第10話 「憎しみの牢獄」 ~ヘイトレッド・プリズンブレイク~
「――教えてやるよ。こいつがなんで、施設の奴等にご贔屓されているか。そして、なんでおれが、こいつを殺したくて殺したくて殺したくて、仕方無いか」
「千夜…… !」
チカが、倒れこんだ体を起こそうとした気配がしたが、あたしは、構わず言った。
「――教えてくれ。……それを聞いたら、あたしは大人しくお前に従う」
「――ふぅん、話がわかる女はいいね。じゃあ、教えちゃおうかなァ。話は5年前、まだこいつがマトモな暮らしを送っていた頃だ――」
おれは生まれてこのかた、親を知らなかった。
施設……と言っても、今のイカれた施設じゃねぇ、ごく普通の孤児院にいた。
クソなのは変わらねぇけど、ここに比べればまだマシなところだった。
おれを生んだアバズレと、おれを作ったロクデナシが、今どうしているかなんて興味なかった。
ただひたすら、地獄に落ちろ、としか思ってなかった。
こいつが顔を表したのは、おれが中1の頃だった。
孤児院の狭い箱庭で、かったるい草むしりを言いつけられて、どうサボってやろうかと考えていた時だった。
すたん、と塀から飛び降りてきたヤツがいた。
それは、小学校低学年くらいの見知らぬガキだった。
「あんこくかめんさま、さんじょう!」
そんなことをいいながら、棒を振り回してきたから、適当に相手をしてやった。
そうしたら、何を勘違いしたか、明日も来た。明後日もきた。明明後日も……、いや毎日だ。
ウザいから居留守を使ったら、おれの部屋まで忍び込んできた。
ある日、こいつは孤児院のスタッフにみつかった。
何を血迷ったか、とっさに逃がしてやろうと思った、おれが目にしたのは、孤児院のスタッフの微笑みだった。
「あらあら千夏ちゃん、パパは?」
「くっくっくっ…… 地獄の帝王は留守だ! 代わりにこのわれが遊びに来てやった!」
「千夏ちゃん、ダメよ勝手に入ったら」
決しておれには向けられない、本物の笑顔を、やつは独り占めしていた。
そう、話はカンタンだ。千夏は、この孤児院の創設者の、実の子だったというワケだ。
だが、やつに向けられた笑顔は、そんなことは関係なく、愛情あふれるそれだった。
その時おれにわいた感情は、これまで抱いたどれよりも、暗く、ねばついた怒りだった。
次第しだいにおれは、行き場のない感情に追い詰められていった。
千夏の笑顔も、孤児院の女どもの笑顔も、かごめかごめをするように、ぐるぐるとおれを取り囲み、寝ても覚めても、覚めても寝ても、脅そうとする。
おれは狂っていった。
調理室の果物ナイフを盗んだ時には、もう、今自分がしていることが、夢か現実かすら、判別はんべつがつかなくなっていた。
おれが向かったのは、スタッフルームだった。
仮眠していた女に狙いをつけると、勢いよくそれを降り下ろした。
ぶしゅ、という音は一瞬だった。赤い花が咲くように、鮮血が飛び散り、おれは笑った。
――それからのことは、もうわかるな?
警察、家庭裁判所、堕ちていったおれが最後に行き着いたのは、問題のあるガキをまとめて管理し、私欲のままむさぼる豚どもの施設だった。
そこにきて、まず、おれがされたのは、首にドッグタグをつけられ、鎮静剤と混ぜられた、化け物の血を注射されることだった。
「化け物……?」
そう、<鵺>の血だ。<影縫い>とも、<影鵺>とも、呼ばれている、得体のしれない化け物。
おれはそのことを、<ダブルフェイス>……、情報屋の双子坂から知った。
やつもまた、施設の豚どもに脳をいじくられ、管理される側のガキだったがな。
だが、すべてを知ったその頃には、もう手遅れだった。
鵺の血を接種して、しばらくたてば、完治は不可。
宿主の心の闇を喰らい、成長するソレに、おれは心身ともに蝕まれていった。
あのクソ医者の手によって、大量の鎮静剤を打たれてもなお、おれは、殺したくて殺したくて仕方がなかった。
……誰をだって? ――千夏をだ!
あいつの父親が、あの孤児院を作らなければ。
あいつがおれの前に現れなければ。おれは、よくある、クソな人生を送るだけで済んだ!
こいつさえ、いなければ!! おれは化け物になんて、ならずに済んだんだ!!
……だから、殺してやったんだよ。
まずは、こいつに媚をうった、孤児院の女どもから。
――そして、こいつの親も殺してやった!!
こいつが、施設に入るはめになったのも、おれのおかげってわけだ。
ああそうだ、こいつが霊をみたがるのは、死んだ親の顔がみたいからだよ。
――だから、鵺はこいつを選んだ!!
ヨソのユーレイはみえても、自分の親だけはみえないのは、鵺からのゼイタクな<祝い>ってワケだ!!
可愛そうに、チカちゃんは、霊がみえるし操れる。
使えないガキは、殺してユーレイに! 鵺の血に適合できなくて死んだ、哀れなガキも、ユーレイに!
そしてこいつの能力、<ゴーストプリズナー>で操って強化すれば、施設のやつらの計画も、トントン拍子に進むってワケだ!!!
「――どうだ千夜ァ。楽しい話だったろォ? さて、話は済んだことだし、おとなしく……」
「……――ああそうかよ……っ!!」
ン? と首をかしげる切崎に対し、俯きながら、あたしは叫んだ。
「……聞いたな、チカ!! もう手加減なんてすんなよ!! ――こいつの腐った脳ミソ、叩きなおしてやれ!!」
「……な……っっ」
リッパーが、驚いたように目玉をむいた。
――その周囲で回転するのは、九本のナイフ!!
「まさか……おれが話している間に……!!」
リッパーを取り囲む、渦をまくような風は竜巻となり、風に乗ったナイフの回転は、どんどん増してゆく!
「――今更気づいたかよ――アホが!!」
あたしは、傷ついた右手をかざし、もう一度叫んだ。
「……チカ!! 雷門だか、お前の親だか知らねえけど、こいつはクソだ! たくさんのヤツを殺しておいて、なんの反省もしねえ! ――今こそ、わからせてやれ!! “人のせいにしてんじゃねーよ” ――ってな!!」
「…………っっ!!」
チカは歯を食いしばり、目を見開いた。
――ゴウッ……!!
風が一気に雪崩れ込み、夜の病院にリッパーのつんざくような悲鳴が、木霊した――。
「……よかったのかよ、とどめささなくて」
あたしは、チカに肩を貸しながら、病院の庭を歩んでいた。
「……いいんだ。バカは死んでも治らねえ。それにオレの仕事は、世直しじゃねえ。色々思う所はあるが、憎しみじゃ、何も救えねえからな」
どこか、ふてくされたように言うチカに対し、あたしは、怒ってるか? と聞いた。
「……別に。ただ、もうあんな、危ない賭けはすんなよ。血はドバドバでるし、お前はむちゃくちゃやるし、死ぬかと思った」
「……死ぬなよ」
明るく言ったつもりが、あたしの声は震えていた。
「そんな泣きそうな顔すんなよ。死なないっつの」
チカは、あたしの頭を、ぽんぽんしようとして、いて、と顔をしかめた。
「――早く進藤をみつけないと」
あたしはそう言って、足を速めようとしたが、がくん、と腕を引っ張られた。
「……“進藤”?」
顔をくもらせるチカに、あたしは首をかしげて言った。
「あたしの主治医の進藤は、今は内科だけど、前は外科も担当してたって言ってた。進藤をみつければ、きっと治してくれる」
「いや……そんなはずは……“進藤”――?」
ぶつぶつ考え込むチカに、あたしは、どうしたんだ、と声をかけようとした。
その時だった。
「「――みつけたぞ!!」」
懐中電灯の光に、あたしは手をあげた。
「チカ! 助けが現れ……」
ぐん、と手をひかれ、つんのめりそうになった。
「ちょ……――うわっっ……!」
――チカが走り出した!
ものすごい風を背に受け、さながら、ロケットのように駆け抜けるチカに、あたしは裏門まで、一気に引きずられた。
「ち……チカ……、そんな体力どこに……――チカ?」
みると、チカは、ぐったりと身体を倒し、青ざめていた。
「チカ……おい!! 大丈夫か、チカ!!」
「――“雷門”……後は任せた……」
『――おう』
見知らぬ声に驚いた、次の瞬間、あたしは目を疑った。
ぼうっと光る金色の光が、チカから抜け出すように現れ、目の前で、人のカタチになった!
ワックスでツンツンと固められた、毛先だけ黒色の金髪。鍛えられた腕。
獰猛な獣を思わせる瞳が、灰がかった金色に輝いていた。
「――“雷門”……?」
『やっと思い出したか。――久しぶりだな、千夜』




