-Ⅰ.“暗黒微笑”-<Sugar Dark>
「運命だったから」とあいつは言った。「お前を死なせたくないんだ」とも。
あの時のあたしには、その意味がわからなかった。なんかのマンガや、アニメの見過ぎだと笑った。
でも、あいつには、きっと、わかっていたんだ。あたしはお前を死なせ、お前はあたしを死なせる。
――シナリオはいつもこうだ。
お前はすべて覚えていて、あたしは全部を忘れている。あたしはお前を裏切り、お前もあたしを裏切る。
だからあたしは、あの日、世界の終わりに誓った。
お前を、もう二度と死なせない。もうあたしは、お前を裏切らない。あたしはきっと、そのために、99回くたばった。
……そして、これが、最後の一回になるだろう。
——チカ。あたしは、そんなお前を、救いたい。
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あたしの住む町には、うるさいババアのいる駄菓子屋があった。
その駄菓子屋は子どもが5人入れば、それだけで暑苦しく感じるほど、狭苦しく、なにかのアニメのシールがベタベタと張られていて、貧乏くさかった。
うめえ棒とか、アンズバーとか、定番もある。あるのだが……。
正面のかぴかぴした赤いマットの上にでかでかと鎮座されている、おそらくメインであろう駄菓子とおもちゃのチョイスが、もうどうしようもない。
だって、「暗黒仮面チョコ(闇鍋味)」だぞ?
からの、「暗黒魔王★串刺しバスタードソード」(ただしプラスチック製)だぞ?
とにかく前衛的で、終始意味不明だった。
さらに、店内の中央に、でかでかと置かれている冷凍庫には、なぜか一年中チョコミントしかなく、地元のガキはしきりに文句を言っていた。
「あのしわくちゃババア、ろくなモンおかねぇ」
「ババア、バリバリ君もおけよ。ババア、ソフトクリームはねえのかよ」
ババア(あたしもそう呼んでいた)は決まってこう返した。
「うるさいガキだねぇ!! 乳くさいガキは、チョコミント食って、さっさと去りな!!」
それでも、どういうわけか、あたりにスーパーやコンビニが増えても、駄菓子屋にはガキが絶えなかった。そして実は、あたしもそのひとりだった。
たぶんだけど、みんなそうだった。そいつらも、どいつらも。親に叱られない優等生も、教師が手を焼くクソガキも。クソうるせぇ、しわくちゃババアが、好きで好きで、仕方がなくて。
そう、嘘もお世辞も言わないババアに叱られたい、バカが集う場所。そこが、ババアのいる家<ホーム>だった。
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~日の丸町のガキどもの伝説~
~~クソババアんとこのチョコミントは、あたりつき。あたりをひいたヤツは勇者。――だが、いまだ誰も、あたりを引いたヤツはいない……~~
「……またハズレ。あんのババア、今度シメる」
あたしはそんな悪態をつきながら、アイスの棒を放り投げた。
ろくな遊具もない、緑も花もしょぼくれているこの公園は、いつも人がいない。
だからあたしは、一人になりたい時、いつもここに来る。
先には鉄網のさびたゴミ箱。弧を描いて、一直線、棒は落ちた。……ただし、ゴミ箱の外に。
「チッ……」
あたしは、ふてくされながら拾った。いや、拾おうとした。
その時、視界いっぱいに、影が差した。
……思わず見上げた。
ゴミ箱の近くに無駄にある、縦長の丸太の上、少年が……いや少女が、立っていた。
――彼女は言った。
「――暗黒仮面参上。」
「――は?」
思わず、聞き返した。
「……クックックッ……<暗黒微笑>」
彼女は、ポーズを決めて、そう言った。
確かに、そう言った。たぶん、そう言った。
……きっと、そう言った。
「いや……は?」
あたしは、愕然と口を開けた。
マンガで言ったら、顎がかっくん、と、地面についていた。そのくらいの衝撃だった。
それが、あたしとチカの、少し残念どころか、だいぶアレな出会いだった。
――ちなみに。
ヤツは口に、タバコのようなものをくわえていた。遠くからみれば、そう思ったろう。それくらいタバコっぽい雰囲気だった。
いや、ぶっちゃけ、もったいぶるのは、もうやめる。
そいつが、さっそうとくわえていたのは、アタリの棒だった。
「伝説の、チョコミントの棒」だった……。
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「……とりあえず聞くけど」
痛むこめかみを押さえて、あたしはいちおう聞いた。
初夏。むしゃくしゃしていたあたしは、いつものチョコミントの棒を投げ捨てた。
そこに颯爽と現れたのは、自分を「暗黒仮面」とか言っちゃう、頭がやべー女子だった。
(……これ、小説になんじゃね?)
「なんだ……? 何でも聞くといい、暗黒を抱きし、輩よ……」
少女は、頭沸いてるとしか思えない謎のセリフを、キメ顔で言った。
「いや、勝手に仲間にすんなし。って言うか、あんた同い年ぐらいだよな? 恥ずかしくないのかよ。中学生にもなって」
今、目の前にいるのは、明らかに普通の女子だった。
ちょっと背は高くて、スタイルはいい気がするが、丸太の上に立ってポーズをとるという、痛々しいガキっぽさや、おかしなしゃべり方といい、どうみても同じ年くらいのただの痛い女子だ。
――よくわからない仮面をかぶっていることを除けば。
……そう。ヤツは謎の仮面をかぶっていた。
三歳児が描いたような、前衛的でアーティスティックな、なんか目っぽい赤いぐるぐると裂けたニヒルな口もとの、意味不明なほどまがまがしいヒーロー(いや怪人……?)の仮面を。
「……ふっ……中学二年……。それは、我らに宿りし、混沌<カオス>が目覚める時……」
「いや、意味わかんねーから。そのしゃべり方なんだよ。なんかのアニメかよ」
これで確定した。こいつ、中二病だ。
主に中学生ぐらいの男女がかかる、自分を、マンガやアニメとかのヒーローかなんかと勘違いして、痛々しい言動をとっちゃうやつ。
「ずいぶん食いつくな、小娘よ……そんなに羨ましいか」
「ハァ?! 頭イカレてんじゃねーの。ちょっと病院行ったほうがいいよ。なんなら"施設"行く?」
「――図星のようだな。貴様は窮屈な日常から抜け出たいのだろう? 我が手助けしてやる」
なにいってんの、こいつ……。
とちょっと引いていると、ヤツは丸太から飛び降り、スタスタとよってきた。
「……ち……近寄んじゃねーよ。きめー! こっちくんな!!」
リアルに後ずさると、ヤツはぴたりと止まり、仮面を外した。
――驚いた。変なことばかり言うから、きっと不細工な、キモイヤツなんだと思っていた。
……大間違いだった。ヤツはキレイだった。控えめにいっても、かなりの美少女だった。
しゅっと長い手足に、胸の下まであるつややかな黒髪。
胸は……見たところほぼまな板だが、とにかくすらっとしていて、無駄な肉がまるで見当たらない。スレンダーというか、まごうことなきモデル体型だった。
それだけじゃない。これまで見たどのモデルよりも凛々しくて、かっけえ顔をしている。すっと高い鼻。立体的な頬。小顔すぎる。斜め上に上がる整った眉。
いや、そんなのは、どうでもいい。「あれ」はなんだ。
――それは、「炎」だった。
激しく、それでいて穏やかに燃えさかる、とてつもなく美しい、澄みきった炎。
咲き誇る大輪の炎の花。いっそ邪悪なほど心を奪う、聖なる焔。それをその身に宿した、少しツリ目のアーモンド型の黒い瞳。
どくん、と心臓が暴れだして、ぎゅっ、と自分の胸元をつかんだ。全身に鳥肌が立って、いてもいられなくなって。ぎゅっと目をつぶって、何度も瞬きをした。
「こんなもの」がこの世に存在するなんて、信じられなかった。
その輝きは、それぐらい奇跡的で、超然としていて、まばゆく、この瞳を奪った。
……心ごと? いや、魂ごと。それも、たったの一瞬で。
気が付くと、時間を忘れ、見惚れていた。おかしな仮面を外す前とは、まったくの別人。それぐらいヤツは……そいつは美しかった。
「……オレはチカ。炎に誓うと書いて誓炎。——お前、オレのダチになれ」
――そして、あたしの夏がはじまる。
夏に誓った、真昼の刺客、チカこと水図千夏と、ろくでもないあたし……七織千夜の、物語が。ゆっくりと……扉を開けた。
――そこに、「どんな運命」が待ち受けているかも知らずに……。
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神様なんて、信じていなかった。運命なんて、ばかばかしかった。
だから、あたしは反逆する。
――さあ、<裏切りの運命>を、裏切れ。