第11話 「優しい痛み」 ~ジェントル・ペイン・ハーティングハート~
「“雷門”……?」
『やっと思い出したか。――久しぶりだな、千夜』
「……ッ」
再びガンガンと鳴り出す痛みに、頭を押さえた。
『……まだ痛むか。進藤のヤローに薬づけにさせられた時は、はらわたが煮えくり返ったが、どうやら新しい薬は、記憶を失わせる効果のない偽薬<プラシーボ>のようだな。ゆっくりとだが記憶がもとに戻りはじめているのが、その証拠だ』
「なんだって……?」
『死人に口なしとはいうが、チカのおかげで俺はしゃべれるし、耳もある。隠密に動くのに、これ以上のアドバンテージはねえ。今の俺に隠し事なんて不可能だ。――それより、時間がない。今から、双子坂と接触する』
「双子坂……ッ? ――でも」
割れるような頭痛に耐え、引きずり出した記憶の断片によれば、あたしが記憶を失ったのは、双子坂の謎の攻撃によって、血を吐いて倒れてからだ。
(本当にヤツを信じていいのか……?)
不満げな様子が伝わったのか、雷門は重ねるように言った。
『双子坂は、チカのダチだ。あいつは利用価値のある人間を、簡単に死なせたりしねえ。――信用はできないが、今はヤツの力を借りるしかない』
「――っ……!」
正直迷ったが、ぐったりと意識を失ったチカをみると、もういてもたってもいられなかった。
「雷門。お前に任せる。――あたしは何をすればいい」
『了解だ。――まずは……』
雷門の指示はこうだった。
病院内のすべての通信機器は、生物以外のすべてのモノを、刃物へと変えるリッパーの能力、<チェンジリング・リバーエッジ>により、使い物にならない。
よって、双子坂を呼ぶ方法はひとつ。
幽霊である自分が直接呼びに行く。
近くに、それらしき波動があるため、今すぐ向かうが、この病院には施設の者の息がかかっている。
何が起こるかわからないうえ、あたしには能力がない。
チカの躰を庭の茂みに隠し、後は俺に任せ病院を出ろ、と。
あたしも残る、という息巻いた主張は、
『なんのためにチカが身をていして、てめえを助けたと思ってる。てめえになにかあったら、チカのやつはただのピエロだ』と言う正論に、見事にぶち壊された。
悔しいが、大人しく引き下がるしかない。
しぶしぶ指示に従い、チカの躰を、茂みの奥まったところに横たえたものの、出口寸前まで来たところで引き返し、敷地内の研究棟へと向かった。
あの時のことを思い出すだけで、吐き気と震えが止まらない。
ひとつ間違えれば、あたしも臓腑をぶちまけ、物言わぬ死体となっていただろう。
チカを大怪我させた負い目もある。
ナイフがささったままの脇腹からは出血が止まらず、へたしたら、命にかかわる酷い傷だった。
それでもチカは恨みごとのひとつも言わず、むしろあたしを気遣ってくれた。
罪悪感と悔しさで、今も涙をこらえるのに必死だ。
それなのに、あたしは、今、雷門との約束を破り、チカを茂みに置き去りにして、自分の命まで粗末にしている。
それでも、ただ、進藤の安否が心配だった。
薬漬け、とか偽薬、とか散々聞いたが、どうしても信じられなかった。
進藤が無事かどうか確認し、真実を自分の目で確かめる。
それしかないと、決意していた。
進藤は、医者であると同時に、科学者でもあるという。
もし、まだ生存しているとしたら、大量虐殺の場となった病院内ではなく、隣接した研究施設の方にいるはずだ。
あたしは、周囲を伺いながら、そこへ向かっていた。
――右よし、左よし。
茂みを抜けて、すばやく、非常口へと足を進めた。
ゆっくりとドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
一瞬、安心したが、すぐに罠かもしれない、と思い直し、なるべく音をたてずに開く。
……ぎい。
外からみたとおり、明かりはない。
ぞくりと背筋を泡立てながら、あたしは忍び込み、そっと扉をしめた。
血が止まったばかりの右手の、ひりつくような痛みを感じながら、足音の目立つスリッパを脱ぎ捨て、ひたひた、と裸足のまま歩いた。
階段をのぼり、二階へとたどり着いた時だった。
わずかな明かりがもれている。――それも、たった一部屋だけ。
ゆっくりと足を進め、わずかに空いた扉の隙間から、中をうかがった。
(……進藤!)
後ろ姿だけだが、あの白衣と体格は、あたしのよく知る進藤に違いなかった。
(――よかった、生きてたんだな……!)
ドアに手をかけようとして、様子がおかしいことに気づいた。
何か、誰かと話している。
――その相手は……。
(……っ?!)
――チカを追っていた、ガスマスクの男達だ!
思わず後ずさると、何かに蹴躓いた。
――ズダッ!
勢いよく尻餅をつき、青ざめるが、もう遅い。
「――誰だ!」
ガスマスク男の声に、びくりと肩を揺らし、開かれた扉の先の進藤を、ただ見上げた。
進藤は無言だった。
こちらを見下ろす、黒ぶち眼鏡めがねの奥の瞳は、いつもの優しい色ではなく、無感情に細められていた。
「しん…… 」
進藤、と呼ぼうとしたが、その声は遮られた。
「――進藤教授、それは例の被験体では?」
ガスマスクの一人が、進藤の背に向かって話しかけた。
「いや…… 人違いだ」
進藤は首を振ると、あたしの首を掴んだ。
「だが、余計なことを漏らされると困る。……そこの注射器を取ってくれ」
「――しかし、進藤教授……」
「構わない。後はわかるね? 君は席を外すんだ。……後は僕が処理する」
「はい……! おい、お前、席を外せ! 進藤教授のご命令だ!」
「はい…… !」「――はい!」
(……しゃべれない……!)
指で、喉の部分をぎりり、と締め付けられ、ぱくぱくと口を開いた。
(苦しい…… ! ――なんで、進藤――!!?)
絶望で頭が一杯になり、涙が浮かんだ。
ガスマスク達の足音が遠ざかり、ゆるんだ拘束に、ゲホゲホと咳をした。
「何故、こんなところに来た」
進藤は恐い顔をして言った。
「……しんどう、が……っ、しんぱい……っっ…… 」
喉を抑え、しゃくりあげるように言うと、容赦ない怒号が降り注いだ。
「――君は馬鹿か!! 大人しく病室にいれば、そんな怪我をしなくて済んだんだぞ!!」
進藤は荒々しくあたしの手を取ると、乱暴に消毒液をかけ、きつく包帯を巻いた。
今までになく、怒りをあらわにする進藤に、ぽつりと語りかけた。
「……進藤……進藤も、あたしが心配だったのか……?」
「…………」
進藤は答えず、眉を上げた。
「進藤、あたし、今日たくさん進藤のことを聞いた。皆すっげえ悪く言ってて、驚いたし、ムカついた。……でも進藤は、やっぱり、進藤なんだな」
不安になったことはあえて告げず、確かめるように、進藤を見上げた。
「……君の思う“進藤”は、僕じゃない」
進藤は冷たく告げると、俯き、あたしをぎゅっと抱きしめた。
「……でも、……」
進藤の声は、ひどくかすれていた。
――それでも、あたしの耳には届いた。
“……君が無事で、よかった――”
進藤の背に手を回し、しっかりと抱きしめかえした。
あたしより、進藤の方が泣いているみたいで、声に出さずに思った。
(ああ……、進藤は“大人”じゃない。進藤は、進藤だ)
そして、いつまでも抱擁をやめない、進藤をあやすように、その頭をなでた。
進藤は、それには何も言わず、ぽつり、とつぶやいた。
「――七織、君は、僕の話を信じるか」
「……うん」
こくりと頷いた。
「あたしは、進藤を信じたいと思ったあたしを、信じる。だから、進藤が自分のことを、どんな嘘つきだって、ひどいヤツだって思っていても、関係ない。あたしは、進藤の味方でいてやるよ。……仕方ないから」
進藤は、ようやく抱擁を解くと、安堵の溜め息をついた。
「……仕方ないのか」
進藤は眉を下げ、苦笑した。
そのあと、確認するように、真っ直ぐに、こちらの瞳をのぞきこむ進藤に、こう言った。
「――そうだよ。だから進藤も、進藤を信じろよ。そして、もう嘘はつくなよ。――進藤が傷つく」
「……君じゃなくて?」
「……あたしより、進藤が、だっつの」
口をとがらせ、主張すると、進藤は目を細めた。
「――君は優しいな…… 」
進藤だって優しい、と言おうとしたが、安心したようにあたしの右手を包み、目をつむった進藤をみたら、なんだか言う気も失せて、むずがゆくなった。
――やがて進藤は、顔をあげ、重たい唇を開いた――。




