-Ⅴ.“英雄”<the Devil>-
「なに泣いてんだよ」
降ってわいた声に、あたしは、勢いよく振り向いた。
「ちっ……!」
チカ――! と言おうとして、口をつぐんだ。
バリバリのアイライン。ワックスでクールにセットした、短めのミディアムヘア。
びりびりに破いたような、ワイルドな服装。
「鮫島……」
「……ああ? 気安く呼び捨ててんじゃねえよ」
鮫島有姫。
このあたりを根城にしている、女暴走族――<ヴァルハラレディース>の副長。
あたし以上にすさまじい、ヤクザ言葉で吐き捨てると、鮫島は、ずかずか歩み寄り、あたしの顎をつかんだ。
「お前の考えてること、当ててやろうか。頭おかしい施設の女に騙されて、ショックで授業に集中できません。悲しくて悲しくて、涙が止まりません。あたしは悲劇のヒロイン、ヒーローはどこですか?」
「てめえ……」
頭に、ざあっ、と血がのぼる。
「――ああ? 殴るか? このヴァルハラレディースのナンバーツーのあたしを殴るか? やってみろよ。暗黒仮面だか、こんにゃく仮面だかしらねーが、あんなイカれたやつのために、死んでみろよ」
「…………ッ!!」
――ぱんっ!
あたしは、鮫島の頬を叩いた。
じわじわと熱くなる手を抑え、あたしは鮫島をにらむ。
……そして、宣言する。
「てめえは、勘違いしてる」
「……はっ」
鮫島の目がぎらぎらと笑った。
「チカはな。すげー痛てーし、意味わかんねーし、ワガママだし、無駄に自信満々で、ガサツだし、言葉使い汚ねーし、一人称おかしいし、施設に押し込められて引き取り手もないような問題児だよ。だけど、だけどな……ッ」
チカは、正義のヒーローなんかじゃない。
――それでも。
「――あたしのヒーロー、だったんだよ……!」
あたしは、鮫島の顔を、めちゃくちゃに殴った。
蹴りを入れやった。わきっぱらに、顎に、腹に。
あたしはぜいぜいと息をして、額に流れる汗をぬぐった。
これが、あたしの鉄拳制裁。
すげーしょぼくて、だせえけど。
あたしにも、できることはある。 そう証明したいんだよ。
お前が帰ってくるまでに、あたしだって、もっともっと、強くなってやるって。
守られるばっかじゃない、たまには、お前を守るぐらい、強くなりたいって思ったから。
……だから、待ってろよ、チカ。
あたし、絶対、強くなるから。どっかでくたばったり、死んだりすんじゃねーよ。
絶対、お前を超えてみせるから。世界とだって、戦ってみせる。
——強がり? ……そうだよ。
——さびしい? ――本当にな。
お前がいなくなって、すっげえさびしい。ぜんぶ、ぜんぶお前が奪っていったから。
愛も、勇気も、希望も、すべて、すべて。
お前がいないと、そんなのゴミでしかない。
お前は、あたしの流星で。一番星で、救世主で、ヒーローだったんだ。
こんな風に、心ごと奪ったのは、お前だけだった。
なのにお前は、そんなあたしを、あざ笑うかのように、突然消えて、この心をぐちゃぐちゃにした。
だから、覚悟してろよ。あたしは、お前を倒しにゆく。
奪われたすべてのものを、取り返しにゆく。
——お前を、取り返しに。
「……ハッ。いい顔してんじゃねえか、七織」
鮫島が、鼻血をぬぐって言った。
「――ハア?」
「それだよ。お前はこうでねーと。クソがいなくなったぐれえでメソメソしてるなんて、お前らしくねーんだよ。また泣いてやがったら、あたしがぶん殴ってやるから、せいぜい後悔しねーように、やりたいことやって、バカ笑いしてるんだな」
「鮫島……お前……」
「……言っとくけど、お前のためじゃねえ。あたしは、あたしの正義で生きる。たまたま、利害が一致いっちしたぐらいで、勘違いすんな。――行ってこい。弱虫のお前と違って、お前ごときが一瞬いなくなったぐらい、どうでもいいし、余裕なんだよ」
「……泣いてるけど」
鮫島は、ボロ泣きしていた。ぶっちゃけ、あたしよりも泣いていた。
バリバリにデコったアイラインが崩れて、いたいけな子猫のようなキュートな瞳が、潤んではポロリと雫をこぼし、十センチはあるヒールにいたっては、殴られまくって、脱げてしまったせいで、150もないちいさな体が、さらにちいさくなっているしまつ。
もう、あの時の悪役感は皆無だった。
(……お前、悪役に向いてねーよ)
あたしは、ちょっと笑った。そして、鮫島に言った。
「――ありがとう」
「はあ? ぶっ飛ばすぞ」
瞳をごしごししながら、涙声で、鮫島が、“有姫”が言う。
「……行ってくる。そんで、帰ってきたら、あたしの戦友<ダチ>になってほしい」
「――——っ!?」
有姫は、驚いたように、言葉をなくした。
「なあ、だから、“一緒に、世界と戦おーぜ”」
あたしは、歯をみせて笑った。
なあ、チカ。あたし、お前みたいにやれてるかな?
お前みたいに、なれるかな。
あたしは、お前に会いにゆく。
手がかりは、皆無だ。けれど、お前がしてくれたように。
――あたしも、世界と戦ってやるよ。負け戦になんねーよう、せいぜい頑張ってやる。
あたしは知らなかった。
本当のあたしをみていてくれたのは、あのバカだけじゃなかった。
鮫島も、あの時代錯誤なバリバリのヤンキーも、あたしのために、こんなひどい怪我までして。
殴り返すなり、蹴り返すなり、しようと思えばいくらでもできた。
だけど、やつはいくら殴られても、蹴られても、そうしなかった。
正義に倒される悪者<ヒール>みたいに、損な役をやってくれた。
——暴走族? ヤンキー? 不良?
——どこがだよ。
こんなバカみたいにいいやつが、チカの他にもいた。
だったら、奇跡だって、起きるかもしれない。
あの日、絶好のタイミングで流星郡が降ったように。
あの一番星を、みつけられるかもしれない。
ばきべき光る、カミサマだってぶっとばす、“最強の彦星”を。
そして、あたしは誓った。星空じゃない、晴天に。
――倒しにいく。
調子に乗って暗黒微笑する、あのはた迷惑なラスボスに、一発食らわせてやる。
あたしは、臆病で、弱虫で、強がってばかりのダメなヤツだけど。
それでも、意地ぐらいある。
これだけ泣かせておいて、登場もしない、甲斐性なしのダチなんか、口だけの戦友<ダチ>なんか……あたしが、“鉄拳制裁”してやる。
その腐った根性、叩き直してやる。
だから、じっとしてろよ、馬鹿野郎。
――あたしは、お前を殴りに行く。
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「七織千夜。もうそろそろかな」
その時、どこかで発せられた、囁くような声に、あたしはまだ、気づいていなかった。
だが、有姫は、冷たい表情で、茂みの向こうを、にらみつけていた。
「どうしたんだ?」と聞くと、「なんでもねえよ」と、興味をなくしたように、有姫はこちらを向いた。
その傷が、ずいぶんと減っている気がして、首を傾げた。
(あれ、さっきあんなにボロボロだった気がしたんだけど、気のせいか?)
あたしは、まだ、何も知らない。
有姫の正体も、いずれあたしを陥れようとする、二重人格者のことも。
死と裏切りの物語は、こうしてはじまる。
平和な日常は、もう終わりだ。
勝つのは神か? あたしか?
——さあ、<失われた夏>を、取り戻せ……。