなって消えてしまうのです。
アイラさんは、うふふと笑うとスライムを右手に掬い上げてとろとろとこぼしました。
「チェロちゃんはスライムに詳しいの?」
「うん。家はね、アナに入る人たちのお洗濯屋さんなの。スライムでお洗濯するの。わたしもお手伝いするんだよ」
「へえ。スライムでお洗濯するんだ。わたしはアナのことはよく知らないけど、ここではね。スライムで病気や怪我を治したり、お薬作ったりしてるんだよ」
「スライムで?」
「そうよ」
アイラさんはもう一度スライムを掬い上げると、チェロの目の前に差し出しました。
水かきが張ったアイラさんの手の中のそれは、見ているとぼんやりと光を放っています。
「この泉のスライムはね。大勢の人の希望や優しさや、大事にしたいっていう気持ちを吸い込んだスライムなの。だからとっても穏やかでおとなしいんだよ」
「やさしいスライムなの?」
「そうだよ」
「そうか~。いつもね、じいちゃんが言うの。スライムを混ぜる時は、怒ったり悲しい気持ちでやっちゃダメって。スライムに移っちゃうって。だから楽しく歌いながら混ぜるんだよって」
元々が人見知り・・というか人種見知りをしない性格なのでしょうか、あるいは心理治療の余波で警戒心も払拭されたのでしょうか。
おそらく今日、はじめて接したでしょうカッパ族に抱えられながら、ニコニコ笑うチェロに、アイラさんは改めて嬉しくなってしまい、笑いながら相槌を打ちます。
「じゃあ、わたしもスライムに優しくしたら、お薬もつくれるかな?・・わああっ!」
突然、チェロとアイラさんの前にニョッキリと大きな頭が現れました。
思わずアイラさんにしがみついたチェロの前で、それは「キューン キューン」と細い声を上げます。
首長竜でした。
首長竜は、長~い首をぺこりぺこりと動かしてから、じっとチェロを見つめます。
目を見開いて見ていたチェロも、首長竜がとっても優しい目をしていることに気がつきました。
さらに泉の中では、シマシマイルカが首長竜の胴体の周りをグルグル周っています。
チェロの膝のところまでくると「クカカカ! クカカカ!」と大きな声を出しました。
「二人ともチェロちゃんに、ありがとう、ありがとうって言ってるよ」
「言葉がわかるの!?」
アイラさんは嬉しそうにうなずきます。
「水辺の仲間ならね」
「そっかあ」
首長竜がゆっくりとチェロに頬ずりしてきました。
チェロはその大きな頭を一生懸命、腕を広げて抱きしめました。
「よかったね! よかったね! 痛いとことかない? 大丈夫?」
「ゥキュー キュキュー」
「大丈夫ですって」
アイラさんも首長竜の頭をなでます。
首長竜の、目からポロポロと大粒の涙がこぼれ、流れる先からチェロの頬を濡らしていきます。
――あったかい・・・ほんとに良かった。
竜も泣くんだなと、そう思いながらもその涙に濡れるほどに、チェロの胸の中もぽかぽかあったかくなりました。
チェロは、ホーっと息をついて首長竜の頭を離すと、しげしげとその身体を見上げました。
まだ涙の止まらないつぶらな黒い瞳の上に、思いがけず長い睫毛が伸びています。
大きな口の端がちょいと上にあがっていて、微笑んでいるような顔立ちでした。
「そういえば女の子だったよね・・・あなたも女の子?」
チェロの膝の先辺りで空中に顔を出し、こちらも笑っているような顔のシマシマイルカに訊ねると「クキュキュ!」と返事をします。
チェロは小首を傾げました。
「女の子だよっていってるよ。チェロちゃんにも聞いてるわ。『あなたも女の子?』って」
「え~。わたし女の子だよ~。男の子にみえるのかな~?」
不服そうなチェロの頭に、アイラさんは笑いながら手を置きます。
「きっとイルカからみても人族の男女の区別は分かりづらいんだと思うわ」
「ん~。」
くちびるをとがらせて複雑な顔をしたチェロの後ろから「にゃーおう」と声がしました。
振り返ると、床の上にぺたりと身体を沈めたベジタローが、大きなあくびをしたところでした。




