第2話 ‐再会‐ ~イーチ・ディスタンス・デンジャラス・ベット~
「ただいま戻った。心配をかけてすまない」
進藤は、扉を開けるなり、頭を下げた。あたしは、その姿をみるなり、走り出し、駆け寄った。
「進藤!!」
「……千夜」
――パアン!!
盛大な音が響き、手がじんじんとしびれる。
あたしの平手打ちに、進藤は落ち着いた顔で、頬に手を当てた。
「――何であたしを、置いていった!」
「…………」
困ったように、眉尻を下げる進藤に、震える声で続けた。
「~~っ、……心配したんだぞ……っ」
「――すまない」
再び頭を下げた進藤だが、まるで反省する気がないその冷静さに、カッと頭に血がのぼるのを感じた。
「……わかってるのかよ。お前が死んだら、――あたしっ……」
「――千夜」
何か、言いかけた進藤を遮って、かぶせるように言った。
「――二度としないって、神様に誓うか!!」
俯いたまま発した、噛みつくようなその叫びに、進藤の動揺が、今度は確かに、伝わってきた。
「……ああ。誓う」
頭を上げると、進藤の真剣な顔が、視界に飛び込んできた。
「二度とあんな無茶むちゃはしない。愛する宝子と――、君に誓って」
「っっ、ならいい……っっ!」
あたしは、言うなり、進藤の胸にとびこんだ。
しばらく、ぎゅうっと、しがみ付いていると、進藤もまた強く、優しく抱きしめかえしてくれた。
「……それで、お前は本当に、オレたちに協力するんだな」
甘い空気を断ち切るように、チカが言う。
「ああ。君たちも知っているとおり、僕は施設所属の医師であり、君と双子坂くんの主治医だ。君たちの体のことはよく知っているし、研究者という立場上、施設の機密事項についても、ある程度知らされている。――必ずや、君たちの役にたてるだろう」
「ならいい。しっかり働けよ」と、チカがなぜか、やたら上から目線で言った。
「犬神くんもそこにいるのか」
「――ああ。雷門、出てこい」
チカが、ぱちんと指を鳴らすと、視界がぐにゃり、と歪み、何もないところから、雷門がだるそうに姿を現した。
「……チカ、もう体はいいのか」
にらみつけるように顔をしかめ、雷門がチカに語りかける。
「ああ。万全とはいかないが、だいぶ調子は戻って来た」
「――心配する、こっちの身にもなれ」
「悪いな。だが、雷門、お前にも働いてもらうぞ」
「ハイハイ」
嫌そうに雷門が体を揺らすと、チカは、その掌を差し出した。
「お前には期待してる。――よろしくな、相棒」
「――今さらだな」
皮肉気に、薄く微笑んだ雷門だが、その表情は、どこか嬉しそうにもみえた。
そのまま、その大きくてゴツイ手を、チカの小さな掌に重ねると、ぎゅっと握った。
一回り以上小さなその手を、堅く握りしめているようにも、壊れ物を抱きしめているようにもみえる、不思議な握手を交わしたあと、雷門は、それで、と言った。
「俺が呼ばれた理由はなんだ。まさか、こんな茶番の為じゃねえよな」
「ああ。ここに集まってもらったのは、今後の作戦会議のためだ。オレ達に足りないのは、情報だ。あいにく、双子坂は欠席しているが、まずはオレ達だけで、話を進めよう」
チカは、そこで一旦話を区切ると、進藤のほうを向いた。
「――進藤、千夜に説明してくれないか。まずは、オレ達のカラダのことについてだ」
「――ああ。千夜、前にも言ったが、水図くんをはじめ、施設所属の子どもたちは、みな例外なく、鵺という、特殊な生命体の血液が混入されたワクチンを、接種している。そのことにより、肉体は大幅に変質し、特殊な能力に目覚める」
進藤は、冷めた口調で、続けた。
「ただし、鵺の血液に含まれるウイルスに、適合できなかった子どもは死亡し、その体は、研究対象として切り刻まれ、検証される。――ここまではいいかな」
「待て。わけわかんねえ。大体、鵺ってなんだ。そんなことが許されるのか」
あたしの疑問に、進藤は淡々(たんたん)と返す。
「許されるもなにも、その試みは、すでに何年も前から行われている。さすがにその実態までもは、施設を認可している国ですらも、知らないようだが」
進藤は、そこで、チカの方をみた。
チカが、こくり、とうなずく。
まるで、続けていい、と示すように。
「鵺、という生き物については、その生態、起源を含め、あらゆることが不明だ。平安時代、世間を騒がせた、異形の鬼の体から生まれたという説や、人類発祥と同時に存在し、常にヒトと共にあった、という説もある」
「いずれにせよ、わかっているのは、いったん鵺の血を取り込めば、完治は不可。僕達、医師のはからいで、ある程度セーブし、コントロールすることは可能だが、ゆっくりと進行し、やがては鵺そのものに、変貌することぐらいだ」
「変貌って……」
ぞっとしながら、茫然と聞き返した。
「前例はなく、ただの仮説にすぎないが、大昔には、ヒトが異形に化けることは珍しくなかったという。平安の時代、鬼と契り、鬼の子を宿した姫は、悪鬼を破る力を手にしたというし、その妹は、鵺を封じる手段を得たという」
「ほかにも、化け狐と契って、退魔の力を得た娘の存在も、今もなお、脈々(みゃくみゃく)と語り継がれている。――もちろん、伝承は伝承にすぎず、真実は闇のなかだが」
「そんなことが……信じられねえ」
青ざめるあたしに、進藤は、大きくうなずいた。
「信じるかどうかは、君しだいだ。僕も最初は、ばかげた作り話だと思った。だが、僕自身、特殊な体質だからね」
「特殊な……?」
「……ああ。簡単に言うと、年を取らないんだ。僕がこの奇病にかかったのは、医師免許を取る直前だった。以来、僕の容姿はまったく変わっていない。カモフラージュをするため、普段は施設の寮に住み、必要なものは取り寄せている。やむなく街に出るときは、変装もする。疲れるが、もう慣なれてしまった」
あきらめたように、淡々と語る進藤だが、その肩は落ちていた。
一体、その肩に、どれだけのものを背負ってきたんだろう。
「進藤……」
しめったような声を出した、あたしの同情を振り払うように、進藤は首を振った。
「――僕の話はここまでだ。千夜、君は、負傷した水図くんに血液を提供した。その時に、興味深い事実が発覚した。……まずは、このカルテをみてほしい」
「カルテ?」
進藤がみせた紙切れには、あたしの名前の横に、RH-Yと書いてあった。
「君の血液型は、一見してみると、健常体だ。だが、これを水図くんをはじめとした、鵺ウイルスに感染した、血液と混ぜ合わせると……」
進藤はそう言って、血液サンプルを撮影したらしき、ビデオを開いた。
「――っっ!?」
調合した血液が、ぼこぼこと泡立っている!!
「~~っっ、なんだこれ……っっ」
吐き気がして、口元を押さえた。
「大きな反応は、三十分から、一時間で収まった。その後、水図くんの血液の鵺ウイルスは、急激に減少した」
「え……」
「鵺ウイルスは、通常、増殖することはあっても、減少はありえない。だが、水図くんと双子坂くんに関してのみ、わずかな増減がみられた。その理由は、千夜、君と接触したのが原因とみている」
「――それって……」
「――ああ。うまくいけば、水図くんたちの鵺ウイルスを根絶し、完治させることができるかもしれない。もちろん、実験には危険がともなう。君からの許可がない限り、僕はなにもしないつもりだ」
「……ちょっと待て」
それまで、黙って聞いていたチカが、口を開いた。
「チカ……?」
チカのいつになく堅い表情に、あたしは気圧された。
「――話が違う。千夜は、巻き込まないつもりじゃなかったのか」
「……水図くん。気持ちはわかるが、これは、君たちの体に関わる……」
「――オレは反対だ!! そんな危険な目に合わせるつもりなら、オレはこの話をおりる!!」
いきなり怒鳴りだしたチカに、進藤は戸惑ったような顔をした。
その場に、緊張が走る。
はじめに静寂を破ったのは、あたしだった。
「……進藤、あたしは、お前に協力する」
「――千夜!!」
噛みつくように叫んだチカに、こう言った。
「チカ。お前は、あたしを助けてくれたよな。それも、命がけで。――それは、なんでだ」
「――なんでって、決まってるだろ……!」
弱弱しく叫んだチカに、かぶせるように言った。
「――あたしを、守りたかったからだろ。でもな、あたしだって、お前を守りたい。守られっぱなしなんて、いやなんだ。お前が危険な目にあってるなら、救ってやりたい。助けたい。たとえ、それであたしがどんなに、危ない目にあってもだ」
「……オレはそんなこと、望んでない!!」
チカは、再び吠えるように言った。
「じゃあ、お前があたしの立場だったとき、お前は、あたしを見捨てるのか。助かる方法があって、それは、お前にしかできないのに? それでもお前は、自分だけ安全圏にいて、なにもしないのかよ」
「――それは……っ」
「――チカ。お前が、あたしを心配してくれてんのはわかる。でもそれは、あたしだって同じだ。あたしに、お前を助けるチャンスをくれ。心配しなくても、進藤はあたしを悪いようにはしねえから」
――だよな、進藤? とあたしは、進藤を振り仰いだ。
「ああ。僕としても、千夜に危険な目にはあってほしくない。実験は万全をきし、少しでも千夜の体に、不調が現れた際には、即、中断する。場合によっては、実験自体を中止しよう。すべては、千夜と、君しだいだ」
進藤は、チカに向き直った。
その瞳は、今までになく真剣で、そして、このうえなく真摯だった。
「“チカ”、どうか、うなずいてくれないか。千夜が君を助けたいように、僕も、君たちを巻き込んだことに、何も感じていないわけはない。君たちの体が元通りになるなら、僕も努力は惜しまない。誠心誠意、全力で取り組もう」
そう言うと、深く、頭を下げた。
チカは、苦みをかみつぶしたような顔で、その姿をながめていたが、やがて、ちっ、と舌打ちをすると、彼に向かって手を差し伸べた。
「頭をあげろよ。話はわかった。だが、千夜になにかあったら、オレがお前を殺す。――それでいいな?」
「――チカ……!?」
突然のチカの暴言にあわを食ったが、進藤は、静かにうなずいた。
「ああ。約束しよう。必ず、君たちを救ってみせる。もし千夜になにかあれば、その責任はすべて、僕が取ろう」
「……交渉成立だ。その台詞、覚えとけよ」
あくまでふてぶてしい態度のチカに、雷門が溜め息をつき、口を開いた。
「――それで、これから、どうする」
「ああ。実験は明日からだ。千夜には、体を万全な状態に整えてもらいたい。それまでは、好きなことをしていてかまわない」
進藤の言葉に、チカも今度はうなずいた。
「じゃあ、双子坂を呼びにいこうぜ。あいつにも、計画に参加してもらう」
「でも、音信不通だって」
「双子坂の居場所は、わかりきってる」
チカは、静かに断言した。
「……なんだって?」
「第一府頭病院。そこにあいつはいる。――必ずな」




