その1
初執筆の初投稿です。
誤字やアドバイスがあったら、どんどん言ってもらえるとすごく嬉しいです!
よろしくお願いします!
青空だ。
これでもかってくらいの青空が地平線の向こう側まで広がっている。
それなのに、空は満点の星空で埋め尽くされていた。
あれ?今昼だよね?なのになんで星が見えてんの?
不思議に思いながら視線を地上に落とすと、遠くで誰かがこちらに手を振っている。
彼だ。
瞬間、私の鼓動はマックスまで跳ね上がった。はやる気持ちを抑えながら彼の方へ駆け出す。
縺れそうになる足を必死に前に出し、一歩一歩、彼に近づいていく。
しかし、彼の元まで後数歩というところまで来たところで、私は足を止めざるを得なくなった。
崖だ。
いや正確には、地面がなくなっているといった方が正しいかもしれない。
まるでそこまで続いていた地面の存在を否定するように、ただただ黒い空間が、右にも左にも地平線の彼方まで続いていた。
いやいやいや!なんじゃこりゃ!?深いなんてもんじゃないぞこれ!?底なしっていうのかこういうの!?
私は彼の名を呼ぶ。多分、大声で叫んだんだと思う。
しかし彼はそれが聞こえないのか、そのまま彼は遠くへ歩いていく。
待って!
ガツン!!目の前に火花が散る。と同時に、目の前に広がっていた風景もかき消される。
「痛ったぁ…」
ズキズキ痛む後頭部をさすりながら顔をあげると、鬼瓦のような強面の顔が、はるか上から見下ろしていた。
「高原ぁ。最前列で俺ん授業で寝るたぁ、いい度胸してるじゃねぇか?おう?」
一瞬、さっきまで見ていた彼の顔とその顔が重なり、頭が混乱するが、まだ開ききらない目を擦ってみると、それはよく見知ったある教師の顔で、場所も、何の変哲もないいつもの教室だった。
「ち、ちょっと先生!いきなり殴るなんてひどいじゃないですか。もうちょっと優しく起こしてくださいよ。」
あまりの痛みに思わず抗議の声を上げる。
この人は林道祐二。やたらガタイのいい体つきと、190を超える身長は、どうみても体育会系のそれなのだが、なんと担当教科は音楽。愛称もこれまた可愛らしく、ゆうちゃん。疑問系の語尾に「おう?」とアップトーンでつけ加わるのが特徴で、ざっくらばんな性格で、生徒の人気も高い。ちなみにこのクラスの担任でもある。
けど、何をどうまかり間違っても、彼の顔とは似ても似つかない。
「何度呼びかけても、一向に目を覚まさずに、こっくりこっくりしていたのはお前なんだかな?おう?」
周りを見ると、何人かのクラスメイトたちがクスクス笑っている。隣に若干一名肩を震わせて必死に笑いを堪えている奴もいるし。
ちくしょうこのブタゴリラ、覚えとけよ。
「ああ覚えといてやろうじゃねえか、こっくりさん。」
「え?今、口に出てました?」
「割とはっきりとな。」
そう言われて、私はしゅんと肩を落とす。だがこの類人猿は追撃をやめない。
「おめーはチビだからたくさん寝て、身長伸ばしたいのは分かるけどよー、そういうのは授業中にやっちゃダメってのは分かるよなぁ?おぅ?」
「し、身長は関係ないじゃないですか!それに、こないだ少し伸びたんですよ!」
「ほう?で、何センチになったんだ?おぅ?」
「…ひゃ、146.3です。」
「そりゃおめー…。平均まで持っていくには、多分一生寝続けなくちゃならねぇんじゃねえか…。」
と、本気で心配そうな声で言うブタゴリラに、遂に隣の無礼者が決壊した。
それを皮切りに、クラスの中で爆笑の渦が起こる。
「おらおらー。面白いのは分かるが、今は隣のクラスも授業中だからなー。もうちょっと声落とせー。」
いやいや!笑ってるとこに突っ込もうよ!?
てゆーかそれを引き起こした張本人がそれ言うか!?
反論する気力もなくした私は、机に突っ伏して、目線をそっと右後ろに向けた。
その渦の中で、彼は口元に手を添えて、目尻を下げて笑っていた。
「ほんと、なんであんたはこうバカなんだろうねぇ。」
放課後、誰もいなくなった教室で、私は親友とだべっていた。
「バカじゃないよ。あんな風に文字通りの意味で叩き起こされちゃったら、憎まれ口の一つでも叩きたくなるでしょ。」
そう言いながら、私は家から持ってきたお菓子の袋をバリバリと開け、一つ口へ放り込んだ。ちなみにこの学校では、お菓子の持ち込みは禁止だ。
「ほうほう。つまりあんたはゆうちゃんの起こし方が気に入らなかったと。」
「うん。」
「それでブタゴリラなんてあの人のぴったりなあだ名を考えちゃった上に、勝てるはずもない身長の話であの人に反論したと。」
「うん……うん?」
「しかもその上、ミニマムな自分の身長をクラス中に暴露したと。」
「いや、ちょ…」
「そういうのを世間一般ではバカって言うんじゃないの?」
「…。」
この失礼極まりない奴は花山実奈美。デリカシーとか気遣いとかそういう類のものを宇宙の彼方に置き忘れてきたような性格で、口を開けばムカつくことばっかり言うムカつく奴。のくせして、見た目はポニーテールの似合う黒髪美少女だからさらにムカつく。さっき隣で笑いを押し殺してた不届き者もこいつだ。てゆうかこいつ今、さらっとゆうちゃんのことけなしたな。
「そもそもなんで先生が目と鼻の先にいるような場所で寝られるのよ。前から思ってたけど、歩って神経が図太いんじゃないの?体の方も、最近ぶくぶくと太ってきてるし。」
と、私が手に持っていたお菓子をひょいと取り上げる。
「太ってなんか!…ない…はず…なんだけど…。そう見える?」
「少し。」
「まじかぁ。食べる量減らさないとダメかなぁ…」
「と言いながらなに追加で手に取ってんの。」
「えっと…なはは。明日からがんばりまーす。」
「はいはい。てかそうじゃなくて、何でそんなに神経が図太いのかって聞いてんの。」
「あれ!?図太いことが前提になってる!?」
「体と一緒で。」
「体のことはいいから!いやでも、今日のはしょうがなかったんだよ?」
「ふーん?」
「その…あれだよ!授業で扱ってた曲が心地よくて、そう言うなれば子守唄?的な感じで、私を夢の世界へいざなって…」
「今日聴いたの、『魔王』って曲で、おどろおどろしさ半端なかったけど?」
「き、昨日夜更かししちゃってさぁ!」
「理由は?」
「そりゃもちろんテレビ…」
「自業自得ね。」
「そ、そう言えばこの前駅前に新しくできたお好み焼き屋さんがさぁ…」
「話を逸らさない。」
「…。」
「他に何か言うことは?」
「何もありませんごめんなさい。」
「ふむ。素直でよろしい。」
くそっ。こいつに口喧嘩で勝てる奴なんているのか?小学校からこいつとは一緒だけど、未だに勝った試しがない。見た目黒髪美少女なのにもったいない。
「もったいない奴で悪かったわね。」
「あれ?また口に出てた?」
「割とはっきりとな」
いや、声まで似せなくても…。
こんな性格なのに、彼女には男どもがわんさか寄ってくる。ほんと、つくづく美女って得だなぁって思う。
そう言えばこの子、自分が黒髪美少女であることは否定しなかったわね…。
「とこらでさ、歩…」
「何!?」
図太い関係から話が逸れると思い、食い気味に実奈美の言葉に反応する。
「あんたさ、沖宮のどこが好きなの?」
「………へ?」
実奈美の言った意味が理解できず、素で間抜けな声をあげてしまう。
え?ちょっと待って。今実奈美なんて言った?オキミヤノドコガスキナノ?オキミヤノ…オキミヤ……沖宮…?
「ふぇえっ!?」
「何その声…。てか、反応遅すぎ。」
「いやちょっと待った!タンマ!
私別に沖宮くんのこと好きなんかじゃないこともないんじゃなくないよ!?」
「どっちだ。」
「そ、そりゃ、沖宮くんは落ち着いてて優しくて頼りになって…」
「否定しきれてないぞ。」
「好きな食べ物はチャーハンで家族は両親と弟さんの4人家族で怖かったり緊張したりすると右耳を触る癖があって…」
「どっから仕入れたその情報。」
「ズボンを履くのは右足からで使ってるシャンプーはメリットで左肩に小さなほくろがあって…」
「ちょっと待て!本当にそれ誰情報だ!?」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「なんで、分かったの?」
「何でって…そりゃあんたの普段の行動見てたら…。」
「私そんなに分かりやすい!?」
「どうかなー?でも、10年以上あんたと一緒にいた私を舐めないほうがいいよ?あんたさっきも、机にうつ伏せながら後ろの方チラ見してたでしょー?」
「それは!…うぅ…」
恥ずかしい…。絶対誰にもばれてない自信あったのに…。
恥ずかしすぎて私は顔を覆って俯いた。
しかしそこで、ゆでダコのようになっている私に構わずしゃべり続ける実奈美の声の歯切れが、急に悪くなった。
「そこでって言っちゃ何なんだけどさ…その…私から沖宮とお近づきになれちゃう提案があるんだけど。」
不審に思った私は、顔から手を離して実奈美の顔を見た。その目線は、完全に私には向いてなく、何もない夕暮れの空を、横目に見ていた。
「明日の7限のホームルームでさ、文化祭の事、話し合うことになってるじゃん?私と沖宮、同じ行事係だから、司会進行役なんだわ。」
この学校では、毎年2学期の半ばに文化祭が開催される。各クラス一つずつ出し物をして、お客さんの投票による優勝を狙う。優勝賞品はなんと、学食1ヶ月間半額券。しかもクラス全員分だ。開催される時期的に、私たちが文化祭に参加できるのは、実質これが最後となる。当然、クラスのボルテージも高い。
「出し物を何にするかは置いておくとして、その後にね、係決めをするんだ。私と沖宮は行事係ってことで、2人とも自動的に運営係になるの。それでね、えっと…私がその時他にも運営に回りたい人が居ないか聞くから、あんたは、そこで手を挙げなさい!そしたら、文化祭の準備期間の間、沖宮の側にいれるでしょ!」
…えっと…その…つまり?私と沖宮くんが同じ係になれるように取り計らってくれるってこと?あの実奈美が!?
「い、嫌だとは言わせないわよ。大丈夫!その…私もいるわけだし。」
「……実奈美。」
「な、何よ?」
「あんた…大丈夫?」
「は?」
「だって!あの実奈美が私のためにそんな風に気を回してくれるなんて!熱でもあるの!?」
「あんたねぇ…ひ、人の好意に対してなんつー言い草よ!」
「いやだって普段が普段…。」
「わたっ…私が手伝ってやるって言ってんだから、あんたは言われた通りにやればいいの!それとも何?私の好意が受け取れないって言うの?」
「そ、そりゃ気持ちは嬉しいけど、心の準備が…」
「よーし分かったわ。つまりあんたは、自分で玉砕してくるから私には手を出すなって言いたいわけね?そうなのね?」
「玉さっ!?いやいやいや話がフライアウェイしすぎだって!ちょっと待って!ごめんなさい!その…ご好意はありがたく受け取らせていただきますから!」
そう言う私の言葉には耳を貸さずに、すたすたと早足で教室を出て行く実奈美。カバンは机の横に掛けたままだ。
教室からひょいと顔だけ出して実奈美に声を掛ける。
「えーっと実奈美ー?カバン忘れてるよー?」
すると彼女は、ビクッと体を強張らせ、また早足で教室まで戻ってきた。机から乱暴にカバンを取ると、私の前にやって来る。その頬の色は、紅。夕日を言い訳にするには、少し色が濃いすぎる。
彼女は私の向かって人差し指を立てると、
「と、トイレに行ってただけだから!別に忘れたとかじゃないんだからね!」
そう言って、今度は殆ど競歩のような速度で教室を飛び出してしまった。
「あ、ちょっと待ってよ実奈美ー。」
私は笑いをこらえながら、彼女に続く。
そう、なんだかんだ言って、小学生からの腐れ縁で付き合っているこいつが、私は大好きなのだ。絶対に本人には言わないけど。
トイレの前は完全にスルーして、靴箱に向かった彼女をからかわなかったことで、係り決めの借りをチャラにしようと心に決めた私は、運動部の熱気の僅かに残る運動場を、彼女と並んで歩くのだった。
次の日、一日の授業の最後のコマであるホームルーム。決戦の時は来た。
「はーいお前ら静かにしろー。わかってると思うが、今日のホームルームは、1ヶ月後に控えた文化祭で、クラスでやる出し物と、係り決めをするからな。進行は行事係の二人に任せるから、そっちの指示を聞くように。んじゃ、沖宮と花山は前に出てこーい。」
そう言われて2人の美男美女が教卓にそろい踏みする。畜生、なんかお似合じゃないか?
「 はい。それでは、来月の文化祭についての話し合いを始めます。まずはクラスの出し物についてですが、何か意見のある人はいますか?」
そう切り出した実奈美の声で始まった話し合いでは、割引券の影響もあってか、面白いように意見が飛び交った。劇、お化け屋敷、メイド喫茶…。そして長い激戦の末、生き残ったのは、プラネタリウムだった。
あまり人には知られていないが、私は割と星が好きだ。何か上手くいかなくてムシャクシャするとき、失敗して辛くて泣きそうなとき。そんなときに空を見上げて、そこに小さな星が命を燃やしているのを見つけると、自分の悩んでいることがとてつもなくちっぽけなものに思えてくるのだ。実際に何か言ってくれるわけではない。慰めてくれるわけでもない。星はただ、そこにいるだけだ。けれど、その淡くて力強い光に、星座や神話といったものを見出した私たちのご先祖様は、きっと綺麗な瞳をしていたに違いない。その瞳に映っていたものと同じ光を、今度は私が見ているという事実に、私は喜びにも誇りにも似た感情を、抱かずにはいられないのだ。
そんな私は当然、プラネタリウムにこの清き一票を捧げたのだが、意外にもプラネタリウムは他の候補に大差をつけて勝利した。クラスに天文部の人たちが多いということもあっただろうが、それにしても多い。どうやら高校生活最後の文化祭で、自分たち自身の手で星空を作るという魅力は、みんなにとっても大きさったようだ。
出し物が決まったところで、いよいよ係り決めに移っていく。だんだん加速していく心臓の音の中、実奈美が鬨の声を上げた。
「それでは、最初に運営係についてですが、私と沖宮くんは、行事係ということで自動的に運営係になりますが、他に運営係をやりたい人はいますか?」
実奈美と目が合う。今だ。
「はい!」
クラス中の顔が一斉にこちらを向く。皆一様に怪訝な顔をしている。そりゃそうだ。運営係なんて、みんなを取り仕切るだけで、実際の活動にはほとんど参加できない。その上、生徒会と予算やらスケジュールやらを話さなければならないので、面倒な係でもある。間違いなく人気ワースト1位の係だ。私だって、沖宮くんや実奈美がいなかったら、絶対に運営係なんてやらない。けれど、それでも、私はあの場所でこれからの時間を過ごしたかった。
「はい。じゃあ高原さんも運営係に追加します。他にはいますか?」
…あの野郎…。自分で仕組んでおいて、その気配をおくびにも出さないな。恐ろしい娘!
その後も、各係は順調に決まっていった。このまま行けば、明日から私たち3人のウキウキパラダイスが始まる。そう踊らせていた私だったが、ここで神様か悪魔か知らないけど、どっちにしろその意地悪な誰かさんは、私にちょっとしたいたずらを仕掛けた。
それは、ほぼ全部の係が決まり終わった後のことだった。当日、学校の中に散らばって客寄せをする広報係が、どうしても1人足りなくなってしまったのだった。広報係も、文化祭の日は1日中仕事で、他クラスの出し物を見に行けないという理由で、かなり不人気な係だった。話し合いが行き詰まり、みんなが困っている時、前で腕組みをして考え込んでいた実奈美が、とつぜんひらめいたような顔をした。ちょっと待って、何そのものすごくいい笑顔。
「あのー。」
実奈美がそろそろと手を挙げる。
「私でよければ広報に移りますが…。」
私は目を見開く。前に立っている実奈美には、当然それが見えたはずなのだが、まるで気づいていないように、いかにもおどおどといったように手を挙げている。
ちょっ、何言ってんの実奈美!?
実奈美がいなかったら私と沖宮くん、2人きりになっちゃうよ!?それじゃあもうウキウキパラダイスじゃなくて、ハラハラパラダイスになっちゃうじゃん!
「元々運営係は2人でしたが、高原さんが入ってくれて3人になっていたので、私が抜けても大丈夫だとおもうんですが…。」
どの口がそれを言うか!
泡を食う私を尻目に、みんなの了承をあっさり得た実奈美は、黒板の自分の名前を消して、新たに広報の欄に、でかでかとその名を刻んだ。
「よーしじゃあこれで文化祭のことは全部決まったな。けど沖宮ぁ、運営は本当に二人で大丈夫なのか?おぅ?」
ゆうちゃんがそう彼に声をかける。
一瞬固まったが、すぐにこくんとうなずく沖宮くん。
ええ!?沖宮くんまで!?
「そっか、んならいいや。よーしじゃあこれで、文化祭関係のことは全部決まったな。準備は今日の放課後から初めていいらしいから、おめーら気合い入れてけよー。優勝賞品は担任も貰えることになってんだからな!」
クラス全体がいいお返事をする。
先生私は!?なんで私には聞かないの!?教師たる者が差別なんてしちゃだめですよ!おーい!
キッと隣の席に戻ってきた実奈美を睨みつける。それに答えるように、実奈美は口角を上げながら親指をグッと立てる。
前言撤回。こいつを一瞬でも大好きなんて思った私がバカだった。
こいつ、完全に楽しんでるだけだ。
ゆうちゃんの言い付けをきちんと守って、その日の放課後から、文化祭の準備が始まった。と言っても、設計係の人たち以外はまだやることもないので、人はまばらだ。沖宮くんはその中に混じって、真剣そうに話している。私はそれをお茶請けに、席に座ってお菓子を食べていた。
「あんた、そんな穴が空くほど沖宮のこと見つめないの。減るもんじゃあるまいし。」
そう言ってくる実奈美に、私はつーんとそっぽを向く。
「なんで広報の花山さんが残ってるんですか?」
私はまだホームルームの裏切りを許してはいないんだから。
「もーそんなに怒んないでよ。私としては親切のつもりだったんだよ。」
「…。」
めっちゃ笑顔でしたけど。
「それによかったじゃん!あの沖宮くんと二人っきりだよ?進展のチャンスじゃん!」
「…。」
私の心臓がもたん。
「…。」
「…。」
「…ごめんね。」
だいたい実奈美はいつも…。えっ?
「えっ?」
「…。」
「え、いやちょっと待って。実奈美今なんて言った?」
「…ごめんって言ったのよ。謝ったんだから、その、許しなさいよ。」
…なんでこのタイミングでそんな風になるかなー。怒るに怒れなくなるじゃん…。
私はふぅ、と小さくため息をついた。
「…いいよ。」
「え?」
「いいよって言ったのよ。本当は別にそんなに怒ってるわけじゃないのよ。少し…からかってみただけ。」
「ほんと?」
「ほんとほんと!それに実奈美も言ってたけど、確かに沖宮くんと仲良くなれるチャンスかもしれないしねー。それ考えると、むしろありがとうだよ。」
「……ありがと。」
そう言って首を少し傾けて笑う実奈美。さらさらの髪がはらりと肩から落ちる。畜生、かわいい。
「ところでさ、歩。」
「何?」
「あんた、今日からダイエットじゃなかったっけ?」
そう言ってニヤッとする実奈美。
私は今度こそ彼女を振り払って教室を出て行った。出て行こうとした。
もう知らん。あの野郎、ちょっと気を許したらこれなんだから。昔っから何度も騙されてきて、頭では分かっているのに、あのうるうるした目を前にすると、どうしても許す気になってしまう。神様でもなんでもいいから、いっぺんあいつに天罰でも食らわしてくれないかな。
そう心の中で毒づきながら、ドスドスと私は歩いていく。
しかしそのとき、私を、あの声が呼び止めた。
「高原。」
そう私の名を呼んだのは、実奈美でも設計係の人でもなく、彼だった。
硬直する私に、彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
「ここに書いてあるプラネタリウムの材料、運営係で買ってこいってさ。」
そう言ってピラピラと私に何やら箇条書きに書かれた紙を見せる。
「行こ。」
戸惑う私が見えていないのか、彼はそのまま外へ出て行く。
しかし、私は状況について行けず、その場に固まったままだ。
えっ?今から?てかそれよりも…。2人で!?おでかけ!?
頭の中はノアの大洪水並みのあれようで、思考は完全に停止していた。
そんな私を不思議に思ったのか。彼が振り返る。
「高原?」
と、その言葉で、金縛りが解けたように私は我に帰る。
「う、うん!分かった!」
そう言いながら、私は彼の後を追う。もちろん、実奈美の顔だけは絶対に見ないようにしながら。
学校から一番近くにあるホームセンターは、歩いて約10分。そこまでの道のりを、私は今、沖宮くんと2人で歩いている。
えっと、買ってくるものはっと…。アルミ板、金属用カッター、ドリル、ペンチ、白熱球…。へぇ、結構本格的だな。
そして最後に書いてあるのは…。ポテチ。
………。いやいやいや、ポテチって。学校で食うなや。いや私人のこといえんやろ。
……ってそんなこと言ってる場合じゃない!なにこれ!?なにこの少女漫画みたいな状況!?2人きりで同じ係ってだけでもキャパオーバーなのに、それに追い打ちをかけるように!これはなんの苦行ですか?それともご褒美ですか?
心の中で1人ツッコミまくっていた私だが、ふと、彼が黙りっぱなしなことに気付く。
も、もしかして、黙り続けてる私のせいで、なんか機嫌損ねちゃった!?
あたふたしながら、そっと隣を歩いている彼を見上げる。
しかし彼は、およそ不機嫌とは言い難い、穏やかな表情をしている。
あれ?気まづくないのかな?そう思った矢先、私は、自分は何も言わなくても、彼と一緒に歩いてるだけで満ち足りた気分になってあることに気付いた。そんな自分を自覚すると、私はますます恥ずかしくなり、顔がまたゆでダコのようになり、思いっきり下を向いた。
私は今だけは、自分の身長が小さいことに感謝した。だって、今より彼との身長差が小さかったら、林檎のように真っ赤になっているであろうこの顔を、彼に見られてしまっていただろうから。
無事にホームセンターに着き、彼と協力して、メモに書いてあったものも全部揃えることができた。もちろん、ポテチも含んで。
あとは商品を持ってレジに並ぶだけだったのだが、その時私は、店の一角にある園芸コーナーに、大きなものが動くのが見えた。男の人?
園芸は、家に緑も取り入れられ、その上食べられるものを栽培できるということで、主に主婦の間で人気の暇つぶし、もとい趣味だ。なのでそのコーナーにも、品の良さそうなおばちゃんたちや子連れのお母さんが多いため、その中で大男がうろうろしていると、当然目立つ。
もしかして、なんか危ないこと考えてるやつなんじゃ…。そう思った私は園芸コーナーの方へ駆け出す。彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに私について来てくれた。
奴のいる斜め後ろの棚から顔を出して、そっと伺う。
どうした…と聞いてこようとする彼の口を、慌てて手で塞いで、私は奴の方を指差し、ジェスチャーした。
彼は、さっきとは比べ物にならないほど目を見開き、私の方を見返した。
「え、いや、高原…あれって…」
小声で言う彼の声は耳に入らず、私はその男に声をかけた。
「ちょっとあんた!こんなところで何コソコソしてんの!?まさか犯罪じみたようなことやってないでしょうね?」
男が肩をビクッとさせて振り返る。
「……え?」
同時に、軽く肩で息をしながら彼も私に追いついてきた。その手は何故か右耳を触っている。
「やっぱり…」
おっかなびっくりした顔で振り向いたのは、他でもない、我らがゆうちゃんだった。
「お、おぅ?なんでおめーらこんなところに…。」
「いや先生!こっちのセリフですよ!なんで先生がこんなところに…。まさか、家庭というものを持ちながら…。」
「ひ、人聞きの悪いこというんじゃねぇよ!俺は正真正銘、園芸道具を買いに来たんだからな!」
そう言って、持っていたホームセンターのオレンジ色の買い物カゴを掲げる。
「え?でもなんでまた先生が園芸なんか…。」
「ひ、人に作ってやった植物をやりてーんだよ!」
「ふーん…」
まぁゆうちゃんは嘘とかをつくような人じゃないし、それは信用できるんだけど…。いったい誰に?
そう考え込んでた私は、ピンと思いつく。
「もしかして…奥さんにですか?」
そう思い至った私は、ニヤニヤしながら先生を詰め寄る。
「バッ!そんなんじゃねーよ!む、娘だよ!今日は俺んとこの娘の誕生日なんだよ!」
テンパって、手をブンブンと横に振りながら弁明するゆうちゃん。その、学校では絶対見られない慌てふためいた様子が可笑しくて、私はさらに追い討ちをかける。
昨日の授業中にかかされた恥、キッチリと落とし前つけてもらおうじゃない!
「あ、娘さんになんですか?なーんだ。でもあれですね。誕生日に花をあげるなんて、ゆうちゃんって意外とメルヘンなんですねぇ。」
「い、いいだろ別に!あいつ、タンポポ好きなんだよ!」
「え?た、タンポポを育てるんですか?タンポポなら、学校の周りの河原とかにも咲いてるのに…」
そのの方が効率的だし、本数もたくさん用意できるはずだ。不思議に思った私は尋ねた。
「……自分で…」
「は?」
「自分で育ててみたいんだよ。そりゃ、綿毛はどっかその辺から拾ってくるけどよ。せっかくの誕生日プレゼントなんだから、一から俺が育てた花をあいつにはやりてぇんだよ。」
「……」
えーっと…。それはつまりあれですか?自分の精魂込めて作った物を誕生日には渡して喜んでもらいたいってことですか?
ぽかんと口を開けていた私は、ある時我に返って、2,3歩ズザザッと後ろ絵後ずさる。
………この人、乙女だ!見た目ゴツいブタゴリラのくせして、考えてることは完ッ全に女の子だ。
あまりの衝撃に、バカみたい口をパクパクさせている私に、彼が突然声をかけた。
「高原、そろそろ行くよ。みんな学校で待ってる。」
そう言って彼は、私が何か反応を示す前に私の手をとって、半ば強引にその場を後にした。
ゆうちゃんが何かこちらに向かって言った気がしたが、彼の足はまるで一刻も早くその場を立ち去りたいと言わんばかりの速さで、その言葉を聞き取ることは出来なかった。
買い物を終え、学校へ帰ると、教室はガランとしていた。黒板を見てみると、『⚪︎×電機行ってきます!』とか『△□土木で木材もらってきます!』などと書いてある。なるほど、買い物に出かけたのは私たちだけではないようだ。
彼の方を見やる。彼は買ってきたものが入ったレジ袋を教卓の上に置いた。その表情は、こちらからは見えない。
あの後、私の腕を掴んだ彼は、お店の出口までズンズン歩いて行き、空いた駐車場を足早に横切り終わると静かに脚を止めた。大した距離を歩いた訳ではなあのに、その方は大きく上下していた。その後は、お互いに一言の会話もなく、学校まで歩いてきたのだった。
お互いに喋らないのは行く時と同じなのに、その静けさはどこか暴力的な沈黙だった。
彼に腕を掴まれた興奮と、そしてある種恐怖にも似た感情の帳が心を覆い、私はこの日初めて、彼の名を呼ぶ。
「沖…宮くん?」
彼がゆっくりと振り返る。よく手入れされた髪が、少し風に靡いた。
私には、なんとなく分かっていた。彼がどんな顔をしてるのか。理由なんてないけど、分かっていた。
彼は、泣いていた。
声をあげて泣いているのではない。目だけが、涙を流していた。顔の他のパーツは普段と何も変わらないのに、その瞳からは、次から次へと水が溢れてくる。
普段の私なら、ここで慌てふためく所なのだが、私は自分でも驚くくらい落ち着いていた。
彼に歩み寄る。一歩。また一歩。涙を流したまま微動だにしない彼の頬に手を伸ばす。
ガララッ!
教室のドアが開く。瞬間、私と彼は、それまでの焦れったい程緩慢な動きから一転して、光の速さでお互い飛び離れた。
え?ちょっと待って今私何しようとしてた!?沖宮くんなんで泣いてたの?てか入って来るタイミング考えなさいよバカ!
頭がショートしそうになっている私だったが、彼はそんな私が見えていないかのように、素早く踵を返して教室から出て行った。
残された私は、まるで何事もなかったかのように買ってきたものの話を入ってきたクラスメイトと始めるのだった。
その日、買い物に行っていた人が全員帰ってくる頃には、下校時間が迫っており、その日はそれでお開きとなった。
帰り道、実奈美は何か進展があったのかとしつこく聞いてきたが、私が何もなかったと答えるなり、お説教を始めた。
横で呆れ顔で笑っている彼女と歩きながら、私は心の片隅が疼いているのを感じていた。それは恋の疼きとは何か違う、まるで底の見えない谷底を覗き込んだ時のような疼きだった。