第14話 -救済の掌- ~インダルジ・イン・リグレット~
目覚めたとき、おれは、ジャングルのど真ん中だった。
いや、嘘みてーな話だが、マジだ。
暑い。そして、喉が渇いた。
おれは、大ぶりのサバイバルナイフを、錬成すると、ゆらゆらというより、ふらふら、と歩いた。
唐突に、水しぶきの撥ねる音がした。
――水だ! 飲み水だ! ヒャッハー!!
おれは、嬉々(きき)として、音のほうに近づいた。それが、間違いだった。
目の前にあったのは、女の裸体だった。
色のあせた、はちみつ色の髪が、貧相な胸に張り付いていた。
だが、野性味あふれる無駄のない、すらりとした体つきは、くらくらするほど美しかった。
思わず、凝視した。
「…………」
目があった。
「いや、これは……」
思わず、両手を挙げた。
ウブなボーイではないが、さすがに気恥ずかしいものがある。
おれはスタンダップしながら、バックステップした(ピエロか)
「なんだ、他にもヒトがいたのか。お前も浴びるか?」
女は、なつっこそうな黒々とした瞳を丸くして、なんの恥じらいもなく首をかしげた。
「……遠慮しとくっす」
おれは、困った顔のふりで、破顔した。この女、すげーおもしれえ。
「へえ、お前、リョウヤっていうのか。……ん? なんか聞いたことあるな?」
焼き魚をむさぼりながら、女が言った。おれも、同じメシを喰らいながら答える。
「気のせいじゃねえ? おれそんな有名人じゃねえっすよ」
大嘘だった。
おれは、その筋では有名なシリアルキラー、ようするに、殺人鬼だった。
警察や報道関係者には、施設の息がかかり揉み消されているが、人の噂にまでストップはきかない。
どこかで、おれの特徴なり、名前なりが知られていても、おかしくなかった。
だが、この女は、なんの警戒心も抱いていない。
好都合だ。この女の、はちみつ色を切り取って、コレクションするのも、悪くない。
腐る前に、加工してしまえばいい。
そんな、おれの邪な妄想に、女は、肩を震わせた。
「なんか、さみい。なんでかな?」
「さあな。誰かあんた……、乙女さんの噂でもしてんじゃねえ?」
「姫かな」
女……乙女は、そこではじめて、暗い顔をした。
「そいつとケンカしたんっすか?」
わざと、へこへことして、尋ねた。
「ケンカなんかじゃねえよ。あたしは、あいつを裏切ったんだ」
乙女は食べるのをやめて、まっくらな瞳で俯いた。
思わず、ゾクゾクした。――ああ、今すぐ殺してえ。だが、まだ早い。お楽しみは、これからだ。
「へえ……好きな男っすか」
乙女は、目を丸くした。
「別に、そんなんじゃねえよ」
「でも、好きなんでしょ?」
「好きだ。愛してる。でも、あいつは女なんだ」
あたしと同じ、と乙女はつぶやいた。
「同性愛っすか。別に、珍しくねえんじゃねえっすか」
鬼畜眼鏡や、腐れ子犬のような例もあるし。とおれは、嘲笑をまぜた、へこへこ笑いで言った。
「姫はな、特別なんだ。あたしなんかが、気軽に惚れていいやつじゃないんだ」
ましてやこんな感情、知られたら。と乙女はぶるり、と躰を震わせた。
「ふうん」
おれは、興味なさそうに返した。
「でももしあいつが、あたしのことを、同じぐらい思ってくれるとしたら」
そんな奇跡がもし、起きるのなら。
「あたしは、あたしのすべてをあげられる。そんな気がするんだ」
「純愛っすね」
「ちげえよ。あたしのなかにあるのは、ヨコシマなヨクボウだけだ」
――邪な欲望、か。同意できすぎて、おかしいぐらいだった。
もちろん、この女の場合は純粋な恋慕で、おれのはただの原始的な、殺戮衝動だが。
「別に、いいんじゃねえっすか。自分に、正直になっても」
もっともっと、殺しても。
「神サマなんて、どうせいねえっすから」
「いや、神サマはいるんだよ。あたしのカラダのなかに」
やべー宗教のヒトか、と思ったが、心当たりがあった。
花蓮宗女当主、リンドウ・エデン。
チカと関わりの深いあの女いわく、すべてのニンゲンのなかには、女神・カレンの愛が宿っているという。
もちろん、カケラも信じちゃいないが。
「わかんねっすね。神サマがいんのに、どうして死人が続出するのか」
――どうして、おれみたいなクズが、生まれてしまったのか。
「それはわかんねーけど、たぶん決まっていたことなんだ。そいつらが死ぬのも、あたしと姫が出会ったのも」
乙女は、昔話をした。
昔々あるところに、貧しい村人がいました。
兄弟の真ん中に生まれたそれは、兄弟を食わせるため、都に奉公にでかけました。
いやしい身分と、貧相な身なりのそれは、こっぴどく、いじめられました。
でも、たったひとりだけそれに、優しくしてくれるひとがおりました。
そのひとは、有月、という雅な名前をした、世にも美しいお姫様でした。
それは、姫に気に入られ、身の回りの世話をすることになりました。
やがて、姫は、御簾ごしだけではなく、素顔もさらしてくれるようになりました。
まっさらな粉雪のごとき肌に咲く、可憐な花のごとき瞳が、柔らかそうな桜色の唇が、それを、甘く甘く、誘うのでした。
――妄想だと、わかっていました。
姫は、高貴なるお方。悪鬼を夫に持ち、殺めた、強いお方。
自分など、ただの手慰みの、玩具にすぎないと。
だが、姫は、ためらいなく自分に触れました。
その白魚のような指で、つい、となぞられると、ドキドキして、ゾクゾクして。未熟な自分のオスが、反応するのを感じました。
――押し倒したい。手折ってしまいたい。
そういった、おかしな衝動を、抑える日が、続きました。
そんなある日、事件は起こりました。姫の御子が、さらわれた!!
いち早く気づいた自分は、単身、乗り込みました。
もちろん、死を覚悟でです。
御子の居場所を、突き止めた自分は、敵の親玉と、相打ちに、相成りました。
――これでよかったんだ、と思いました。
どうせ、身分違いの恋。叶うことなど、ありえっこない。このひとの子をかばって死ねただけで、よしとしよう、と。
ですが、その時、光を見ました。月光に包まれた、天女様を。
天女さまは、必死な顔でかけより、自分の手を包みました。返り血で美しいお着物が、よごれるのもかまわず。
「乙彦……ああ……っっ乙彦!! 返事を!!」
ああ。なんてことでしょう。
天女様が……有月様が、泣いておられます。
みっともなく泣きじゃくる姫様は、とてもこの世のものとは思えないほど美しく、愛おしくて、愛おしすぎて、自分は笑いました。
「ひめさま……おとひこは……、あなたのお役に立てましたか……」
――じゅうぶんだ、じゅうぶんすぎる、うつけ者が!
というようなことを、姫様は言い、自分をぎゅっ、と抱きしめました。
傷口が開き、とても痛かったですが、このうえない幸福でした。
そして、信じられないことが起こりました。姫様が、自分に口づけたのです。
柔らかで、甘い接吻のあと、薄れゆく意識の中、姫様は言いました。
「乙彦。すまぬ。今度は、必ずわらわが、わらわが……っ。そなたを護って、死ぬから……っっ」
それはまるで、創世の男神、空魔さまの生まれ変わりである名無しの奴隷が、有月様の妹、血闇様に誓ったのと、まったく同じ言葉でした。
ですがもちろん、自分はそんなこと、知りえません。
ただ、欲しくて、欲しくてたまらなかった姫様の愛にむせび、そんなもの、いらないのです、と、声にならない声で言うのが、せいいっぱいでした。
――そんなもの、いらないのです。姫様、ただあなたが、お傍にいてくださるのなら。乙彦は、じゅうぶんです。それだけで、何度でも、何度だって、わが身を、捨てることができるでしょう。
ああ、姫様、かぐや様。――愛しています。この世で一番。
三千世界で、あなただけが、私の、私だけの、愛しいお方です。
来世でも、あなたを、あなただけを愛すると、この命にかけて、誓います。
(( だから自分と、また出逢ってくださいますか……? ))
「……それで、あたしは、思い出したんだ。あたしがずっとずっと前から、姫を好きだったことを。――心の底から、愛していたことを。だから、偶然じゃない。あたしと姫が出会ったのは、女神さまの定めた運命なんだ」
「へえ……ロマンチックっすね」
バカバカしくて、生返事をした。やべえ。この女、すげーイカレてやがる。
すさまじい妄想に、背筋がゾクゾクし、舌なめずりをした。
いよいよ、面白くなってきた。……この女、ますます殺してえ。
鼻息を荒くしていると、乙女は物憂げに、溜め息をついた。
「姫、どうしてっかな。あいつがカンタンに死ぬタマじゃねえってわかってるけど、心配だな」
「じゃあ、探しにいくっすか」
「そうだな、行こうぜ、リョウヤ」
乙女は魚をキレイにたいらげると、立ち上がって、まっすぐに、手を差し伸べた。
反射的に取ってしまって、後悔した。
生身の人間の掌に触れるのは、何年ぶりだろう。
ふいに、あいつの、チカのあたたかい掌を思い出し、心臓が、どくり、と鳴って、舌打ちをした。
すかさず、チカの泣き叫ぶ姿と、死体を想像して、打ち消した。
このおれ様が、後悔なんて、ガラじゃねえーっつの。
あのバカを、めちゃくちゃにして、泣かせたい。
……なんなら、犯してやってもいい。
あいつは、ああみえて処女だから、きっとイイ声で鳴くだろう。
そっちのケはないが、チカは見た目だけは、ばつぐんに美少女だ。
きっとイケる。絶頂で、その胸に、腹に、ナイフを突き刺す。
一番キモチいい時にひと息に殺してやってもいいし、めった刺しにして、泣き叫ばせてもいい。
我ながら、変態じみた妄想に、思わず喉を鳴らすと、おれと手をつないだまま歩いている乙女が、不思議そうに首をかしげた。
ものすげえ鈍感なのか、ただのバカなのか。いや、きっと両方だな。
おれは、溜め息をつくと、そのあたたかすぎる掌を握り返し、足を進めた。
ふと、女の笑い声を聞いた気がして、足を止めた。
「どうかしたか?」
「いや、気のせ……」
気のせいだろう、という声は、突然の疾風によって、かき消された。
「グルル……」
現れた風の正体は、ゾンビ化した犬だった。
もとは軍用犬だっただろう、それは、完全に腐乱しており、骨が丸見えだった。
「やべえ……なんだよアレ……」
異常すぎる事態に思わず、声が震えた。乙女も、立ち止まって唾を飲んでいる。
――ゾンビ犬たちがヨダレを垂らし、襲いかかってくる!!
「……逃げるぞ!!」
乙女は、駆けだした。
「~~うひゃおおおぉぉおお?!!」
乙女の走るスピードは、すさまじかった。まるで、ジェット機かなにかだ。
おれは、まるで凧か何かのようにただ、その手にぶらさがっているのがせいいっぱいだった。
「ここまでくれば、だいじょうぶだろ」
立ち止まった乙女は伸びをして、腰をおろした。
――こいつ、バケモンか。ぞっとしつつ、おれもへたりこんだ。
「姫も、近くにいるといいんだけど」
言って、乙女はあぐらをかいた。その時、信じられないことが起こった。
円形の、紫に輝くサークルが突然現れ、そこから無数のゾンビ犬が、踊り出たのだった。
「げっっ……」
慌てて、サバイバルナイフを、錬成するが、遅い。ゾンビ犬は、まっすぐ、乙女の喉笛を狙っていた。
乙女の目が、見開かれる。
――やべえ。そう思った時には、体が動いていた。
おれは、乙女に体当たりした。ごろごろ、と乙女が転がる。そして、おれの喉笛は……噛みちぎられていた。
「ごひゅ……っ」
ああ、血が溢れてやがる。これは、助からねえな。
「リョウヤ……なんで……ッ」
ああ。なんでだろうな。おれにも、わかんねえよ。
……でも、お前さ。ちょっとあいつに、似てたんだよな。
天真爛漫で、天衣無縫で。掌があったかくて。無防備で、バカで。……死ぬほど可愛くて。
だからかな、いいかな、って思っちまったんだ。こいつのために死ぬのも、悪くねえな、って。
――ああ、チカ。……ごめんな。違うんだ。
お前を、傷つけたかったわけじゃ、ねえんだ。ただ、振り向いてほしかった、だけなんだ。だから、てめえの親を「殺した」。
――おれをみて。もっと、みて。触って。
憎悪でいい。笑顔でなくていい。泣き顔でいい。泣き顔がいい。
どうせお前は、こんなおれなど、愛しはしないだろうから。
――なあ、チカ。……おれ、お前の役に立てたかな……。
その時、信じられないことが起こった。唇に、なにかとてつもなく、柔らかいものが触れた。
それは、しめっていた。――キスされた。
チカに……いや、乙女に。
おれの躰の中が熱くなり、乙女とおれの全身が、輝きだした。
乙女は、唇を離した。
「死ぬなんて、許さねえ。もう、誰も死なせねえ! お前は……っあたしが、救う!!」
そう叫ぶと、おれの汚らしい頬に触れ、囁いた。
「なあ、リョウヤ。特別に、教えてやる。あたしの本当の名前は、乙女なんかじゃねえんだ。まや。入間摩耶。でも、本当のほんとうは、それでもねえんだ。あたしの、魂の名前は……」
その言葉を聞いたとき、ひときわ強い光が、目を焼いた。
気が付くと、おれの全身の痛みは消え、乙女がおれをひざまくらして、微笑んでいた。
「なあ、神サマはいたろ?」
「え……」
躰を起こしたおれは、喉の傷が癒えているのに気づいて、驚いた。
慌ててそこをなぞるといつできたのか、薄く凹凸があって、どうやらそれはなにかの文様のようだった。
薔薇の文様。四分の一女神、<ヴァージニア>の、祝福のしるし。
「さあ、行こうぜ、リョウヤ。姫が待ってる」
乙女は、小首をかしげ、なんでもない風に、また、掌を差し伸べた。
おれは、今度はためらわず、その手を取った。あたたかくしめった、生命の温度。
ああ、とおれは思った。
――神サマはいる。――――いま、目の前に。
今度、チカに会ったら、きっと、うまくやれる気がする。
――謝ろう。この命、この魂、すべてにかけて。
あいつのためなら、きっとおれは。
いつだって、何度だって……死ねるのだから――。
“Indulge” ~インダルジ~
〈子供を〉甘やかす; 〈人を〉気ままにさせる.
〈欲望・趣味などを〉ほしいままにする; 〈人の〉欲望を満足させる.
〔+目的語(+in+(代)名詞)〕[indulge oneself で]
〔…に〕ふける,おぼれる.
〔…に〕ふける,〔…を〕ほしいままにする.
酒を飲む.
【語源】
ラテン語「…に親切である」の意
“Regret” ~リグレット~
残念,遺憾; 後悔,悔恨 〔for,at〕.
(不幸などに対する)悲嘆,落胆; 哀悼,哀惜.
遺憾の意[気持ち], 後悔の言葉 〔at,about〕.
(招待状に対する)ていねいな断わり; 断わり状.
“Indulge in Regret”
~インダルジ イン リグレット~
「後悔に溺れろ」
「悔恨を甘やかせ」
「悲嘆(の欲望)をほしいままにしろ」
「哀悼の酒を飲め」




