39 椎子の家
翌日の放課後。椎子の家に向かった。
門をくぐると、玄関まで続く砂利道の両脇には、手入れの行き届いた庭木が並んでいた。。石の門柱、古びた灯籠、庭の中央にある池、そして奥には蔵のような建物まで見える。
やっぱり、すごい家だ。なんというか、格式が違う感じがする。
「いらっしゃい! 杉山君!」
玄関に入ると椎子のお母さんがにこやかに出迎えてくれた。
「お邪魔します」
「今日は夕飯も食べていってね」
「は、はい……」
まだ少し早い時間だったが、俺は座敷へ案内された。椎子は「ちょっと手伝ってきます」と言って、すぐに台所へ消えた。
「杉山君、久しぶりだな」
座敷には兄の隆史さんがいた。
「お久しぶりです、隆史さん」
「言っとくけど俺は母さんには言わなかったんだぞ。でも結局バレたんだな」
「はい……」
「それにしても椎子が世話になってるな」
「いえ、そんな……」
「あいつ、中学の頃の話はしたか?」
「中学ですか? あまり友達がいなかったって話は聞きましたけど……」
「そうか……実はな、椎子は不登校だったんだ」
「え……」
「それで同年代とうまく話せなくなってしまったみたいで……高校に入ったときも苦労してたようだ」
――そうか。だからあんなに周りと距離があったのか……
「でも、彼氏ができて安心したよ。まだクラスには完全には馴染めてないんだろ?」
「そうですけど、友達はできたみたいです」
「へー、そうか。君のおかげだな」
「いえ……」
でも、椎子がクラスに馴染めて来ているのは俺も嬉しくはある。あとは終業式のボウリングも上手くいけばいいな。
「ところで杉山君。今日は俺のせいで迷惑掛けるかもしれん」
「え?」
そのとき、椎子とお母さんが料理を運んできた。
「今日はたくさん食べてね」
「え!? すごい……」
座敷のテーブルに並べられたのは、まるで高級旅館のコース料理。刺身に土鍋、上質そうな肉、そしてご飯のおひつまで……。
「……旅館みたいですね」
「そうよ、うちは旅館をやってるの」
「えっ……旅館!?」
そういえば、ここは温泉街だったか。椎子は温泉旅館の娘だったのか。
「でもね、隆史は旅館を継ぎたくないって言うのよ」
お母さんが不満げに言う。
「俺は東京で大学生やってるし、その後は大企業に就職するつもりだからな」
「そうなんですね」
せっかく家が旅館なのに継がないのはもったいない感じはするが、生まれ育った場所の良さって、案外わかりにくいのかもしれない。
「ところで、杉山君は高校卒業したらどうするつもり?」
お母さんが俺に聞いてくる。
「そうですね……大学に行って、そのあとは適当に就職するかと」
「何かやりたいことがあるの?」
昨日も聞かれたな。
「いえ、特には……」
「なるほどねえ。隆史、どう思う?」
お母さんは隆史さんを見た。
「いいんじゃないの?」
隆史さんはご飯をかき込みながら言った。
「お母さん!」
椎子が小声で睨んだ。なんの話だろう……そう思ったとき、お母さんが俺に言った。
「杉山君……温泉旅館に興味ない?」
「へ!?」
どういう意味だろう……
「杉山君さえ良ければ大学出て、うちに就職しない?」
「え、温泉旅館にですか?」
「そう。若旦那として」
「若旦那?」
「お母さん! 怒りますよ!」
椎子が大声を出した。
「ごめんなさいね、今日はこのぐらいにしておくわ。でも、杉山君、私は本気ですから。考えておいてくださいね」
お母さんはそう言い残して部屋を出ていった。
「若旦那……?」
俺はよく分からずつぶやく。
「要するにこの旅館を継ぐ気があるかって事だよ」
隆史さんが言う。
「え!? それって……」
「椎子と結婚すれば、いずれそういうことになるだろ?」
「兄さん! 軽々しく言わないでください!」
「でも、そういうことだろうが。そうなってくれると、俺としても助かるんだよなあ。東京での生活、しばらく楽しみたいし」
「な、なるほど。そういうことですか……」
つまり、椎子のお母さんは俺が椎子と結婚して旅館を継ぐことを考えてるんだ。
「周平君、真面目に考えなくていいですからね」
「う、うん……椎子のことは好きだけど、まだ結婚までは……」
さすがに考えていなかった。
「それが普通です。私だってまだ考えられません」
「そ、そうか」
「杉山君、いいじゃないか。やりたいことが特にないんだろ? このまま行けば可愛い嫁と就職先が同時に手に入るぞ」
「兄さん!」
「ごめん、ごめん。でも、頭の片隅にでも置いておいてくれ」
「……は、はい」
可愛い嫁と就職先か。どちらも理想的ではあるけど……
◇◇◇
食事を終えた隆史さんはすぐに自分の部屋に行ってしまった。
部屋には俺と椎子だけだ。
「すみません、母と兄が変なことばかり言って……」
「い、いや、大丈夫」
「あまり気にしないでくださいね。周平君の未来は周平君のものですから」
「……ありがとう。でも、椎子はどう思ってるんだ?」
「え?」
「俺とその……一緒に旅館をやるって話」
「そ、それは……そうなればいいなって気持ちがないと言えば嘘になります」
「そ、そうか」
「でも! まだ考えられません。だって、私たちまだ高校生ですし」
「そうだな……」
そうなるとしても大学を卒業する頃だからまだ6年ほどある。俺からしたら遙かな未来だ。
「今は高校生活を楽しみたいです。せっかく周平君のような彼氏が出来て、優実のような友達もできたんですから」
「そうだな。じゃあ、今はそれでいいか」
「はい……」
将来のことは、とりあえず脇に置いておこう。
でも正直なところ――
温泉旅館の若旦那という言葉が、少しだけ心に残っていた。




