第1話 ‐死の女神‐ ~リリーフ・キス・ブレイズ・アイズ~
意外に思われるかもしれないが、俺は、それなりに愛されて育った。
父親似の目つきの悪さこそ、ひどいものだったが、両親は、待望の一人息子である俺に、ありったけの愛を注いだし、俺もその期待に応えるかのように、快活な少年に育った。
――ただ、異性だけは苦手だった。
怖い者知らずの男共とは違って、かよわい女子は皆、俺の鋭く凶悪な目つきをとらえるなり、おびえて泣き出したり、逃げていった。
そんなわけで、俺の淡い恋心は、育つ前に砕け散った。
そう、やつに会うまでは。
小学生の頃のことだ。
その公園に訪れたのは、気まぐれだった。
なんとなく、だといえばそうだし、運命といえば、それはそれで、らしかった。
大きな木の下で、寝ころんだ時だった。
空から、「なにか」が落ちてきた。
……ドスッ!
鈍い痛みと共に、俺の腹の上には、幼稚園ぐらいの、ちんまりとした少女が乗っていた。
少女は、いてて、とがさつに起き上がり、「わりい。いたかったか?」と舌ったらずにしゃべった。
少女は、美しかった。
愛らしいまん丸の瞳は、澄んだ無邪気な炎を思わせ、その未発達な手足は、血色がいいのだろう、ところどころ紅色に染まっていた。
「お前……」
言いかけて、口をかたく結んだ。
早く遠ざからないと、こいつも、きっと泣き出す。
立ち上がったそいつを避けるように、俺は後ろを向いて、立ち去ろうとした。
だが、少女はその背中の裾すそを掴んできた。
驚いて、思わずにらみつけた俺に、少女は言った。
「なあ、おれとあそぼーぜ」
少女らしくない言葉使いにも驚いたが、やつは、にかりと眩まぶしい笑顔で言った。
「あんこくかめんごっこ、しようぜ!!」
その時から、俺の運命の歯車は、静かに動き出した。
少女は、なにごとにも臆さなかった。
「チカ」という、可愛らしい自分の名前も、簡単に吐いたし、およそ、少女らしくない木登りや、危ない冒険を好んだ。
俺を怖がる様子もなく、むしろべたべたと、積極的に触れてきた。
その、あたたかい手で触れられるたび、なぜかドキドキして、むずがゆくなった。
払いのけたこともあった。
だが、「腹でも痛いのか?」と、あっけらかんとして、気にするそぶりがなかった。
そんなチカは、一か月ほどたった後、突然姿を消した。
俺は途方にくれたが、チカと過ごした時間を思えば、それは贅沢な失望かもしれなかった。
小学生高学年に上がったころ、俺の運命は、さらなるフェイズを告げた。
そう、能力に目覚めたのだ。
俺は、自分の意図とは関係なく、友達や同級生を傷つけるようになっていった。
はじめは、紙で切ったような、切り傷ですんだ。
だが、それが、何針も縫うような深い傷や、手足を切られる重傷になってくれば、もうごまかすことはできなかった。
俺は孤立し、まだ中学生にもなっていないのに、異例の退学処分となった。
母親は泣き、父親は俺を部屋に閉じ込め、まるで猛獣かなにかのごとく、縄で縛りつけた。
それから先は、もう語りたくない。
結論から言えば、母親は、「あなたを産んでしまって、ごめんなさい」という手紙を残して死んだ。
父親は、俺を化け物をみるような憎悪の瞳で、施設に捨てた。
施設では、似たような境遇のやつらが腐るほどいた。
だが、俺は、もう誰とも関わり合いたくなかったし、いつしか、死にたい、としか思わなくなった。
いつか死ぬために、漫然と生きていた。
泣きたいほど辛い夜は、あの幸せだった時間を、母や父や、友達のことを思って、自分の体を傷つけた。
だが、あの無邪気な笑顔を、あたたかい掌の感触を思い出すと、決まって俺はむなしくなって、自傷をやめた。
自分でいい加減に手当したのがたたって、俺の体は痛々しい古傷だらけになったが、かまわなかった。
第3の運命が囁いたのは、それからさらに数年後、俺が中3になったころだった。
施設に、新入りが現れた。
その夜色の髪と、澄んだアーモンド型の瞳、そしてすらりと伸びた手足を目にした時、俺は、目を奪われた。
それは、あの時の少女、チカに違いなかった。
チカは、俺のことを覚えていないらしかったが、俺にはたびたび、話しかけてきた。
もっとも、チカは誰にでも、自分から挨拶をし、笑顔を振りまくやつだったので、それは、なんら特別なものではなかった。
チカの秘密を思い知った俺は、正直、落胆を隠せなかった。
だが、本当の秘密とは、そんなチャチなものではなかった。
決定的だったのは、チカと仲良くしていた、子どものひとりが死んだ時だった。
チカは、けっして泣かなかった。涙すらにじませなかった。
そして、翌日には、今まで通り、明るい笑顔を振りまいた。
その異常さに、チカと仲良くしていたやつらは、ひとり離れ、ふたり離れ、とうとう、ひとりもいなくなった。
施設のガキは、その間も、何人も死んだ。
チカは、誰が、何人死んでも、いつも通りだった。
そんなチカを、おぞましく思ったのだろう。
もう誰も、チカと仲良くするものは、いなかった。
それでもチカは、特に悲しむそぶりもなく、いつも通り、挨拶をし、笑いかけた。
――チカは、完全に壊れていた。
俺は、話しかけられれば答えるが、干渉はしなかった。
正直、過去のチカを知る俺ですら、今のチカは得体がしれなかった。
やがて、第一支部から、移籍してきたやつがいた。
双子坂遠馬。
二重人格者<ダブルフェイス>という異名を持つその少年は、もとは同じ第一支部の、施設の子どもであるチカと、親しかったらしかった。
チカを追ってやってきたのだ、ということは、すぐにわかった。
双子坂は、チカに対して、かなり自然にふるまった。
だが、チカ以外に対する、その酷薄な態度から察さっするに、チカを利用しようと、企んでいるようにしかみえなかった。
しかし、よく観察してみると、その関係は対等そのもので、どこか、秘密を共有する悪友……いや、「共犯者」を思わせた。
チカは、双子坂とつるみたがったし、誰が死んでも泣かないチカは、双子坂以外には無視されていた。
あの明るく無邪気な笑顔の裏で、どんな闇を飼っているのか、俺にもとうとう、理解することはできなかった。
俺は、双子坂を監視するついでに、チカと距離を置き、遠くからみつめていた。
だから、チカが脱走したあとも、すぐにみつけることができた。
やつは、同い年の女に目をつけ、はたからみたら異常なほど、心を砕くだいた。
その姿は、施設のやつらに振りまく、安いサービス精神とは、根本からまるで違う、「なにか」のようにみえた。
なにが、やつをそうさせるのか。あの女のどこに、執着するのか。
それが、運命という、視みえない糸で縛られたものであることは、容易にわかった。
わかりたくないが、わかってしまった。
チカは、あの女に、千夜に、恋をしている。
チカが再び姿をくらませたあと、双子坂が、その千夜をはめようとしていることもわかった。
そうはさせない、と意気込み、やつを止めようとして、散々、辛酸をなめたが、そんなことは、大した損失ではなかった。
それより、もっと怖いことがあった。
チカを、あの、危なっかしい輝きに満ちた一番星を、永遠に失うこと。
だから俺は、チカを殺そうと動いていた、リッパーに先回りして、激しい戦いを繰り広げた。
胸を刺さされたのは誤算だったが、後悔はなかった。
散々な人生だった。
だが、これでいいのだと、どこか投げやりな満足感を感じてもいた。
能力を得てからの俺は、誰からも避けられ、忌み嫌われ、怯えられ。
そんな俺に、チカだけは触れてくれた。
そのあたたかい掌で。
そんなチカのためなら、俺は死ねるのだと思った。
ずっと望んでいた、しかし機会がなかった、「死」という、優しくも無慈悲な女神のキスを、受け入れる覚悟はできていた。
その時現れた、そのたなびく夜色の髪と、澄んだ炎のような輝きを目にしたとき、俺は、待ち望んだ女神の降臨を思い知った。
俺を殺せ、という要求に、チカはためらうようなそぶりをみせた。
だが、チカは叶えた。
その、身勝手な最後のワガママを、チカは飲み込み、そして俺を抱きしめた。
ついでに告白などもしてみたが、当然、あっさりフられた。
落胆しなかったといえば、嘘になるが、まあ、そうだろうな、と納得することができた。
そして、死の女神は、俺を夜空へと連れていく。
だが、最後の最後に、俺は、「この世で一番の幸福」を手にいれたのだ。
チカの能力が、俺の魂に注そそぎ込まれ、霊体として、この世に生まれなおした俺は、溢れる気持ちのまま、微笑んだ。
チカなら。
こいつなら、きっと俺の死を糧にして、その願いをかなえることができるだろう。
俺を最大限に利用して、「本当の幸せ」とやらを、手にするだろう。
そう思うと、俺はとても清々(すがすが)しい気持ちで、チカの軍門に下ることができた。
今日から、俺は、チカと共に、生きていく。
とっくに死んでいる俺だが、それでも、死にながら、生きていく。
新しい気持ちで、まるで、チカの友人のように。
――相棒のように。あるいは、右腕のように。
それが、どんなに幸福なことか、きっとチカは、知らないだろう。
でも、それでいい。伝えるつもりはない。
ただ、その恩を、この魂のすべてを使って、返すだけだ。
やがて、燃え尽き、消滅するその日まで。
俺は、チカの瞳に宿る、光の炎でありつづける。
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“relief kiss &blaze eyes”
~リリーフ・キス・ブレイズ・アイズ~
「解放(救済)の口づけ」・「炎の瞳」
【注釈】
blaze<ブレイズ>には、他にも、(燃えるような色彩、閃光、強い輝き、地獄、たいまつ)(流れ星、あとをつけて〈道を〉示す)などの意味がある。
reliefリリーフ
「(苦痛・心配などの)除去,軽減」「ほっとすること、安心、安堵」
「気晴らし」「解放」「救済」
また、もうひとつの意味として、
「浮き彫り」「きわ立つこと,鮮明さ; (対照による)強調,強勢」
→「relief kiss」は、「鮮烈なキス」ともとれる。




