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第1話 ‐花は咲き散る‐ ~ロータス・ガッデス・ブラッディ・ドロップス~

 やがて、進藤はゆっくりと目を開けた。


 あたしは、目覚めた進藤の頭を、ひざに載せ、その短くそろったまつげがぴくりと揺れ、まぶたが開くのを待った。



「……千夜……」



「……おはよう。もう、気は済んだか?」


「――千夜、僕は……」


 進藤はわずかにためらい、瞳をふせた。



「――殺してくれなんて、もう言うなよ」


「……言わない。僕は、間違っていた……」


 進藤は、けっしてゆるされないあやまちを激しくやみ、懺悔ざんげするように、深く長い息を吐いた。



「……言ってみろよ」


 あたしは、その頭をさらさらとで、険しい表情のなか、唇をゆるめるように持ち上げ、言った。




「……君を殺して、はじめて気づいた。僕が、こんなにも、ずっとずっと、君を求めていたことに。君を失った瞬間、空っぽだった僕のなかに、君があふれた。僕の中には、もう、こんなにも君が溢れて、溢れ返っていた。それに気づいた瞬間、僕はもうどうしようもなくなった。からだが、バラバラにくだけ散るかと思った。――それなのに、僕はまた、君を傷つけ、裏切った」




「――うん」


 あたしは、進藤の頭をなでながら、こくりとうなずいた。


「あの女性、千冬に操られていたから、なんて言い訳はしない。僕はずっと、君を憎らしく思っていた。僕の婚約者を奪っていったのは、君だったから。それでも、君に罪はない。君を産もうとした宝子の意思を尊重しよう。そう、誓ったはずだった。でも、本当は、苦しかった。宝子は、僕のすべてだったから。本当は、まだ、心のどこかで、君を責めていた。君なんか死んでしまえばいいなんて感傷、捨てたはずっ立ったのに」


「仕方ないよ。だって、大切な人だったんだろ。そんな簡単に、割り切れないよ。あたしが進藤だったら、きっと、許せない。あたしのママがもし、誰かに殺されたら? そんなの、耐えきれない。きっと憎むし、復讐してやりたいって思う。本当に実行できるかは、わからないけど」


「千夜。そうじゃない。宝子を大事に思うなら、最初から、君を愛すべきだった。君を捨て、利用して殺そうなんて、間違っていた。何度謝っても、許されないことだったんだ」


「過去形だよ。進藤は、もう、二度とこんなことはしない。そう誓ってくれるんだろ? だったら、あたしは、進藤を許すよ。違うな。何度裏切られたって、あたしはきっと、進藤を許す。だって進藤は、あたしの」


 進藤の手が伸びて、あたしの頬をさらり、となぜた。まるで、それ以上は言わせない、と言うように。

 進藤は、あたしの腕をつかみ、その上体を起こし、体をひねるようにして、あたしに向き直った。


「だから千夜。……あらためて、僕の娘になってくれ」



「頼まれなくても、もうあたしはお前のガキだっつの。最初から、あたしは、ずっとお前の娘だったんだ」



 そう。進藤を嫌えなかった理由。


 あの病院で記憶を失って、はじめて目覚めた瞬間から感じていた、「あたしの主治医・進藤」への不思議な安心感。


 きっと、あたしは、心のどこかで、最初から、知っていたんだ。こいつはあたしの親だって。血の繋がった家族だって。



「――だから、もう謝ったりすんじゃねえぞ。……あたしはもう、お前から離れねえから」



 言って、あたしは進藤の頭を、柔らかく抱きしめた。

 再び感じる、進藤のぬくもり、におい、息遣い。


 あたしは、すっかり満たされた気分になって、そのふわふわした頭頂部とうちょうぶに、顔をこすりつけた。



 チカが、複雑そうな顔で、みつめている気配がしたが、もう、邪魔してこようとはしなかった。



 やがて雷門らいもんが、「あー……」と気の抜けた声でぽりぽりと頭をかき、こう言った。



「それで、リンドウ、だったか? お前は、一体何者なんだ」



「――僕? 僕はだから、花蓮宗かれんしゅうの、花守はなもり、リンドウだよ。――それ以上でも、以下でもない」



「だからその、<カレンシュウのハナモリ>って、なんだよ。 ――何語だ?」



「いちおう、日本語なんだけどね。花蓮宗かれんしゅうとは、アジアを中心とした、世界宗教の総称さ。人々に、愛とゆるしを伝える、生き仏、<花蓮かれんさま>のお手伝いをするのが、僕達の主なお役目だ」


「僕はそのなかでも、筆頭花守ひっとう・はなもりとして、花蓮さまのお体を、おまもりする力を戴いている。いちおう、花蓮宗の、実質的なトップだね」



「色々とうさんくせえが、そんなお偉いさんが、俺たちになんの用だ? まさか、散々、味方面しておいて、あの魔女の手先とかじゃねえだろうな」


 雷門の厳しい意見を、リンドウは柔らかく受け止め、否定した。



「それはないね。僕はあのひととは、完全に敵対する身だ。そして、言った通り、千夜の守護者でもある。……正確には、第一騎士。――僕は、千夜を護るために、ここにいるんだ」



 こくりとうなずき、リンドウはさらり、とその美しくなめらかな黒髪を揺らした。



「第一騎士……」



 あたしは、何がなんだかわからないという顔で、渋面じゅうめんを作った。


 すると、リンドウはふっと、そんなあたしを、いつくしむような目でみつめた。



「まあ、ていのいい召使めしつかいだと思ってくれていい。これからは、摩耶まやと、有月くんの仲間として、きみをお護りするよ。――遠馬とおまくんと、雷門くんもいいよね?」



 華麗にスルーされたチカが、むっとして言った。



「待て。まだ、お前が味方だと決まったわけじゃねえ。さっさと千夜から離れろ」


 言って、ぐい、とあたしを背中に追いやった。



「……困ったね。さっきの出来事で、じゅうぶん証拠しょうこになったと思ったけど。――さすがに、そんなに甘くないか」


 言って、うーん、と腕を組んだ。


「そうだ、摩耶まや。きみの口から、僕の素性すじょうを、話してもらうというのはどうだろう」



「えっ、あたし?! いいぜ、うーんと、リン姉はな……」



「待て、お前が話すとややこしくなる。あたしから説明しよう。――まずは、あたし達が、何者か、についてだ」


 言って、有姫は語りだす。少し早口で、でも、静かに、淡々(たんたん)と。



「あたしの名、鮫島有姫さめじま・ゆうきというのは、偽名ぎめいだ。正確には、有月ありつきという。――名字は、存在しない」



「存在しない……?」


 あたしの驚きに、有姫は目を開け、答えた。



「ああ。あたしは、日本国の象徴、天王家てんおうけ跡取あととりにして、日の昇る国の最後の姫、有月だ。この名は、平安の世、鬼と契った鬼姫おにひめ有月姫ありつきひめに生き写しだったことに由来ゆらいする」


「そして、あたしは、お前――千夜をまもるため、乙女こいつ結託けったくし、今まで、秘密裏ひみつりにお前たちを監視かんししていた」



「――ああ。そんであたしも、ほんとは、雷早乙女かみはや・おとめって名前じゃねえんだ。本名は、摩耶まや。日本国の総理えらいのの娘にして、ばあちゃんとじいちゃん……。勝利と幸福の女神<フェリティシィア>と、轟雷ごうらいの魔神<クリストフォルス>の血を受け継ぐ、いわば、四分の一女神、四分の一魔神、半分は人間の<ハーフクォーター>だ」


「あたしの怪力は、じいちゃんゆずり。やたらツイてるのは、ばあちゃんのおかげだな。あたしは、千夜をまもるために、お前らをストーキングしてたんだ」



「す、ストーキング……」


 ツッコミどころも多かったが、いろいろと衝撃的すぎて、あたしは引くしかなかった。

 あのチカですら、得体えたいのしれないモノを見る目で、そんな乙女と有姫を、半目でみつめていた。



「まあ、それはいい。問題はお前、千夜の素性すじょうだ。公的な記録では、お前はごく普通の一般人だ。――だが、正確には違う。お前はこの有月――天王家の跡取りにして、平安の姫、有月姫の妹であり、鵺を封じた高貴なる巫女姫みこひめ――血闇姫ちやみひめの血をぐものだ」


「もっとも、血闇は、継承権けいしょうけん破棄はきし、禁忌きんきを犯した。――それこそ、鬼と契るよりよっぽどすさまじい罪をな」



「……罪、って」



「ああ。血闇は、あろうことか、死んだものを生き返らせた。生まれてきてはいけなかった、罪子つみごを。それがお前だ――チカ」



「…………!」



 チカは驚いた顔をしたが、それはとっぴょうしもない、ホラ話をふられたというより、隠していた秘密をまるごと暴かれたときの、それに似ていた。



「チカが……死んだ? 生き返った? それに、罪子つみごって、罪の子……?」



「ああ。チカは、平安の世、名もなき奴隷どれいだった。生まれた時から化け物と呼ばれ、嘲笑ちょうしょうと差別と、畏怖いふをもって、虐待ぎゃくたいされてきた。お前と血闇は、その美しさも、髪の長さも、外見上の年も、まるで鏡写しのようだった。そして、あのし暑い夏の夜、お前達は、出逢であってしまった」



 有姫はそこまで区切ると、はあ、と息を吐いた。



「――名無しは言った。“オレを、殺してくれ”と。――血闇は言った。“ならぬ。そなたの姿を、もっとわらわにみせよ”と。雲がとぎれ、満月に照らされた名無しの瞳は赤く、その赤は、まるで、血のようにも、林檎りんごのようにもみえた」


 ――血闇は笑った。


 “なんじゃ、そなた。わらわの名と、同じ目じゃ。そなたは、まるで、わらわじゃな。わらわの半身よ。――ちこうよれ。……わらわを触れたもうことをゆるす”」



 その時代、年頃の姫が、御簾みすという、顔を隠す障害物なしで異性と会話するのも、ましてや、初対面の異性に、自らのからだに触れさせるのも、ありえないことだった。


 だが、血闇はそうした。


 その時には、もう運命は決まっていた。そう、血闇は、哀れな名無しに恋をした。

 ――まさかその結果、名無しが死ぬとは思いもせず。




(チカが、大昔、男で、名もなき奴隷どれいだった? しかも、あたしのせいで死んだ?)

 あたしは、ぞくり、としながら、続きを待った。



「血闇は、まず名無しに自分の手を、頬を、そして、腕を、足を、胸を、触らせた。名無しは戸惑とまどったが、それ以上に、えていた。――こんな風に人に触れるのは、はじめてだった。もっと、と思った。“もっと、触りたい――もっともっと、もっと”」



 それからのことは、もうわかると思う。


 ふたりは一夜にして、ちぎりを交わした。血闇は身ごもった。

 やがて、父親が奴隷どれいだと知ると、子どもはおろされ、名無しは処刑しょけいされた。


 血闇は泣いた。泣いて、泣いて、れるほど泣いて、自害じがいをこころみた。

 だが、それを止めたものがあった。


 それが、あたし――有月だった。



 有月もまた、禁じられた恋に、身をやつしていた。鬼とちぎり、鬼の子を宿やどしていた。

 血闇と有月は、約束を交わした。


 この子が鬼の子であるということは、隠し通そう。――そして、名無しを殺した者たちに、制裁せいさいを。



 ふたりは、陰陽おんみょうじゅつを使って、名無しを殺そうとはやし立てた権力者たちを殺害した。


 とはいえ、殺せないものもあった。あたしたちの弟、暁。そして、あたしの友であった姫の幼馴染おさななじみ、相之宮。


 だが、残りはすべて消した。そのせいで、あたしたちは短命の呪いを受けたが、かまわなかった。



 やがて、有月は、みずからの夫、悪鬼あっき紅天飛せきてんひが、自分を騙していたことを知る。


 天飛てんひは、鬼たちの長になりあがるために、強い神の力を宿した姫、有月をはらませようとしたのだ、と。


 だが、事実は少し違った。最初は、確かにそうだった。

 そう、鬼は病弱にして可憐かれんなる美姫、有月に恋をした。


 そして、罪悪感から自ら、魔剣――悪鬼魍魎ちみもうりょうを斬る霊刀、禍津神ノまがつかみのざんを有月に与え、自らを殺害させた。


 鬼の死体からは、大量のぬえが生まれた。

 そのぬえが人に害をなす前に、それらすべてを封じたのは、有月と同じ女神の血をひく、高名な女陰陽師でもある、血闇だった。


 こうして名無しとその子は死に、鬼もぬえも消えた。


 残されたのは、あわれなるふたりの美姫びきと、有月のはらんだ鬼の子だった。

 ふたりは秘密を守り、鬼子を育ていつくしんだ。その子孫があたし、有月だ。



 あたしの体質、「高速治癒」は、強靭きょうじんな鬼の肉体と、高潔こうけつな女神の血が混じり合い、相互そうご干渉かんしょうすることによって起こる、副産物だ。


 欠点は、あまりにめまぐるしい代謝たいしゃと引き換えに、常人より疲れやすいことだ。

 あたしはそれを、自らの体内の気の流れ、すなわち龍脈りゅうみゃくを解放することによって、うまくコントロールしている」


「リュウミャク?」


「ああ。龍の脈と書いて、リュウミャクと読む。そもそも、個人の神性しんせいは脳ではなく骨髄こつずいと心臓と、それに流れる血液に宿やどる。その流れをぬえが浸食<ハック>し、乗っ取る手順を逆にしただけだ」


「その閉じられた神性のふた、あるいはせんを開くことによって、あらゆる身体機能を瞬時しゅんじに活性化させる」


「姫が、ちょっぱえーのは、そのおかげってわけだ」


 と乙女が、わかったようなわからないような、どやあ! 感あふれる、間抜まぬづらで合いの手を入れた。


 有姫の、目にも止まらないほどのちょっぱやい、ようするに超早い剣さばきはその、龍脈? とかいうのを活用したせいだったのか。



「いみわかんね」とチカが、さっそく思考放棄しこうほうきした。



「ともあれあたし達は、千夜を護る立場にある。あたし、有月は剣の番犬<ビースト・エッジ>、乙女が勝利の守護者<ヴィクトリー・ガーディアン>。そして、リンドウ――前世の名“新芽”から、あたしは新芽姉と呼んでいる……は、あたし達ふたりの師範役しはんやくだ」



「第一騎士という呼称は、いざというとき、一番に千夜――花蓮かれんを護る、従者<ナイト>であることを意味する。あたし達三人は、これまで互いに協力しあい、千夜をかげまもってきた。――チカ、ここまではわかるか」



「わかるもなにも、それが真実なんだろ。だったら、わかるしかねえ。納得なっとくいかねえが、ようするにお前らは千夜の味方だってことだろ?」



「ああ。そして、お前の敵だ。まあ、今は休戦だ。あたし達は、お前達の動きを静観し、みだりに干渉かんしょうしない。ただしそれは、お前が本性を押さえて隠せているうちだ。お前がひとたび牙をむき、欲望を抑えきれなくなったら」


 ――その時は、わかるな? と有姫は細めた瞳に物騒な輝きをともし、小首をかしげた。


 チカが、静かにうなずく。



「――異論はねえ。腹は立つが、お前らの能力は正直、ありがたい。お前らがオレ達を監視かんしするついでに、オレ達もお前らを利用させてもらう」


「……利用とかいうなよ。仲良くしよーぜ」と乙女が、唇をとがらせた。



「やれやれ、殺伐さつばつとしてきたね。ちょっとは落ち着こうか。有姫、きみはチカにケンカを売らないこと。有姫は口ではこういっているが、きみのことを認めている。ただ、素直になれないお年頃なんだ」


 きっと、大事な女友達を、取られたくないんだろうね、とリンドウは、わかった風な上から目線で言った。


 なんだろう、このリンドウという女性、ものごしは柔らかいが、やたら高圧的だ。

――食わせ物のタヌキ。


 あたしの脳内に、丸いタヌキ耳としっぽを生やし、ぽんぽんと腹を叩いているリンドウの姿が浮かんだ。……すごく、シュールだ。



「ともあれ、幸いまだ時間はたっぷりある。ラスボスに挑戦する前にレベル上げならぬ、情報交換だ。今、僕が保有する全知識のうち、特に今必要なものを千夜、きみに教えておこう」



 リンドウは語る。


――僕は、ベトナムで生まれた、純日本人だ。だが、食べたものが違ったからかな。僕の容姿は、純粋な日本人とは少しばかり、かけはなれてしまった。


 ともあれ、僕はきみぐらいの年のころ、日本を一度訪れているんだ。



 ちょうど、交差点こうさてんわたったところだった。

 ふと、ちいさなレディーにぶつかった。


 僕は、振り向き――そして、心奪われた。



 気が付いたら、ぶつかってきた、少女の頬に触れていた。

 その瞬間とき、ぶわり、と全身の細胞が花開いた。そう、僕は、僕の生まれ持った使命しめいに、そのときはじめて気づいたんだ。



「いや、思い出した、と言っていい。それが、花蓮宗の花守、リンドウ・エデンの誕生だった」


「とりあえず、いろいろツッコミてえが、それが千夜だったのだけはよくわかった。だが、お前にとって千夜とは、いったいなんだったんだ」


 チカが、あきれたような表情で、続きをうながした。


「我らがあるじ。我らが母上、だよ。すべての乙女達の姉であり母。彼女こそが、僕の探し求めていた女神<ディーヴァ>だと、その時、はっきりとわかったんだ」



 リンドウは、再び、続ける。


 ――その時思った。……美しい、と。僕はこんなに美しい女性を、今まで見たことがなかった。

 そして、誓った。僕は、この人のために生き、死のうと。



「あたしが、美しい……?」


 あたしは、いぶかしげな瞳で見返した。



「――ああ。きみは、血闇さまにそっくりだ。見目形みめかたちが、ではないよ。魂の色が、美しさが。そして、ないよりもうちに抱いたほこり高さ、気高さが。……まるで生きうつしだった」


「僕にはそれまで、記憶はなかった。それでもありありとわかった。――ああ。僕はこの人のために、生まれてきたんだ……ってね」



 チカが、そこで口をはさんだ。


「――待て。お前にも、“記憶”があるのか」


 お前にも? 不可解ふかかいな発言に、あたしは顔をしかめた。


 お前……“にも”? それじゃあ、まるで、チカにも……。



「ああ。もちろんだ。もっとも、僕は、あまり運命に干渉かんしょうできない。なにしろ、この世界では僕は完全なる異邦人いほうじんだ。なにしろ、厳密げんみつにはヒトではないからね。ようするに僕という存在は、太母たいぼである、花蓮さまに造られた身なんだ」



「つくる? タイボ? あんたは、なにを言ってるんだ?」


 あたしは、イライラしながら聞き返した。――理解不能だ。この女の言うことは、すべて。



「きみはね。平安の時代を代表する。美姫びき、血闇さまの生まれ変わりだというだけじゃない。創世のおりお生まれになった、摩耶まやや有月くんをはじめとした、この世界のすべての女性の産み手、唯二ゆいにたる夫婦神・花蓮さまの顕現<アバター>なんだ」



「それは、オレも初耳だ。だが、それが本当だと証明できるのか?」


 チカが、疑わしいといった顔つきで、にらみつける。


「できるね。たとえば、この世の誰も、千夜を殺せない。たとえ殺人鬼<リッパー>くんだろうと、明くん<パパさま>だろうと。千夜を殺せるのは、きみだけだ、チカ。正確には、きみの言動のみが、千夜の運命と生死を狂わせる。そう、唯二たる夫婦神の片割れ、魔王・空魔くうまさま、それが本来のきみだ」



「待て。さすがに、ホラ話にしてはぶっとんでんな。大体、この世界を作った夫婦の神様が、オレと千夜って、どう考えてもおかしいだろ。それだと、千夜は、魔王だかなんだかの妻? ――いいかげんにしろよ。てめえの妄想で千夜をけがすな」



 はっきりと、憎悪ぞうお嫌悪けんお、そして拒絶きょぜつの入り混じった瞳で、チカはリンドウを見据みすえた。



「……いや。きみの疑問は正しい。現に、我が花蓮宗でも論議が耐えなくてね。母なる女神、花蓮さまが悪魔にほだされたなど、ありえない、あってはならないと。だが、それは事実なんだ。花蓮さまは、魔王さまとちぎりを結んだ。しかしそれは、きみがまだ、清らかな男神だった頃の話だ」


「え……?」

話についていけなくて、あたしは思わず疑問符めいた吐息をもらした。


「そう、それは、日本神話の夫婦神、<イザナミとイザナギ>の話に似ているね。花蓮さまは、人類を生み落として死んだ。そして、そんな花蓮さまをよみがえらそうとして、空魔くうまさまは変化へんげした。あらゆる罪に手を染めて、どんな手段もいとわず、彼の妻を取り戻そうとした」


リンドウは続ける。


「結果、地上には罪があふれ、彼らの愛し子である人類は争い、互いに殺し合うことになった。ぬえとは、空魔さまの絶望の涙から生まれた、彼の眷属けんぞくだ。彼の手先であるぬえ達は、彼の失われた伴侶はんりょ、花蓮様を蘇らせるために、多くのあわれな子どもたちにとりつき、その甘美かんびな不幸を種床たねどこにして、とうとう千夜きみ復元ふくげんするに至った」


「だが、あの血闇さまですら、その実験作<プロトタイプ>でしかない。……血闇さまは失敗だった。血闇さまは、そのたぐいまれな美しさをのぞいては、花蓮さま<オリジナル>には程遠かった。――しかし、きみはどうだ。……きみは完璧だ。きみこそが、まさしく、僕達の母であり、花蓮さまのうつしみ<アバター>だ」


そこまで語り終えると、リンドウは、そっと息を吐き、かすかに微笑ってみせた。


「これがこの世界における、最も真実に近い創世神話そうせいしんわであり、この世界の純然じゅんぜんたる歴史だよ」


「――そんなの……おかしいだろ……」


 あたしは、うつむいたまま、肩を震わせた。

 そんな荒唐無稽こうとうむけいなホラ話、誰が信じるか。


 だが、あたしの内部の何かが、いな、と首をふる。

 それは、事実だ。真実であり、真理しんりであり、おかしがたいまことなのだ、と。



「――じゃあ、証明してみろよ」



 チカが、みつくように言う。その挑発的ちょうはつてきで、挑戦的な瞳は、ぐらぐらと煮えたぎったマグマかなにかのようだ。


 どうやらチカもまた、あたしと同じものを感じているようだった。


 ――否定したくても、できない。


 まるで、四肢ししの自由をうばられた、標本ひょうほん……いや、操り人形<マリオネット>のように、あたし達は踊らされているのだ。そう、運命という大いなる脚本きゃくほんの前では、あたし達はあわれな奴隷どれいひとしかった。



「そうだね。それは簡単だ。僕がこの剣で、千夜をつらぬく。――それで、千夜が死ななかったら、僕の勝ちだね」


 リンドウは、歌うように言うと、さっき剣をしまった胸にそっと手をあてた。

 チカを含め、一同いちどうに、緊張きんちょうが走る。


 チカが、いまにも刺し殺しそうな殺気をはなったのをみてとって、リンドウは肩をすくめた。


「――どうやら、試す気はないようだね。僕の不戦勝ふせんしょうかな」


「――てめえ……」


 チカが、ゆらりと動く。雷門と双子坂が、静かに臨戦態勢りんせんたいせいに入った。



「まあまあ! ケンカはやめようぜ! あたし達は、仲間なんだ! ――仲良くしようぜ!!」


 乙女が、めずらしく空気を読んで、割って入った。


 気をそがれたチカが、しぶしぶといった風に引き下がり、情にあつ喧嘩けんかっ早い雷門が、舌打ちをした。



「それが本当だとして、あなたの目的は何ですか? まさか、そんな与太話よたばなしを言うためだけに、ここに出向でむかれたわけじゃ、ありませんよね?」


 双子坂が、珍しくぴりぴりとした警戒心を隠さない、わずかに不機嫌そうな硬い表情で言った。



「もちろん、きみたち子羊いとしご達に、協力するためだ。あいにく僕は、さきほどの千夜の蘇生そせいと、あきらくんに一時的に寄生きせいした鵺の浄化で、現存げんぞんする力を使い果たしてしまったが、知識と知恵なら、あまりある」


「花蓮さまから力をたまわった花守の首領しゅりょうとして、また、花蓮さまによって造られた土人形、“新芽あらめ”の末裔まつえいとして、きみたちに大いなる叡智えいちを与えよう。まずはさっそく、お待ちかねの母上<ミランダ>のもとへ向かおうか」



「――向かう、って……」



 あの女と対峙するのは、腰が引けた。

 あたしは、チカの実母、千冬を名乗るあの女の罠にはまって、一度死んだ。


 今、こうして、ありありと、自らのバカさ、愚かさに、気づかされる。


 ――母なる女神? ……太母たいぼ? ――どこがだよ。


 あたしはどう考えても、ただのガキだった。


 無知むちで、無能むのうで、盲目もうもくな、<愚者おろかもの>。それが、あたしの本質に違いなかった。



「僕は、あの女性の弱点を知っている。居場所はにおいでわかる。正確にはあのひとの放つ、魔の波動だね。それをたどれば、追跡ついせきは可能だ。きみたちは、僕に黙って、着いてきてくれるだけで充分じゅうぶんだ」



「――気に食わねえな。オレは、お前のことを信用できねえ。千夜を助けた礼は言うが、それまでだ。てめえが千夜の脅威きょういになる、と判断した時点で、てめえを排除はいじょする」


 チカのとげとげしい口調に、雷門も厳しい表情で、こくりとうなずいた。


「……いいよ。僕としても、そのほうが気楽だ。――さあ、行こうか。あの美しい魔女さまが、僕達を待っている」


 あたし達は、こうして、決戦の地へ向かった。



 次々と明らかになる真実は、真っ赤な禁断の果実。罪と罪を重ねて、あたし達は、死化粧しげしょうをまとう。


――いずれ、滅びるさだめの、真夜中の子ども達。……それでも、もう、後には引けやしないのだ。



 << ――さあ、失われた約束を、取り戻せ―― >>




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・


 Lotus ~ロータス~

「スイレン」「はす


<ギリシャ神話> 「ロートス,ロートスの実」

(その実を食べると浮世の苦しみを忘れ、

 楽しい夢を結ぶと考えられた想像上の植物)


 Goddess ~ガッデス~

「女神」


 Bloody ~ブラッディ~


「血の」「血を含む」「血のような」

「血の色の」「血によごれた」「血まみれの」

「血なまぐさい」「殺伐な,残虐な,むごたらしい」


 Drops ~ドロップス~

「涙(複数形)」


 “Lotus Goddess Bloody Drops”

 ~ロータス・ガッデス・ブラッディ・ドロップス~


「蓮の女神(花蓮)の血まみれの涙たち」

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