第5話 ‐籠の鳥は啼(な)く‐ ~ティアーズ・オブ・ザ・シュラインメイデン・フー・イズ・ブラフ~
進藤教授に、頼まれごとをされたことがあった。
君たちの病を、治すことができるかもしれない。
今から、とある人物と、接触してほしい、と。
向かった先は、さびれた神社だった。
東京府の片隅にある、もう誰も見向きもしない、古びた神社。
階段を一歩ずつのぼるたびに、頭痛がする。
最近、発作の感覚が狭い。
だが、無自覚に他人を傷つけるのは、もう勘弁だ。
主治医である、
進藤教授にもらった鎮静剤も、
最近はもう、ほとんど、効かなくなってきている。
突き上げるような痛みに、思わず下品に舌打ちをしながら、
吐き気をこらえ、僕はとうとう、階段を昇り切った。
境内で、枯葉を掃いている少女と目があった。
その瞬間の驚きを、いまも忘れられない。
――猫のような可憐な瞳。
――栗色の清楚なおさげ。
――巫女服に包まれた、華奢な体躯。
――――唇は薄桃色にそまっており、その頬は薔薇色だ。
見惚れた、などという、
陳腐な表現ではとうてい足りない。
頭からつま先まで、衝撃が走った。
「――お前、誰だ」
少女は、可憐な瞳を、きっ、とつりあげ、僕につめよった。
返答によっては、手に持ったほうきを、
いまにも振り上げ、殴りかかってきそうだった。
「僕は、双子坂、双子坂遠馬だ。
……君が、鈴原くん?」
僕は、つとめて友好的に、
営業スマイルを浮かべた。
「お前が双子坂……?」
鈴原は、驚いた顔で目を丸くした。
「そうか、お前が双子坂か。……辛かったな」
鈴原はそういって、僕の肩に手を触れた。
その瞬間、あれだけ主張していた、頭の痛みが掻き消えた。
「何をした」
僕は、あまりの事態に、
思わず警戒心を取り繕うことを忘れた。
「別に」
鈴原はまたにらんできた。
僕がいぶかしげに問うと、
「にらんでいる訳じゃない。癖」
とつっけんどんに口をとがらせた。
鈴原が言うには、生まれてから今日にいたるまで、
何度も何度も、僕の夢をみたという。
わかったのは双子坂、という名前のみで、
顔はぼやけて、わからなかったと。
警戒をといたナズナは、饒舌だった。
僕に会いたかったこと、自分には幽霊や妖怪をみたり、
イズナ、クダギツネ、オサキなどの使い魔を操ったり、
鵺という異形を祓い、
自らの躰に、背負うことができると。
それもそのはず、自分は、
没落した陰陽師の家系だという。
なんでも、伝説の妖怪、九尾の狐の子孫だとか。
鈴原はまた、嘘つきだった。
「パパとママは仕事で帰ってこない」
と、しきりに語ったが、嘘は明白だった。
存命だという両親は、一向に姿を現さず、
極めつけは、隠すように置かれていた遺影だった。
育て親だという、祖母と祖父は腰が低く、嫌に親切だったが、
その粘っこい目つきまではごまかせなかった。
鈴原一門は、
平安時代、鵺を封じた三家のうちの一家であり、
いまやその血は、すっかり途絶えたのだという。
そのせいで、鈴原は、思うようにならない祖父母のはけ口にされ、
ひどい虐待を受けていた。
ほそっこい手足の、服で隠れた部分には、
鞭かなにかで打たれたらしい、痛々しい傷跡があった。
鈴原の血は、だが、途絶えていなかった。
鈴原は、そのたぐいまれな能力を隠していたのだ。
「気持ち悪いって言われた。幽霊をみたりみえない狐と話したり。
お前は変だって。頭おかしいって」
「君は、ひとりだったのか」
「別に、仲良くなんてしたくない。あたしは一人で十分だ」
強がる鈴原を、ナズナを、愛しいと思うのに、時間はかからなかった。
僕は気づけば、この嘘つきな少女を、すっかり愛してしまっていた。
……そして、今、僕は、襲いくる、狂おしい感情に耐えている。
――七日目の朝、ナズナが攫われた。
犯人は、いうまでもなくあの魔女、千冬だ。
僕は、選択を迫られた。
すなわち、ナズナを取るか、チカを取るか。
囚われたナズナを助けるには、チカを謀り、殺さねばならない。
僕に、それができるのか。
いや、しなければならなかった。
僕は、自分にもう嘘はつけない。
――ナズナを愛している。心から。
だが、僕にとって、この世で一番大切なのは、愛すべき友人、チカだった。
底なし沼にはまって、出られなくなった僕に、
手を差し伸べ、救ってくれたチカ。
暗黒のような世界を、まばゆく照らしてくれたチカ。
――チカは、僕のすべてだった。
チカにだったら殺されてもいいし、
チカのためなら、誰だろうが偽り、欺き、殺せる自信があった。
……その僕が、チカを殺すのか。
ためらわなかったといったら、嘘になる。
だが、覚悟は決まっていた。
僕は、チカを裏切る。
――そして、そのあたたかな手で、殺してもらうのだ。
足取りは軽かった。
僕は、チカの前に立つ。
「――やあ、チカ。元気だったかい?」
その、醜くも、美しい微笑みを浮かべながら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Tears ~ティアーズ~
「涙(複数形)」
Shrine ~シュライン~
「(聖人の遺骨・遺物・像などを祭った)聖堂,廟, 社」
「(日本の)神社」
「(聖人の遺骨・遺物などを納めた)聖骨[聖物]箱」
「(神聖視されている)殿堂,聖地,霊場」
Maiden ~メイデン~
「処女の,未婚の」「処女らしい,初々(ういうい)しい」
「初めての」「〈競走馬が〉一度も勝ったことのない,未勝利の」
《古・詩》「少女,乙女,処女」
Shrine Maiden ~シュライン・メイデン~
「巫女さん」
Who ~フー~
「誰」
Bluff ~ブラフ~
「〈海岸など〉絶壁の; 切り立った.」「(川・海に面する幅の広い)絶壁,切り立った岬.」
「(悪意はないが)ぶっきらぼうな,率直な」
「〈人を〉はったり[こけおどし]でだます」「強がりな、虚勢を張った」
“Tears of the Shrine Maiden Who is Bluff”
~ティアーズ・オブ・ザ・シュラインメイデン・フー・イズ・ブラフ~
「強がりな巫女(聖なる処女、乙女)の涙」




