6 カラオケ
昼休み。
椎子は弁当を持つと、すぐに教室を出ていった。きっと天文部の部室に向かったのだろう。
俺は怪しまれないよう、少し時間を置いてからゆっくりと席を立ち、部室へ向かう。
廊下には誰もいない。周囲を確認してからドアの前に立ち、軽くノックした。
「だ、誰ですか?」
椎子の少し緊張した声が聞こえた。
「杉山です」
「……どうぞ」
ドアを開けると、椎子が俺を見て不満そうに言った。
「周平君、遅いですよ」
「ごめん、時間を空けた方が良いかと思って」
「もう来てくれないかと思いました」
「そんなことはないよ。だって、俺、彼氏だし」
「そうですね。彼氏ですもんね」
椎子は笑顔になった。
「さあ、食べましょう」
「椎子、食べずに待っててくれたの?」
「当たり前です。だって、私、彼女ですから」
「そ、そうか。ありがとう。じゃあ食べよう」
「はい、いただきます」
「いただきます」
俺たちは弁当を食べ始めた。
「周平君、そのお弁当……すごく美味しそうですね。自分で作ってるんですか?」
「まさか。今日は母親だよ。ときどき妹が作ることもあるけど」
「妹さんが……すごいですね」
「あいつは料理が趣味みたいなもんだからな」
「そうなんですか。だったら私と同じですね。きっと仲良くなれそうです」
「椎子も料理が趣味なのか?」
「はい。お弁当も私が作ってます」
「すごいな」
さすが、完璧な女子と言われるだけある。
「そんなことないです。ちょっと早起きすれば誰でも作れるレベルですし」
俺がちょっと見たところ、とてもそんな簡単なものには見えなかった。
「食べてみます?」
「え、いいのか?」
「はい。卵焼きをどうぞ。はい、あーん」
そう言って、椎子は俺に卵焼きを食べさせようとした。
「だ、だから、それは……」
自分が使った箸をそのまま使っている。やっぱり間接キスでは……
「これぐらいいいでしょう。私たちは付き合ってますし」
「そうだけど……」
「それに昨日で私、確信に変わりましたし……だから、食べてください」
いつになく真剣な目で椎子が俺を見た。
「わかったよ」
俺は卵焼きをぱくりと食べた。
「う、うまい!」
あまりのおいしさに間接キスのことなど忘れてしまった。
「そうですか? 嬉しいです!」
椎子が笑顔になった。
だが、俺はその前の言葉が気になった。
「ところで……確信に変わったって何が?」
「それは昨日も言いましたけど、周平君を彼氏にして良かったってことです」
「そ、そうか」
「だから間接キスなんて気にしません。むしろ……」
「むしろ?」
「もっとしましょう。はい、あーん……」
今度は唐揚げが差し出される。もう何も言わず、俺は素直に口を開けた。
「これも美味いな!」
「よかったです。そんなに気に入ってもらえたなら周平君の分もお弁当作ってきましょうか?」
「それは嬉しいけど……」
「けどなんです?」
「親に『明日は弁当いらない』なんて言ったら、彼女が出来たのがバレそうで」
「なるほど……親にも内緒にしたいんですね」
「うん、ごめん。だから、少しおかずをもらえるぐらいが一番いいかな」
「わかりました。多めにおかずを作ってきます」
「ありがとう」
弁当を食べ終える頃、椎子が顔を上げて言った。
「では、今日は何を初体験するか、考えましょう」
「今日もどこか行くのか?」
「はい。善は急げです。川口さんにカラオケに誘われましたが……経験がなくて怖くて断りました。だから、練習しておいた方が良いかと」
「確かに。カラオケは色々面倒だしな」
「周平君は行ったことがあるのですか?」
「クラスの交流会があったろ。あれに俺も行ったから」
「そうなんですね……じゃあ、周平君は経験済みですか……」
椎子は少しがっかりした表情を見せた。
「でも、俺もその一回だけだし、受付とかも人任せだったから俺もほとんど初心者だよ」
「そうですなんですね。分かりました。じゃあ、今日は私にカラオケを教えてください」
「わかったよ。でも、俺、歌は下手だよ」
「私だってカラオケの経験ありませんし」
こうしてカラオケに行くことになった。
◇◇◇
クラスの女子がどこのカラオケに行くかを盗み聞きし、俺たちはわざとそこから遠いカラオケに向かった。受付カウンターの前に行くと、スタッフが柔らかい声で尋ねてきた。
「2名様ですか?」
「は、はい」
「時間はどのくらいにされますか?」
俺と椎子は顔を見合わせた。
「どうする?」
「じゃあ一時間?」
「一時間ですね……お部屋は203になります」
案内を受けて、俺たちは指定された部屋に向かった。なんとか探し出して部屋に入る。その部屋は思ったよりもこぢんまりとした空間だった。
「カラオケの部屋って、こんなに狭いんですね……」
椎子が部屋を見回しながらが言う。
「たぶん、2人だからだと思う。この間クラスで行ったときはもっと広かったし」
「なるほど、人数によるんですね。それにしても、この狭さでは近くに座るしかないですね」
椎子はそう言いながら、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
ふわっと漂う甘い香りに、俺の心臓が一気に高鳴る。
「し、椎子……」
「なんですか?」
「……いや、なんでもない」
焦りをごまかすように立ち上がり、話題を変える。
「そうだ。飲み物、取ってこようか?」
「飲み物?」
「うん。ここはドリンクバーがあって、好きな物が飲めるみたいだ」
「ドリンクバー! 行ったことないので初体験したいですね」
◇◇◇
ドリンクバーのコーナーで俺はグラスを持ってコーラを注ぎ始めた。
「私はコーヒーにします!」
椎子はそう言ってカップを機械に置いた。
「これ、ですかね……あ、出ました!」
注がれていくコーヒーをじっと見つめている椎子。
その真剣な横顔が、どうしようもなく可愛く思えた。
「なんですか?」
じっと見ている俺に気がつき、椎子が問いかける。
「周平君、『こいつ、こんなことも知らないのか』って思ってたんじゃないですか?」
「違うよ。椎子が夢中になってるのが可愛かったから」
「か、可愛いとか……」
「彼女なんだし、言ってもいいだろ?」
「そ、そうですね。付き合ってるんですから」
「うん。じゃあ、戻ろうか」
俺たちは2人で部屋に戻った。
◇◇◇
「それじゃ、歌おう」
「どうやるんですか?」
「この機械を使うんだ。これはなんて言ったかな……あ、デンモクだ」
「デンモク……」
「タブレットみたいなものだよ。これで曲を探せるんだよ」
「なるほど……」
デンモクを操作する俺の画面を椎子がのぞき込む。今までに無く距離が近くなった。
「し、椎子?」
「はい?」
2人で横を向いたとき、お互いの顔がすごく近くにあることに気がついた。
「あ、ごめんなさい……」
椎子はハッとして、すぐに身を引いた。
「い、いや……」
だが、椎子がすぐに首をかしげた。
「でも……考えてみたら私たちは恋人同士ですよね。だったら、顔が近くにあってもいいのではないですか? 恋人同士ってそういうことしません?」
「ま、まあ、そうだけど……」
「じゃあ、近づいちゃいますね」
椎子はそう言って俺に接近してきた。
「し、椎子……」
「どうしました? 嫌でしたか?」
「嫌なわけないけど……」
「ではいいですね」
椎子は俺の顔に髪が接するほど近づいた。椎子の甘い香りで頭がくらくらしてくる。
「し、椎子……」
「なんでしょう?」
「もう限界だ。少し離れてくれ」
「そ、そうですか……」
椎子は小さく頷いて身を引く。その顔はどこか寂しそうだった。
「いや、違うんだ。限界というのは俺の理性が、ってことなんだ」
「理性?」
「うん。このままだと……椎子を襲ってしまいそうで」
「襲う……て、何するんでしょう?」
「それはキスとか……」
「キ、キス、ですか……さすがにまだ早いかと……」
椎子が顔を真っ赤にしてうつむく。
「だよな。あんまり近づかれると男子の理性は持たないんだよ。だから、少し離れよう」
「わ、わかりました。ではこれぐらいなら?」
それは友達としては近すぎるが、でも、恋人としては少し遠いぐらいの距離だった。
「うん、それで」
「はい。でも、周平君になら襲われたって良いって思ってますよ?」
「え?」
「ふふふ、なんでもないです」




