日常のなかの朝
ピピピ……ピピピ……ピピピ……。
薄暗い部屋に聴き慣れた電子音が響き渡る。
「…………」
ピピピ……ピピピ……ピピピ……。
「……んんっ」
夢うつつ、心地良いまどろみの中で、彼女はだるそうに寝返りを打った。
ピピピ……ピピピ……ピピ−−
「……うるさい」
寝ぼけ眼で呟いて、机の上に置いた目覚ましを手探りで止める。しかし同時に、いつものことながら、立ちくらみを起こして床にへたり込んでしまった。
「ううっ……」
軽い頭痛も覚えてこめかみを押さえながら、ちらりと時計を見やる。
午前六時−−いつもどおりの朝だ。
時間を確認すると、かすかに射し込む眩い陽射しから逃れるように、ベッドに潜り込んで丸くなった。そうしてから、じっと耳を澄ませる。
早朝の街独特の空気。静けさの中にどこか騒がしさがあるような−−そんな感じ。
彼女はその微妙な気配が好きだった。
始業まで二時間以上も余裕があるが、それでも低血圧の彼女が苦労して早起きをするのには理由があった。
彼女−−星野恭子は、二度寝が大好きなのだ。彼女曰く、平凡な一日の中にある『七つの小さな幸せ』のうちの一つなのだという。残りの六つは知らない。
気がつけば、恭子は小さな寝息をたてていた。
* * *
がやがや、ざわざわ。
街の喧騒に再び恭子の意識が覚醒する。
自宅前の道路は小・中・高と、地区のそれぞれの学校への通学路となっているため人通りが多く、わざわざ目覚ましをセットする必要もないほどだった。が、始業十五分前。いくら学校が近いとはいえ、そろそろ危うい時間だ。
「……起きなきゃ」
眠い目を擦りながら、ふらふらと部屋を出ていく。相変わらず階下は静かだった。
ごく一般的な家庭ならば『まだ寝てるの?早く起きないと遅刻するわよ!』などという温かい声が台所から聞こえてくるのだろうが、あいにく恭子に母はいない。
それどころか父も弟も−−つまりは家族全員−−四年前の事件で失くしていた。
−−いまごろは、天国で仲良くやっているのだろうか。
ふとそんな風に思うこともあるが、正直どうでもいい。だいたい神の国なんてものは信じていないし、恭子とは二度と会えないことに変わりがないのだから。過去のことであれこれ悩むのは無意味なことだ。
階段を降りて洗面所へ向かう。いつものように鏡の中の自分と向き合うと、思わず苦笑してしまった。
目が真っ赤だ。
記憶には残っていないが、またあの夢を見ていたのだろう。最近、同じ夢ばかり繰り返し見ている気がする。何度見ても慣れることなどない、強烈な−−
「…………」
恭子は沈みかけた心を持て余して、とりあえず顔を洗った。ひんやりとした感触が肌に広がると、一気に目が醒める。それから髪を梳きながら歯を磨く。髪の長さはせいぜい肩にかかるかどうかというところだし、寝グセも少ないほうだから、他の女の子たちよりは朝の準備が楽だ。化粧もしないし。
自分の顔についてどうこう言うつもりはないけれど、可愛い系か美人系かと聞かれたら−−まあ、まず無視するだろうが−−たぶん、可愛い系の部類に入るのだろう。決してブスではない……と思う。こればかりは、人に見てもらわないと分からないが。
リビングで昨日脱ぎっぱなしにしていた制服を着るころには、始業時刻が迫っていた。走っても間に合いそうにない。
母の遺品である腕時計を左手首にはめながら、秒針を見つめる−−あと十秒。
「……五、四、三、二、一」
キーン、コーン、カーン、コーン……。
タイミング良く、学校のチャイムが鳴り響いた。距離が近いと、こうして音が聞こえるのでいろいろ便利だ。昼休み前とか、放課後とか。
「はい、遅刻確定っと」
誰にでもなく呟いて、恭子はソファーに身を沈めた。
「……あ」
朝のワイドショーにも飽きて、出かけようと決めて−−玄関で靴を履きながら、何かを忘れていることに気がついた。だが、その『何か』がわからない。
持ち物のチェックは、ついさっきした。朝食も摂ったし、学校に遅刻の連絡もいれた。
−−風邪気味なので、病院に寄ってから学校に行きます−−
……嘘も方便、というやつだ。自慢だが、成績は常にトップクラスなので、出席日数が足りなくても特に問題はない。
「…………」
じっと考え込んでいると、ふと靴箱の上の写真立てに目がいった。
中一のときに家族四人で撮った最後の写真。そして、四人全員が笑っている唯一の写真だ。感情を表に出すのが苦手な恭子ですら、満面の笑みを浮かべていた。
「…………」
過去を振り返ることに意味はない。けれど……それでも、想い出は綺麗なまま残るから−−
「行ってきます……お父さん、お母さん……蒼司−−」
弟の顔を指先でなぞって、家を出た。