−四年前−
三人は交通事故で死んだ。警察からはそう言われた。
もちろん事故現場も見たし、アスファルトに飛び散った大量の血の跡も見た。両親の遺体だって、この目で見た。しかし、弟の−−蒼司の遺体だけは見ていなかった。恭子がどれだけ掛け合っても、会わせてもらえなかったのだ。紙くずのような死亡診断書だけを手渡され、その事実だけを告げられた。最後の別れの言葉すら、言うことが出来なかった。
そして、あまりにも不自然なそのことに疑問すら感じなかったのは、本当に愚かだった。
絶望が心と身体を支配し、廃人のような生活をしていたとき、一人の男が家を訪ねてきた。
あのとき何故ドアを開けたのかは、いまだにわからない。それまでは、一切の訪問者を拒絶していたというのに。ただ、あの出来事によって恭子の人生が変わったのは確かだ。宗教的に言うなら、運命のお導きといったところだろうか。
視線が合った瞬間、男が息を呑むのがわかった。きっと、澱みきって光を失った瞳に驚いたのだろう。屈強な体格のいい男だったが、唇を噛み締め、何かに堪えるようにしていた。
恭子がぼうっと顔を眺めていると、突然男が頭を下げた。
「申し訳ない−−!」
恭子は反応しなかった。というか、その言葉の意味がわからなかったし、それについての興味もなかったからだ。何も感情が湧かない。恭子にとって、自分を含めた全てのことがどうでもいいものになっていた。
「とりあえず、中へどうぞ」
なかなか顔を上げようとしない男に言って、恭子はさっさと奥へ引っ込んだ。予想外の行動にためらいながらも、慌てて男がついてくる。
「お茶をお出し致しますから、そこに座って待っていて下さい」
リビングに入って振り返る。男は何か言おうとしたようだが、構わず恭子は台所に入っていった。
恭子自身、何をしているのか分かってはいなかった。道徳という催眠術にかかっていただけなのだろう。
「……どうぞ」
お茶を沸かして男の前に置くと、恭子は反対側に座った。
「……申し訳ない」
何に対してか、またも男は頭を下げた。
−−やっぱり、わからない。
「君の両親を助けることが出来なかった……」
「……え」
両親?助ける?急に何を言い出すんだ、この人は。
唐突に発せられた意味のある言葉に、恭子は混乱した。しかし、両親は間違いなく死んでしまったのだと、改めて思い知らされることで、少しずつ無くしかけていた理性を取り戻そうとしていた。
きっかけは、そう−−事件の関係者に出会えたこと。
「どういう、ことですか?」
数分の沈黙のあと、感情の込められた、かすれた声で恭子が聞いた。
「私の両親は、交通事故で−−」
「……違う。あれは事故なんかじゃない」
恭子の変化を読みとって、男は重い口を開いた。
「……聞いてほしい。君には知る権利がある」
両親は元々、御神三家という組織の一員だったのだという。二人がいわゆる職場結婚をして子供を産んだあとも、父は隊員、母は研究員として働いていたそうだ。
御神三家とはその名のとおり、神谷・神崎・神代の三家を首長とする対邪族機関−−簡単に言えば、化物を退治する組織らしい。にわかには信じきれない、非現実的な話だった。
「君の両親は−−暗殺されたんだ」
「−−っ!?」
聞き慣れない単語とその意味するところに、恭子は息をするのも忘れて呆然とした。
「あの日、あいつの車は蛇行しながら、尋常じゃない速度で国道を走っていたんだ。十数分それが続いて、突然炎上した。そして歩道に乗り上げて壁に激突−−。一般人の目から見れば、狂人の交通事故かもしれない。だが、その件には敵の送り込んだ邪族が関わっていた。我々も警戒していたのだが、気づくのが遅すぎた−−!」
淡々と、それでいて溢れる感情を抑えるように、男は話し続ける。
「……な、んで?」
その場の光景が浮かんでしまい、なんとか嗚咽を堪えて聞いた。
「君のお母さんの研究が、成功したからだ……」
なんとなく−−やっぱりと思ってしまった。何度か『極秘』と記された書類を見かけたことがあったから。
「それは……なんですか?」
たぶん最高機密ものだろうが、家族を奪った研究の内容が気になった。聞いて何になるという訳でもないけど、聞かずにはいられなかったのだ。
興味本位でないことを目で訴えると、仕方がないといった感じで男は答えてくれた。
「−−組織の隊員が邪族との戦闘時に使用している霊剣というものに、改良を加えたものだ。まだ試作品の段階だったのだが、敵に知られた」
「それで……殺された、ですか……」
「ああ……その試作品を我々は法剣と呼んでいたのだが、敵にもそれの価値がわかったようだな」
自嘲気味に笑った男の表情が妙に印象的だった。
「−−霊剣に法印という古代の呪紋を刻み込んで、詠唱とそれによる共鳴に反応して術が発動するものだ」
「魔法、みたいなものですか?」
「正確には違うが、まあそんなものだな。『魔法』を使えるようになったことは、組織としては大きな成功といえただろう」
「…………」
その言葉には、何か苦々しい思いが含まれているように感じたのだが、気のせいだろうか。
「だが、法剣の製法に関するデータは綺麗さっぱりなくなっていた。そのために、たった一本の法剣が残されたわけだが、それの行方も知れず。おそらく−−君のお母さんが破棄したのだろう」
「……どうして?」
その法剣というのがあれば、邪族との闘いが楽になるはずなのに。
「……どうしてだろうな」
言い方からして何かを知っているようだったが、聞いてはいけない気がした。
リビングに静寂が満ちて恭子が窓の外を見ると、早くも夕日が沈みかけていた。事件の詳しいことは知ることが出来たし、そろそろお引き取り願うべきだろう。
そんな恭子に気がついたのか、男は立ち上がって頭を下げた。いちいち律義な人だと思う。
「今日はすまなかった。そろそろ帰ることにするよ」
「いえ……わざわざ、ありがとうございました」
一応の礼を述べて、玄関まで男を見送る。そこで男は振り向いて呟いた。
「言おうか言うまいか迷ったのだが……やはり伝えるべきだろう」
「え?」
「君の弟……蒼司くんだったな。彼は−−生きているよ」
「−−っ!?」
いま……なんて?
「確かに事件に巻き込まれたはずだが、信憑性の高い目撃情報がいくつか寄せられている。記憶を失って、どこかで保護されている……そんなところだろうな」
「居場所は……その、捜せないんですか?」
「……残念だが、組織として動く余裕はない」
「そう、ですか……」
衝撃的な知らせに動揺しながらも、自分の中で決意は固まった。
男の訪問が自己満足の罪滅ぼしかもしれないとは思っていたが、もしかしたら、心に抱いたこの願いを叶えてくれるかもしれない。そう思った。
「ひとつだけ……最後にお願いしても、いいですか?」
「……なんだ?」
何を言われるのか予想もつかないといった様子で、男は聞き返してくる。
「私を−−組織に入れてください」
「な……に?」
男は茫然と立ち尽くしていた。
そう、恭子は失ってしまったものは諦める。
両親を亡くしたことは凄く悲しいが、どうにもならないことだ。だからこそ、何も出来ずに落ち込んでいた。しかし、蒼司にはまだ会えるかもしれない。わずかでもいい。可能性が−−希望があるのなら、とことん追いかけてみたい。それが、星野恭子という人間なのだ。それが、乏しい表情の仮面に隠した情熱だった。
さすがに二つ返事とはいかなかったが、後ろめたさもあったのだろう。試験のクリアが条件の仮所属ということになった。その場で返事が聞けたということは、男がかなり上層部にいたのか、はたまた独断だったのか、それはわからない。
ともかく、二ヵ月後には御神三家の作戦部に、正式に配属されることになった。