何かが変わる予感
「−−お疲れ様。悪かったわね、巻き込んじゃって。今日も学校でしょう?」
「いえ……大丈夫です」
気がつけば、すぐ隣に祐里が座っていた。どうやら、うたた寝していたらしい。
「このあとはどうするの?」
雲ひとつない青空を見上げながら、祐里が聞いてきた。
太陽はもうすぐ南中する。そろそろ昼休み時だろうか。
「とりあえず……学校に行くつもりですけど……」
このままサボってしまおうかとも思ったが、そうもいかない。一応、病弱な優等生で通っているわけだし。遅刻の連絡を入れた以上、無断で欠席するのは少々気がとがめた。
「そう−−じゃあ、その前に付き合ってくれる?お昼はまだでしょう?」
「えっ……あ、はい。でも−−」
「あ、俺も行くよ」
いつからいたのか、恭也がひょっこり顔を出して会話に割り込んできた。
だが、恭子がおもいっきり嫌な顔をしたのと同時に、祐里は簡潔に言い放つ。
「ダメ」
「なんでだよっ!昼飯ぐらい一緒でもいいだろ?」
恭也が抗議の声を上げる。この姉弟はことあるごとにぶつかるのが常だった。祐里は楽しんでいるようにしか見えないのだが、恭也はわりと本気らしい。
恭子はそんな二人を見るたびに、胸が痛む思いをする。
「ダメよ。女の子同士、秘密の話もしたいし。なにより−−」
「なにより?」
聞き返した恭也に、祐里はにっこり笑って答えた。
「あんたは支部に戻って始末書を書かないと。誰のせいで、女の子ふたりが巻き込まれたのかしら?」
「それは−−」
「しかも副司令官を都合よく呼び出すなんて……どんな権限があってのことか、説明してもらえる?」
「…………」
恭也は何か言い返そうとしたが、それが無駄なことだと悟ったようだ。
「返す言葉もないようね。それじゃあ行きましょうか、恭子ちゃん」
「……はい」
−−まだ付き合うとは言ってないんですけど。
そんなことを祐里に言えるはずもなく、恭子は黙って連行されていった。
* * *
「えっと……Aランチのセット、ドリンクはアイスコーヒーで。恭子ちゃんは?」
「……同じのでいいです」
注文を復唱してウエイトレスが厨房へ向かう。恭子と祐里は大混雑の店内を見回して溜め息をついた。
平日のランチタイムだけあって、客足は途絶えることがない。おもに主婦やOLが客層の中心だが、職種不明の若い男どもがちらほら居座っている。
「最悪ね。やっぱり、あの喫茶店で妥協しておくべきだったわ」
祐里がひとり呟く。それに関しては恭子も同感だった。
狭い路地の奥に、古ぼけた感のある喫茶店を見つけたのだが、なんとなく怪しい雰囲気があって入りづらかったので、わざわざ大通りまで出てきてしまったのだ。しかし、それも間違いだった。
「…………」
なんとなく会話が途切れる。祐里は、じっと窓の外を見つめていた。
「あの……」
ついさっき気づいた疑問を、恭子は口にした。
「恭也、なんで一人だったんですか?いつもなら、すぐ私のところに連絡がくるのに」
「えっ−−!?」
ちょっとしたことを聞いたつもりが、思いのほか大きい反応が返ってきた。
「えっ−−?」
つられて、恭子も同じような反応をしてしまう。
「あ、ええっと……まあ、いろいろあって。司令室の方もちょっと混乱してたから」
曖昧な祐里の口調に不審を抱く。そして一つの推測。
「……私がいてはいけませんでしたか?」
疑問形だが、確信を持っているように言った。
「……はあ。やっぱり分かっちゃうよね。んー、恭子ちゃんには通用しないかぁ」
わざとらしく、あっさり誤魔化すのを諦めて、不意に祐里は真剣な顔になった。最初から、話すつもりだったに違いない。
「仕方ない、特別に教えてあげる。ただ−−落ち着いて聞いてね。まあ、恭子ちゃんなら大丈夫だと思うけど……」
その言い方でわかってしまった。少なくとも、恭子にとって一番大切なことが話される、ということは。
「……だいたい予想はついてますし、覚悟もしてますから……」
そうだ。自分が組織の問題になるようなことなど、他にはない。四年前の事件から連なる出来事。託された法剣と弟の失踪−−確かに、上層部の悩みの種ではあるだろう。
恭子は思い返していた。失った過去と手に入れた現在、変わるかもしれない未来。家族と仲間。問いかけと答え。いま心に抱く自分の気持ち−−
「……そっか。うん、だよね……」
同じ立場の−−両親だけでなく一度は弟の恭也すら失いかけた祐里は、恭子の一番の理解者だった。姉として−−親よりも身近な人を失うことは、死に等しい苦痛を味わうことだった。
「弟くん−−蒼司くんだっけ?……見つかったわ、ついさっき」
ふと思った。丘で感じた気配のようなものは、蒼司だったのかもしれないと。たぶんに自惚れだろうが。
「九時前、かしらね。三体の邪族が出現して、二人を現場に向かわせようとしたの」
二人とは、もちろん恭子と恭也のことだ。
「そしたら、本家の名義で直接命令が下ったのよ。『星野恭子の召集は禁止する』って。おかげで恭也一人を行かせるしかなかったんだけど……うちは人手不足だしね」
苦笑いをする祐里。本当は、恭也が心配でしかたなかったのだろう。はっきり言ってしまうと、恭也は弱いから。
「ま、それはともかく。理由はわかりきってるわ。蒼司くんが生き残って、相手方の組織にいたから」
「…………」
不思議な気持ちだった。
ほっとしたのと同時に、何故と思った。けれど、やはりとも思った。そんな風に考える冷静な自分がおかしかった。
「安心して。たぶん敵じゃないから」
「……なんで」
「え?」
「私と蒼司が接触すると、何か不具合があるんですか?」
「……やっぱり、鋭いわね。詳しいことはまだ言えないけど……そのうち全部わかるわ」
そう言った祐里の視線が、側らの法剣に向けられたのがわかった。法剣は鞘に収めて布で包んで隠してある。
「それで−−蒼司は?」
はやる気持ちを抑えて、つとめて静かに聞く。
「わからない。居場所までは掴めてないから……」
ただ−−と祐里は続けた。
「街にいるのは確実だから、そのうち会えるかもね」
頬づえをついて、祐里は複雑な表情を浮かべた。
昼食を摂ってファミレスを出たときには、ちょうど昼休みが終わるころだった。
「今日はホントにありがとうございました……いろいろと」
「いいって……全部気まぐれみたいなものだし」
何もなかったかのように変わらない微笑みを恭子に向けて、祐里は言った。
「それに−−いつかは、わかっちゃうことだしね」
「……それじゃあ、学校行きますね」
「ん、行ってらっしゃい」
その何気ない一言に、懐かしい母のぬくもりを感じた気がして、泣きそうになりながら恭子は祐里に背を向けた。