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自己の同一性に関する覚書



夢を見るたび、僕はリセットされる。


だから、昨日の僕と今日の僕が本当に同じなのか、僕には自信がない。今日の僕が昨日の僕と言葉を交わす事は出来ない。だから、昨日の僕が残したものから推測する事しか出来ない。

好みが極端に変化したり、性格が大きく変化したり、と言った事は恐らくない。長いスパンで見れば変化している所もあるが、普通の人間もそういう事は起こり得るだろう。

人は全く変化せずにはいられない。何事も繰り返せば慣れるし、知る事は何らかの変化を導く。精神に変化がなかったとして、肉体は、周囲は、世界は不変とはいかない。生きている以上、老いていつかは死ぬし、時間は流れ続けている。何者も、不変ではいられない。


…何の話だったか。そう、僕と言う存在の同一性の話だ。

記憶が失われるわけではない。確かに、昨日の夕ご飯に何を食べた?と聞かれればすぐ返答する事は出来ないだろうし、そもそも僕は記憶力が悪い。けれど、例えば、キッチンに立てば此処一週間の献立位は思い出せるし、何かしらの呼び水さえあれば、過去の出来事を思い出す事は出来る。記憶に関しては、時間というラベルが付けられていないだけだ。

ならば、なぜ僕は己の同一性を信じられないのか。それは、僕が昨日の記憶を失うからだ。より正確には、昨日考えていた事を忘れるからだ。感情を、思考を伴わない記憶など、ただの記録だ。記憶の中の自分の言動から推測する事もできなくはない。だが、その正しい答えは失われ、二度と戻らない。昨日の僕が考えていた事を、今日の僕は覚えていない。

で、あるならば、僕は本当に昨日と今日で同一の存在と言えるのだろうか。一昨日の僕は?明日の僕は?明後日の僕は?本当に、同一の存在を保てているのだろうか。

或いは、もし昨日の僕と今日の僕が別だったとして、昨日の僕と明日の僕が同一である可能性も無くはない。或いは、一日を終えればその日の僕は消えて無くなってしまうのかもしれない。

本当はどうなのかは、僕にはわからない。僕以外にはわかりようがない。そもそも、僕がリセットされている事に周囲が気が付いているかわからない。昨日の僕が残した記録で、僕はある程度の同一性を装うようにしているから。だから、これは僕の中だけの話と言う事になるのだろう。


長々と書き綴られたこれを見つけた時、明日の僕は何を思うだろうか。それが少し気になる。夢を見る時間までもうあまり時間がない。今日の僕は書き記すべき事をこれ以外に思い付かなかった。必要だと思えば、昨日以前の僕の記録を見るしかないだろう。尤も、それは現在の僕の使える時間を浪費する行動とも言えるわけだが…。

今日の僕は己の同一性に強い興味を持ったが、明日以降の僕もそうであるとは限らない。僕が同一でない可能性があるというのはそういう事だ。同じものに同じ感想を持つとは限らない。僕はそれが恐ろしい。


ああ、そろそろ夢を見る時間だ。僕と言う存在を溶かす夢の時間が、やってくる。





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