カッパの隠れ里
ブルさんは首長竜の傍らへ立つと、手袋をはめて体内スキャンをはじめました。
なんとか息をしていますが、随分危険な状態です。
ベジタローもそばに寄って、心配そうに「にゃお~」と鳴きました。
ベジタローが彼女の助けを聞いてからの時間経過を考えれば、よく生きていたものだと感心するほどの状況ですが、とにかく一番気がかりなのは体内にバグが進入している危険性についてです。
体内を食い漁られれば、いつショックによる心肺停止が起こっても不思議ではありません。
しかし、何分、図体が図体です。
一番可能性が高い、肛門付近から腸内を重点的に見たいのですが、判りづらいことこの上もありません。
ブルさんの中にじわじわと焦りが分泌されはじめました。
その時。
「あれえ?」
ブルさんの背後で素っ頓狂な声がしました。
振り向くと、十人ほどの集団がゾロゾロ近づいてくるところでした。
一目でわかるその姿。灰色がかった緑色の肌、背中の甲羅、頭の皿。
カッパ族でした。
中でも一際背の高いカッパが前に進み出てくると、ブルさんはパッと顔を輝かせました。
「ブル! ファンク・ブルじゃないかい!」
「ネネコグランマ!」
二人は近づくとハグを交わしました。
ネネコグランマことネネコガッパはこの集落の長老でした。
脂っ気のない白い髪を、太い三編みに結って腰まで垂らしています。
死ぬまで成長を続けるカッパ族にとって、長身であることはそのまま尊敬の対象になりますが、身長だけでなく体格もブルさんに引けを取っていません。堂々たる女傑の姿です。
しかし、深く刻まれた顔のしわ一本一本が、すべてにこやかな微笑の積み重ねであると直感するほど、人を安心させる柔和な表情で、ブルさんの両肩を嬉しそうに叩きました。
「ファンク・ブル! 会えてうれしいよ。わざわざこんな時に遊びにきてくれたのかい? おや、竜を捕ってきたのかい? 悪いけどあたしら竜は食べないんだよ、言わなかったかねえ?」
「いや、違うんですよグランマ・・」
ブルさんはこれまでの経緯を簡単に説明しました。
「マムの娘だって! そりゃあたしらにとっても兄弟だよ!」
ネネコグランマは一緒に来ていたカッパ衆に声をかけ、すぐに集落へ案内するよう手配してくれました。
怪力で知られるカッパたちのこと。五人がかりで首長竜をさっさと持ち上げると、ブルさんに向けて口々にあいさつと感謝の言葉を述べて、島の中心へ歩き出します。
さらに二人がかりで客車を引き、シャープとフラットもおぶってくれました。
最後にネネコグランマとブルさん、ベジタローが連れ立って後をついて行きます。
ブルさんはベジタローをネネコグランマに紹介すると、さらに詳しい事情を説明しました。
神妙にうなずきながら耳を傾けていたネネコグランマでしたが、最後にゆっくり大きくうなずくと、ブルさんにニッコリ笑いかけました。
「大丈夫。竜は呼吸の仕方からしてまだ真ん中に傷は達しちゃいない。その感応のおちびちゃんがあの竜と繋がっていたわけじゃなくとも里にゃ結界があるからね、守ってくれるよ。お前んとこのトカゲは気絶してるだけだし、ついでにお前の身体も見てやるよ」
ネネコグランマの力強い言葉に、ブルさんは目頭が熱くなって鼻がツーンと痛みました。
正直いうと、このまま甘えて、抱きしめてもらいたくなりました。
全く未知の状況で、守るものを抱えたままの大立ち回りは思いのほかダメージが大きかったようです。
ですが、保障をもらったとしても状況は終わってはいません。
「グランマ。さっき『こんな時』とおっしゃいましたが、一体全体なにが起きているんですか? 淵にゃあ誰もいないし、モンスターは堂々とうろついてるし、さすがに面喰らいましたYo」
ネネコグランマは、「ああ・・」とちょっと身体をすくめました。
「2、3年に一度、淵の奥に溜まった穢れが噴き出して『呼んじまう』んだ。」
「呼ぶ?」
「そうさ。呼んじまうのさ」
そういってヒョイと空を見上げます。
「天候不順だったり、どっかの国の戦だったり、不況だったりがあるだろ世間にゃ・・。そういう嘆きだの怒りだのが雲に乗って流れてくる。流れてきた雲を周りの霊山が削ぎ取って雨やら雪やらになって降る。そいつが長い間かけて山を透って淵の底から噴出すのさ。もちろん普通は出てきやしない。知っての通りここは聖域だ。湧き出る水も清浄そのもの。だからこそ、その奥で穢れが溜まっちまうのさ。流れてくるものと押さえつけるものの間にね。まあ、目詰まり起こした汚れがある日、溢れてくると考えりゃあいい」
ふう。と息をついてブルさんに視線を戻します。
「あたしらはずっとここでそれを見張ってるのさ、先祖代々ね。」
「見張りですか?」
「そう。噴き出した穢れはここで祓っとかないと『海』へ流れっちまう。そしたら大変だよあんた」
そういうとネネコグランマは、ガッハハ!と豪快に笑いました。
カッパ族のいう『海』とは、とりもなおさず『ミズーミ湖』のことです。
ブルさんは愕然としました。
ブルさんの知る限り、カッパ族ほど陽気な人たちはいなかったのです。
ここを訪れるたびに家族のように歓迎され、酒を飲み、踊り、相撲をとって遊びました。
それこそ『年中遊んでいられるハッピーな人たち』と考えていたくらいです。
その彼らがそんなにも重大な責務を担っていたとは・・・。
しかし、今日はなんでまたこんなにも『巨きなもの』にばかり出会うのかと、ブルさんは胸が熱くなりました。
「だからまあ、あたしらは穢れが噴き出したら、落ち着くまで『隠れ里』に引っ込んでんだよ。出きっちまうまでは手が出せないからね。それまで淵は妖魔どもの遊び場。あたしらは酒盛りの日々さ」
ブルさんは、ふーっと溜息をつきました。
―― そんなタイミングにわざわざ飛び込んできたのか? こりゃある意味ラッキーだったYo。
カッパ淵が重要保護地区に認定された上、隔離のような扱いをされているのも得心いきました。
ビッグマムが手近な岸辺ではなくここへ連れてきた意味も・・。
「じゃあ、よくあることだったんですね」
心配して損した・・と続けようとしたブルさんにネネコグランマが先んじました。
「うんにゃ」
「え?」
ネネコグランマは、くりっとブルさんに顔を向けました。
「あたしはこの淵に生まれて百年住んでるがね、こんなにとんでもなく穢れたのは初めて見るよ。超弩級ってやつだね。」
「ええ!?」
驚くブルさんに、ネネコグランマはゆったりと笑いかけました。
「こんなに淵が穢れるのも、そこへわざわざお前たちがやってくるのも、全部精霊の導きさ」
前を進んでいた一行が、小さな塚の前で止まって待っていました。
「さ、着いたよ」
塚は1メートルほど盛り上げた土の上に、小さなカッパの彫像が乗っているだけのものでしたが、その手前に朱色を施した小さな木枠が立っていました。
猫の子なら通り抜けられそうなサイズです。
ネネコグランマはその前に進むと右手で枠の端を摘み、無造作に引っ張ります。
すると、引っ張った分だけやすやすと枠は大きくなりました。続いて左手です。
カッパ族の腕は不思議な構造になっています。伸びるのです。
伸びるといっても、例えば右手を伸ばすとその分左手が縮み、逆もまた同じく。
肩から生えた一本の棒のように、元の長さの分だけ左右どちらにも伸縮自在です。
広げた枠の大きさは、客車も難なく通れるサイズになりました。
首長竜を持ち上げたカッパたちを先頭に、どんどん枠の中に入っていきます。
外からは、枠をくぐった者から消えていくように見えました。
枠を通り抜けた途端、目の前の景色は広い洞窟の内側になっていました。
足元だけはきちんと石畳で整備されていますが、壁も天井もむき出しの自然石です。
それでも天井には、ここ十年ほどで普及した蓄光照明が均等に配置されて、洞窟内を明るく照らしていました。
しばらく進むと、前から饗宴の声が響いてきました。
外はまだ日が高いというのに、随分と盛り上がっているようです。
「あっちに捕まると面倒だからね。急いで抜けよう」
早足で進む道すがら、ブルさんはネネコグランマと救護の打ち合わせをしましたが、救護といってもそれはビックリするほど簡単な方法でした。
どんな傷にでも効くといわれる『カッパの妙薬』という薬がありますが、この奥にはその薬の源泉が湧いているというのです。
カッパの妙薬については、ブルさんも一度だけその薬効にあずかったことがありますが、深い切り傷といっしょに周りの古傷まであっという間に治ってしまいました。
ただ加工が非常に難しいらしく、ほんとに小さな小瓶ひとつで金貨何十枚という代物なのですが、源泉にはそれ以上の薬効があるそうです。
「ただし、本来なら完治するまでにかかる期間の分、寿命がなくなるがね」
ネネコグランマは「まあそんくらいは愛嬌さね」と笑いました。
奥に進んで何回か通路を曲がると、大きくて重厚な観音開きの扉につきました。
表面に複雑な魔法の術式が何重にも描かれていている扉を抜けると、そこはまるで神殿のように厳かな気配に満ちた広い空間でした。
広々としたドーム状の壁面には緻密な美しい縞模様が彫られ、そこに源泉から映る光が揺らいでいます。
岩を削りだした小さな池ほどのスペースの中で、こぽこぽと音を立てながらぼんやりと光を放って静かに満ちる源泉はそれだけで神々しい雰囲気を醸していました。
首長竜がその中にゆっくり入れられました。
まずは首長竜を治療し、回復を確認できたところでようやく客車の扉を開けられます。
ブルさんは、客車のチェロたちに伝声管で「もう少しだからガマンしてね」という旨を伝えると首長竜の近くまで進みました。
腰巻のような白いスカートを着けただけの胸も露な女官が四名、首長竜のそれぞれの位置で低く呪文を唱えながら手をかざしたり、ゆっくり体表をなでたりはじめます。
すぐに反応がありました。
ギョッとするほどのバグが一斉に源泉の中にわき出てきたのです。
外からは、わかりませんでしたが、相当数が皮下に潜り込んでいたようです。
バグは激しく暴れましたが、すぐに茹で上がったように真っ赤に変色して動かなくなりました。
外にいた別の女官が、それを優雅な仕草で桶にすくいはじめます。
ブルさんは興味深そうに眺めていました。
ブルさんの知る限り、ダメージを与えたバグは、迷宮の内部では溶けて泥水のようになり、迷宮の外に持ち出すと空中に消えてしまうものでした。
こんな状態になるバグは、はじめて見ます。
バグの実態検証に使えないものかと考えたブルさんは、ネネコグランマに、あのバグはどうするのかと小声で尋ねました。
「そりゃ食べるさ」
「食べるんですか!? バグを!?」
「エビみたいなもんだよ。焼くと香ばしい」
「ほんとに食っちまうのかYo!」
あんぐりと口をあけたブルさんにむかって、ネネコグランマが嬉しそうに続けました。
「レモンがまた合うのさ!」
バグすくいの女官は「わたしはフリッターがお勧めです」とニッコリ笑います。
これまでバグには散々な目に合わされてきたブルさんにとって、にわかに信じられないことでした。
額に手をやって考え込むブルさんに、ネネコグランマは「あとで食べてごらんよ」と、いたずらっぽく笑います。
「だいたい、さっきだってバグ漁に出たところだったんだよ。おかげでお前たちに会えたんじゃないか」
「まあ・・そうですね」
ブルさんは複雑な顔で頷きました。
そこへ、と長々とした吐息が聞こえました。
見れば首長竜が全身をノッタリとくねらせたところでした。
目蓋がピクピクと動き、続いて首やひれ、尻尾にも小さな動作が生まれ始めています。
ブルさんがホッと息をつくと、ネネコグランマも柔らかく肩を下げ「もう大丈夫だ」と続けました。
やっと客車を開けられます。
ピアニカさんがピアノを抱いて用心深く降りると、すぐに二人の女官が源泉のほうへ連れて行きました。
続いて降りてきたチェロは、そばにいた女官にシマシマイルカを手渡すと、ブルさんの前にきて、えぐえぐと泣き出しました。
ブルさんはひざまづいて優しくチェロを抱き締めます。
「よく頑張ったね。ほんとうに偉かったよ」
チェロは、ガマンしていた分を全部出し尽くすかのように、大声で泣き続けました。
チェロをネネコグランマとそばに控えていた女官に任せたブルさんは、客車の下から頑丈そうな大きなトランクを取り出すと扉の外に出ました。
中には、軽戦闘用の防具と武器がみっちり詰まっています。
手馴れた手つきで防具を着込み、『スルジン』と呼ばれる両端に槍の穂先と分銅がそれぞれついた鎖を、右腕から背中にかけて巻きつけていると、ネネコグランマが戻ってきました。
「なんだってんだ、ファンク・ブル? まさか淵に戻ろうってのかい?」
「いやあ」
ブルさんは、全身の締め付けとバランスを確認し、その場で軽くピョンピョンと飛び跳ねました。満足したように軽くうなずきます。
「ほら、いくら神様といってもね。やっぱり女性一人に戦いを任せるわけにはいかんでしょう?」
そういって「ニンっ」と口の端を吊り上げてみせました。
ネネコグランマは呆れた顔で、ホウッと笑いました。




