一番目の子ブタ
推理小説っぽい雰囲気が出ているかどうかは微妙ですが……まずは第一の殺人です。全体としては、この話の冒頭に書いてある昔話通り、殺人が行われていく予定です。
むかしむかし、あるところに、三匹のかわいい子ブタがおりました。
子ブタたちは、へいわにくらしていましたが、あるとき、とつぜん大きなオオカミがあらわれました。
子ブタたちは、じぶんたちをくいころそうとする、オオカミからにげようと、ひっしでした。
一番目の子ブタは、がんじょうなかぎのついた木のいえにとじこもりました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、からだをまっぷたつにひきさかれてしんでいました。
二番目の子ブタは、木のいえよりも、もっとじょうぶな、てつのいえにとじこもりました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、ぜんしんまるやきにされてしんでいました。
三番目の子ブタは、木のいえよりも、てつのいえよりも、もっとじょうぶな、イヌのおまわりさんのいえにとめてもらいました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、せなかをつらぬかれてしんでいました。
けっきょく、いきのこった子ブタは、一匹もいませんでした。
2
『───今夜遅くから明日の未明にかけて、関東平野の内陸、特に山間部では、局地的に一時間に50mm前後の非常に激しい雨が降ると予想されます。付近の住人は、河川の増水や洪水・土砂災害に充分に警戒するようにしてください。では、次のニュースです。今日の昼過ぎ、八王子市のスーパーで───』
天気予報が終了したところで、古畑兼倶はテレビを切った。プツン、と電源が落ちて真っ暗になった画面に、自分の顔が映し出される。疲労の蓄積によるものか、毛髪はほとんどが白髪、顔面のしわも多く、実年齢よりもかなり老けて見える。
古畑は思わず、はあ……、と疲れ切ったため息を漏らした。去年の冬に、勤めていた会社をクビにされてから、日にいくつかのバイトを掛け持ちすることでなんとか食べていけていたが、健康状態の悪化、体力の衰えなどによって、それも徐々に難しくなりつつある。
妻とは数年前に離婚。現在は、この古びた木造の屋敷に独り寂しく暮らしている。
いや、寂しいと感じたのは、ほんの数週間だけだった。永遠に変わらぬ物などないように、この屋敷に染みついた妻の匂いも、いつしか色褪せてしまった。
毎日の食事風景、そこから妻の姿がいなくなってから、古畑はテレビを見るのが習慣になっていた。
ただの退屈凌ぎのつもりだったが、心の奥底では、やはり妻の事を、孤独の自分を気にかけていたのかもしれない。バラエティ番組やクイズ番組は無意識の内に避けていたし、だからと言って、最近のニュースでは、景気の低迷や外交関係の悪化など、先行きの暗い話題ばかりで見るのが嫌だった。結局、九時前の短い気象情報と、その後に放映される二時間ドラマや映画を眺めて時間を過ごす日々を送っていた。
しかし、今日はそうもいかなかった。
この辺りは周りよりも少し土地が低いためか、集中豪雨時は、雨水が流れ込みやすい傾向がある。結果、排水路だけでは処理が間に合わず、内水氾濫による洪水が頻繁に起こるため、付近の住人は雨水の浸水を防ぐために、土嚢を積み上げるなどの対策を強いられてきた。
洪水ハザードマップにおいても危険地域と認定されているのだから、できる限り早い内から備えておかないと土砂に流されてしまう危険もある。
古畑は嫌々ながらも、重い腰を上げて土蔵に向かうことにした。
土蔵は、屋敷の中心となるこの母屋から少し離れた場所に建てられた倉庫のことで、中には、万が一の時に備えての避難用具や携帯食料のほかに、古畑が大学時代に趣味で研究していたウィジャボード・魔法陣などのオカルト関係の道具が数品残されている。
「あの頃は楽しかったなあ……」
脳裏にかつてのオカルト仲間の顔が次々に浮かんでは消える。
とある学園に伝わる興味深い怪談や昔話───。それらはまだ若かった古畑たちの心を存分にくすぐった。
エクトプラズムから始まり、ポルターガイスト現象、幽体離脱、サイコキネシス、テレパシー、予知能力、透視……。
当時、超心理学───この世の物理法則では説明できない、超能力や超常現象の存在の有無や、その仕組みについて調べる学問だ───に嵌っていた古畑たちは、心と物質、あるいは心同士の相互作用の観点からだけではなく、各地域の神話や歴史の検証など、ありとあらゆる方向から真相の解明を進めてきた。しかし、納得のいく結論が出ないまま大学を卒業。研究仲間たちは社会の荒波に揉まれながら、別々の道を歩むことを余儀なくされた。
古畑も普通の会社に入り、同僚の女と結婚してからは、昔使っていたマジックアイテムや研究資料を土蔵に封印した。もう二度とオカルトに足を踏み入れることはないだろう、と、青臭かった頃の探求心と共に。
それが───
「こ、これは……!?」
土蔵の扉に何か書かれた紙が貼ってある。近づくに連れてだんだんと浮かび上がる文字列……それは、三匹の子ブタとオオカミの昔話だった。
「な、なぜ、これがここに……?」
『三匹の子豚』は、けっこう有名なおとぎ話である。
一番目の子豚はわらで家を建てるが、狼がわらの家を吹き飛ばし、子豚を食べてしまう。
二番目の子豚は木の枝で家を建てるが、やはり一番目の子豚と同じ運命を辿る。
しかし、三番目の子豚は煉瓦で家を建てたため、狼は家を吹き飛ばすことができなかった。最後には煙突から中に入ろうとするが、子豚が用意した煮えたぎる熱湯の中に落ちてしまい、釜茹でにされて死んだ狼は、そのまま子豚に食べられてしまう、という話だ。
しかし、大学時代に古畑たちが調べていたのは、少し内容の異なったものだった。
一番目の子豚は頑丈な鍵のついた木の家に閉じこもったが、翌朝、体を真っ二つに引き裂かれて死んでいた。
二番目の子豚はさらに頑丈な鉄の家に閉じこもったが、翌朝、全身を丸焼きにされて死んでいた。
三番目の子豚は犬のお巡りさん、現代で言うなら警察署に閉じこもったが、翌朝、背中を貫かれて死んでいた、という話……。
どこの地域の民間伝承だったかは忘れたが、オリジナルと決定的に違う所は、最終的に三匹とも死んでしまう、ということだ。しかも、物語には確かに狼が登場するが、それらがすべて狼の仕業かどうかは明確に記されていないのである。
狼は子豚を喰い殺そうとしていた。しかし、実際の子豚の死に方は、いかにも人間の仕業っぽく書かれている。その矛盾点が気になって、調べ始めたのだが……。
「この紙も土蔵の奥にしまっておいたはずなのに……」
誰かが、土蔵に侵入したのか。いや、それはあり得ない!
用のない時は土蔵には鍵をかけてあるし、その鍵はいま“自分の手の中にある”。さらに予備の鍵の類も作ってはいないのだ。
古畑の心の暗雲を表すかのように、遠くでは低く雷鳴が轟いていた。ぽつ…ぽつ…と真っ暗な空から小粒の雨が降り始める。
古畑はゆっくりと木製の扉に両手を伸ばす。
中に誰かがいるかもしれないという恐怖が全身を駆け巡った。
紙に書かれた無機質な物語が、まるで生きているかのように蠢く。『しんでいました』『しんでいました』『しんでいました』───頭の中で繰り返される不吉な言葉。それが自分に向けられているようで……思わず紙から目を逸らした。
やがて震える手が扉の握りを捉え───一気に引いてみた。
ガチャッ!
予想通り、扉にはやはり鍵がしっかりとかかっていて、わずかに軋んだ音を立てただけだった。
「ふう……。そうだよな……。いや、しかし、だとするとこの紙は一体……」
疑問はいつまでも霧の中を漂い続ける。
誰かが土蔵の中に入らない限り、この民間伝承が扉に貼ってある理由がつかないのである。考えられる可能性としては、古畑が外出している間にこっそりと母屋から鍵を持ち出し、このような行為を行った後、また鍵を元の場所に戻したというものであるが、午後八時過ぎに帰宅したときには“こんな紙は貼られていなかったのである”。
犯行時間は間違いなく、午後八時過ぎから九時までの一時間だが、その間古畑は“ずっと母屋にいたし、誰かが母屋に出入りするような物音など一切聞いていないのだ”。
そして重ねて書くが、“予備の鍵も存在しない”。
「………………」
気付けば、雨はどんどん激しくなっていた。
この分だと天気予報通り、ひどい嵐になるだろう。急いで土嚢を積まなければ。
古畑は一旦思考を止めて、土蔵に入ってみることにした。
ガチャ、と鍵をはずして、扉を開ける。
ギィ……。
真っ暗な土蔵の中に、自分の呼吸と雨音だけが響く。長年蓄積された埃の臭い。十二畳ほどの広さを持つ床のあちこちに、いろんな物が所狭しに置かれている。それらもやはり埃を被っており、長い間使われていないことを証明していた。
古畑はじっと耳を澄ませてみるが、雨が強く天井を打ちつける音以外は、妙な物音は聞こえない。そもそも、ここには物をたくさん詰め込み過ぎて、元から人が隠れられるスペースなどないのである。
「やはり私の思い過ごしだったか……?」
古畑は土蔵の一番奥へと歩を進める。かつての探求心を埋めた場所。そして、この屋敷で最も異様な場所。
幾何学的な図が描かれた粘土板。悪魔を寄せ付けないお札。吸血鬼を殺す十字架。東西南北を示す蝋燭……。それらはまるで───
「異界の入り口みたいだな」
ふと背後から声が投げかけられた。
「誰だ!?」
咄嗟に振り向くと、そこには真っ黒なフードで顔を隠した男が立っていた。人の体など容易く真っ二つにできそうな、大型のチェーンソーを携えて……。
「死神だよ」
口元を大きく歪めて、黒い使者は笑う。
「折角警告してやったのに、それを無視するとは愚かなやつだ」
死神は笑ったまま、チェーンソーのエンジンを始動させた。
ギュイイイインッ!!と刃が勢いよく回転を始める。
その刃を見ながら古畑は漠然と思っていた。
───あぁ、自分は殺されるんだ、と。
殺されることへの恐怖もなく、理不尽さへの怒りもなく。
ただ真っ白な思考のまま、古畑が最期に見たものは、自分の体内から迸る真っ赤な血飛沫だった……。
一番目の子ブタは、がんじょうなかぎのついた木のいえにとじこもりました。ここならひとあんしん、そうおもっていた子ブタは、よくじつのあさ、からだをまっぷたつにひきさかれてしんでいました。
はい、今回どうだったでしょう? 一応次から桔梗+αによる現場検証と、犯行の手口などの推理が始まります。ちなみに、個人で推理したい方には申し訳ありませんが、まだ第一の事件に関する情報をすべて書いていないので、第三話がアップされてから考えてみて下さいな。
では。