竜崎、口説かれてます
コインロッカーはあっさり見つかった。竜崎は自販機の裏と言っていたが、正確に言えば自販機の左側、テニスコート入り口に縦横2×3サイズのものがちんまりと置かれてあった。鍵の番号は103。ロッカーの一番右下の番号のロッカーを開け、ミズノの白い鞄と百円玉を取り出す。中にあったのは、スポーツ用の小さな袋だ。
さて、見るなと言われたら見てしまいたくなるのが人間の心理。クラスナンバーワンと称される女子の、学生用鞄でないプライベートな持ち物を目にする機会などそう巡ってくるものじゃない。おそらくこれを逃すと竜崎の私物がぎっしり詰まったものを見る機会は永遠にないと言っても過言ではない。幸か不幸か、この位置からだと竜崎の姿を確認することはできない。周りを走る人も歩く人もいない。チャンスは今。
これぞまさにパンドラの箱。いいや、パンドラの袋。根本的に違うのは、パンドラの箱は封を解いて溢れるのは災いで、最後に希望が残る。しかしパンドラの袋は最初から希望が湧いて、最後まで希望が残るのだ。そう、美少女の私物という希望が。ある者にはまったく価値のない―――いや、あの竜崎の私物に価値のないものなどあるだろうか。はっきり言って、この僕の審議眼は一目見てすぐ竜崎は美少女であるという判定を下した。ファンクラブが結成される噂さえ立つのだ、そんな人の私物など、ある種の変態にとってはオークションで高値で落札された美術品よりも神秘的な価値があり、手にした秘宝は秘宝ならざる、しかし用途としてはこの上なく正しい扱いを受ける羽目になるだろう。この袋と、中身をまるごとファンクラブに持って行って競りにかけたらいくら儲けられるか―――いや! それほど貴重な品物をこの僕がそう簡単に手放すだろうか。そうだ、手放すものか。竜崎の私物を持っているという、ある種の、噂のファンクラブに対する優越感―――。
そうだ―――今、僕は女子の私物に興奮できる変態だ。
竜崎の私物を垣間見るという、変態に―――!
「……」
パンドラの箱は、開くと地上に災いが降りかかるという。
しかし竜崎の袋は、封を切ると変態を正気に戻す作用があるようだ。
あまりに何の変哲もない中身を見た僕は、三秒前までの思考とともにパンドラの箱をそっと閉じた。
「りゅ、竜崎さん! こここ、こんなところで、何をしているんですか?」
頼まれたブツをコインロッカーから引っ張り出して戻ってきてみれば、竜崎の横たわるベンチの前に三人の男がいた。学校指定のジャージを着ていたので、すぐに同じ学校の生徒とわかる。ウチの学校は学年別にジャージの色が違っているのだが、目の前にいる三人のうち一人は紺の、二人は黒のジャージを着ている。と、いうことは黒は一年生、紺は二年生か。
「あれは……」
そのうちの一人の顔に見覚えがある。黒ジャージの一年生の顔は知らないが、紺ジャージのほうは知った顔だ。
新藤慶二先輩。
先月の校内ミスコンの様子や竜崎ファンクラブの噂、マラソン大会の教師サボり説について教えてくれた気のいい先輩だ。一年生の頃から生徒会の副会長を務めているせいか、学校一顔の広い二年生として名が知られている。上級生とほとんど交流がなかったはずの僕や竜崎にさえ気さくに話しかけて、アドレスの交換はおろか勉強まで教えてくれるといった面倒見の良さがその裏付けだ。本人はイケメンじゃないと言い張ってはいるが、男子版ミスコンと称される人気投票でも上位に食い込めるほどには女子人気がある。勉強ができて、交友関係が広くてスポーツもできるイケメンだが、それを鼻にかけない人柄も人気の一つだろう。
そんな先輩がなぜここに?
てか、あいつら誰だ? 竜崎に話しかけている、俺と同じ一年生のあの二人は。同じクラスにあの顔はいない、ということは別のクラスの誰かさん達か。
「あ、あのっ、お、俺、一柳武っていいます! えーと、その、俺、ちょっと前からここで走り込みしてて……」
「お、おいっ待て一柳! あ、竜崎。俺は屋島桐吾。学園祭のときに少し話したけど覚えてる?」
「………」
竜崎は反応しない。反応しているかもしれないが、ここからでは声が拾えない。
この二人のアクションである程度状況を察することはできた。が、平時ならともかく今はタイミングが悪い。できるならすぐに出てきて三人に竜崎の様子を伝えるべきだが、ここで竜崎の私物を持った僕が出てきたらあの黒い二人に殺意を向けられてしまう。しかし今は新藤先輩という頼れる先輩がいるので、電話で状況を説明して二人には下がってもらおう。
電話をかけてコール音が鳴る。先輩は着信音に気づきポケットから携帯電話を取り出して、通話が始まった。
『やあ、羽生くんか。どうした?』
「今、竜崎の前にいますよね」
『ん? そうだけど、なんでわかった?』
「こっちです、先輩。後ろ後ろ。曲がり角のとこにいます」
先輩に気づいてもらえるように手と顔を出して三人を見る。先輩も気づいた様子でこちらと目があった。やあ、と片手をあげて挨拶すると、先輩は竜崎にアプローチをかけている二人組から三、四歩後ろに下がり、会話に気づかれない位置に移動した。
『偶然だね、なにかあった?』
「竜崎の奴、少し前から酸欠起こしてこのまんまなんです。あんまりいっぺんに話しかけられても満足な会話ができませんから、そこの二人のアプローチをいったん止めてください」
『ああ、やっぱりか。通りで起きているのに反応が薄いわけだ。ベンチの裏にあった買い物袋と竜崎さんがかぶってる上着、あれは羽生くんのか?』
「はい。気付いてましたか」
『まあね。でもさんざん彼女と話してた羽生くんが、他の男子がきたとたんアプローチをやめろっていうのも変な話だね』
「聞いてたんですか先輩。趣味悪いです」
『そりゃ聞いてたさ。あの二人を呼び寄せたのも、羽生くんがどっか離れた時を見計らって出ていけって言ったのも俺だし』
「ああ、やっぱり先輩の差し金ですか。三人ともジャージ姿で何かおかしいなって思ったんですよ、先輩たちがこの公園にいるのって見たことなかったんでまさかと思ったら。先輩、交友関係広いからってストーカーまがいの事やっちゃだめですよ」
『ちょ、おおい人聞きの悪いこと言うなって。俺はただあの二人のラヴファイトに手を貸しただけだ』
「手?」
『竜崎さんから「マラソン大会に間に合わせたいんですけど何やればいいですか」ってメールが来て、走り込みすれば? って内容のメールを返したんだ。その直後に野球部の友人経由で「一柳君と屋島君の好きな人が被った」って知らせが来たから、詳しく聞いてみれば……」
「その被った人が竜崎だったってわけですか」
『ご名答。これは丁度いいと思って羽生くん達のクラスの野球部くんに頼んで、野球部の体力補強に行うメニューを竜崎さんに渡してもらったんだ。これが昨日、金曜日の放課後。すぐにメールして、練習するなら明日から始めたらいいって竜崎さんに伝えておいた。これを一柳君と屋島君にも伝えて、タイミングを見て二人でアプローチをかけてみたら? って言ったんだ』
なんというマッチポンプのお手本みたいなことをする人だ。
交友関係が広いからこそできる手法ではある。
『てっきり学校近くの公園で走り込みしてるんじゃないかと思ってたんだけど、時間になっても彼女を見かけなかったから、もしかしたらここにいるかもって思って急行したんだよ。そしたら羽生くんと竜崎さんが楽しそうに談話してるじゃないか。僕にとっても想定外で危うく首を絞められるところだったよ』
「えーと、俺完全に邪魔しましたね」
『うん完全に邪魔だ。なんてことをしてくれたんだ』
「仕方ないじゃないですか。僕だってあんなところで竜崎がいるなんて思わなかったし、ダウンしたところを見つけるなんて狙ってできるシチェーションじゃありません」
『わかってるよ、それぐらい。だからこうして君を足止めしてるんじゃないか。なるべく二人が竜崎さんにアプローチする時間ができるようにさ。こんな体調の竜崎さんにアプローチさせるのは二人に悪いと思っているけど……。まあやりすぎたら僕が二人を止めるから心配しないでくれ』
「頼みますよ先輩。僕が出てきたら修羅場が言葉のまま再現されかねませんからね」
竜崎の事は先輩に任せて、とりあえず事の成り行きを見守ることにした。相変わらず冷たい風が肌を立たせるが、竜崎の前に立つ二人からは熱気に近い空気が流れている。竜崎の様子は黒い壁に阻まれてよく見えない。
近くであんなに熱いアプローチされて、気分悪くなってないだろうか。汗で体は冷えてないだろうか。
さっきちらりと袋の中身を見た時にスポーツタオルとシーブリーズがあったのを思い出す。一応着替えもあったが学校指定の黒ジャージだったので期待した僕がバカだったと思いつつ、なぜ今これを持ってこさせたのかを考えた。
竜崎は汗を大量にかいた姿を見られたくないという理由で人を呼ぶのを断った。また袋の中にスポーツタオルとシーブリーズ、エアーサロンパス、そして着替えがあることを考えたら、おそらく竜崎はトイレかどこかで身だしなみを整えるつもりで僕に袋を持ってこさせたのだろう。身だしなみ、汗の臭いを消すだけならスポーツタオルとシーブリーズだけ僕を使って取り寄せればいい。見られたくないものはあの袋の中に入っていないのだから。袋を丸ごと持ってこさせたということは、どこか近くのトイレで汗だくのウェアとジャージを着替えるつもりかもしれない。
と、なると、竜崎の今の状態はおそらく。
「先輩」
『どうした後輩』
「やっぱ無理です、出てきます」
『ちょ、ちょっと待ってくれないか。さっき羽生くんも言ったじゃないか、今出たら修羅場だと』
「たぶん、今の竜崎は汗を拭きとって着替えに行きたいはずです。だから僕に着替えの入った荷物を取りに行かせたんだと思います」
『ちょっ……は、羽生くん、今君着替え持ってるって……』
「荷物の中身をちょっとだけ見ました。期待に沿えそうなものはありませんでしたが。僕にこれを持ってこさせたってことは、もうさっさと着替えて帰るつもりでいると思います。あいつ、最初のメニューでもうこんな調子らしいですから」
『最初のメニュー? ああ、確か三キロのだったっけ』
「三キロ? 五キロじゃなくて?」
『僕が目を通したメニューの最初は三キロランだったけど、あの子五キロも走ったのか? そりゃバテるわけだ』
「いや、竜崎の奴本当は八キロ走るつもりだったって」
『ぷっ……なんだあの後輩、萌えキャラかっ。五キロ走ってこれじゃ先が思いやられるな。だったらなおさらだ、もう練習終わりならもうしばらくアプローチさせてもらえないか』
「ていっても今のあいつは」
『羽生くんは別に竜崎さんの彼氏じゃないだろう? まずいと思ったらちゃんと止めるし、羽生くんが出ても修羅場にならないように場は整えるから』
実は羽生くんもあの二人と同じく竜崎の事が好きなのか? と言われたのに等しい言葉だ。そう言われては出るに出られない。さっきの話を要約すると、僕と竜崎の会話をあの二人も聞いていたということだ。僕が出てきたらそれすなわち新藤先輩だけでなくあの二人にもそう思われるに違いない。だからアプローチに熱が入っているのか。
とはいえ、このままだと竜崎の体にさわる。
今の竜崎の体は体温が著しく下がりやすい状態にある。スポーツウェアが汗で濡れていても、頭がくらくらして体中の熱を逃がしたくなってもスポーツウェアを脱いでいないということは、スポーツウェアの下に運動着を付けていない、ということだ。これは腰にくるんでおいてあった上着が着れるか怪しいぐらいに濡れていた件から見ても可能性は高い。
しかし、このまま乱入すると僕はともかく先輩の面子に泥を塗ることになる。せっかく場をセッティングしておいたのに僕が現れて、足止めにも失敗しては立場がない。あの二人から見て『足止めしていたけど不可避の事故によって足止めは失敗した。しかし、羽生は竜崎に気があるわけじゃない』と思わせる必要がある。でなければ、あの人間関係を思いのままにできそうな交友関係を持つ新藤先輩を敵に回してしまうかもしれないのだ。これだけは勘弁願いたい。
まあ、あとは野となれ山となれ。
なんだかんだ言って、僕も竜崎の傍に行きたいのだ。
竜崎もきっと僕を待っている。




