第14話 「最後の約束」~ラストエンゲージ・マイラブ~
「……千夜」
その優しい囁き声は、すんなりと、あたしの意識を呼び戻した。
「――千夜?」
ベッドのなかで、目を開け、からかうように、彼に微笑みかけた。
「……七織」
悪戯心で聞き返すと、機嫌を損ねたように、進藤は言い直した。
「……千夜でいいよ」
あたしは、目の前の、進藤の手を握った。
「進藤」
「――なんだ」
真面目な顔をして答える進藤に、あたしは少し微笑って、こう言った。
「……ありがとな。チカを助けてくれて」
「……当たり前だ。僕は医者だからな」
進藤は、憮然として、静かに答えた。
「……それでもだよ。進藤は本当は、あたし達の敵なんだろ。――双子坂から聞いた。進藤は、チカ達ガキを管理する、施設の大人のひとりだって。逃亡したチカの手がかりをつかむため、双子坂と手を組んで、あたしを気絶させ、薬で記憶を失わせ、人質にしたって」
「…………」
進藤は、否定はせず、押し黙った。
その面差しに、困ったような揺れを感じ取って、あたしは、握った進藤の手を、もう片方の手で、包み込んだ。
「……バカだな。許すっていったろ。あの時、進藤が、これまでの人生がどうとか言ってきた時点で、なんとなく、覚悟してたんだ」
進藤が語ったそれは、懺悔のようだったし、これまで進藤が犯してきた、罪の告白にも似ていたから。
あたしは、進藤の手を強く握り、こう続けた。
「進藤はもう、あたしを薬づけにしたりしない。最後に飲ませた薬だって、記憶を奪う効果のない、偽の薬だ。――それだけじゃない。チカとあたしを治療してくれたし、今もこうして、目を覚まさないチカを、かくまってくれてる」
「だからこそ、あたしは、そんな進藤にあらためて、頼みたいことがある」
肺に息を吸い込むと、進藤の瞳をまっすぐみつめ、こう言った。
「――進藤、頼む。……あたし達の味方になってくれ」
進藤は、黙ったまま、あたしのゆるぎない瞳を見返すと、ため息をついて、こう答えた。
「……それは、できない」
「……進藤」
「……君の頼みでも、それは不可能だ。君を始末しなかったことで、僕はすでに、施設の上層部に目をつけられている。これ以上の手助けはできない。僕にできるのはここまでだ」
「……千夜。僕は、今日、ここを発つ。君も、目覚めた水図くんと共に、ここから逃げるんだ」
「――進藤は」
「僕の心配はいらない。今から、支度をするんだ」
「……進藤!」
「……心配しなくても、水図くんは今日、目覚める。今、君のすべきことは、僕の心配じゃない。ここからは、君たちだけで、生き抜くんだ。――最初から、そうであったようにね」
「――そうじゃない! ――そうじゃないだろ、進藤!!お前に何かあったら、それは……」
「――千夜。僕の身に何が起ころうが、それは君のせいじゃない。僕が僕の意思で、選んだことだ。君には何の責任もなければ、関係もない」
「――でも……!」
「“七織”」
進藤は、言い直した。
「――胸を張れ。君のしたことは、誰に責められることでもない。君は君の筋を通した。その信念は、その正義は、おそらく、正しい。少なくとも、僕達、穢れきった大人より、ずっとね」
「しん……」
言葉にならずに、あたしはすがるように、進藤の白衣の裾を掴んだ。
「……さよならだ。今度会うときは、僕は墓の中だろう。――でも、もしもう一度会えたなら……」
その先は、よく覚えていない。
覚えているのは、進藤が、あたしの手を、確かに振り払ったこと。
意識を急速に失いつつある、あたしの額に、そっと、口づけたこと。
そして、一度も振り返ることなく、扉の向こうに消えたことだった。
それは、まるで、あの時の繰りかえしのようだった。
違ったのは、もうあたしは、進藤の背を追えなかったこと。
進藤は、一度した失敗を、二度も繰り返さなかった。
あたしを守るために、進藤はその期待を裏切ってまで、再び薬を盛ったんだ。
それはもう、偽薬でもなんでもなかった。
正真正銘、本物の、催眠薬さいみんやく……。
意識を失う直前、目じりに、生暖かい液体が浮かんで、頬を滑っていった。
あたしの願いとは裏腹に、進藤は帰らなかった。
――もう、二度と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“Last Engage My Love.”
「最後の約束だ、愛する君よ」




