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終わりの始まり

 指定の時刻−−午後九時。

 三十分も前から、恭子は学校の屋上に佇んでいた。あたりまえだが生徒の気配はない。ただひとつ位置の特定はできないが、こちらを覗う視線を感じてはいた。

「…………」

 初夏が近いにもかかわらず、冷たい夜風が吹きすさぶ。短く切り揃えられた髪が揺れ、不意に宵闇に紛れていた気配が近くに現れた。

「−−っ」

 振り向いて法剣を突きつける。そんな恭子の眼前にも同様に−−

「な−−!?……蒼……司……?」

 瞳が映した光景に恭子はがく然となった。四年という歳月を経て雰囲気は変わったものの、昔の面影を確かに残した少年が、そこにいた。

 余裕があるように感じられる、直立姿勢から腕を突き出しただけの構え。しかし、わずかな隙もない。

 張り詰めた数瞬が過ぎて−−

「……久しぶりだね、姉さん」

 剣先を下げぬまま、優しく少年は笑った。

「蒼司……なの?」

 視界をぼやけさせながら、涙混じりに聞きかえす。

「僕は、僕だよ」

 蒼司の姿が目に焼きついた。蒼司の声が耳にこだました。触れずとも、蒼司のぬくもりを感じた気がした。そんな感覚に身体が震えて止まらなくなる。全身から力が抜けて、危うく法剣を取り落としそうになった。

 昼間わりと落ち着いていられたのは、現実感がなかったからかもしれない。けれどいまは、こうして目の前に恋い焦がれてきた弟がいる。同じ時間を、同じ場所で共有している。

 その認識は恭子を無防備にしてしまった。

 刹那、蒼司が動いた。

「えっ?」

 −−速い!

 動揺のなか驚く自分と冷静に分析する自分。二人を認めて、恭子は反射的に身をかがめる。蒼司の剣は背後に忍び寄っていた邪族の核を貫いていた。

 気がつけば、屋上は無数の邪族に包囲されていた。

「……どういう、つもり?」

 再会の興奮を押し殺して−−溢れそうな感情をも抑えて−−あえて冷たく問う。

 辺りは邪気に満ちていた。数十……いや百はいるかもしれない。

「それは僕が聞きたいよ。姉さんはまだ知らないだろうけど、半分はそっちの組織の奴らだ」

 思いがけないことを言われて、またも驚かされる。

 −−御神三家が邪族を?そんな馬鹿な!

 心の中で渦巻く反論は声にはならなかった。組織よりも蒼司を信じたい、という気持ちがあったからだ。たとえそれが、組織の意向と違うことだとしても。

「どうやらお互い、僕らを逢わせたくなかったらしいね」

 その言葉と、昼間の祐里の言葉が重なる。

「姉さん……聞きたいことは多くあるだろうけど、とりあえず共同戦線といこうよ。相手方も本気みたいだし」

「……うん、わかった」

 いくつもの想いや考えにとらわれて頭の中は混乱していた。けれど、焦ることはない。こうして蒼司に生きて会えて、話ができているのだから。

 いまは目の前のことだけを考えよう。そう、言い聞かせた。何度も、何度も−−

 百体もの邪族を前に蒼司は落ちついていた。恭子が御神三家で成長したように、蒼司もまた敵の組織で訓練を受けてきたのだろうか。

 だが、法剣はたったの一本。蒼司の持つ剣が何かはわからないが、霊剣の一種だろう。はたして勝機はあるのか。

「さあ、行こうか」

「……こんなところでいなくならないでよ、蒼司……」

 すべての願いを込めて、それだけを伝える。

「……わかってる」

 二人は同時に屋上のコンクリートを蹴った。

『氷獄の女王よ、愚かなる魔の眷属を汝の腕に抱きたまえ!』

 恭子の法術により数体の邪族が氷に閉じ込められる。そこに蒼司が跳びこんでいき、素早い剣さばきで確実に核を破壊していく。その速さと精確さは恭子を上回っていた。空白域ができたところで逃げたいのが本音だが、そうもいかない。実体化したら街がどうなるか。想像しただけで背筋の凍る思いがする。

 途切れることのない邪族の攻撃に立ち止まることは許されない。周囲の邪族を振り払いながら、詠唱を繰り返す。

『黄泉の番人よ、終わりし命の器を運び冥土へ帰せ!』

 発動と同時に後方からの殺気。身体を反転させながら重い打撃を法剣で受け流す。そのとき恭子の視界の隅に夜よりも暗いものが映った。

「……中位邪族も混ざってるのね」

 ギリギリで気づいてアークエネミーを回避する。転がった先の邪族を居合いの要領で斬り倒し、不意打ちには結界で対応する。かなり倒したはずだが、減った気はしなかった。桁の違いが身に染みて、ふと恭也に告げた菓子パン百個が多すぎることを実感した。

 攻撃をかわしながら次の詠唱をしようとして、唐突に嫌な予感におそわれる。

「蒼司、こっち!」

 近くにいてくれた弟に駆け寄り、呪文を唱える。

『天界の神皇よ、いにしえの魂の契約に基づき結界を発動。

至高の聖なる輝きにて邪悪を打ち払え!』

 間一髪、発動した結界の外で大気が紅く染まり、震えた。超高温の爆発。聖五紡結界でなければ死んでいただろう。蒼司は悔しそうに歯噛みしていた。

「もう召喚に成功していたのか……」

 詳しい事情を知っているような物言いに、恭子は一抹の不安をおぼえた。

 残っていた低位邪族の大半が消し飛び、たった一体の邪族が圧倒的な存在感を示していた。その邪気は百の邪族の総量を軽く凌駕している。

 制服のポケットの中で携帯が鳴り響く。

「……もしもし、祐里さん?」

『恭子ちゃん、いますぐ逃げて!』

 らしくないほどに焦っている祐里の声が届いた。普段は滅多にないことだが、いまならわかる。もし実体化したら、どうあがいても勝てる相手ではない。そもそも霊体ですら滅ぼせるかわからないのだ。

『高位邪族が−−』

「すみません……もう、遅いです」

 状況だけ伝えて一方的に電話を切った。

 どのみち逃げられる訳がない。それは二時間後の街に死刑宣告をしているのと同じことなのだから。

「……この中で待ってて」

 恐怖にすくみそうになる身体を押さえつけて、恭子は言った。誰かがやらなければならないのだ。

 −−私以外に誰がいる?

 邪族を相手に限れば、個人の戦闘力で恭子を超える人などいない。法剣を扱えるのも恭子だけだ。覚悟を決めるしかなかった。

 蒼司は黙って自分の剣を見つめていた。

『天界の神皇よ、いにしえの魂の契約に基づき法剣を解放。

我が身を依り代に力を示せ!』

 詠唱についで、恭子の身体が青白い輝きに包まれる。神術のひとつ、神聖降臨。聖五紡結界と違って発動時間が短いのが難点だが、身体能力の強化・法術の詠唱簡略化・最上位の術の行使権といった特典はある。これでも滅ぼせなければ、もう方法はなかった。

 半球状に張り巡らした聖五紡結界から飛び出して走る。大抵の攻撃は身に纏った自然発生の反射結界が弾いてくれるが、高位邪族に試したいとは思わない。

 目では追いきれない鋭い攻撃を、勘で避けながら接近した。

『五柱の一、風の王!具現せよ、汝の力−−雷撃!』

 恭子の指す先に、星の瞬く夜空から稲妻が落ちる。その一撃に邪族は咆哮した。

 素早く背後に回りこみ、法剣を振り上げる。巨体の肩口を薙いで正面へ。連続して放たれる黒球をなんとか凌ぎながら、邪族を見据える。

『五柱の一、天界の神皇!具現せよ、汝の裁き−−聖印!』

 一点に向けて、自分の知る限りで最強の術をぶつける。見逃してしまう程度にだが、核に亀裂がはしるのがわかった。しかし、まだ終わりではない。

 邪族の動きを見切れず、わずかに反応が遅れる。黒い閃光が真っ直ぐにほとばしり、たやすく反射結界を破っていく。その軸線を外せずに、左肩に鈍い一撃が突き刺さった。

「くっ……」

 邪族が再び黒球を連発してくる。

 恭子の短い詠唱と法剣自身の力で対邪障壁を発動して、幾重にも重ねられた反射結界とともに、ようやく正面の数発だけを消失させる。防ぎきれなかった分は身体のあちこちに掠ってしまった。あと一発、最高位の術を加えれば倒せる。それが分かっていながら、実行できるだけの余力は残されていなかった。

 ふっと、恭子な身体から聖なる輝きが失われた。

「あ−−」

 かくんと膝が落ちる。

『劫火、圧縮−−』

 術を発した声は恭子のものではなかった。

「蒼司!?」

「うぐっ−−!」

 恭子のそれとは明らかに質の違う法術−−暗黒の炎が高位邪族に収束して、弾けた。同時に蒼司の身体が崩れ落ちる。

「な、んで?」

 自然と口から出てきたのは、気遣う言葉ではなく問い詰める言葉だった。痛む肩を押さえながら、おぼつかない足取りで蒼司の前に立つ。

「はぁ、はぁ……」

 蒼司も左胸を押さえて荒い息をつきながら、立ち上がりフェンスにもたれかかる。右手の剣には法印の共鳴痕が刻まれていた。

「……なんで、二本あるの?」

 大事なことだった。この法剣こそが、家族の−−姉弟の運命を狂わせた、すべての元凶なのだから。そして恭子は気がつかなかった。高位邪族がまだ滅びていなかったことに。

「くそっ!」

 舌打ちして、蒼司が恭子を抱え跳びすさる。突然のことに恭子は反応出来なかったが、手を離すと蒼司は迷わず法剣をかざした。

『混沌、送還−−』

 二度目の闇の術は今度こそ高位邪族を滅ぼす。また、限界に達していた蒼司の意識も、ついに途切れた。

「蒼司?−−蒼司っ!」


  *  *  *


 薄暗闇の中、電気もつけずに恭子は部屋の片隅に座り込んでいた。膝を抱えて、うつむいて−−

「恭子ちゃん?」

 顔を上げると、心配そうに声をかけた祐里が扉に寄りかかっていた。

 蒼司が倒れたあと、祐里が駆けつけて家まで蒼司を運んでくれたのだ。いまも簡単な検査をしてくれていた。考えてみれば、今日は祐里の世話になってばかりだ−−美里のことも、蒼司のことも−−本当に申し訳なく思う。

「……蒼司は?」

「ん、大丈夫。よく眠っているわよ。たぶん−−精神力の使いすぎで気絶しただけだと思うから。恭子ちゃんのもそうだけど、法術は魂を削るからね」

 そう言った祐里の表情は、翳っていてよく見えなかった。

「そうですか……よかった」

 命に別状がないとわかって、少しだけ安堵する。

「まったく、二人とも無茶のしすぎよ。時間はあったんだから、増援を待って囲めばもっと楽だったのに。聖五紡結界も張っていたんでしょう?」

「……すみません」

 邪族を滅ぼさなければ、という気持ちばかりが先行して、そのことは失念していた。

「私も今日は泊まらせてもらうけど……なるべく早く寝なさい。詳しいことは−−明日、蒼司くんから直接ね」

「……はい」

「それじゃあ……おやすみ」

 静かに扉が閉じられた。


 世界の常識から外れた非現実に身を置く恭子にも、それなりの日常が存在した。組織の一員として任務をこなす一方、遅刻・早退・欠席を繰り返しながらも学校に通う毎日。

 恭子の生活の中で、組織と学校は完全に区別されたものだった。互いのことは持ち込まないようにする。それが『普通の女の子』で在り続けるための、自分で決めたルールだった。

 それなのに−−美里を危ない目に遭わせてしまった。落ち着いて考えてみると、蒼司と再会できた喜びより後悔のほうが先に立つ。恭也や祐里に対しても言えることだが、法剣の所持者である恭子の近くにいるだけで危険度は格段に増す。それだけ狙われやすくなるから。

 一日で何体の邪族を滅ぼしただろう。殺すという行為に慣れてしまった自分を恐ろしく思うこともある。吐き気がすることも。それでも、やらなければならない。母の面影を追って、法剣を手にしている限り。

 明日になれば、すべてがわかるのだろうか。御神三家の邪族の保有、もう一本の法剣、高位邪族−−自分が関わっているのに、知らないところで動いていることがあるのは嫌だった。

 わからないことだらけで、思考が混濁してくる。

 とりあえず、寝よう。そう思ったがベッドに入る気にはなれず、膝を抱えたまま背を丸めて目を閉じた。

 明日になっても−−このさきずっと−−蒼司と一緒にいられるように願いながら。

 夜中というにはまだ浅い闇の中、星と月だけが傷ついた二人を優しく見守っていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

第1章が一応の終了ですが、続きも機会があれば書きたいと思っています。

いかがでしたでしょうか?

伏線だけ多いので、流れがわかりにくいかもですが、ぜひ感想をください。

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