43 家
バスセンターに着く頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
「椎子、家まで送るよ」
「嬉しいですけど、バスは50分ほどかかりますよ。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
「わかりました。では、お願いします」
俺は椎子と共にバスに乗り込んだ。椎子は疲れたのだろう。バスに乗ってすぐに俺の肩を枕代わりに眠ってしまった。静かな寝息が耳に届く。
バスが目的地に近づいた頃、椎子は目を覚ました。
「……すみません、寝てしまって」
「いいよ。疲れてただろ」
バスを降り、俺たちは椎子の家に向かう。だが、途中で椎子が立ち止まった。
「椎子?」
「周平君、今日カラオケに来てくれなかったのは、少しショックでした」
「ごめん……」
「気持ちは分かります。周平君はああいう場は苦手ですもんね」
「まあ、そうだな……」
「それに、もしかして私のことをもう大丈夫と思ったのではないですか?」
「……そう思ったよ。椎子はクラスメイトのみんなと仲良くやれていた。だから、俺の役目は終わったかなって――」
「終わってません!」
椎子が急に大きな声を出した。
「でも……そうだろ? 椎子は俺と一緒にいろいろな初体験をしようと持ちかけた。だから俺はそれをOKした。そこには本来は恋愛感情はいらなかったはずだ」
「そんなことないです。最初に言ったはずですよ、私は周平君のことが好きだって」
「そうだけど、それは友人として、人間としての好きだと言ってるのかなって」
「失礼ですね。異性としてに決まってます」
椎子は頬を膨らませて、目を潤ませている。
「そうだったんだ」
「はい、最初から異性として好きですよ。じゃないと告白なんてしません」
「でも、俺はそれを信じきれなかった」
「最初に言ったと思うんですけど……キスする覚悟は出来てるって」
「そう言えば言ってたな。でも、それは俺が望めば仕方なくってことかと思ってた」
「違います……」
椎子は一歩俺に近づいた。
「周平君とキス、したかったんです」
「え?」
次の瞬間――
椎子は俺の唇に自分の唇を重ねた。
「し、椎子……」
「これで信用してもらえましたか? 私、周平君のことを本気で愛してるんです」
「……ああ、分かったよ」
「じゃあ、周平君はどうですか?」
「え?」
「周平君が私のことを異性として本当に好きなのか、まだ私は自信を持てません」
「好きだよ」
「証明してください」
そう言われ、俺は椎子を抱き寄せ、もう一度唇を重ねた。
「これで信じてくれた?」
「はい……」
「よかった」
俺はホッと息をついたが――
「今は、その……もっと進みたくなっています」
「え!?」
「だから……キスの先です」
「キスの先って……」
「周平君……私と、『初体験』してくださいっ!」
「……っ!」
「……い、いいでしょうか?」
「……そ、そうだね。でも、いろいろ準備も必要だし……」
「準備ならしてあります。優実や彩香に教わって必要な物はそろえました」
「そ、そうなんだ」
「はい、だから夏休み、うちに泊まりに来てください」
夏休みは明日からだ。
「う、うん……わかったよ」
「はい、楽しみにしていますね」
椎子の家が見えてきた頃、彼女が立ち止まる。
「周平君、今日はありがとうございました」
「いや、俺こそ……心配かけてごめん」
「本当ですよ。少し怒ってますからね」
「……ごめん」
「だから、今日最後のキスを要求します」
椎子は俺に近づき、そっと目を閉じた。
俺は椎子の唇に、静かに触れた。
「それじゃあ、周平君」
「ああ、じゃあまた――」
そう言いかけたときだった。
「見たわよー!」
突然、家の方から声が響いた。
「お、お母さん!」
椎子のお母さんがにこやかに近づいてきた。
「家の前でキスするなんて、なかなか大胆ね」
「すみません……」
「それだけ恋に夢中ってことね。でも、周りには気を配らないと。誰が見ているか分からないわよ」
「は、はい」
「杉山君もね」
「……すみませんでした」
俺は頭を下げた。
「椎子をちゃんと守ってくれないと困りますよ」
「はい……」
お母さんはいたずらっぽく微笑むと、急に真剣な顔になった。
「こんな場面を親の前で見せつけたんだから、私のお願いを聞いてくれても良いわよね」
「な、なんでしょう?」
俺にできることならいいけど。
「夏休み、お暇?」
「は、はい……それなりには。でも、バイトはしようと思ってて」
椎子と付き合うようになってお金を使うようになったから夏休みにお金を貯めようと思っていた。
「あら、じゃあ、ちょうどいいじゃない。杉山君、うちの旅館でバイトしない?」
「え!?」
「人手不足で困ってるのよ。それに……将来の役にも立つでしょ?」
「お、お母さん!」
「俺は大丈夫ですけど……でも、椎子はどう思う? 俺がバイトに来ること」
「実は……私も夏休みは旅館の手伝いをするんです。だから会う時間が取れなくなるなって心配してました。ですから、もし周平君がうちにバイトに来てくれるなら……嬉しいです」
「じゃあ、決まりだな。お義母さん、バイトさせてください」
「よかったわ。それにしても、もうお義母さん呼び?」
「あ、すみません!」
「いいのよ、その気になってくれて。これでうちも安泰ね、椎子?」
「お、お母さん……!」
椎子は顔を赤くしていた。
俺は帰りのバスに乗り込み、窓の外を眺めた。
明日から夏休みか。人生がかわいそうな夏休みになりそうだ。
とにかくいろいろと頑張ろう。




