御神の本家
祐里が姉弟を連れて行ったのは、山をひとつ越えたむこうの御神三家――本部。ちなみに、恭也は支部で留守番らしい。
高層ビルの中にある支部とは違い、純和風の家屋。二階建ての建物は少なく、平屋が並んでいた。
「本家は初めてよね?」
「はい」
恭子は答えてから、隣で難しい顔をしている蒼司を怪訝に思った。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」
明らかに態度が変わった蒼司を見て、祐里は笑いながらもやんわりと釘を刺す。
「私より偉い人なんかごろごろしてるんだから、ここではおとなしくしていなさいよ?」
含みのある言い方に、恭子は引っかかりを覚えずにはいられなかった。
「んー、出迎えがあるはずなんだけど……」
不気味なほどに静かで、巨大な木造の正門には人ひとりいない。
それでも、危ない場所ではないということは分かっていた。対邪障壁の応用なのだろうか、周辺一帯に巡らせている結界のせいで邪気がまったく感じられないのだ。
不意に、恭子と蒼司が左右対称にまったく同じ動きをした。二本の法剣が抜かれて、派手に火花を散らす。
「――なるほど、法剣の所持者か。データでしか知らなかったけど、実在してたとはね」
たった一振りの霊剣でなんなく姉弟を抑えてみせたのは、祐里と似た雰囲気を纏った大人の女性だった。
「先輩……悪ふざけはやめてください」
その女性に向けられた祐里の声の変化に、恭子は驚かされた。敬語になっただけで、口調自体がそれほど変わったわけではない。けれどそれとわかるほどに、敬愛と信頼の想いが込められていた。
「ちょっとした腕試しじゃない――ようこそ、御神三家へ。朱家の家長補佐、神崎優香です。はじめましてかな?」
綺麗な黒髪の女性は、ちらりと蒼司を見やってから、微笑みかけて恭子のほうへ手を差し出した。
「え……し、失礼しました! 私、つい――」
法剣を納めて頭を下げると、おずおずと女性の手を取った。蒼司も剣先を下ろしている。
「気にしなくていいのよ。最低限、自分の身は自分で守れないとね」
御神三家の総帥、神崎誠一郎の一人娘。その実力は三人の家長にも劣らないという。父親が総帥と朱の家長以外の職を退いたいま、作戦部のトップにいるのは、この女性だ。もっとも、いままで会ったことはなかったが。
優香は祐里のほうに足を運んで、その頭をぽんぽんと撫でた。
「やめてください……恥ずかしいじゃないですか」
「まあまあ――昨日は悪かったわね。いろいろと余計な飛び火があったみたいで」
「……いいですよ。みんな無事でしたし。どぶねずみの仕業でしょう?」
ぴくっと、蒼司の腕が動いた――気がした。
「どぶねずみって……関係者各位の善人に失礼じゃない。ねえ?」
訊ねるように優香は、門の陰のほうに声をかけた。
「別に、気にしないっすよ。あそこまでやられると、言い訳すらできないっつうか」
「……わからなかった」
つい口にでてしまう。優香といい、この青年といい、こうも気配を消されるとは。
「彼は?」
祐里も知らないらしい。
「ええっと……自分で名乗る?」
苦笑しながら、優香はその青年に視線を送る。
彼は、はっきりと蒼司の眼を見据えて、言った。
「……神代佑希だ。よろ――」
止める暇もなかった。ふたたび繰り出された法剣は、神代を名乗った青年の首筋に突きつけられる。
蒼司は初めてみる怒りの表情で、佑希は平然とお互いを見ていた。
優香は困ったようにして、祐里は静かにふたりをみつめている。
誰一人、動じないなかで、恭子だけが驚きに目を見開いていた。
静まる空間。止まった時間はいつまでも続くかに思えた。少なくとも、恭子は動けない。
「――やめなさい」
そんな中で蒼司に声を掛けたのは、やはり祐里だった。だが、蒼司は無言で首を振る。
「やめなさい。あなたじゃ――勝てないわ」
「――っ!?」
急に蒼司が飛びすさる。その場に一瞬、朱い火柱が上がり、そして消えた。
「法……術……?」
呆然と、恭子は術の行使者をみつめていた。
「そんなに便利なものじゃないわよ。直系の血にしか頼れない、一子相伝の御神の理。しょせん、まがいものよ」
優香が答える。
「まがいものって……」
予備動作もなく、短い言の葉を紡いだだけ。直接、異界に干渉しているのか、媒介になるようなものは手にしていない。
恭子自身、法術が使えるだけにわかる。交戦中にこの速さで発動されたら、反応しきれないかもしれない。
大きな力の差を感じていた。まともにやりあったら、たぶん勝てない。
――このひと、強い。
「とりあえず、立ち話もなんだし中に入りましょう。いろいろと、話したいことも聞きたいこともあるしね」
そういって目を細めると、優香は蒼司をみつめたのだった。
本当はわかっていた。弟の抱える物の重さを。自分の知らないことが、知ってはいけないことが多くあるのだということを。けれど、それを認めたら一緒にいられない気がして、恭子は虚しい努力をしているのだった。
* * *
「――ずいぶん、広いですね」
本家の表向きの敷地面積もそうだが、実際のそれは比ではなかった。
和式の地上一階、洋式の地下五階。六階層から成る、御神三家の本部。
通常業務は上の三階層で行われる。一般隊員は許可なしに地下三階へ降りられない。さらに最下層は不可侵領域となっており、組織内でも数えるほどしか入れる人はいない。
御神三家の指揮系統には、直系で構成される家長会議・代表者会議と、傍系の司令室が存在する。家長会議・代表者会議の下に九ヵ所の司令室があり、作戦部・情報部・研究部を統括している。御神の名を冠さないのが傍系であり、星野家や風見家も属する。恭子たちが高い霊質を秘めているのは遥か昔に御神の直系の血筋にいたからだ。もちろん、ほかの家系にも霊能者はいるが、御神三家の人間はだいたいが同じ流れのなかにいる。
いまのところ家長会議は凍結されていて、代表者会議もめったに開かれない。そのため総帥の直接命令がない限り、司令室の大幅な権限が認められていた。
……全体的にみれば、まとまっていないかもしれない。
実際、分裂の危機は何度かあったし、いまも権力争いは続いていたりする。
だが、恭子自身にはあまり関係ない。そう思っていた。ただ、優香が出てきたことで、厄介ごとに巻き込まれるかもしれないとは思い始めていたが。
「そうね……まあ、いろんな部署が分散しているだけで、部屋数はそう多くないんだけどね。祐里は、二年ぶり?」
「そう、ですね……」
苦笑まじりの祐里の声が届く。
優香と佑希を先頭にして、祐里と恭子、後ろから蒼司がなにやら難しい表情でついてくる。話しかけてはいけない感じがして、恭子は黙ったままでいた。
一行はまもなく立ち止まる。
地下三階へ続く階段の隔壁の前。許可のない人間を阻む重く冷たい鉄壁。厚さは三十センチほど。本部にはエレベータがないため、セキュリティは階段のみ。
認証を終えた優香は、あちら側で開閉装置のシステムを起動して、一時的にセキュリティを解除する。そうしないと、お客様が通るときに警報が鳴ってしまう。IDやパスワードを持たない蒼司は、余所者だから。恭子も本家に来るのは初めてだが、御神の人間である以上、IDとパスワードは持っていた。
数十段の階段を下りて、一直線に伸びた通路を通り過ぎる。そうして広がるのは、地下四階、神通の間。
無機質に映る、全体が灰色のロビー。人はまばらに散り、談笑している者も多い。けれど、ここにいるのは紛れもないレベル3以上の霊能者たち。
* * *
御神三家で用いられる霊質を計るものさし。それがレベルだ。
一般人にでも霊質はある。それがある数値を超えると、レベル1の霊能者と認定される。
これと似たものに邪族の邪気濃度を表すランクがあるが、これは低・中・高位ごとにEからAの五段階にわけられる。全部で十五段階。まあ、低位のAと中位のE、中位のAと高位のEでは違いすぎるのだが。
レベルは1から9に分けられるが、レベルが高くても自覚がなかったり力が使えなかったりすると、一般人とみなされる。
レベル6として認定されている恭子には、もちろん能力があった。
干渉。動く物体の軌道を変えることができるもの。
ただし、効果範囲が半径二メートルという、ごく限られたものだ。
まず、存在するすべての物質に作用するということ。つぎに、軌道変更に必要な不可視力は速度に比例するということ。つまり、静止状態にある物質には干渉できないのではなく、ゼロという力が働いていることになる。結局うごきはしないのだが、これは重要なことだ。数学で例えればわかりやすいだろう。1にゼロを掛ければ0だが、掛けるものがなければ1のままなのだから。この性質がときに役立つこともある。
一般隊員と呼ばれているのは、レベル1と2の霊能者やその血縁の人々のことで、主に情報部や研究部に配属されている。理由は、邪族が視えるのは作戦部の人間だけで十分だからだ。そのため、御神三家には有能な一般人も数多くいた。
現在わかっているところによると、国内の霊能者人口は1パーセントの百三十万人とされるが、このなかで一般人とみなされる者を除くと、さらに1パーセントの一万三千人。
霊質は訓練や修行で高めることが可能なため、リストは毎年更新されているが、レベル5以上になると変化に乏しくなる。
詳細を述べるとするなら――レベル5が五十三人、恭子と同クラスのレベル6は十九人で、レベル7が十三人、レベル8はわずかに五人。そして、神の領域と呼ばれる、世界に七人しかいないレベル9は、一人だけ国内に存在していた。
御神三家の最高位はレベル8の二人。しかし、二人とも行方不明である。
ちなみにレベル9の水崎花音だが、古都在住でいかにもそれらしく、魔術全般とくに陰陽道に精通している。神皇の娘と畏敬される彼女は、争いを嫌いどこの組織にも属さずに、一介の女子大生として日々を送っているらしい。