捜査開始
いよいよ本格的に桔梗たちが捜査に乗り出します。現場状況などからみなさんも是非推理してみてください。
「───今朝方、片倉町の一角にある古屋敷で男性の死体が発見されたのだよ。それも胴体が真っ二つに切断されている状態で。現場に犯人からのメッセージと思われるカードが残されていたことから、これは間違いなく殺人事件にあたるわけだが、現場の状況にどうにも不可解な点があってね……。君には是非、その謎を解き明かしてもらいたいんだ。もちろん、僕と一緒に来てくれるのだろう?」
「嫌です。断固お断りします」
まだ昼前という時間の、とある喫茶店内。
殺人事件が起きたというのに、喜色満面の笑みを浮かべている美丈夫に僕は冷たく言い放った。
「なぜだ!? 君は事件と聞くと一目散に現場にすっ飛んで行くじゃないか。まるで、事件こそが自分の生き甲斐だとでも言うように」
いや、それは“彼”のことであって、僕は惨殺死体とか見たくないんだよ……。
情けないが、僕自身はどう考えても探偵に不向きな性格だと思う。血や肉片を見るだけで吐き気がするし、優れた観察力や洞察力を持っているわけでもない。
あくまで普通の生活、凹凸の少ない平坦な日常を過ごせれば、それだけで満足だ。
でも、“彼”は常に刺激を求めている。それも平穏の外側に。
自分の欲求を満たすものがあるのなら、たとえ火の中にでも迷うことなく飛び込むような性格なのだ。
もちろん、“彼”の行動を僕が否定することもできる。僕らはあくまで二人で一つの個体。互いに体を預けられる存在である以上、どちらかの同意が得られない場合は行動には移せない。だから、僕が“彼”の嗜好を拒絶すればそれで済む話なのだが……。
「なあ、頼むよ、桔梗君。君だって別に嫌ってわけじゃないんだろ?」
そう。
自分でもよく分からないけど、多かれ少なかれ、僕も“その世界”に魅力を感じているみたいだ。
それは理屈では説明できない、本能の領域。
“彼”が僕の内に宿る前から、全身の細胞に刻みこまれていたかのような必然性のある感情にさえ思える。
結果、僕はいつも非日常的な出来事に翻弄される日々を送っていた。平穏な生活のほうがむしろ幻なのではないか、と感じてしまうほどに。
そんな矛盾した思考を持つ自分に苦笑しつつ、僕は居住まいを正す。
「分かりました。捜査にはご協力させてもらいます。───では早速ですが、どういった状況下の殺人だったのか、詳しく教えてもらえますか、鳴海刑事?」
3
そもそも僕がこの喫茶店に来たのは、血生臭い事件の話を聞くためではなく、高校以来の親友と数年ぶりに会うためだった。
最寄り駅は交通量の多い国道と、銀行や大型デパート、家電量販店、中古ゲーム屋などに囲まれ、休日はかなりのにぎわいを見せているが、そこから少し横道に逸れ、喧騒と喧騒の合間を縫うようにして作られた細い路地を進んだ場所にあるこの喫茶店は、周囲の高いビルが防音効果の役目を果たし、まるでそこの区域だけ隔絶されているかのように静かだった。
喫茶店自体のほうも、これまた周囲の武骨な景観と異なり、なかなか洒落た雰囲気を纏っていた。
自然光を多く取り入れるために作られた大きめの窓には、美麗な装飾が施された建具が設置されており、その下の赤茶色の煉瓦壁はどこか中世のヨーロッパを思わせる造りだった。店の入り口には、お伽噺から飛び出してきたような可愛らしい小人の人形が、訪れる客を出迎えていた。
僕が店を訪れたのは午前十時ごろ。昨晩から降り始めた大雨が止み、ようやく太陽が雲の切れ間から顔を出し始めた時間だった。
店の中に入ると、思っていたよりも客の姿は少なく、空席のテーブルがけっこう目立った。微かにクラシックが流れる店内を窓際の席に案内された僕は、コーヒーとサンドイッチを注文した。
路地に残る水たまりに日光が反射し、きらきらと輝く様を眺めながら待つこと五分。
「よ、待たせたな。元気だったか、桔梗」
馴染み深い、張りのある声が店内の空気を震わせた。僕は声の主に笑い返しながら、
「久しぶりだね、青磁。僕のほうは、まあ『いろいろ』あってね。詳しいことは言えないけど、元気にやってるよ。そっちは、大学の教授だっけ?」
ああ、と頷きながら、青磁は僕の向かいの席に腰を下ろした。そして、新しい水を運んできたウエイトレスに僕と同じメニューを注文する彼を、しげしげと観察する。
本名、浅緋青磁。前述の通り、僕の高校時代からの親友で、同じ部活にも所属していた。がっしりとした体格に、いっそ野卑と言っていいくらい逞しい表情。
彼の特徴について百人にアンケート調査したら、九割以上が『頼りになりそうな男』と答えるだろう。
それくらい他者を引っ張って行きそうな雰囲気を持つ青磁は、彼自身の類まれな計算能力を生かして研究者の道を歩むことにしたようで、現在は大学の教授を務める傍ら、航空宇宙の分野で新しいプロジェクトを立ち上げているらしい。
注文したホットコーヒーを一口すすって、青磁は静かに切り出した。
「今日、お前をここに呼んだのは、他でもないお前自身について警告するためだ」
「警告?」
「ああ。アメリカで行われた国際会議に出席するために渡米した時、現地の新聞で読んだんだが……お前、国際的な犯罪組織と渡り合ったんだってな。名前は忘れちまったが、組織のアジトに乗り込んだ際、武装した敵グループの一味が発砲して抵抗。その流れ弾のうち一発がお前の右腕を撃ち抜いた……。普段右利きのお前が、無理して左手でコーヒーを飲んでいる理由はそれだろ?」
青磁は、僕がわざと隠している右腕に鋭い視線を投げる。
……なんだ、気付いてたのか。
僕は観念して服の袖をまくって腕を見せる。今もなお疼く、深い傷跡を。
「参ったなあ。人間観察は僕のほうが得意だと思っていたのに、こうも簡単に見破られるとは」
「誤魔化すな、桔梗。これでも俺は本気で心配してるんだぞ。あまり行き過ぎた真似をすると、最悪命を落とすかもしれない。それが分かってんのか!?」
次第に声を荒げる青磁に対して、僕はあくまで冷静な口調で返答する。
「もちろん分かってるさ。僕だって自分から進んで危険に首を突っ込もうとは思わない。けど、“彼”は別だ。何があろうと、『事件』を見過ごすことは“彼”の探偵としてのプライドが許さない。僕がどんなに拒んでも、そこだけは譲らないんだよ」
「“彼”……お前の別人格か……」
青磁は難しそうな顔で嘆息する。
ちなみに、僕が二重人格者だということは、青磁とその他信頼のおける友人数人にしか明かしていない。もっと公の場で堂々と打ち明けられたら楽なんだけど、“彼”の存在を世間一般の人がそう簡単に認めるはずがない。
現代社会において、二重人格が通称『解離性同一性障害』と呼ばれているように、世間から見れば、僕は“障害者”だ。いくら“彼”の存在を主張したところで、一笑に付されるのが落ちだろう。最悪、病院送りにされる可能性も充分にあり得る。
こういう時、ほんとやりにくいなあ、と思ってしまう。
一つの入れ物に宿った、異なる二つの人格。
しかし、普段は見えない薄い膜で仕切られているかのように、必要以上に干渉することはない。その線引きを唯一歪めてしまうのが『事件』なのだ。
「こればっかりはどうしようもないよ。僕が“彼”にとやかく言える立場じゃないし、もしも、本当に危険だと判断したら大人しく身を引いて警察に任せると思う。“彼”も死にたくはないだろうからね」
「はあ……。お前の楽観的な思考は昔から変わってないな。可愛い従妹もいるんだし、いつまでも飄々としてないで身を固めたらいいのに」
急に人生アドバイザーみたいなことを言い出す青磁に、苦笑を返しつつ、
「瑠璃のことは、犯罪組織との決着がついてから考えるよ。一般人である彼女を巻き込みたくはないからね。そう言う青磁こそ、茜とはうまくやってるのかい? 去年の夏に結婚したんだろ?」
「あれ? なんで知ってんだ? お前とは連絡が取れなかったはずなのに」
不思議そうな顔をする親友に、僕は左手の人差し指を、チッチッチっと左右に振って答える。
「三年前の同窓会の時にはしてなかった結婚指輪をはめているのを見れば一目瞭然だよ。青磁と茜は高校のときから馬が合ってたし、最近は『二人が正式に付き合っている』という噂も小耳に挟んでいたしね。結婚した時期については、僕が海外に出かけていた去年の夏だと推測される。もし、僕がまだ日本にいた頃に式を挙げていたのなら、僕宛に招待状が届いていたはずだから」
「なるほど。実は今日、そのことも報告しようと思ってたんだが、どうやら語る必要はなかったようだな。ちなみに俺たちの新居は八王子じゃなくて、もっと自然豊かな長野の村だ。住所を書いた紙を渡しておくから、暇ができた時にでも遊びに来てくれ」
「うん。そうさせてもらうよ」
青磁から用紙を受け取ったその時───
からん、ころんっ!
と、店のドアに取り付けられた鈴が大きな音を立てた。やや乱暴に店に入ってきた背の高い男は、駆けつけてきたウエイトレスのほうを見向きもせず、突風の如く僕たちの座っている席へと一直線に向かってくる。
「な、なんだ?」
突然の闖入者に狼狽した声を上げる青磁とは対照的に、そのライトグレーの背広姿をこれまでに嫌となるほど見てきた僕はうんざりする。男は僕たちのテーブルの横で足を止めると、呼吸の乱れなどまるで感じさせない調子で口を開いた。
「やあ、随分探したよ、桔梗君。友達と食事を楽しんでいる最中に押しかけて本当にすまないとは思っているが、早急に君の助けが必要なんだ」
切羽詰まった雰囲気を出したいと頑張っているらしいが、顔面に張り付いた嬉しそうな笑顔のせいでシリアスな空気がぶち壊しになっている。
初めは緊張していた青磁も、彼の子供っぽい無邪気な笑顔に警戒を緩めたようだった。
「ええと、桔梗の知り合い?」
「うーん、知り合いといえば知り合いだけど、なんか違うような気もするというか……」
「何を言ってるんだ、桔梗君! 僕たちは数々の難事件に共に立ち向かってきた大事なパートナー同士じゃないか!」
「僕はパートナーになった覚えはありません」
「……つまり、どういう関係なんだ?」
「おっと、申し遅れたね。僕は警視庁刑事部捜査第一課の紺青鳴海です。君のことは胡桃から聞いてよく知っているよ、浅緋青磁君」
「え? 『胡桃から』ってことは、ひょっとして……」
「そう。僕たちが文学部に所属していた頃の後輩、紺青胡桃さんのお兄さんだよ」
「えええぇぇぇええぇぇえ!!?」
青磁は席から飛び上がらんばかりに驚いている。喫茶店内のほかの客が何事かとこちらに視線を向けているのに気付いて、青磁は声のトーンを元に戻した。
まあ無理もない。僕も初めて知ったときには、今の青磁以上のリアクションをしたものだ。でも、冷静に彼を観察してみると、確かにかつての後輩と似たような空気を纏っている。子供っぽい天真爛漫な笑顔は瓜二つだし、好奇心旺盛な性格も、活発的で行動力があるところもそっくりだ。
「そんなに意外だったかい?」
「いえ、そういう意味では……。でも、そうか。これで、何で紺青があんなに情報収集に長けていたのかは理解できた……」
「ん? ああ、妹からはしょっちゅう電話をもらっていたからね。『お友達には内緒にするんだぞ』という条件付きで、いろんな情報を教えていたんだ」
と、ここで鳴海刑事はようやく本来の目的を思い出したようで、
「そうそう、桔梗君。大事な話というのはね───」
「またどこかで事件でも起きたのでしょう? それくらい分かりますよ。でも、ほら、今は一般人もいますし、場所を変えませんか?」
「いや、それには及ばないぜ、桔梗。お前の仕事の邪魔をするのも悪いし、俺はそろそろ失礼するよ。久しぶりに会えて嬉しかったぜ」
「いいのかい?」
「ああ、俺もこの後すぐ別の用事があるから、どのみちもう店を出るつもりだったからな。お前の従妹にもよろしく言っといてくれ。それから、たまには連絡寄越せよ」
青磁は最後に鳴海刑事に一礼すると、喫茶店を出て行った。
「いや、本当に申し訳なかったね。折角の旧友との再会をこんな形で終わらせてしまって……」
「いえ、別に気にしてないから大丈夫ですよ。青磁の自宅の住所を教えてもらいましたし、お互いの都合がつけば、またいつでも会えますから。───それで、今度はどんな事件なんですか?」
ここで、ようやく冒頭のやり取りに至るわけである。
百聞は一見に如かず。
僕が口で説明するより実際に現場を見た方が早いだろう、という鳴海刑事の提案により、俺たちは車で片倉町へと向かった。
ちなみに、喫茶店を後にした時点で“表の桔梗”とは入れ替わってある。ここから先は探偵である俺の領分だ。
「片倉町まで三十分ほどかかるから、それまでにある程度説明を済ませておくよ」
国道の信号で引っかかった時間を利用して、鳴海刑事は俺のほうを振り返りつつ言った。
「まず、僕の鞄の中を見てほしい。現場の写真が数枚と、犯人が残した白いカードが入っているはずだ」
鳴海刑事の指示に従い、俺はまず現場写真を眺めてみる。
「これは……酷いってレベルじゃありませんね……」
そこには、たちの悪いスプラッター映画のような光景が写されていた。切断された胴体からは臓器が見え、飛び散った大量の血がありとあらゆる物をどす黒く変色させている。しかし、よくよく観察してみると、周囲の壁や天井付近に置かれた物には血が大量に付着しているのに対して、床付近はそこまで付着してはいない。代わりに水が流れていたような濡れた跡が全面にわたって残されている。
「鳴海刑事。現場の床が広範囲にわたって濡れていますけど、これには何か理由が?」
「ああ、それは浸水の跡だよ。ほら、昨晩は関東平野の山間部で特に強い雨が降ると天気予報で言っていただろ。被害者の住んでいた古屋敷はその地域でも特に低地に位置していてね。集中豪雨のときは、内水氾濫による洪水がよく起こるそうだ」
「なるほど。被害者の周りに積まれた土嚢は浸水を防ぐためのものですか……。ほかにも神話やオカルトがらみの怪しい代物がたくさん写っていますけど、ここは倉庫か何かですか?」
「被害者は土蔵と呼んでいたみたいだが、まあ平たく言えば倉庫だね。君の言う『神話やオカルトがらみの怪しい代物』は、被害者が学生時代に熱心に研究していたものらしい。現在は興味が薄れてしまっていたようだけどね」
“学生時代”“オカルト”という単語から、俺の思考は一瞬高校三年の春へと舞い戻る。
学園に古くから伝わる怪談の謎を巡って、当時のミステリ同好会の会長と対立した時の一場面が脳裏に蘇った。
『次こそは勝たせてもらう!』と、怒りに顔を真っ赤にして叫んでいた敗者の姿。
まさかあの人が被害者じゃないだろうな……。
ふと脳裏によぎった嫌な想像を振り払うように、俺は白いカードのほうに注目する。
そこには、無機質な文字でわずか一行
さあ、ゲーム再開だ。私を捕まえられるかな? カウントダウン:3
と書かれていた。ほかにはカードの裏にアスパラガスのイラストが描かれているくらいだ。
「……鳴海刑事。このカードはどこに?」
「死体のすぐそばだ。カードのどこにも血が付着していないことから、恐らく被害者を殺害した後、血が完全に乾いてから現場に残したものだと推測されるが……文面がえらく挑戦的だと思わないかい?」
「ええ。これは挑戦状と見て間違いないでしょうね。カードの裏面に描かれたアスパラガスの花言葉は『私が勝つ』。文面にも『ゲーム再開』という言葉があることから判断して、この犯人は知恵比べを望んでいるのでしょう。その対象が警察なのかどうかまでは分かりませんが、カウントダウンの意味くらいは容易に想像がつく」
「……やっぱり、これから殺人を行う回数を表しているのだろうか……」
鳴海刑事の不安そうな台詞に俺は頷く。
どこの誰の仕業かは知らないが、ふざけた奴もいたもんだ。これ以上罪を重ねる前に俺が必ず捕まえてやる。
そうこうする内に車は片倉町に入り、ほどなくして現場である古屋敷に到着した。
予想はしていたが、付近にはマスコミ関係者と野次馬で騒然とした人だかりができていた。
それらをなんとか掻い潜って土蔵へと足を運ぶ。
古く、重そうな木製の扉は今は開け放たれ、その奥の惨たらしい有様を露わにしている。
「第一発見者の有村さんの証言に依るとね───」
極力死体を直視しないように気をつけながら、鳴海刑事は手帳に記載されている事実を読みあげる。
「この屋敷を訪れたのは今朝の八時半ごろ。なんでも回覧板を届けに来たらしいのだが、母屋の呼び鈴を鳴らしても一向に返事がなく、仕方なしに玄関脇の郵便受けに入れて帰ろうとしたとき、この土蔵の扉から血が流れ出ているのを目撃したらしい。もちろん、当時はまだ小雨が降り続いていて血の大部分は流されてしまっていたようだけど、それはともかく。異変に気付いた有村さんは、扉に駆け寄って大声で呼びかけたが、やはり物音一つ返ってこない。試しに扉の取っ手を引いてみても、土蔵の内側からしっかり鍵がかけられていたためか、びくともしなかったらしい。それで近所の住人と協力して鍵を壊し、中に足を踏み入れたらこの有様だったというわけだ」
「土蔵の鍵は被害者が?」
「ああ。ズボンのポケットから見つかったよ。ちなみにほかに合い鍵はないそうだ。だから頭を悩ませているんだよ……。もし、この状況が正しいのだとすれば、これは密室殺人ということになる。土蔵のどこかに秘密の抜け穴とかでもない限り、脱出は不可能だ」
「───いえ、そうとも限りませんよ?」
俺の言葉に、鳴海刑事が心底驚いた表情で、
「まさか、桔梗君にはもう密室の謎が解けたのかい?」
「はい。現場の状況から見て、おそらく“この方法”で間違いないと思います」
そう前置きして、俺は推理を語り始めた。
はい。密室の謎を解くために必要な伏線はすべて書きました。第四話の投稿まで少し間をあけるつもりですので、是非推理してみてくださいませ。では。