第12話 -誓願の接吻- ~サクリファイス・デビルズ・キス~
ブラックホールに、遠馬が吸い込まれた。
気づいた時には、あたしもそこに、飛び込んでいた。
遠馬、遠馬……遠馬!!
ぺちぺち、と頬を叩くが、反応がない。
あたしは、意を決して、身代わり<サクリファイス>を行った。
双子坂の唇をふさぎ、その悪い気を根こそぎ、吸い取る。
くらり、とめまいがするが、だいじょうぶだ。
――こんなのは、慣れているから。
「ナズナ……?」
遠馬が、薄眼を開ける。
あたしはほっとして、その頭を抱いた。
「よかった……とおま……」
遠馬は、瞬きをしていたが、やがて、あたしを抱きしめかえした。
「ここは……?」
「恐らく、魔女の結界内だろう。嫌な気が充満してる。
巫女であるあたしでなければ、息をするのもつらい空間だ」
「どうりで、息が苦しいと思ったよ。
いわば、酸欠に近い状態か。――だったら」
遠馬は、強風で、その場を薙ぎ払った。
「僕の風の能力は使えるようだね。
これで、空気は入れ替えることができた。
気やすめだけど、しないよりかはいいだろう」
「ありがとな。じゃあ、脱出しないとな」
言って、あたりを見渡す。
一面、鏡張りの空間だ。
神秘的というより、むしろ、不気味だ。
……いまにも、鏡のなかから、なにか出てきそうな。
「そなたら、ここに何用じゃ」
「わっっ!!」
あたしは、思わず間抜けな声をあげた。
鏡のなかから、美しい少女が、姿を現した。
腰まで届くさらさらの金髪は、結ってあり、
赤い襦袢を着ている。
可憐な猫のような瞳もまた、瞳孔が金貨色だった。
そして、可愛らしい獣の耳が、頭にぴょこんとついていた。
「だれかと思えば、双馬か」
けもみみ少女は、遠馬をみると顔をしかめ、近寄ってきた。
「うわ、うわわ……!!」
ツッコミを忘れ、あたしは後ずさった。
……ちゅっ。
少女は、遠馬の頬に口づけた。
「そなた、どの面を下げてまいった。
わらわは、そなたの顔なぞ、二度とみたくないと言わなんだか」
言うこととやることが、真逆である。
ツン、ととがらせた唇とは裏腹に、その頬は、薔薇色に上気していた。
「双馬? 人違いじゃないかな。
僕は双子坂遠馬という者だよ。――君は誰?」
遠馬も、戸惑っているようだったが、
いつものポーカーフェイスで、少し微笑みながら、砕けて言った。
「ふむ。今はそう言う名なのじゃな。まあいい。わらわについてこい」
少女は、質問には答えず、すたすたと歩いて行った。
少女が歩くたびに鏡がくるんと反転し、鏡張りの道が開けていく。
戸惑っていると、少女は憮然として繰り返した。
「はようこい」
「行く?」
遠馬は、意外にも、ついていく気のようだ。
こくり、とあたしはうなずいた。
「……なあ」
「……ん?」
あたしは、少女についていきながら、小声で言う。
「あいつ、雲英じゃないか?」
「きらって?」
遠馬は、首をかしげた。
やっぱり覚えていないのか、とあたしは、そっと溜息をついた。
雲英とは、平安時代、あたしの前世だった巫女姫、
夏無が、守り神である、
九尾の狐と契って、生まれた子だ。
雲英は、痴情のもつれで両親を殺めた双馬……、
遠馬の前世で、夏無の幼馴染の陰陽師を憎んでいた。
育て親であり、名付け親の双馬は、雲英を慈しんだ。
恋敵との子である雲英を、縊り殺してもよかったのに。
「そなたら、夫婦か」
唐突に、雲英がそう言った。
あたしは、驚きのあまり、飛び上がったが、
遠馬は、「違うよ。ただの友人だ」とクールに言い放った。
「嘘じゃな。その女、雌の顔をしておる。
それに、そなた達、同じにおいがする。まぐわったのだろう?」
「ずいぶん、下品な娘さんだね。あとその耳、触ってもいい?」
――いきなり、変な会話になった!!
「……たわけが。耳を噛みちぎられたくなかったら、
おとなしく、その娘の尻でも撫でているんだな」
ずいぶんな物言いである。
このひねくれっぷりは、まさに双馬似だ。
育て親に似る部分を、完璧に間違えている。
「ここが、最後の舞台じゃ」
意外とすぐに、その扉は現れた。
あっけにとられていると、雲英は振り向いた。
「双馬」
「僕は……」
「よい、聞け」
「…………」
「そなたを、ずっと憎んでいた。
かかさまとととさまは、そなたのせいで死した。殺められた。
でも、そなたは、いつの日も、わらわを護ってくれた。
最期の夜、そなたは言ったな。愛している、と。
夏無の娘だからではなく、わらわを、わらわだけを、愛していると。
わらわには、答えられなかった。
そなたを嫌って憎んで、ずさんに扱っていたわらわが、
今さら、その面を下げて、応えることができようか。
迷っているうちに、そなたは、こと切れた。
だから、わらわは、そなたの頬に口づけた。
それが、わらわに残された、たったひとつの解じゃった」
雲英は、泣きそうな顔で微笑った。
「なあ、双馬。そなたは、本当に、わらわを、愛していたのか?」
「僕は、その人じゃない。だから僕の想像を言うよ」
遠馬は、そう前置きして、言った。
「その人は、君をかばって死んだんだろ?
だったら、答えはひとつだ。
……愛していたよ。
僕は、君が、君だけが、欲しかった。
ほかには、なにもいらない。
ただふたりで、どこまでも、どこまでも、逃げよう。
逃げ続けよう。君が僕を愛してくれなくてもいい。
嫌ってくれていい。憎んでくれていい。
ただ、僕をみて。この手を、離さないで。
それだけで僕は、すべてを謀り、騙すことができるだろう」
(遠馬、お前、まさか……)
まるで、みてきたように言う。
――いや、まるで、その本人のようじゃないか。
「ねえ、雲英。
君のその名の意味を、知っている?
きらきら輝く、吉兆のしるし。
僕はね、君という存在に、賭けたんだ。
僕の犯した罪を、君が裁いてくれるその日まで、生きようと。
でも、それは果たせなかった。僕は君を置いて、死んでしまった。
君が僕の頬に口づけた時、僕の魂は、まだ僕のなかにあった。
もし、君が、僕を愛してくれていたとしたら、僕は、君を抱いただろう。
君の胎に、僕という存在を、刻み付けただろう。
雲英。君は、僕の宝だった。今も、そうだ。――だから」
遠馬は、そこまで言うと、雲英の華奢な躰を抱いた。
「君に、誓うよ。……僕は、この子を愛する。
自分の生涯をかけてね。
君が、未来の僕を愛するためだけに、
好きでもない、人間の男と契ったことも、知っている。
あの日、君は泣いていた。
今、こうして君を抱いていても、君は、泣いている。
なにか、できないかな。今の僕に、できることはない?」
抱きしめられた雲英は、今度こそ泣いた。泣きじゃくった。
「じゅうぶんだ。もう、じゅうぶんだ、双馬。
そなたは、わらわを、愛していると告げた。
それだけでいい。わらわは、これで、成仏できる」
雲英はそう言うと、遠馬を押しのけた。
遠馬は、そんな雲英の手を引き、その花のような唇に、口づけた。
「……ぁ」
雲英は抵抗するが、遠馬はそれを許さなかった。
より深く口づけると、抱きすくめ、そして、
おでこにこつん、と額を当てた。
「また逢おう。雲英。僕の愛しい妻」
「……ん」
雲英は、こくりとうなずくと、ゆっくりと、消えて行った。
「……遠馬。さっきの、この子を愛する、って……」
あたしは、真っ赤な顔で、遠馬の胸に顔を押し付けた。
「さあ、なんのことかな?」
「……まさか、嘘……っ!!」
「嘘じゃないよ。今はまだ、ね」
遠馬はアルカイックスマイルを浮かべると、あたしの手を繋いだ。
「じゃあ、行こうか。腐れ魔女が、僕らを待っている」
「……ふん」
これだから、遠馬は。
だがあたしは、なんだかとても満ちたりた気分になって、
その手を、握り返した。
夜はまだ、明けない。
それでも、ここには、遠馬がいる。
歩き続けよう。
この世の果てだって、お前となら。
輪廻は続く。
縁と縁を繋ぎながら、残酷な運命の台本<シナリオ>のままに。
でも、だいじょうぶだ。
あたし達は、そんなことで、絶望したりしない。
――裏切ろう。すべてを。
決められた定めなんて、関係ない。
あたしは、あたし達の道を行く。
並行する世界の果てで、収束していく世界の果てで、
あたし達はもがき、叫び、闘う。
黙示録の青馬が、お前に口づけるなら、
あたしは、その不幸を、この唇で、奪い取ろう。
悪魔の接吻の生贄。
<サクリファイス・デビルズ・キス>。
――あたしは、もう、ためらわない。
“Sacrifice” ~サクリファイス~
【不可算名詞】 [具体的には 【可算名詞】] 神にいけにえをささげること.
【可算名詞】 (ささげられた)いけにえ,ささげもの.
【不可算名詞】 [具体的には 【可算名詞】] 犠牲 〔of〕.
【可算名詞】 犠牲(的行為).
【可算名詞】 犠牲になったもの.
〔動詞(+to+(代)名詞)〕〔…に〕いけにえをささげる.
【語源】
ラテン語「神聖にする」の意
“Devils” ~デビルズ~
「悪魔,悪鬼,魔神 」(複数形)
(キリスト教では悪の権化または誘惑者とされる。
通例 割れたひづめ,角,尾を持つとされている)
「魔王、サタン」
「悪霊」
「極悪人,人非人」
「がむしゃらな人; …の鬼 〔for〕」.
《米口語》「〈人を〉悩ます,いじめる; 虐待する」
“Kiss” ~キス~
「口づけ、接吻」
“Sacrifice Devils Kiss”
~サクリファイス・デビルズ・キス~
「悪魔の口づけへ、生贄を捧げろ」
 




