第7話 ‐心中の絆‐ ~カース&ポルート・ザ・プレッジ・オブ・ザ・エンゲージメント~
あたし、夏無は、平安に名だたる名家のひとり娘だった。
九十九家は、古来より続く、憑き物筋の家柄。
代々、守り神である、九尾の狐を祀り、一族の娘が育つと、供物として捧げ、夫婦の契りを結び、子をなす。
ゆえに、あたしは、生まれた時から、きつねとともにあり、いずれは契る定めだった。
でも、あたしは、そんなこととは関係なく、きつねが好きだった。
見た目は子ぎつねだったが、それは幼いあたしに合わせての事。
本当は誰より気高く、美しい金色の神狐だった。
あたしは、幼馴染の、退魔筋の、陰陽師一家の一人息子、相之宮双馬とも、仲が良かった。
それでも、あたしの特別は、きつねだけだった。
眠れぬ夜は、きつねを抱いて寝た。
きつねのもふもふのしっぽに顔をうずめ、ちいさなあたたかい体を胸に抱いて、丸くなって寝た。
家族は白い目をしていたが、きつねは抵抗しなかった。
今思うと、あやされていたのは、あたしのほうだった。
きつねの名をあたしは知らなかったが、それでよかった。
きつねはまた、「こん」としか言わなかった。
それもまた満足だった。
たとえ人語をしゃべらなくても、あたしには、きつねのことが、手に取るようにわかったからだ。
「きつねは、わらわを好いておるか」
「――こん?」
「そうか! わらわも、きつねが愛しい!」
「こん……」
きつねは、耳をたらし、しっぽをしゅるんと巻いた。
「わらわも、好いておる。わらわのきつね……」
あたしは、そんなきつねをだきしめた。
きつねは、しばらく苦しそうにしていたが、あたしが拘束をゆるめると、力を抜き、すり、とあたしの頬に、鼻をこすりつけた。
やがて、約束の契りの日がやってきた
体を清めたあたしの前で、きつねは人間の男に化けた。
――きつねは美しかった。息をのむほど。
あたしは、夢中できつねにだきつき、その足に足をからませた。
きつねもあたしの手首を掴み、口づけると、手と足をからませかえし、あたしたちはもつれあってたおれこんだ。
――きつねとあたしは、一夜のうちに契った。
翌朝、寝台から身を起こした、あたしは驚いた。
きつねがいない。
庭に出ると、双馬が、きつねと向かい合っていた。
あたしは悲鳴をあげた。
双馬が、きつねを射った!!
あたしは、すがりついた。
「やめろ。わらわのきつねに何をする!!」
そう叫びながら、血を流すきつねを抱きしめた。
「決まっておろう。そのきつねは、そなたをたぶらかした」
――ゆえに、万死に値する。
そう語る双馬は、薄く笑っていた。
――うそだ。双馬は、嘘をついている。
あたしはだから、こう言ってやった。
「――呪ってやる! そなたは、一生誰にも愛されず、その呪われた生をまっとうするがいい!」
あたしは、えずいた。
すっぱい唾液が、あたしの手をよごしたが、かまわなかった。
あたしは、今、呪いの代償に、死のうとしていた。
だが、かまわなかった。
きつねは、神獣だ。
あたしが死んでも、腹のなかの、この子は、助かる。
きゅうん……ときつねは泣き、あたしの胸に倒れ、絶命した。
……まもなく、あたしもそうなった。
後に聞いた言い伝えでは、双馬は、あたしときつねの子を、後生大事に育てたという。
だが、きつねの子は、母親と父親を殺した双馬を憎み、ついぞ愛さなかった。
また、大事な巫女を殺されたあたしの縁者も、双馬を憎み、一生にわたって追い回した。
だから、双馬は、ちゃんと咎を果たしたのだ。
最後に、死んだ双馬の頬に、あたしの子が、口づけたことまでは、知るよしもなかったけれど。
あたしには、その記憶があった。
いや、最初はなかった。
遠馬、双子坂遠馬と出逢い、恋に落ちたことを自覚したその日に、あたしは、すべてを思い出したんだ。
遠馬のほうには、その記憶がなかった。
でも、遠馬が、あたしをいじめる理由は、わかっていた。
きっとあの時代の遠馬は、あたしを好きだったのだ。
――女として、愛していたのだ。
だから、幼馴染の自分より、きつねを選んだあたしを憎み、その前世の縛りからいまだに、抜け出せないのだ。
あたしは、そんな遠馬を、憐れんでいた。
いや、「あわれむ」以上に愛していた。
きつねは、もうあたしのもとにはいない。
きつねのいない世界で、あたしが愛するのは、この世でもう、遠馬しかいないのだ。
あたしは、そこで現実に引き戻された。
――あたしは今、牢屋に詰め込まれている。
床には数えきれないほどの、白蛇がバラ巻かれ、全身をなめるように、巻きつき、あたしの細い躰を、ぎゅうぎゅうに締め上げている。
「あらあら。そのまま帰ってこなくてもよかったのに。まあ、このまま、獣姦、というのも乙かしら」
千冬と名乗る、妖艶な女は、ぺろりと唇をなめ、豪奢な、椅子にふんぞり返った。
「誰が。……くっ……」
ふとももを、一匹の蛇がのぼってきて、巫女服の下の下着に、滑り込んだ。
「や……っ、ぁっ……」
「ふふ。そのまま、おとなしく食べられてしまいなさいな。大丈夫、子どもはおろしてあげるから」
「ふ……ひあ……っっ」
大事な部分を、ちろりとなめあげられ、あたしは、恥ずかしい声を上げた。
「くすくす。さあ、あたしの前で、犯されてしまいなさい。後で、この様子は、双馬の末裔にも、たっぷりみせてあげるわね。ふふ、一体どんな顔で、あなたを、なぶるのかしら。ああ、楽しみだわ。早く、来ないかしら?」
「~~っっ……!!」
あたしは、襲いくる快楽に耐えながら、声にならない悲鳴をあげた。
「そこまでだ、魔女」
そこに駆け付けた、その姿を、あたしは一生忘れない。
「とお、ま……」
あたしは、涙に潤んだ瞳で、しゃくりあげた。
「ナズナ。すまなかった。僕が来れば、もうだいじょうぶだ」
蛇が散り散りに逃げ、あたしの「なか」からも、ずるり、と蛇が這いだした。
「なんてタイミング。気に食わないわ。せっかく面白いことになるかと思ったのに、だいなしだわ。仕方ないわね、やっておしまいなさい、ダニエル」
千冬の背から現れたのは、拘束具と、ガスマスクをつけた、痩身の男だった。
フシューフシューと、息をしながら、たどたどしく歩み寄るそれは、背にコウモリの翼をつけていた。
ありえない光景に、あたしは、<ポルターガイスト>でただちに牢を破壊した、遠馬にしがみついた。
「すげえな。なんだこいつ」
チカが、ひょこひょことその怪物に近づいていく。
「チカ。うかつに触るな。怪我でもしたらどうする」
空中から現れた雷門が、チカを、正面から、柔らかく、はがいじめにした。
「同感だ。チカ、それから距離を取れ。僕の能力、<テンペスト>なら、それを破壊できる。全身、死体の血液と肉片で、ベタベタになりたくなければ、おとなしく下がるんだ」
遠馬が、怪物に歩み寄った。
そして、片手をあげる。
「――テン……」
言いかけた、その時だった。
目にも留まらぬ速度で、化け物が剛腕を振るう。
突然のことに、遠馬も躱すのが一瞬遅れ、紺色のメガネが、空中を舞った。
「……っ、僕としたことが……」
遠馬のこめかみから、血がしたたっている。
血のにおいに、化け物はおぞましい声で咆哮した。
「――双子坂!! いい、オレがやる!!」
チカは、雷門に命じた。
「――雷門、撃滅しろ!!」
雷門が、返事の代わりに、壊れた牢屋の柵を、ハリケーンのような風にのせて、はなった。
鉄の棒に貫かれた化け物は、けたたましい雄たけびをあげた。
だが、それは逆効果だった。
化け物は、まるで狂ったかのように、暴れ始めた。
メガネを失った遠馬が、生身のチカが、幽霊の雷門が、そしてもちろんあたしも、逃げ回ることになった。
「く……っ! これじゃ、戦うどころじゃ……」
雷門に肩車してもらいながら、チカが声を上げた。
「スペアのメガネが……確かここに……」
無防備となった遠馬の背中に、化け物が襲いかかった。
「――ゴオォォォオオオオオオ……」
「――あ」
遠馬が振り向く。
すべてがスローモーションになる。
遠馬が、ひき肉かなにかのようにすりつぶされ、べちゃり、と鮮血が舞った。
そう、彼女たちが駆けつけなければ、そうなっていた。
「たいちょお、こいつ、どうする?」
「ああ。とりあえず、ころがしておけ」
「血の匂いすげえ」
「お姉ちゃん、下品」
「狭い部屋だな。好かん」
「つーか、陰気臭え」
「わたくしの出番……」
次々と牢屋に乗り込んできたのは、色とりどりの髪色と、目の色をした、美しい女達だった。
最後に、黒髪ショートの姫装束の女と、千夜を連れた、特攻服に身を包んだ金髪の女が、足を踏み入れた。
「――ナズナ! 無事だったんだな!!」
千夜が駆けつけ、あたしの肩に手を置いた。
びくり、と震え、身をよじったあたしに、「わりぃ。なれなれしくしすぎた」と苦い顔をして、すぐに離れた。
「いや……違うんだ、ただ……」
あたしの巫女服がはだけているのに、ようやく気付いたのだろう、千夜が目を泳がせた。
「お前もいろいろあったんだな……有姫に治してもらえよ」
有姫と呼ばれた黒髪ショートの美人が、あたしに歩み寄り、全身をなぶるように見聞した。
「たぶん、処女膜が破れてる。完治は難しいが、とりあえず、痛みぐらいはどうにかできるだろう。神代、お前も蛇だろ。なめて治してやれ」
「ええ~? このビッチの? やだなあ、僕のタイプじゃないんだけどー」
「――殴られたいか?」
「ハイ……ちぇっ、姫のいけずぅ。後でたっぷりご褒美ちょうだいね?」
神代と呼ばれた白髪のポニーテールの美少年……。
いや、美少女?は、しぶしぶといった風に、あたしにのしかかった。
「ヤローは、みちゃダメ」
そして、神代が、ふたつに割れた舌をぺろりと出すと、チカと遠馬と雷門の目に、白い包帯が一瞬にして巻かれていた。
まもなく、あたしは、別の意味で恥ずかしい目にあったが、それはまた別の話だ。
「……ごちそうさま。まあ、悪くなかったよ」
事が済んだ後、神代は、嫣然と唇をなめた。
「……ぐす……っ」
羞恥の涙で、顔をぐちゃぐちゃにしたあたしを、金髪ストレートの女、乙女がよしよしと頭をなで、抱きしめてくれた。
「こわかったな。もう、だいじょうぶだぞ。あたし達が、悪いのをやっつけたから」
乙女は、そこまで言うと、やっと化け物の顔をのぞいた。
そして、その顔が引きつる。
「――お……にいちゃ……」
蒼白な顔で固まる乙女に、有姫がいぶかしげに歩み寄った。
「……乙女?」
そして、ガスマスクのとれた化け物の、素顔をみた有姫も、凍りついた。
「これ……入間誠慈……、お前の、兄貴じゃねえか……」
「どうして……にいちゃんが……っっ、にいちゃんは、あの時、確かに死んだはず……」
乙女は、焦点の合わないうつろな瞳で、ガタガタと震えている。
「乙女。落ち着け。これは何かの間違いだ」
有姫が、乙女の両目を覆い、後ろから、はがいじめにした。
「――やだ……こんな……こんなことってあるかよ……」
ふさがれた両目から、ぽろぽろと雫が流れ落ちる。
乙女は泣いていた。
有姫が、唇をかみしめ、強く乙女を抱いた。
「死体をどうにかして、操っていたんだな。死霊使い<ネクロマンサー>……。死んだやつを、リサイクルするなんて、オレよりさらにひでえ、外道だな」
チカが、悔しそうに拳を握った。
「ああ。こいつの魂は、とっくのとうに枯渇している。その抜け殻を、このクソは、いいように扱いやがったらしい」
雷門も、いらただしげに吐き捨てた。
「……く……ふ……っ」
「乙女ぇ……」
「マヤ様……」
「まやー、泣かないで?」
女たちが、乙女達にそれぞれ慰めの声をかけ、有姫が、両手を離し、乙女のまぶたに口づけた。
「乙女。泣いてる場合じゃない。あの魔女に、一泡吹かせてやれ。これは、あたし達の、弔い合戦だ」
「ああ……そうだな……。リーダーのあたしが泣いてちゃ、しめしがつかねえよな……。不破、不動、不知火、不死原、東雲、神威、神代。あたしのために、戦ってくれるか」
「もちのろん!!」
「――乙女のためなら!」
「――火の中、水の中!!」
「わたくしに任せてください」
「俺が大将の命<タマ>を取る」
「いいや、我だ」
「……間をとって、私だな」
女たちが、口々に同意する。
「お前ら……」
言い出しっぺの乙女は、さっき泣いたばかりだというのに、もう瞳を潤ませている。
「メソメソしてんじゃねえよ。時間がねえ。さっさと、あのクソを、ブチ殺すぞ」
有姫が、そんな乙女の額をこつんと叩き、それまで満足げにこちらの様子をながめていた、千冬に向き直った。
「さあ、お仕置きの時間だ。千冬、墓石の準備はいいな?」
チカが、ちいさな拳をバキバキと鳴らし、言い放った。
雷門が腰を低くし、やっとスペアのメガネを装着した遠馬が、静かにうなずいた。
チカの後ろにかばわれている千夜も、千冬をにらみつけている。
あたしは、その光景に、不思議な既視感を感じて、めまいを覚えた。
なぜだか、遠い昔、同じことがあったような気がしたのだ。
「――あらあら。みんな、やんちゃなのね。いいわよ。素敵なショータイムをはじめましょう。まずは、アミダを引いてもらいましょうか。さあ、愉しい鬼ごっこのはじまり、はじまり!!」
魔女が高らかに笑うと、視界がぐにゃりと歪んだ。
まもなく、あたしの意識は、黒々とした闇に飲まれた――……。
“Curse” ~カース~
「(人などに災い・不幸がふりかかるようにと)〈人などを〉のろう」
「〈人などを〉ののしる,〈…に〉悪態をつく」
「〈人を〉苦しめる,悩ます」
【キリスト教】「「〈人を〉破門する」
“Pollute” ~ポルート~
「〈精神を〉汚す,堕落させる」
「〈心〉を(道徳的に)堕落させる」
「〈神聖な場所を〉汚す,冒涜する」
【語源】
ラテン語「よごす」の意
“Pledge” ~プレッジ~
「固い約束,誓約」
「〈…するという〉固い約束」
「質入れ,抵当」
「質物,質ぐさ,抵当物」
「保証,しるし」
“Engagement” ~エンゲージメント~
「約束,契約」
[複数形で]「 債務.」
「婚約; 婚約期間」
「交戦」
【機械】 「(歯車などの)かみ合い」
“Curse&Pollute the Pledge of the Engagement”
~カース&ポルート・ザ・プレッジ・オブ・ザ・エンゲージメント~
「約束の契りをののしり、冒涜せよ」
「誓約の婚約を穢して呪え」
「交戦の保証で堕落させ、悩ませろ」
「責務を質に入れ、汚して破門させろ」




