表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/133

第23話 ‐陶酔の味- ~テイスティング・サイレント・コープス~ 【後編】



「――よかった。どうやら、間に合ったようだね」


 目の前に立っていたのは、におい立つほど美しい、若い娘だった。年は、二十代前半ぐらいだろう。

 長くなめらかで、まっすぐな黒髪を腰の手前まで垂らした、静謐せいひつで、声の通りに凛とした、涼しげな美貌びぼうの女だった。



「……千夜。きみはとても、素晴すばらしい行いをした」

女はそう言って、こちらに向かって静かに歩みを進め、もう動かない千夜の頬を愛おしげになでた。


「……お前、誰だ。――千夜に触るんじゃねえ」

オレの激しい憎悪のまなざしにもおくさず、女は、すっきりと甘く微笑んだ。


「久しぶりだね、チカ。――僕のことを、覚えている?」


 自分を「僕」と呼ぶ、奇妙な女の異常なほどの落ち着きっぷりと、その不審ふしんな言動に、わずかな恐怖と激しいいらだちを覚えた。


「――お前、何者だ」


 はっきりと敵意を混ぜた、オレのドスの効いた声を柔らかく受け止めると、女は歌うように言った。



「……僕はリンドウ。花蓮宗かれんしゅうが、花守はなもり古城凛灯ふるしろ・りんどうだ。海外では、<リンドウ・エデン>と名乗らせてもらっている。――ようするに、通りすがりの迷子の子羊さ」



「……リンドウ……?」



 なぜか、その名に聞き覚えがあった。その時、乙女が、嬉しそうに声を上げた。



「――リン姉!! 助けに来てくれたんだな!!」



「ああ。摩耶まや。僕が来れば、もう安心だ。ここからは、僕にすべて任せてほしい」



 乙女を聞きなれない名で呼んだ女――“リンドウ”は、にこりと微笑むと、茫然自失ぼうぜんじしつの状態で顔をおおい、なにかぶつぶつと呟いている進藤の前に立った。


「さあて。まずは、お仕置きかな。……あきらくん。きみは、実の娘さんになんてことをするのかな? ――ちょっと、痛い目をみてもらわないとね」


 そう言って、胸から、なにか棒状ぼうじょうのものを引き抜いた。

 それは、薔薇色ばらいろに染まった純金じゅんきんとおぼしき、世にも美しいサーベルだった。

 そんな得体のしれない凶器を胸から抜き取ると、リンドウはまっすぐにかまえた。


「行くよ」


 そして、目にもとまらない動きで進藤におどりかかり、一瞬で切り伏せた。


「――……っ!」


 息を飲んだオレがみたのは、まっぷたつにされた進藤のからだに、大輪たいりんはすの花が咲く光景こうけいだった。


 信じられない事態じたい茫然ぼうぜんとしていると、進藤の体がぶれ、まるで出来できのいい手品てじなか何かのように、そのむごたらしい断面同士が音もなくくっついた。


 まもなく、蓮の花はしおれ、はらり、と可憐かれんに舞い散った。




「――ドクター……」


 乙女が、倒れこんだ進藤に駆け寄って、悲しそうな顔をした。



「死んでないよ。ただ、取りついた悪霊――……ああ、ぬえと言ったかな。それを、はらっただけだ。小一時間もすれば、無事ぶじ、目を覚ますだろう」


 そう言って、リンドウは、鮮血せんけつれそぼった、薔薇色のサーベルを、再び自らの胸にしまった。


「さあ、次は、愛しいプリンセスからだ。……チカ、ちょっと失礼するよ」



 リンドウは、ほうけたオレの腕から千夜を優しくひったくると、その柔らかな唇に、自らのそれを押し付けた。


 ぽうっ、と淡く輝く純白じゅんぱくの光の玉が、リンドウと千夜を包み、周囲の温度がわずかに上昇した。


 春の日差ひざしのなかのような、やわいぬくもりに包まれ、オレは、その時を待った。


 やがて、千夜の胸に、小さな蓮の花が咲いた。

淡いピンク色のそれは、ぱちん、とはじけるような音を立てて咲き誇り、しゃらり、と静かに舞い散った。



「――ん……」


 千夜のまぶたが動き、その胸がかすかに上下した。



「――千夜!!」


 オレは、リンドウから千夜をひったくると、その胸に、耳を押し当てた。とくん、とくん、と奏でられる、規則きそく正しい、生命の音。

 間違いない、千夜は生きている。いや、リンドウの力によって、生き返ったのだ!!



 オレは、今度こそ泣いた。

 涙をこぼし、しゃくりあげるオレを、まぶたを開けた千夜が、不思議そうにみている。



「……チカ……お前……、泣いてるのか……?」


 言って、オレの頬に手をのばし、その雫を優しくぬぐった。


「……ふふ、チカ、大好きだぜ……」


 歌うように言って、千夜は、オレをふんわりと抱きしめた。



 とくん、とくん、と心臓の音がする。


 それは、千夜のものか、オレ自身のものか。



 ふたつの鼓動と熱が、混ざり合い、オレは、ほの甘い陶酔とうすいに酔いしれた。




……ああ、もうなにもかも、どうなったっていい。


――オレは、こいつのために、なんだってしよう。



 コホン、という咳払せきばらいと共に、気まずそうな表情を浮かべた、リンドウが、こちらに語りかけた。


「――もういいかな。待ちくたびれてしまったよ」


 言って、目線を落ち着かなそうにさまよわせると、オレをぎゅうっ、と抱きしめたままの千夜を向いて、そっと笑いかけた。



「……千夜。また会えたね。ずっときみを待っていた。僕は、きみの第一騎士、リンドウだ。きみはもう、僕のことなんてもう、忘れてしまったかな」


 言って、千夜に向かって、その手を差し伸べた。


 ぼうっとしながら、手を伸ばした千夜の、手の甲にそっと口づけると、リンドウは甘い声でささやいた。



「――ライラ。……僕達の女王。僕らの命は、すべてきみのもとに。さあ、行こうか。あの人が僕らを待っている」



 リンドウの声に、千夜はまばたきをして、やっと焦点しょうてんを合わせた。



「お前は……、いや、あたしは……?」



「すべての因果いんがはらむ、〈真夜中の聖母‐ライラ‐〉。〈忘却をつかさどりし娘‐レテ‐〉。〈‐聖なる織姫‐の竪琴たてごと〉。〈別れの音色の‐エウリディケ‐〉。〈運命の糸を織りし女神‐ウルド‐〉。〈真夏の鷲‐オリオン‐を撃ち墜とす乙女‐アルテミシア‐〉。〈禍‐エリス‐を塗り替える絵師‐ミューズ‐〉。〈彼の名は悪‐エリス‐ではない〉……――つまりは、きみこそが、僕の、僕達の女王というわけなんだ」




「……意味わかんねえ」


 千夜は、まぶたをこすりながら、リンドウの謎の発言をばっさりと切り捨てた。



「そうだろうね。きみはまだ、何も知らなくていい。――今はまだ、ね」


 そう意味深に微笑んで、リンドウは、ぱんぱん、と手を打った。



「さあ、隠れてないで、出ておいでよ、命。――そこにいるんだろう?」


「……ちっ……うるさい女は嫌いだ」


 命がはしらかげから、しぶしぶ、と言ったていで出てきた。



久方ひさかたぶり。元気だったかい?」


「すごぶる元気だね。君を喰い殺したいぐらいには」


 リンドウの軽やかな微笑みに、命は憎悪と嫌悪の中間のような顔で返した。



「――あは。きみは変わらないね」


 明確な殺意のこもった言葉を、やはり物ともせず、リンドウはけらけらと笑った。



「今から、殴り込みに行く予定なんだ。……きみも来るかい?」


 リンドウが、面白がるような輝きを宿やどした、澄みきった黒い瞳で言った。



「遠慮しておくよ。君と同じ空気を吸いたくない」


「――嫌われたものだね。僕はきみのことを、こんなに好きなのに」


 命の態度は、徹底して嫌そうな拒絶だった。対するリンドウは、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった風に、すこぶる軽やかだ。



「ずいぶん、重みのない言葉だよね。君、それ全員に言ってるでしょ」


「そうでもないよ。僕が、こよなく愛しているのは、いつだってきみだけなんだ」



 とっておきの冗談を言うように、リンドウは、ふんわり、と爽やかに微笑んだ。


「……ちっ、これだから年増女としまおんなは。僕はここで、おいとまするよ」


 不機嫌そうに、再び舌打ちした命は、振り返って、あたしをみつめた。



「…………」


「…………?」


 無言だったが、その顔は、まるで泣き出す寸前すんぜんのようにもみえた。



「――じゃあね、千夜。今度、そのケダモノに襲われたら言ってね」


 後ろを向いて、ひらひら、と手をふったみことは、いつもの人を食ったような、意地の悪いみことだった。



「……あいつ」


 実は、あたしを心配してくれたのか。思わず、そんな世迷よまよいごとが浮かんで、首をふった。



(……まさか、な)



 今、再び、定められた夜がやってこようとしていた。


 幕は上がった。


 ――さあ、失われた未来あさを、取り戻せ。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 Tasting ~テイスティング~

「味覚、味」


 Silent ~サイレント~ 

「静かな、無言の」


 Corpse ~コープス~

「屍、死体」


  “Tasting Silent Corpse”

 ~テイスティング・サイレント・コープス~


「無言の屍の味わい」=「物言わぬ屍体の味わい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ