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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Confession

作者: 阿礼 季枝

初投稿です。何ぶん短い時間で、素人が書き上げたものですので、拙い文はご容赦笑覧くださいませ。

これはフィクションです。実際の人物、地名、団体、事件とは一切関係がありません。この小説は、犯罪描写がありますが、犯罪を助長する意図は全くありません。文章中の法廷の描写、ならびに医学的記述は事実を元にしたものではありません。すべて筆者の想像です。

「なぜ殺したのですか」

法廷に、裁判長の静かな声が響いた。

一番先に来る質問だと、わかっていた。

「同じ痛みを持つあなたが、どうして同じことをしたのですか」

ありきたりな質問だった。

わたしの右側にいる弁護士さんが、びっくりした顔をしている。

法廷では想定外の質問なのかもしれなかったけど、

これも、聞かれると思っていた。



 12年前、私は娘を殺された。



12年前、初夏を迎えた公園で、娘は大学生の男に連れ去られた。

娘は3歳になったばかりで、連れさらわれたのはいたずら目的だった。

私が目を離したすきに、公園のトイレに連れ込まれ、

騒いだので口をふさがれ首を絞められて、殺された。

犯人は、近くの大学生の男で、二回生だった。

二日ほどして自首して拘留され、一年ほどで刑事裁判を終えた。


判決は、執行猶予付きの懲役三年だった。


12年前の今日、私は結婚前から勤めていた会社を辞めた。

夫を含む周囲からも、それとなく勧められていた。

事件が起こってから自宅周りが騒がしくなった。

テレビ局や新聞社から、「もしよければ」とインタビューを申し込まれたが、

その応対すらろくにできなかった。


11年前、夫と二人で隣の市へ引っ越しをした。

周囲のざわつきがやまなかったせいもある。

だけど一番の理由は、娘を知っている友達、その親御さん、やさしく見守ってくれる近所の人々から逃げ出したかったせいだ。

なにより、事件の起こった公園が、歩いて3分もない所にあった。

娘がいた跡に触れる痛みは、すさまじいものだった。


10年前、夫と離婚した。

私は新しい住まいで、ボランティアに参加することにした。

地域の保護司会。犯罪を犯した人や非行少年の更生を助けるNGOだった。

さらに、執行猶予中の大学生に、手紙を書き始めた。

どうかもうこのような悲しいことが起こりませんよう。

二度とこのようなことが起こりませんよう。

あなたが更生することが、慰めになるのだというようなことを、ほぼ1カ月に1回、

毎月送った。

夫は、そんな私が理解できないと言った。

たった一人の娘を殺されたのに、神経を疑うと。

夫の両親も、時間がたったからか、面と向かって非難した。

あなたは犯罪の被害者でしょ、もっと他にすることがあるんじゃないのと。

話し合いの場を何度も持ったが、結局毎回平行線に終わった。

夫とその両親は私のもとを去って行った。


9年前、また引っ越しをした。

父が亡くなって久しく一人だった、わたしの母が亡くなった。

兄が喪主をして、ささやかな葬儀が執り行われた。

兄は、疲れた顔をして、お前ここに戻ってこないかと聞いた。

母が亡くなった後、実家は空き家になる。

わたしは首を振った。

結局、夫と引っ越した家から、都道府県を越えてはるか遠くの、まったく知人もつてもない、地方都市に住むことにした。

新しい、でも内容は同じボランティアは、探し出して続けた。

元大学生への手紙も、書き続けていた。

順調に執行猶予期間を過ごし、バイトなどもしているらしい。

本人からは音沙汰はなかったが、元大学生の母親から、菓子折に丁寧な手紙が届くようになった。


8年前、清掃とホテルの洗い場の仕事を始めた。

二つ同時はきつかったが、年齢的なものもあり、辞めた会社でやっていた、経理の仕事はなかなか見つからなかった。

資格をとったほうがいいよと、職業安定所の方からアドバイスを受け、ヘルパーの資格を目指すことにした。

ボランティアは週一のペースで続けている。

手紙も、内容を近況や時候の挨拶に変えながら続けていた。

母親から、出来たらお会いしたい、一度でいいから位牌に手を合わさせてほしいと連絡があった。


7年前、手に入れたヘルパー1級の資格を生かし、福祉施設に再就職した。

比較的若くして亡くなったわたしの母は、人にお世話をさせずに亡くなったのだなと思った。

お年を召した方に、あまり心が浮き立つようなことはしゃべることができなかったが、

相手のおしゃべりをただ黙って聞いていると、すごく嬉しがられた。

おんなじことを何回も聞いてくれてありがとうね、と言われた。

わたしとしては、母から聞かねばならなかったことを、聞かせてもらっているだけだ。

このあいだ犯罪者更生の講演会で、体験談をしゃべってほしいという依頼があった。

とても人前ではしゃべれないと、丁重にお断りした。

最近、話してほしい、書いてほしいという依頼が多い。

手紙は続いている。母親とは、月に一回会うことが多くなった。

父親とも1回だけ出会った。


6年前、元大学生−H、と呼ぼう。もう大学生ではないのだから。

Hが、白いユリの花とお菓子と線香を持って、現れた。

自分はとてもここに来れた者ではない。

だが、お気に障らないのであれば、これをお墓にお供えさせてほしい、と言った。

私は、ありがたく頂戴します、とその三つを受け取った。

ユリの花のにおいは、6年前を少しだけ、思い出させた。

最後までHの顔は見なかった。


3年前、Hが結婚した。

バイト先で知り合った娘さんで、4つ年下だそうだ。

Hはバイトを辞め、親戚のつてで正社員として、新たな出発を始めたばかりだった。

わたしにも結婚式・披露宴に出席を、とHの両親からお願いをされた。

親戚でもないのにと恐縮したが、是非にとも頼まれた。

根負けをして、親戚以外の者がいても目立たない、チャペル式の結婚式のみ、参加させてもらった。

いまどきの若い人らしく、授かり婚だそうで、白いドレスのお嫁さんのお腹は少しふっくらとしていた。

気持ちよく晴れた青い空に、チャペルの鐘の音が鳴った。



 1か月前、私はHの娘を殺した。



本で調べたところ、女の手で人を殺すのには、ひも状のものを使うのが一番よいのだそうだ。

首にかけて、背負い投げのように、後ろ手につるす。

わたしにはよくわからないが、人間はそうすると、「落ちた」状態になるのだそうだ。

頭に血がいかなくなって、3分だともう絶望的らしい。


裁判所の法廷では、わたしの正面に裁判長さん。右に弁護士さん。

左に告発者である検察官さんがおられる。

被害者の家族の場所は、柵の外。

Hとその父親がいる。娘の遺影を持って。母親と、お嫁さんはいない。


全てが12年前と重なる。場所だけが正反対だ。

先ほどの裁判長さんの言葉が、あたまに響く。

「同じ痛みを持つあなたが」。


しかし、この痛みはもう繰り返さない。同じ輪の中では二度と繰り返さない。

私の一人娘はとうに亡く、夫は愛想をつかせて出て行った。

わたしの両親はすでになく、兄夫婦に子供はいない。


あの子は、なんのために生まれてきたのでしょうか。

それはまったくわかりません。

でも、わたしは、ここに立つために、今日まで生きてきました。



読んでいただき、有難うございます。

私も一児の母なので、熊本事件の犯人をはじめとする、弱いものを狙った犯罪には怒りを禁じえません。が、犯人にはきちんと法廷での裁きを得て、これ以上同様の犯罪が起こらないようになったらと思っております。

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― 新着の感想 ―
[一言]  この人は、ボランティアに参加したり、ヘルパー1級の資格を取って就職までして。 中盤位までは、「立派」だったのに ……やっぱり、許せなかったんでしょうね。 自分は孤独で……それなのに、愛…
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