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守りたいひと

 キーン、コーン、カーン、コーン……。

 午後の授業を一通り受けて、放課後−−帰りのホームルームがないこの学校では、自然解散となる。

「あ、恭子ちゃん!」

 さすがに今日は来ないだろうと思っていたのだが、顔見知りの少女が廊下から教室の中を窺って、こちらに目を止めると声を掛けてきた。すっかり習慣になってしまっているらしい。

 彼女は大半の生徒たちの流れに逆らって……というか、モーセの出エジプトのごとく行く先を開けられて……というか、よくわからないのだが、何故か当たりまえに案内されるような形で、恭子の前までやってくる。

「学校来れたんだぁ。風邪ひいたって聞いたから……お休みかと思ったよ」

「え?」

 毎度のことに苦笑していて、一瞬なんのことだか分からなかったが、すぐに思い出した。

「あ、うん。軽い風邪だったから、ぜんぜん平気。病院にも行ったし」

「そっかあ……よかった。最近、欠席が多いから心配しちゃった」

 嘘をついていることに少し−−かなり良心が痛んだが、笑ってごまかした。

 恭子に話しかけてきたのは、通称リトル・プリンセス、柚原美里。学年性別を問わず絶大な人気を誇る彼女を一言で表すと、ちっちゃくて可愛い。身長が低く顔立ちに幼さが残っていることもあって、私服姿だと小学生に見られることもあるらしい。

 この学校での唯一の友人といえる彼女の性格は、別講座のクラスまでやってくることからもわかる。いわゆる心配性のお節介焼き。恭子は人付き合いが悪いわけではないのだが、任務で学校を休むことがしばしばだったため、特定の友達はいなかった。美里と親しくなったのは、彼女の性格のせいだろう。

「心配かけてごめんね。ところで、このあとは?今日も部活?」

 恭子は部活に入っていないのだが、美里は文芸部に所属している。彼女が書いた作品をいくつか読んだこともあるが、感情表現だけでなく感受性にも乏しい恭子には、凄いとしか言いようがなかった。ただひとつ素人意見を言うとするなら、人の心の闇を知らないのかなとは思ったが。恭子は、それでいいと思った。

 偏見だけど−−美里には、そういうのは似合わないから。

「ううん。今日は部長がいないから、お休みだよ。恭子ちゃんは……お稽古?」

 布に包んだままの法剣を指して、美里が聞いてきた。学校の人間には、帰りに道場に通っているということにしている。

「−−まあ……ね」

 美里の前でお茶を濁すような風になるのは仕方ない……が、正直きつかった。

「そっか、じゃあ途中まで一緒に帰ろ?」

 恭子の腕を引きながら、美里が首をかしげる。女の恭子から見ても十分に可愛いと思った。惚れてしまいそう−−いや、母性本能がくすぐられる気がする。

「……帰ろうか」

 他愛のない話をしながら、二人並んで正門へと歩く。

 やっぱり、こういう時間が好きだ。恭子はそう思った。家族がいない分、仲間や友達がいてくれる。そして支えてくれる。本当の意味では、心から思うことは出来ないけれど、それでも今が幸せだと思えた。

 そんな帰り道で恭子が違和感に気づいたとき、美里の呟きが茜色の世界に響き渡った。

「野良犬……かなぁ?ちょっと大きいけど」

「えっ−−?」

 恭子には数匹の大型犬らしき存在が視えていた。だが、美里には『見える』ことがあっても『視える』はずはない。なぜなら、あれはこの世のものではないのだから。

 戸惑いは、それらが大地を蹴る音と美里の息を呑む気配にかき消された。

「美里、こっち!」

 身を硬くした美里の腕を引いて、路地の方へ駆け込む。住宅街の迷路を抜け、人気のない公園に入る。夜闇が近づいているせいか、遊ぶ子供たちの姿も見当たらなかった。木々の合間を縫って公園を抜け、さらに複雑な区画へ入っていくが−−

「そんなっ!?」

 またも行き止まり。今日は運もついてないらしい。

 できるなら美里にだけは知られたくなかった。けれど、そんなことを言っている場合でもない。

 意識するまでもなく、自分の背中に美里を隠した。そうしてから布に巻いた紐を解いて、法剣を取り出す。

「美里……お願いしてもいい?」

「う、うん」

 混乱しながら答える様子が覗えた。

「五分……ううん。三分でいいから、目を閉じて、耳を塞いで、そこから動かないで。わかった?」

「……うん」

 本当に恭子のことを信用してくれているらしい。何も聞かずに従ってくれた。絶対に美里を傷つけるわけにはいかない。身体的にも、精神的にも。絶対に−−

 追って来た邪族が前方の五体だけなのを確認して、恭子も法剣を抜いて身構える。邪族五体といえど、低位の霊体ならばどうにでもなる。

『火界の皇帝よ、理に反する者を清浄なる炎で焼き払え!』

 力強い恭子の詠唱と刻まれた法印が共鳴して、聖火の波が邪族たちを襲う。

 威嚇の一撃にも邪族は怯まない。背後と左右、三方向をコンクリートの壁が囲む閉鎖空間だから、上下にだけ気をつければいいが、五体同時は勘弁して欲しい。

 恭子は自分から踏みこむと、法剣を一閃した。隙を見て左右から飛び込んできた邪族の一体を結界で打ち払い、一体の核を破壊する。もう一歩踏みこんで次の詠唱に取りかかりながら、法剣を振るった。

『冥界の姫君よ、さまよいし魂なき者を在るべき場所へ導きたまえ!』

 その呪文は、正面の邪族を瞬く間に消し去る。

 残るは三体。恭子も邪族も動かない。いや、邪族の方は動けないというべきか。初めて見る法術に警戒をあらわにしている。

 膠着状態にあって、恭子は法剣を下ろした。無防備なところを見逃さず二体が飛びかかってくる。動きを見極め、上半身を捻って双方の爪をかわすと、遠心力を利用して一体の邪族を斬り払った。返す剣でもう一体を斬り捨てる。一撃で完全に沈黙した。

 動かなかった一体も逃げる様子はない。そもそも邪族の行動パターンに逃げるという選択肢はないのだ。

 交錯は一瞬。恭子に傷はなく、最後の邪族が地に伏して滅びた。

「ふう……」

 完全に視えなくなったのを確認して振り返る。

「……目、もう開けていいよ」

 耳を塞いでも、嫌な音は聞こえてしまっただろう。聡明な彼女なら目を閉じていても、何が起きたのかくらい推理してしまう。いまは混乱していて、それどころではないだろうが。

 二人して黙りこむ。なんと言えばいいのか分からなかった。邪族は普通の犬の形態をしていたから、それよりも恭子に対する驚きの方が強いはずだ。

「……怪我、してない?」

「え?」

 予想もしていなかった言葉に、思わず目を見開いて、美里の顔を見つめてしまう。

 ぎゅっと胸を押さえて、心配そうに恭子を見つめ返してくる少女。おそるおそる伸ばした手で、法剣を握った右手に触れてくる。かすかに震えていた。

「それ、真剣だったんだね」

「…………」

「えっと……聞きたいことは、いっぱいあるんだけど……その−−わたし、このまま帰ってもいいのかな?」

 改めて、美里は強いと思った。いま、自分が置かれている状況を、なんとなくでも理解しているようだった。

 見ず知らずの他人ならまだしも、美里が視てしまったものを気のせいには出来ないだろうし、恭子自身のことも誤魔化しつづけるのは不可能だろう。

「ちょっと……待ってて。どうなるか分からないけど……」

 それだけ言って、恭子は携帯を取り出した。


「これから……どうするの?」

 美里を乗せた車を見送りながら、祐里が話しかけてきた。

「相手方は、あなたの居場所を突き止めたようね。このままじゃあ、たとえ記憶操作をしても同じことの繰り返しよ?ううん……状況はもっと悪くなる。単純に考えて、選択肢は二つ−−」

 −−美里も巻き込むか、恭子が離れるか。

「そう、ですよね。でも……」

「わかってる……これからが大変なんだから」

 祐里は恭子でなく、自分に言い聞かせるように呟いていた。

 あのあと、恭子は祐里を呼び出した。美里のことを任せるためだ。無責任だとわかっていたが、記憶を消す以外の方法は思いつかなかった。

 しかし祐里の言い分はもっともだ。元々、法剣を狙っていた連中なのだから、在りかが完全にバレてしまえば総力を注ぎ込むことも辞さないだろう。そうなれば近くにいる人達に危険が及ぶ。だからといって、美里を巻き込んでいいはずがないし、蒼司を見つけた以上、この街を離れるわけにはいかなかった。

「とりあえず……明日まで保護しておいてもらえますか?」

「そうね、柚原さんの意思もあるだろうし……あんまり若い子は巻き込みたくないんだけれど……」

 それは誰に向けられた言葉だったろうか。

 哀しげな口調に恭子と蒼司への想いを感じた気がした。

「今日はこのまま帰りなさい。それで、ゆっくり休むこと。いいわね?」

 素直に頷いて、恭子は帰宅の途についた。


「…………」

 自宅のポストに定番の黒封筒。その場で封を切って中身を取り出すと、簡潔な内容が書かれた紙が一枚だけ入っていた。

『御神三家、作戦部所属、星野恭子さまへ。

今夜九時、貴校の屋上でお待ちしております。どうかお一人でいらっしゃるよう−−』

 腕時計を見やると、午後五時半。

 敵の組織の連中に違いないと思うのだが−−あからさま過ぎる。

「行くしかないか……」

 今日何度目かの溜め息をつく。理由のないざわつきを感じて、軽く夕焼け空を見上げた。


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