第9話 「殺戮者」 ~デストロイ・ヒステリック・マーダー~
「ヒーロー見参。<マッド・リッパー>……。――今すぐ千夜から離れないと、どうなるかわかるよな?」
長い黒髪をたなびかせ、机の上に立っていたのはチカだった。
ナースセンターをぶち壊さんばかりに、チカを中心に、ごうごう、と唸る風。
書類の束が、その周りで、びゅうびゅう、と音をたて、踊っていた。
その表情は、思ったより落ち着いていたが、切崎を見つめたまま微動だにしないその瞳は、なんの冗談か禍々(まがまが)しいほど赤く光っており、あたしは切崎に追い詰つめられた恰好のまま、ただひたすら戸惑うしかなかった。
「はァ~~? マジうざいんですけど。このタイミングで現れるとか、いちいち計算してるわけ? しかも“ひぃろぉ”とか意味わかんねーし?」
切崎はあたしから手をどけると、チカを侮辱するように、両手を広げた。
「――千夜、無事か?」
「あ、ああ……」
切崎を見事にスルーし、真顔で手をさしのべてきたチカに少しうろたえながら、その手をとった。
「――何、無視してくれちゃってんの?」
切崎は、唇を歪ませ、イラついたようにあたしとチカの進路を断った。
壁際に追い詰められたあたしの体を、チカは庇うようにぎゅっ、と抱き締めた。
「つーか、その能力なんだよ。戦闘力ゼロのあんたに、そんなの使えるはずないだろ」
リッパーはもうあたしには目もくれず、だん、と乱雑に壁に手をつき、追い詰めたチカを見下ろすように、そう言った。
「……これは、雷門の能力だ。雷門を刺し、致命傷を負わせたやつがいる。――それはお前だな、リッパー」
切崎……いや、リッパーの瞳を真下から見据みすえ、静かに答えたチカには怯んだ様子はなかったが、抱き締められたあたしにはその震えがはっきりとわかった。
抑えた声で、平然と答えながら震えるチカの真意はわからなかったけれど、それは恐怖からではなく、隠しきれない激しい怒りをあらわしているようだった。
「……はぁん、霊体憑依<ゴースト・ペアリング>か……。――そうだって言ったらどぉするわけ、チカちゃァん?」
挑発するようにナイフをチラつかせるリッパーに、チカはあたしを抱き締める腕に、力を込めた。
今度こそ混乱した。
(雷門の能力? ゴーストなんとか? さっきから、こいつらは、何を言ってるんだ?)
そうだ、それに、この荒れ狂う風は、いったいどこからきたのだろうか。
――リッパーの名刺が突然、凶器に変わった理由は?
「だとしたら、だって? ……答えは決まってる。――この名にかけて、オレがお前を始末する。……違うか、“リョウ”」
チカの声色が変わったのが、あたしにもわかった。
“リョウ”。
はじめて名を呼んだチカに、リッパ-は愉悦するように、顔を歪めた。
「ひゃは。わかってんじゃねえか、“千夏”。やっぱりお前は、こうでねえとなあ……!」
喉を鳴らして、笑い続けるリッパーを前に、チカは立ち上がった。
「リョウ。墓場に埋まる覚悟はついたか」
「千夏こそ、おれに殺される覚悟は?」
あたしは、頬が、ぴり、と切れるのを感じた。
風が、収束していく。同時にリッパーが、自分の髪を引きちぎった。
次の瞬間、リッパーの手に握られていたのは、10本のナイフだった。チカは、何事か呟くと、そのナイフを手繰り寄せるかのように、手を引いた。
あたし達に向かって、降り注ぐナイフ。恐怖に目をつぶったあたしは、がちぃん、と言う異質な音に、思わず目を開き直した。
肩で息をするチカ。リッパーの回りには、9本のナイフが散らばっていた。
あと1本は……?
嫌な予感に、とっさにあたしを庇うようにいまだ立ちふさがったままの、チカの体をまさぐった。
ぐっしょり、と濡れた感触が、手に触れたのはすぐだった。続いて、硬い感触。
あたしは、震えた。チカの腹に、深々とナイフが刺さっている!!
「……チカ、お前……!」
「……大丈夫だ」
静かに溢れ出してくる血にあたしは青ざめたが、当のチカはこちらをみようともせず、あたしの言葉を遮った。
「……それよりリッパー。オレにナイフを向けるのはいい。だが、千夜を狙うのは許さない。――お前の相手は誰だ?」
「ひゃは。なンのことかなァ~?」
「――とぼけるな。最後の1本、オレが弾かなかったら、千夜の胸に刺さっていた。……それぐらいのことが、このオレにわからないとでも?」
「――うひゃ。やっぱ千夏はすげぇなあ。さすが、施設の豚どものお気に入りだけある」
「軽口を叩いてる暇があったら……っっ、」
言いかけて、チカはぐらり、とよろめいた。
「チカ……っ」
あたしは、その体を支えて、リッパーを睨み付けた。
「――お? 何その目? お前に何ができるわけ? ガタガタ震えてるだけの仔猫ちゃんは、黙って守られてればいいんだよォ」
リッパーの口許は笑っていたが、そのぎょろりとした目はちっとも笑っていなかった。
ぞくり、と怖気を感じながらも、あたしはその瞳から目を離さなかった。
「チカ、じっとしていてくれ」
「ちや……?」
傷口を押さえながら、荒い息で膝をつくチカを背に、いまだ出血の収まらない右手を握る。
「切崎。――あんたは、チカを知っているんだな。……あたしの知らないチカを」
「そうだけど?」
リッパーは、歪んだ笑みを浮かべ、答える。
「あんた達の間に何があったのか知らない。あたしは、たぶん、部外者だ。……でも、どうか教えてくれ。――なんでお前は、チカを殺したいんだ」
「ふぅん、命乞いじゃないんだァ? まァ、どうしてもって言うなら、仕方ないよねェ」
リッパーはチカに視線を送り、ニタリと笑った。
「――教えてやるよ。こいつがなんで、施設の奴等にご贔屓されているか。そして、なんでおれが、こいつを殺したくて殺したくて殺したくて、仕方ないか」




