幸せのひととき
なんと二年越し?
第二章、はじめました!
といっても他にも放置しているのがあるので、並行作業になると思いますが。
必ず完結させますので、お付き合い頂けたら幸いです。
頭がはっきりしないまま、自然と開いた瞼。
――薄手のカーテンから洩れる陽の光は、いつもより明るく部屋を照らす。
痛いほどに鼓膜を震わせるはずの、おきまりの電子音が届いてこない。
――代わりに聞こえてくるのは、懐かしく温かいぬくもりの調べ。
ベッドではなく、硬いフローリングの床にうずくまっている。
――身体のあちこちで、あざを圧迫されるような鈍い感覚がはしる。
「ん……」
条件反射なのか、上体を起こすと目覚まし時計のほうに目がいった。
時計の短針が、いつもと逆方向を向いている。一瞬、思考が停止しかけたが『完全に遅刻してる!』などと思ったわけではない。今日が土曜日で学校が休みだというのはわかっている。
ただ、目の錯覚でも、耳の変調でも、身体感覚の誤認でもない。ある種の異常事態が、恭子のなかで確認されただけだ。
十分な睡眠による疲労の回復と、状況の整理をはじめた明確な意識。
部屋を出て階段を下りる。もちろん、服装は昨日のまま。いいかげん制服にしわができていて乱れているのだが、精神的に着替える余裕がない。
――トントン、トントン。
ちゃんと聞こえた。やっぱり幻聴じゃないらしい。
やけにリアルだが夢オチの可能性も考えながら、半信半疑でリビングを覗きこむ。
「あ……」
台所で包丁を握る女性が、顔を上げてこちらを見た。
「あら。おはよう、恭子ちゃん」
祐里だった。そして――
「おはよう、姉さん」
「っ……うぁぁっ……」
初めてかもしれない。こんなにも熱い感情が溢れてくるのは。殺意や敵意、怒りや憎しみといった負の感情でなく、嬉しい涙が零れだすのは。
そこに、この四年間ずっと求めつづけた光景があった。
眠りの中ですら見ることの叶わなかった『家族』と一緒にいる場面。
記憶という名の思い出が、夢という名の願いが、目の前の現実に重なりだす。
昔のように、ソファーの指定席でくつろぐ弟の姿をみつけて、恭子はその場に泣き崩れた。
「少しは落ちついた?」
手の込んだ食事をテーブルに並べて、祐里も席につく。
「……はい」
小さく答えた恭子の隣には、違和感もなく蒼司が落ちついている。あまりにも『あたりまえな光景』に見えてしまい、それが逆に不安の残り火を煽った。
夢じゃないと信じたくて、ぎゅうっと抱きしめたい衝動に駆られたが、それはどうにか抑える。やっぱり、恥ずかしいし。
家庭の食卓で思い浮かべやすい、ありきたりの和食。その味や匂いに母の愛情とでも言うべきものを感じ取ったのは、すっかり空気に酔ってしまっているせいだろうか。
温かな――それでいて儚い――だからこそ、大切な幸せ。
箸を進めながら、自然と会話は弾んでいく。
面白おかしく、恭子のドジや恭也に対する不満を並べたてる祐里。姉弟を気遣う様子がわからないのが、ありがたかった。
すっかり成熟してしまった見た目とは裏腹に、笑いながら向こうでの生活を楽しそうに話す蒼司。相手の組織に居たとはいえ、ひどい目にはあっていなかったのだとわかると、少し気が楽になった。
恭子も、冗談めかしながら四年間の想いを伝えていった。ずっと心配していたことはもちろん、何度もくじけそうになったときに支えてくれたひとがいて、そのたびに意志は強くなっていったこと。
ほんのひと時かもしれない。けれど、たしかに求めた幸せがあって、恭子はこのときのことを一生忘れないだろうと、そう思った。
三人とも核心には触れない。けどそれは、わざとじゃない。無理しているのでもない。
そんな必要がなく、ただ笑いあっていられた。
恭子と祐里で洗い物を終えて、うららかな陽気にあてられたようにソファーで静かな時間をのんびりして費やしていると、祐里はいつもの顔――わずかな緊張感と、揺るぎない決意……とでも言えばいいのだろうか?ともかく、表情を一変させて告げた。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
本音をいえば、聞きたくはなかった言葉。
「御呼びがかかってるわ。二人とも、ね」
なんらかの意味が込められたウインクを、祐里は蒼司に投げかけた。それがどんな意味をはらんでいるのか、全くわからなかったが。
「そうそう、柚原さんも本家のほうにいるから」
「え……ど、どうして!?」
なんでもないことのように、あっけらかんと言った祐里を凝視してしまい、恭子はパニックになる。美里は支部で保護のはずだった。ただの一般人なのに――
「さあ?御神三家に知り合いでもいたんじゃないの?」
軽い調子の祐里を、恭子はおもわず問い詰めようとした。けれど、祐里に対する尊敬とか感謝の想いが邪魔して、自分のなかでブレーキが掛かって、言葉は喉元で止まった。
「ま、行けばわかるでしょ。車は表に用意してあるから、準備してらっしゃい」
蒼司が立ち上がる。昼食を済ませてから今まで、弟は一度も口を開くことはなかった。