”彼”の考察 その1
ようやく、”彼”による名推理がスタートします。現場に残された手掛かりから、いかにして犯人像を形成していくのか。また密室のトリックとは?
そして、一年前の『あの時』とは何か……。
明かされる真実と、新たな謎が生まれる第四話お楽しみください。
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「ところで、鳴海刑事はピラミッドの作り方を知っていますか?」
「ピラミッド?」
「ええ。あるいはバールベック神殿の巨大石でもいいですが、重要なのは古代人が石を切り出した方法です」
「……それが事件と何か関係あるのかい?」
「関係あるもなにも、それこそがこの密室を作り出した答えですよ」
「!? それは一体どういう……」
「まず、先の二つの例に挙げた古代人の超技術について説明します。まだ加工技術や建築技術が充分に発達していなかった時代、古代人はいかにして石を切り出したのか、ですね。依然として謎が残る部分もありますが、一般説としては次の通りです。まず、固い石や金属のノミで岩に筋を入れ、そこに木の杭を何本も打ち込みます。あとは打ち込んだ木の杭に水をかけ、時間が経つのを待つだけ。水をすった杭は時間が経つに連れて次第に膨張し、岩に大きなヒビを入れる。この原理を利用して今回の殺人は行われたんですよ」
「……すまない桔梗君。僕にはまだ繋がりが見えないのだが……」
「では、順を追って説明しましょう。昨晩、天気予報でこの地域が大雨に見舞われると知った被害者は、屋敷のまわりに土嚢を積むため、この土蔵に足を踏み入れた。しかし、被害者の後から土蔵に入って来た何者かに襲われ、死亡。その際、犯人が使用した凶器は大型の刃物───それも電動モーターかエンジンが組み込まれている代物だと考えられます」
「どうして?」
「首ならともかく、胴体を真っ二つに切断するなんてことは人の力では不可能だからです。良くて致命傷を与えるのが精一杯のはず。ほら、ドラマや推理小説でよくあるバラバラ死体なんかにおいても、首や手足を切断することはあっても、胴体を切断することはあまりないでしょう?」
「あ、ああ。そうだね」
「それに、あまり殺害に時間をかけすぎると、誰かに目撃されたり、被害者に逃げられてしまう恐れもある。現場にわざわざこんなカードを残して僕たちを挑発するような奴が、そんなリスク冒しませんよ。天井付近にまで血が飛び散っていることから見ても、相当強い力で切断されたと断言できます」
さて、と一呼吸入れて、俺はさらに続ける。
「では、犯人の特徴についてですが、さっきも言ったようにかなり用意周到な相手だと考えられます。このカード以外に、自分に繋がる可能性のある証拠を現場には残していないでしょう。しかし、それを逆手にとって推理を進めることはできます」
「どういうことだい?」
「犯人は被害者を殺害するとき、大量の返り血を浴びることを想定していたに違いありません。そして、返り血を浴びてもいいように、全身を真っ黒なフード付きのダウン、もしくはレインコートで覆って犯行に及んだ。真っ黒なのは、そのほうが夜の闇に溶け込みやすいため。犯行後は、そのまま外に出れば雨が血を洗い流してくれるというわけですよ。もちろん、例のカードを死体のそばに置いた後でね」
「し、しかし。肝心の密室のトリックがまだ説明できてないじゃないか。犯人はどうやって、あの状況を作り出したと言うんだい?」
「犯人が作り出したわけじゃありませんよ。“自然にできてしまった”んです、あの密室は」
「自然に……?」
「そう。“木製である土蔵の扉は、浸水によって膨張した”。故に、有村さんが取っ手を引っ張った時、びくともしなかったんですよ。扉と床の隙間がなくなったから」
「そ、それじゃあ、この土蔵には鍵なんてかかっていなかったと!?」
「ええ。まとめると、犯人は昨晩の大雨に三つの利点を見出したのですよ。一つ目は、被害者に忍び寄るときの足音を消してくれる点。二つ目は、返り血を洗い流してくれる点。三つ目が、この密室を形成してくれる点……」
「なんてやつだ……ッ!」
鳴海刑事は、ぎりぎりと歯ぎしりする。
明らかに計画的な犯行。この計画を本当に“個人”で立てたのなら大した奴だが、俺にはその背後に、いくつもの駒を従えた犯罪組織がいるように思えてならなかった。
明確な理由はない。これは探偵としての直感だ。
一年前の『あの時』と同じように、“事件に対する本能”と“右腕に疼く傷跡”が、この事件が一筋縄ではいかないものであると告げていた。
私を捕まえられるかな、だと?
……ふん。上等だ。受けてやろうじゃねえか。その知恵比べとやらを。
「とりあえず僕は、この近辺のスーパーやデパートをすべて当たってみるよ。最近、電動式の大型刃物や真っ黒なレインコートを買った人物がいないか聞き込みをしてくる。桔梗君も一緒に来るかい?」
「いえ、僕はもう少し現場を調べてみます。可能性としては低いですが、ほかに犯人に結び付く手がかりとなるものがあるかもしれませんので」
「分かった。なにか発見したら僕の携帯に連絡してくれ。一応夕方にはここに戻る」
そう言って去ろうとする鳴海刑事を小声で呼びとめる。
なんだい? と目で問う彼に、俺は『静かに』というように、左手の人差し指を口元に当てたまま、
「鳴海刑事。車に戻ったらどこかに盗聴器や発信機の類が仕掛けられていないかチェックしてください。犯人が野次馬に紛れ込んでいる可能性があります。この知恵比べに勝利するには、当然こちらの動きを把握しているほうが有利に動けるし、次の作戦も立てやすい。今後は必要最小限のコンタクトのみで捜査を進めていきましょう。万が一、盗聴器や発信機を見つけた場合でも、あくまで気付いていないフリをすること。間違っても、僕たちがどこまで真相に近づいたのかを相手に悟られることだけは避けないと」
「じゃあ、具体的にはどうすればいい?」
「念のため車内では余計なことは一切しゃべらないこと。それから、スーパーやデパートだけではなく、フェイクとしてほかの店も色々回ってください」
了解、と真顔で頷いた鳴海刑事は、ふと俺をしげしげと見つめて、
「いや、しかし、本当に凄いな君は。現場を一瞬見ただけでそれだけのことが分かるなんて」
「別に……大したことじゃありませんよ」
それは、本当だった。世の中にはもっと狡猾で、頭の切れる奴がいる。
……そう。まるで物事のすべてを見通せる力を持っているような、そんな強敵が……。
鳴海刑事と別れた後、俺は改めて件の土蔵を隅々まで調べてみることにした。扉を開けてからかなり時間が経過していたためか、埃っぽい空気は少し湿気を含んだ外気と混ざり合って、幾分かマシになっていた。しかし、乱雑に配置された大量の品の表面には依然として埃が積もっており、少し動かしただけでも舞い上がるそれらに咳き込む始末だった。
そうして───
少し西に傾き始めた太陽の光が土蔵の奥まで光の道を形成する頃、俺はある一枚の紙に目を止めた。それは、ウィジャボードと魔術がらみの分厚い本の隙間からほんの僅かにはみ出ていたもので、土蔵の扉から差し込んできた日光でようやく気付けたほど、巧妙に隠されていた。
それだけならまだしも、紙には他にもおかしな点が三つあった。
一つ目は、紙の上辺に一度剥がされたような跡があること。二つ目は、まるで誰かが握りしめていたかのように、たくさんの折り目がついていること。そして三つ目は、“微量の血が付着している”ことだ。
もし、この紙が本当にウィジャボードと本の間に挟まっていたのなら、血が付くはずがない。それが付いているということは、犯行当時、この紙は別の場所───紙につけられた折り目から判断すると、被害者もしくは犯人が握りしめていた、ということか……?
いや、違う。もっと限定できる。
握りしめていたのは、恐らく被害者のほうだ。
犯人は電動式の大型刃物を所持していた。そして、それを安定して扱うには“両手で支える必要がある”。
「なるほど……。読めてきたぞ」
被害者は殺される前、どこかに貼ってあったこの紙を剥がし、そのまま土蔵の中に入った。犯人は被害者を殺害した後、その手に握られていた紙をさっきの場所に隠したというわけだ。つまり、この紙には事件解決に繋がる重大なヒントが隠されていると見て、まず間違いないだろう。
それほどの物を何故そのまま持ち去らなかったのか、という疑問が残るが、それについてはひとまず置いておくとして、俺はそこに書かれた文字を目で追っていく。
むかしむかし、あるところに、三匹のかわいい子ブタがおりました。
子ブタたちは、へいわにくらしていましたが、あるとき、とつぜん大きなオオカミがあらわれました。
子ブタたちは、じぶんたちをくいころそうとする、オオカミからにげようと、ひっしでした。
一番目の子ブタは、がんじょうなかぎのついた木のいえにとじこもりました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、からだをまっぷたつにひきさかれてしんでいました。
二番目の子ブタは、木のいえよりも、もっとじょうぶな、てつのいえにとじこもりました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、ぜんしんまるやきにされてしんでいました。
三番目の子ブタは、木のいえよりも、てつのいえよりも、もっとじょうぶな、イヌのおまわりさんのいえにとめてもらいました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、せなかをつらぬかれてしんでいました。
けっきょく、いきのこった子ブタは、一匹もいませんでした。
「これは……」
有名なお伽噺『三匹の子豚』から派生した童謡の一つなのだろう。しかし、いま注目すべきは一番目の子豚の死に方だ。
翌朝、体を真っ二つに引き裂かれて死んでいた───それはまさしく、この事件そのものにほかならない。
「見立て殺人……か」
見立て殺人。
童謡など、ある特定のものに見立てて事件を装飾しながら行われる殺人を指す。海外では、イギリスの有名な童謡伝承であるマザー・グースを題材にした事件が定番である一方、日本では横溝正史の『悪魔の手毬唄』などが一例に挙げられる。
今回の事件もその類なのだろうが、そうなると、ある問題が浮かび上がってくる。
犯人が現場に残したカード。
あれには、『カウントダウン:3』と書かれていた。しかし、この童謡通りに殺人が行われると仮定すると、一番目の子豚が死に、残りは“二匹”。すなわち、本来なら『カウントダウン:2』と書かれるはずなのだ。
……どういうことだ?
真っ先に考えられるのは、この童謡がまだ完結していない不完全なものである可能性だが……これより先があるとはちょっと考えにくい。かと言って、童謡自体が書き換えられたとも思えない。
とすると……
「おーい、桔梗君!」
しばし黙考している間に、夕方になっていたらしい。
感情が顔に出やすい鳴海刑事のこと、その落ち込んだ表情から、充分な成果が上がらないまま聞き込み捜査が失敗に終わったことを読み取った俺は、それとは違うことを尋ねる。
「鳴海刑事。車には盗聴器や発信機が仕掛けられていましたか?」
「いや、特に何も……。尾行にも注意を払っていたけど、今のところ、つけられている感じはなかったよ」
「そうですか。では、連れて行って欲しい所があります」
目的地は、東京都立中央図書館。
あそこの地方史コーナーには、戦前から現在まで地方公共団体等が編集・発行した地方史が多数所蔵されている。それらと密接な関わりを持つ地誌、考古、民俗誌あたりを調べれば、この童謡についてさらに詳しい情報を得ることができるかもしれない。
「了解。じゃ、少し飛ばすよ。あそこは午後九時に閉館するからね」
再び車に乗り込んだ俺たちは、真っ赤な夕陽を背に、中央自動車道を都心方面に向けて走りだした。
割といろんなことが分かった第四話ですが、まだ犯人逮捕にはほど遠いです。これからの”彼”と鳴海刑事の活躍にご期待ください。
では。