第2話 -雨が降る‐ ~ロストペイン・ビギニング・ダークナイト~
「さあ、ここがラストダンジョンだ。行くよ」
リンドウは振り返ると、あたし達にむかって、うなずいた。
「――ああ」
有姫が、乙女がうなずき、あたしもつられて、こくりと首をふった。
ぎい――。
理事長室の扉が、ゆっくりと開かれる。
その先にあったのは、ダンスホールのような広い広い、亜空間。
――鏡、鏡、鏡。
一面に張り巡らされた鏡張りの部屋の真ん中で、美しい真っ赤なドレスを着た魔女が、陶酔に似た凄絶な笑みを浮かべた――。
「やっと来たようね。あたくしの、愛しいマリオネットたち! さあ、宴をはじめましょう。楽しい愉しい、食人の饗宴<カニバル・パーティ>をね!!」
けたたましい哄笑が、木霊する。
びりびりと鼓膜を震わせるそれに、あたしは確かに、恐怖した。
足がすくんで、倒れそうになるのを、どうにかこらえる。
チカが、あたしの腕をつかみ、一歩、前へと躍り出た。
「千冬。オレは、お前を許さねえ。。誰の母親だって? いい加減にしろよ。オレはお前を母なんて、認めねえ。てめえがこれ以上、千夜を傷つけるつもりなら、オレはお前を殺す。――それでいいな? 魔女」
チカの、煮えたぎるような憎悪の瞳をみすえ、千冬はいよいよ笑みを深くした。
「あらあら。反抗期? いいわよ。殺せるものなら、殺して御覧なさいな。ただし、ゲームはあなたのお姫様の命と引き換え。あたくしと本気で闘うなら、あなたはこの世で一番大切なモノを、喪うことになるわ」
そう、“また”ね。と千冬は、唇をちろりとなめ、嫣然と微笑った。
「……ッッ」
チカが、ぎりり、と歯をくいしばる音がした。
「――チカ……?」
もう一度? それって、どういうことだ……?
静寂を破ったのは、リンドウだった。チカを追い越し、静かに魔女へと歩み寄る。
「母上。あなたの祝宴にお招きいただき、有難く存じます。ご機嫌麗しゅう」
つけ足したようにそう言って、片膝をつき、優雅に腰を折った。
「あらあら。誰かと思ったら、小娘のナイトじゃないの。あなたは、きちんと礼儀を心得ているようね?」
「はい。そんな寛大にして典雅なる貴女さまに、ご提案がございます。――どうぞ、ご拝聴願いたく」
「なあに? 聞くだけ、聞いてあげるわよ?」
魔女は、わかりやすく機嫌をよくした。
「あなたは、この状況をご充分に楽しんでおられますが、まだパズルのピースが足りません。どうか、我ら哀れなる子羊めに、お時間を頂けませんか」
「ふうん。命乞い? まあいいわ、こっちにおいでなさい」
魔女は手招きをし、リンドウはその耳に唇を寄せた。
リンドウは、しばらくなにか小声で耳打ちしていたが、やがて、すっと離れた。
「――いいわ。そういうことなら、あなたたちに一週間の猶予をあげる。最後の休息を、せいぜいじっくり堪能することね」
魔女はそう高らかに笑うと、霧のように空中にとろけて消えた。
「やっぱり、お前、敵だろ」
何食わぬ顔で戻ってきたリンドウにチカは、敵意をむき出しにしてにらみつけた。
「……心外だな。取引しただけだよ」
リンドウは、そんなチカを冷ややかな瞳で見返し、ふんわりと笑って、こう続けた。
「物語は、まだ満ちてない。きみたちが最後のステージに辿りつくには、あと少し時間が必要だ。僕はいずれ、きみたちを救済したいと思っている。まあ、救うのは、僕じゃあないけどね」
チカが、無言で眉をあげた。きっと、癇に障ったのだろう。
その全身は、立ち上るような闘争心といらだちで満ちていた。
「じゃあ、僕はしばらく眠るから、摩耶はおとなしくしているんだよ。有月も達者でね。――一週間後、また逢おう」
リンドウが去った後、チカは、体の力をふにゃりと抜き、
「……はらへった!!」と、溜めこんだ鬱憤をはらすように、叫んだ。
「まったくだ! あたしも腹ペコだ!! 帰ってなんか食おうぜ!!」乙女がそれに続き、
「お前は、メシのことしか考えられねえのか」有姫が呆れた声で答えた。
「腹が減っては戦はできぬ! っていうだろ!! 今夜は鍋パーティーだ! 者ども、あたしに続け!!」
「……仕方ねえやつだな。お前らも来いよ。乙女の自宅で作戦会議を行う。もちろん、欠席したいやつなんていねえよな?」
有姫の誘いに乗ったあたし達は、彼女の血の結界で再びゲートを開き、乙女の自宅へと直行した。
食事の間中、チカは黙っていた。
双子坂がそんなチカを無言でみつめ、雷門が気遣わしげにちらちらみやりながら、鍋をつついていた。
あたしは、「何か思うことでもあるのか」と尋ねたが、チカは、「……いや……」と曖昧に首をふった。
……間もなく、雨が降り出した。
作戦会議の後、乙女の提案でゲームをはじめたあたし達だったが、チカはそれに参加せず、ただ窓の外をぼんやりとみつめていた。
――まもなく、あの日が、やってくる。あの「降りしきる絶望の夜」が。
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Lost ~ロスト~
「失った、失われた」「道に迷った; 当惑した; 放心したような」
「死んだ; 破損した」
Pain ~ペイン~
「(肉体的な)苦痛、痛み」「(精神的な)苦痛、苦悩」
【語源】
ギリシャ語「刑罰」の意
Beginning ~ビギニング~
「初め; 始まり」「初めのころ,初期,幼少のころ」「起源,起こり」
Dark ~ダーク~
「暗い、闇の」「意味があいまいな,わかりにくい」
「秘した,隠してある」「暗愚な,無知無学な」
「腹黒い,凶悪な,陰険な」「光明のない,陰うつな.」
【語源】
古期英語「暗い,邪悪な」の意
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Night ~ナイト~
「夜、暗闇」
「無知文盲(の状態); 失意[不安]の時 」
“Lost Pain” ~ロスト・ペイン~
「失われた痛み(道に迷った苦痛・苦悩・刑罰)」
「当惑したような、放心したような苦悩」
「死んだ(破損した)苦痛の」
“Beginning Dark Night” ~ビギニング・ダークナイト~
「闇夜の起源・はじまり」
 




