第4話 ‐略奪‐ ~デビルズ・ウィスパー・オブ・ザ・インモラル~
6日目の朝、リンドウはいきなり現れた。
その頃には、チカも戻ってきていたが、
当然、あたしとチカは、気まずいままだった。
チカも、さすがに、自分勝手だったと反省しているのだろう、
いつもの元気がまるでなかったが、ここにきても、
前言撤回する気は、ないようだった。
乙女の家の窓から現れたリンドウは、開口一番、こう切り出した。
「僕達には、決定的に手札が足りない。
――千夜、頼まれてくれないか。
……これは、きみにしかできないことだ」
話の内容は、高い戦闘能力を持つ命を、味方に引き込むため、
単身で、あたしを命の家へと向かわせることだった。
チカは、当然、反対した。
「オレが行く」
「きみではダメなんだ、チカ」
「……そんなこと、許可できるか……っ!!」
何かを思い出したのだろう、チカの肩はぶるりと震え、青ざめていた。
「――へえ。それをきみが言うんだ」
「……っ!」
「きみには、そんな権利はない。
きみだってわかってるんでしょ、誓炎<チカ>」
リンドウは、言外の意味を、
たっぷりと、含ませるように言った。
「……雷門、送ってやれ」
『――わかった』
察したらしい、雷門は、
硬い表情で返答した。
「なにかあったら、すぐオレに知らせろ。
――もちろん、場合によっては殺せ」
誰を、とは言わなかったが、もちろん命のことだろう。
だが、雷門は、前にチカが囚われたとき、何もできなかった。
それはもしかして、
霊体の雷門が干渉できない、何かがある……?
あたしは、ぞくりとしたが、もう、覚悟を決めるしかなかった。
「……行く。それは、あたしにしかできないんだろ」
「そうだ、千夜。きみにしか、命の心を開くことはできない。
達者でね」
リンドウは、真意のみえないクールな笑顔を浮かべた。
双子坂が、なにか言いたそうにしていたが、
とうとう、最後まで、ひきとめることはなかった。
まもなく、命の邸宅に着いた。
相変わらず、不気味なほど静かだ。
あたしは、門で雷門と別れると、使用人らしき、
慎ましい女に案内され、命の寝室に通された。
命は、巨大なベッドにうずもれるようにして、臥せっており、
こちらをみるなり、その愛らしい天使のような顔を、こわばらせた。
「……なんで来たの」
言葉とは裏腹に、命はふらふらと駆け寄ると、あたしの胸にうずもれた。
「こっちきて」
言って、命はぐいぐいと、広々とした部屋の中央へとあたしを引っ張った。
「そこに寝て。……脱いで」
「なんでだよ」
あたしは、さすがにカチンときた。
――このクソガキは、一体何を考えているんだ。
「いいから、脱いで。早く」
命は、すごく辛そうな顔で、焦ったように、もう一度繰り返した。
しぶしぶと、シャツを脱ぐ。
ガキ相手とはいえ、さすがに下着とスカートは着たままにした。
「よかった。どこにも怪我はないね」
あたしをベッドに寝かせた命は、ほっとしたように、
あたしの胸に、顔をすり寄せた。
「もういいだろ」
脱ぎ捨てたシャツを着ようとすると、命に止められた。
「だめ」
「だめって……」
「ぬいで」
命は、あたしの腕にすがりついて、顔を伏せた。
「――命……?」
さっきから、やっぱり、様子がおかしい。
様子をうかがうようにかがむと、命に押し倒された。
「君は僕の子を産むんだ、千夜」
命は、さっきの不安げな姿が嘘のように、
嫣然と笑んで、白魚のような指で
あたしの唇をなぞりながら言った。
「なに、言って……」
「千夜。チカは、もうすぐ死ぬよ。君を護って、ね」
命は、瞳を三日月のように細め、唇に弧を描いた。
「そんな……そんなこと、あるわけねえだろ……っ!!」
あたしは、命の腕を払った。
その手が、掴まれる。
「ううん。それは、すでに決まっていることなんだ。
そして、その運命から回避する方法を、僕は知っている。
……教えてほしいでしょ?」
命は、耳元で甘く囁いた。
そのまま、耳たぶをやわやわと、食まれる。
「……っ……! ……誰が、お前なんか……っっ」
あたしは、首を振り、その誘惑に抗った。
「……じゃあ、チカが死んでもいいんだ?」
とろり、とした声が、蜜のように、
耳朶に這入りこんでくる。
ああ、と吐息をもらした。
こいつは、まるで、悪魔だ。
「っっ――教えろよ……っ! じゃなかったら、殺す……!」
「――いい子だね。
でも、お願いは、もっと気持ちをこめてほしいな。
……どうすべきか、君もわかってるんでしょ?」
命は、あたしの服に手をかけた。
「脱いで。僕の言うことを聞いて。――ねえ? 僕の天使<ライラ>」
事が済んだあと、命はベッドで、
華奢な、薄桃色の足をばたつかせ、言った。
「チカを助けるのにはね。
まず、あの魔女を倒さなきゃならないんだ。
あの魔女、ミランダ――いや、今は千冬と言ったかな。
あれは、魅了<チャーム>を持っている。
たいていの人間は――もちろんチカも含め――。
意のままにできるだろう。
その魔眼が効かないのは、今のところ、僕と君だけだ。
――使える札は、多い方がいい。
だから、僕も、一緒に戦ってあげてもいいよ」
「……そんな……信じられるか……」
ぐったりした体で、あたしは言葉を絞り出した。
「信じなくてもいいよ。ただ、その場合、確実にチカは死ぬ。
それを回避するには、絶対に僕が必要だ」
命は、横で離れて寝そべる、あたしの髪を、
くるくると弄びながら言った。
「ねえ、僕を味方につける気はない? 僕は別に、不満はないけど」
「そんなこと……」
どうせ、カラダを要求するんだろ、と言外に言ったあたしに、
命は、ふくよかな笑みを、にじませた。
「まあ。もらうものはもらうよ。
でも、僕は君を気に入っているんだ。
君をお嫁さんにするという野望もある。
だから、君に協力するのは、僕自身の願いでもあるんだ。
それじゃ、理由にはならない?」
「…………」
あたしは、髪にキスをした命の手を払い、もぞもぞ、と命に背を向けた。
「もう寝る。……疲れた」
「あは。刺激的すぎたかな」
ぺろり、と舌をだし、唇をなめたのが、音でわかった。
あたしは、頭まで、布団にもぐる。
もう、何も考えたくなかった。
大事なモノを奪われた、喪失感だけが、
この胸をいっぱいに軋ませていた。
――ふと、チカのあの笑顔を思い出した。
無邪気な、あの、ひだまりの笑顔が、
なにかひどく、けがらわしいもので、汚れていく。
いや、汚れたのは、あたしだ。
もう、チカに、触れることはできないだろう。
あたしはもう、あいつを触る資格も、触られる資格もない。
とうとつに泣きたくなって、嗚咽をこらえた。
ふと、命が布団に手を忍び込ませ、あたしの頭を撫でた。
その手つきはいやらしく、陰湿で、
そして、どこまでも、どこまでも、優しかった。
涙があふれ、鼻水がふとんに垂れた。
命は、高級な羽根布団を汚されたことに怒りもせず、
ただその頭と、背中とを交互に撫でた。
まるで、あやされているようだ、と思った時、
静かな絶望が、あたしを満たした。
その優しさが凶器のようで、あたしの心はどうにかなった。
……奪われたのは、カラダだけじゃない。
そのことに、狂おしいほど、悲しくなって、
あたしは、しばらく泣いていた。
やがて命は姿を消し、枕元には、
ほかほか、と湯気を立てた食事が置いてあった。
あたしは、自分がひどく乾いていることに気づき、
それを夢中でむさぼった。
その味は、とてもふくよかで、あたたかく、
慈悲深いものだった。
あたしは、もう一度、涙をこぼし、そして、丸くなって寝た。
気が付くと、命が枕元に立ち、
あたしの頭をまた、撫でていた。
それは、まるで大事なペットを、慈しむように。
何度も往復する掌は、
柔らかく、あたしのざらついた心を撫でた。
やがて、瞼に、頬に、キスが落とされ、
命は、あたしの頭をかかえて眠ったようだ。
朝が来て、一番に見た命の寝顔は、まるで天使のようで、
昨日の情事が嘘のように、
静謐な美しさで満ちていた。
あたしは、ふと思い立って、その頬を撫でてみた。
ぴくり、とまぶたが動き、続いて、
その長い睫毛が、ゆっくりと花開いた。
「……おはよう」
挨拶とともにつむがれた、その微笑みは、
まるで愛しい恋人を、いや、妻を迎えるそれだった。
あたしの胸はどくんと脈打ち、それをごまかすかのように、
「……おはよう」と、目線を合わせず、ぶっきらぼうに返した。
「……ふふ、夢みたいだね。君に、起こされるなんて」
言ってあたしの頬に触れた命は、
とびきり嬉しそうな、糖蜜の笑顔を、花開かせた。
「……うるせえ」
あたしは、その手を払い、ベッドから降りた。
「さっさと行くぞ。チカを助けに」
「もうちょっと、遊ぼうよ。どうせ、時間はあるんだし」
「ねえよ。あたしは、早く、あいつに会いたい」
――たとえ、二度と、あいつに触れられなくても。
「――つれないなあ」
そうぽつりとつぶやいた命の声は、思いのほか、沈んで聞こえた。
「――まあ、お供するよ。
格好いいところ、みせなくちゃね」
よいしょ、とベットから降り、命は、よどみない動きで、服を身に着け、
あたしにも服を手渡した。
「さあ、最終決戦と行こうか、千夜。覚悟はできてるよね?」
「ああ。おまえこそ、無様に死ぬなよ」
「――あは。誰に言ってるの」
命が着用した服は、白い袈裟であり、
その手には、金属製の錫杖が握られていた。
――リン。
鈴が鳴り、命は、その祝詞を唱える。
「――我、ここにあり。
彼方と此方を繋ぐ門よ、我の問いに答えよ。
汝は、我を運ぶものである。汝は、我を導くものである。
我、暴虐の王、スサノオの血を継ぎし、
日の昇る国の主である。
我を運び、導き、その行く先を示せ。
――<ゲート、オープン>」
視界がゆがみ、ぎいい、と音を立て、扉が姿を現した。
中世の真鍮製のそのドアノブを握り、
命は、あたしを振り向いた。
あたしも、うなずく。
そして、ふたり同時に、その光の中に、飛び込んだ。
後悔も、ためらいも、すべて置いていく。
いまはただ、あいつを救うために。
たとえ、すべてが終わった後、あたしがどうなっても、かまわない。
あたしは、あの夏を、取り戻す。
――たとえどんな大事なモノを、犠牲にしても。
Devils ~デビルズ~
「悪魔の」
whisper ~ウィスパー~
「囁き、囁く」
「ひそひそ話、ひそひそ話をする」
Immoral ~インモラル~
「道徳に反する,不道徳な」
「ふしだらな,淫らな」
“Devils whisper of the Immoral”
~デビルズ・ウィスパー・オブ・ザ・インモラル~
「悪魔の淫らな囁き(ひそひそ話)」




