短編集
# 灰色の標本
ンゴジ・オコンクウォはテントの入り口で立ち止まった。照明の落ちた仮設研究施設は、かつてのニューデリー郊外のホテルの地下駐車場に作られていた。入口には重武装の警備員が二人立ち、彼女のIDを確認した。
「オコンクウォ医師、ソフィア・ヴァレンズエラ博士があなたを待っています」
ンゴジは頷き、防護服を着用した。ニューデリーの奇跡から三日後、EDFの特殊部隊は混乱したネイラム部隊の残党から14体の個体を捕獲していた。捕獲された個体のうち3体がここに運ばれ、研究が進められていた。
彼女が内部に入ると、ソフィア・ヴァレンズエラが透明な隔離壁の前に立っていた。壁の向こう側には、拘束された一体のネイラムが横たわっていた。
「ンゴジ、来てくれてありがとう」ソフィアが振り返った。彼女の目には疲労の色が見えた。「あなたの医学的観点が必要なの」
ンゴジは隔離室を見つめた。ネイラムは拘束具に固定され、様々なセンサーやチューブが接続されていた。個体は静かに呼吸しているようだったが、その外皮の青灰色は以前より暗く、乾いているように見えた。
「これは...」ンゴジは言葉を探した。「倫理的に問題はないの?」
ソフィアは苦いような表情を浮かべた。「私もその懸念を持っていたわ。でも軍部は『敵の研究は最優先事項』と主張している。特にアミナ・カーンが知る前に、結果を出すようにとのプレッシャーが」
「どういう状態?」ンゴジは専門家としての冷静さを取り戻そうとした。
「三日間絶食状態。水分も最小限。基礎代謝や生理機能の測定の途中よ」
「残酷すぎる」ンゴジは小声で言った。
「科学者としては同意するわ」ソフィアは静かに答えた。「でも人類は絶滅の危機にある。そしてこの...生き物たちが私たちにしたことを考えると」
ンゴジは黙って観察を続けた。拘束されたネイラムの四本の上肢は不規則に震えていた。
「あれは何?」彼女は尋ねた。
「コミュニケーションの試みだと思う。彼らは個体間で生体電気信号を使って通信するの。しかし、他の個体から隔離されているから...」
「仲間を呼んでいる」ンゴジは理解した。「彼らにとって孤立は拷問に等しいのかもしれない」
ソフィアは複雑な表情で頷いた。「そのような仮説も立てているわ。彼らの社会構造が『メタ個体』と呼ばれるものなら、個体の分離は私たちが体の一部を切り離されるようなものかもしれない」
「でも彼らは私たちを殺した」若い技術者が横から口を挟んだ。「何億人もの命を奪ったんだ」
ンゴジは彼を見つめた。「それが私たちも同じことをしていい理由にはならない」
「十分な情報が集まったら、より人道的な環境に移す計画よ」ソフィアは場を収める口調で言った。「今は生物学的な基礎データが必要なの。特に、彼らの神経システムと集合的コミュニケーションの仕組みについて」
ンゴジはネイラムの横に置かれた機器を見た。「これは何?」
「電磁場測定器よ。彼らの生体電場を記録している」ソフィアは説明した。「そして、これは彼らの細胞サンプルの初期分析結果」
彼女は近くのタブレットをンゴジに渡した。画面には複雑な細胞構造の顕微鏡写真が表示されていた。
「驚くべきことに、彼らは私たちと同じく炭素ベースの生命体よ。でも、シリコン化合物も細胞構造に取り込んでいる。特に神経系で顕著にね」
ンゴジは画像を食い入るように見た。「これは...私が考えていたよりもはるかに複雑だわ」
「そして、もっと驚くべき発見が」ソフィアは別の画像を表示した。「彼らのDNAに相当する分子がある。構造は違うけど、情報を記録する機能は同じ。つまり、進化の道筋は違えど、私たちとある程度似た生命の原理を持っているの」
二人は更なる詳細について話を続けた。ネイラムの身体構造、代謝システム、感覚器官—すべてが地球の生命とは明らかに異なっていたが、驚くほど機能的に洗練されていた。
しかし、ンゴジの心の中では、別の思考が渦巻いていた。拘束された生命体の状態、倫理的問題、そして今後の方針について。
記録を終えた後、彼女はソフィアを脇に引いた。
「私は協力する」彼女は静かに言った。「でも条件がある。私たちは彼らの生命を尊重する方法を見つけなければならない。科学的な価値を得ながらも、不必要な苦痛を避けるために」
ソフィアは一瞬考え、それから頷いた。「同意するわ。実は、アミナ・カーンに同様の提案をするつもりだった。我々が彼らとどう向き合うかが、最終的に人類自身を定義することになるから」
ンゴジは隔離室のネイラムを最後に見つめた。灰色の青白い外皮、六本の肢、異質な形態—恐怖を呼び起こす存在だった。しかし今、拘束され弱っている姿は、どこか哀れにさえ見えた。
「私たちの研究が、いつか理解への架け橋になることを願うわ」彼女は静かに言った。
「理解と、もしかしたら、平和への」ソフィアは補足した。
二人の科学者は、未知の存在を前に立ちすくんでいた。この「灰色の標本」から得られる知識が、戦争の流れを変えることになるとはまだ知らずに。
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3週間後、ンゴジとソフィアの倫理的配慮は実を結んだ。アミナ・カーンの指示により、捕虜ネイラムの取り扱いに関する新たな指針が策定された。研究は続けられたが、不必要な苦痛を避け、生理的ニーズを満たす環境で行われるようになった。
そして、彼らの研究から得られた知見—特に電磁場に対する反応と水への脆弱性—は、後のオペレーション・ファーストライトの基盤となり、人類初の組織的反撃を可能にしたのだった。
# 青の罠
「これが我々の新兵器だ」
ダニエル・チェンが小さな円盤状の装置を会議室のテーブルに置いた。直径30センチほどの金属製デバイスは、一見するとただの地雷のように見えた。
「水地雷」と呼ばれるその装置は、EDFの技術革新局が極秘に開発したものだった。地球連合の指導者たちが注意深く観察する中、ダニエルは説明を続けた。
「この装置は、ネイラムの生体電場を検知すると作動します。内部の圧縮タンクから高圧の純水を放射状に噴出させ、半径3メートルの範囲をカバーします」
マイケル・ハーディング将軍が装置を手に取った。「人間に対する影響は?」
「最小限です」ダニエルは自信を持って答えた。「水の噴出圧力は人間の皮膚に軽い打撲を与える程度。しかし、ネイラムの腹部下面—彼らの最も脆弱な部分—に当たると、一時的な神経系の混乱を引き起こします」
エレナ・コバレンコが疑問を呈した。「展開方法は?」
「手動設置、または航空機からの散布が可能です」ダニエルは説明した。「最も効果的なのは、ネイラムの予想進路に事前に設置する方法です。彼らが一定のパターンで移動することを利用できます」
タクミ・サトウがモニターに表示された配置図を指し示した。「レッドゾーンの境界に沿って設置することで、彼らの拡張を阻止できます。また、彼らの主要移動経路に設置すれば、部隊の分断も可能です」
装置のデモンストレーションが行われた。屋外の模擬環境で、ネイラムの生体電場を再現した人形が近づくと、水地雷が作動。高圧の水が四方に噴射され、人形の下部を直撃した。
「実戦での有効性は?」趙明玲将軍が鋭く質問した。
「ニュージーランドでのテストでは、85%の確率でネイラム個体の機能を30〜60秒間停止させることに成功しています」ダニエルは答えた。「それは反撃や撤退の時間としては十分です」
会議の結果、水地雷の大量生産が承認された。それは派手な爆発を起こす通常兵器と比べると地味に見えたが、効果は絶大だった。
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2週間後、オーストラリア西部の争奪地域。
「設置完了」
特殊部隊の隊員がヘルメットのマイクに囁いた。彼女は最後の水地雷を砂の中に埋め、周囲の環境に溶け込むようカモフラージュを施した。
チームは戦略的に重要な渓谷に沿って100個以上の水地雷を設置していた。情報部によれば、ネイラムの採掘隊がこの経路を使って新たな資源地帯に向かう予定だった。
「全員、退避位置へ」指揮官の声が通信機で響いた。
彼らは高台に移動し、双眼鏡で渓谷を監視した。約1時間後、地平線上に砂埃が立ち上がるのが見えた。ネイラムの採掘部隊だ。
「準備はいいか」指揮官が静かに言った。「必要なら援護射撃の準備を」
採掘部隊は約20体のネイラム個体と、資源を運搬する浮遊プラットフォームで構成されていた。彼らは整然とした隊列を組んで渓谷に入った。
最初の爆発—というより噴出—が起きたのは、先頭のネイラムが最初の水地雷の上を通過した時だった。高圧の水が砂の中から噴き出し、ネイラムの下部を直撃した。個体は即座に動きを止め、不規則に震え始めた。
連鎖反応のように、次々と水地雷が作動し始めた。採掘部隊全体が混乱に陥った。水に打たれたネイラムは動きが鈍り、一部は完全に機能を停止したように見えた。
「効果あり!」通信士が興奮気味に報告した。
指揮官は冷静に状況を観察した。「援護射撃、開始」
隠れていた狙撃手たちが、混乱したネイラムに正確な射撃を浴びせた。通常なら彼らのシールドが弾を跳ね返すところだが、水による干渉で防御システムが弱体化していた。
わずか15分で、採掘部隊は完全に無力化された。人類側の犠牲者はゼロ。そして、彼らはネイラムの浮遊プラットフォームと、そこに積まれていた技術サンプルを確保することに成功した。
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水地雷は、人類が開発した数少ない非致命的でありながら高効率なネイラム対策の一つとなった。従来の爆発物や弾薬では太刀打ちできなかったネイラムの防御システムも、単純な水の物理的性質には脆弱だったのだ。
この技術は後に「青の罠」と呼ばれるようになり、地球連合軍の標準装備となった。そして何より重要なのは、これが科学的理解に基づく戦術的適応の象徴となったことだった。
人類は徐々に学んでいた—未知の敵と戦うには、理解することが最初のステップであると。
# 水の強襲
夜陰に紛れて、小型強襲艇が静かに岸に近づいていた。特殊設計された船体は、レーダー反射を最小限に抑える素材で覆われ、水面を切る音も通常の船舶よりはるかに小さかった。
「目標まであと300メートル」艇長が低い声で伝えた。
船内には地球連合特殊部隊の20名が身を潜め、最終確認を行っていた。彼らの装備はネイラム対策に特化したもので、通常の武器に加え、全員が小型の水散布装置を携帯していた。
通常サイズの強襲艇としては過剰なアジマススラスターを装備した船は、ここまでサイレントモードで航行してきた。敵のセンサー網をかいくぐるためだ。
「敵基地、視認」前方を監視していた隊員が報告した。
砂浜の先、小さな断崖の上にネイラムの前哨基地が見えた。青白い光を放つ構造物が夜の闇に浮かび上がっていた。
「全員、放水用意」指揮官が命令した。
船体の周囲に取り付けられた40mmのノズルが前方に向けられた。これらは海水を高圧で放射するために設計されていた。ネイラムの弱点を最大限利用する戦術だ。
「目標距離100メートル。全力放水、開始!」
指揮官の命令と同時に、スラスターのモーターが全力で駆動し始めた。船は急加速すると同時に、ノズルから高圧の海水が放射状に噴き出した。海水は前方約40メートルまで届き、着岸地点を完全に覆い尽くした。
岸辺のネイラム警備が異変を検知し始めた瞬間、強襲艇は既に水浸しになった浜辺に突進していた。
「前進、強襲!」
艇が砂浜に乗り上げると同時に、前面のランプが開き、特殊部隊員たちが一斉に飛び出した。彼らは素早く展開し、水浸しの地面でよろめくネイラム個体に正確な射撃を浴びせた。
前哨基地からの応援が駆けつける前に、彼らは迅速に浜辺を制圧。あらかじめ計画された通り、小型の水地雷を設置しながら内陸へと進んでいった。
ネイラムの応戦は遅れたものの、徐々に組織化され始めていた。基地からの防御射撃が強襲部隊の周囲に落ち始める。
「予定通り進行」指揮官は通信した。「チームアルファ、目標に向かえ。チームブラボー、掩護を続行」
チームアルファは基地の核心部—通信アレイと思われる構造物—に向かって前進した。彼らの目的は破壊ではなく、情報収集だった。
「センサーパッケージ、設置準備完了」技術担当の隊員が報告した。
彼らはネイラム通信システムに近づき、EDFの科学者たちが開発した特殊な盗聴装置を設置した。この装置は、ネイラムの量子通信をキャプチャすることを目的としていた。
「設置完了。撤退開始」
指揮官の命令で、部隊は来た道を戻り始めた。チームブラボーは彼らの退路を確保するため、更に水地雷を設置していた。
「敵、増援接近中!」警戒担当が通信した。
数体のネイラムが高速で接近していた。彼らは明らかに精鋭部隊で、通常の個体より大きく、装甲も強化されているように見えた。
「水地雷、作動!」
退路に設置された水地雷が次々と作動し、高圧の水がネイラム増援部隊を襲った。予想通り、彼らの動きは鈍り、一部は完全に機能を停止した。特殊部隊は、その隙に撤退を続けた。
強襲艇に戻った部隊は、迅速に船に乗り込んだ。
「全員搭乗確認。出発!」
スラスターが再び全力で駆動し、艇は砂浜から離れた。ネイラムの応戦が激しくなる中、彼らは夜の海へと消えていった。
任務は完全な成功だった。設置されたセンサーパッケージは、今後数日間、ネイラムの通信を密かに傍受し続けるだろう。そのデータは、彼らの行動パターンの理解と、将来の作戦立案に不可欠となるはずだった。
強襲艇は予定通りの変針点に到達すると、エンジンを最小出力に落とし、再びサイレントモードでの航行に戻った。夜明けまでに、彼らは安全地帯の潜水艦に収容される予定だった。
「いつか、直接話せる日が来るのだろうか」若い隊員が遠くのネイラム基地を見つめながら呟いた。
「今日の任務がその第一歩になるかもしれないな」指揮官は肩を叩いた。「彼らを知ることが、共存への鍵だ」
艇は静かに闇の中を進み、波の音だけが夜の静寂を破っていた。
# 灰を踏む者たち
「我々はもはや待つことはできない」
カン・テジュンは暗く冷たい地下施設の中で、集まった約40名の前で声を上げた。元韓国特殊部隊の将校だった彼は、今や「灰を踏む者たち」と呼ばれる組織の指導者となっていた。
「地球連合の方針は甘すぎる。彼らは共存などという幻想を抱いている。しかし我々は知っている。ネイラムとの真の平和はない。あるのは彼らの完全な排除のみだ」
会議室には東アジア各国—韓国、日本、台湾、中国の一部地域—から集まった元軍人や反体制科学者たちが座っていた。彼らの多くは地球連合の方針に不満を持ち、より急進的な対応を求めていた。
「我々の現状を報告する」カンは続けた。「現在、我々の組織は東アジア全域で約3,000名の構成員を持つ。主に元軍人だが、科学者、技術者、医療関係者も含まれる」
彼は隣に立つ白衣の男性を指し示した。「チャン博士、進捗を報告してくれ」
元中国軍事科学院の研究者、チャン・リーウェイが前に進み出た。
「我々のプロジェクト『天の矛』は最終段階に入った」彼は冷静に説明した。「昨年の作戦で捕獲したネイラムの小型輸送機を完全に解析し、制御システムの再現に成功した。さらに、3機の追加機体の捕獲にも成功している」
「それだけではない」彼は続けた。「我々は地球連合が見逃してきた重要情報も発見した。彼らの軌道上プラットフォーム—『プライム・ノード』と呼ばれる施設—は彼らの指揮系統の中核なのだ」
参加者の間から興奮した囁きが漏れた。
「我々の計画を説明しよう」カンが再び話し始めた。「作戦名は『フォールン・スカイ』。捕獲したネイラム輸送機を使い、軌道上のプライム・ノードに特殊部隊を送り込む。目標は破壊ではなく、制御システムの掌握だ」
彼は壁に投影された軌道プラットフォームの画像を指し示した。「このプラットフォームを制御できれば、地上の全ネイラム部隊の指揮系統を遮断できる。彼らを個別に排除することが可能になる」
「しかし、地球連合はこれを許さないだろう」ある参加者が懸念を示した。
「だからこそ、秘密裏に、迅速に行動する必要がある」カンは断固とした口調で答えた。「我々は地球連合に反対しているのではない。彼らが決断できない行動を、我々が代わりに実行するのだ」
会議は具体的な計画の詳細に移った。タイムライン、人員配置、必要な装備...すべてが細部まで議論された。
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2日後、秘密研究施設内の格納庫。
「構造解析は完了したか?」カンはチャン博士に尋ねた。
「ほぼ完了だ」チャン博士は大きな格納庫に停められた青灰色の宇宙船を指し示した。「ネイラムの輸送機は地球の物理法則には従うが、推進メカニズムは我々のものとは根本的に異なる。生体技術と機械の融合というべきものだ」
格納庫には4機のネイラム輸送機が並んでいた。それらは楕円形の流線型で、表面には複雑なパターンが浮かび上がっていた。
「制御は?」
「これが最も困難だった」チャン博士は説明した。「彼らの機体は生体電気信号で制御される。我々は脳波インターフェースを開発し、人間のパイロットが操縦できるようにした。しかし、完全な制御は保証できない」
カンは機体に近づき、手を表面に置いた。冷たく、わずかに脈動しているような感触があった。
「搭乗訓練は始まっている」彼は言った。「選抜した12名のパイロットが日夜訓練中だ」
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1週間後、ネイラム捕獲機による初の実践飛行が秘密裏に行われた。深夜、中国とモンゴルの国境地帯の砂漠で、機体は地上から静かに浮上し、低空飛行で約100キロの距離を移動した。
テスト飛行は完全な成功だった。さらに重要なことに、ネイラムのセンサー網は、彼ら自身の機体を敵として認識しなかった。偽装は機能していた。
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「作戦実行まであと72時間」
作戦本部となった地下施設で、カンは最終ブリーフィングを行っていた。特殊部隊の精鋭30名が選抜され、宇宙空間での活動訓練を受けていた。
「プライム・ノードの構造図と弱点分析」彼はスクリーンに映し出された図面を指した。「主制御室はここにある。我々の目標はこの部屋を確保し、システムを掌握することだ」
チーム・リーダーの一人が質問した。「地球連合の介入リスクは?」
「彼らの監視システムをかいくぐる経路を設定した」カンは答えた。「しかし、発見される可能性はある。その場合、我々は事前に録画したメッセージを送信する。我々の行動は人類全体のためであることを説明するものだ」
「そして成功した場合?」別のメンバーが尋ねた。
カンの表情は厳しく引き締まった。「我々はネイラムの指揮系統を掌握し、彼らを各地域ごとに孤立させる。そして、段階的に排除していく。これは殲滅作戦だ」
静かな決意が部屋を満たした。彼らは自分たちが禁断の一線を越えようとしていることを知っていた。地球連合は交渉の可能性を模索していたが、「灰を踏む者たち」はより急進的な解決を求めていた。
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作戦前夜、カンは一人で捕獲機を見つめていた。
「本当に正しいことをしているのだろうか」
彼の背後から声がした。振り返ると、チャン博士が立っていた。
「哲学的な疑問を持ち始めたか?」博士は皮肉めいた口調で言った。
「いや、ただ考えていたんだ」カンは答えた。「我々の行動は人類を救うのか、それとも新たな悲劇を生むのか」
「両方かもしれんな」チャン博士は機体に近づいた。「彼らの技術を研究するほど、彼らが思考する生物だということがわかる。ただし、我々とは全く異なる方法でね」
「だからこそ共存は不可能だ」カンは断固として言った。
「あるいは、だからこそ我々は理解を試みるべきかもしれん」チャン博士は静かに言った。「しかし今は遅すぎるな。我々は既に決断した」
二人は沈黙の中、青い光を放つ異星の機体を見つめていた。
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翌日の未明、四機のネイラム輸送機が秘密基地から飛び立った。「フォールン・スカイ作戦」が始まったのだ。
彼らが成功するのか、失敗するのか、あるいは思いもよらない結果をもたらすのか—それは誰にもわからなかった。しかし一つだけ確かなことがあった。この行動が、人類とネイラムの関係を永遠に変えるということ。
地球の夜空に四つの光点が消えていく中、新たな戦いの幕が上がろうとしていた。
# 南北の壁が崩れる日
2027年5月9日、朝鮮半島。
ネイラム襲撃から7日目、韓国と北朝鮮の国境地帯。
薄暗い空の下、38度線に沿って数千人の韓国難民が集まっていた。彼らはソウルとその周辺地域からの避難民で、ネイラムの攻撃を逃れて北へと向かっていた。皮肉なことに、かつては自由を求めて南へと逃げていた人々が、今は北に救いを求めていたのだ。
国境の向こう側には、北朝鮮の軍隊が整然と並んでいた。銃を構え、厳しい表情で難民たちを見つめていた。雨が落ち始め、緊張は高まるばかりだった。
両者の間には数百メートルの非武装地帯—半世紀以上にわたって朝鮮半島を分断してきた境界線があった。
突然、北朝鮮側から一人の将官が前に進み出た。彼は制服をきちんと着用していたが、武器は持っていなかった。難民たちは緊張して見守った。
将官は中年の男性で、肩には少将の階級章が光っていた。彼は非武装地帯に足を踏み入れ、韓国側に向かって歩み始めた。
韓国側の難民の中から数人の元軍人が警戒して前に出たが、北朝鮮の兵士たちは動かなかった。
将官は国境地帯の中央で立ち止まり、大きな声で話し始めた。
「同胞に告げる。我々は貴方がたを受け入れる準備ができた。安心して国境を越えよ」彼の声は厳しくも温かみがあった。「いや、もはや、ここは国境ではない」
一瞬の沈黙の後、将官は続けた。
「我々は70年以上、イデオロギーで分断されてきた。しかし今、我々は共通の敵に直面している。彼らは韓国人か北朝鮮人かを区別しない。彼らの目には、我々はただの人間である。そして今、人間として団結する時が来た」
難民たちの間でざわめきが広がった。恐怖と希望が入り混じった表情で、彼らは互いを見つめ合った。
「我々の最高指導者は、すべての朝鮮同胞を保護する決断をした。我々の地下施設と防空壕は、かつての敵をも受け入れる。食料と水、医療は共有される」
彼は一歩前に進み、両手を広げた。
「今日から、我々は再び一つの民になる。血は水よりも濃い。何世代にもわたる分断も、今日の危機の前には意味をなさない」
最初に動いたのは、小さな女の子だった。彼女は母親の手を引っ張り、恐る恐る国境を越え始めた。北朝鮮の兵士たちは銃を下げ、敬礼した。
それが合図となったかのように、難民たちは一斉に動き始めた。恐怖と疑念はまだあったが、生存への希望がそれを上回った。
ある老人は将官の前で立ち止まり、深々と頭を下げた。
「ありがとう」彼は涙を流した。「私は南北統一を見る前に死ぬと思っていた」
将官は静かに応えた。「これは統一ではない。これは生存だ。政治的な違いは後で解決できる。今は共に生きることが先決だ」
雨の中、数千人の韓国難民が、かつての敵国の土地に足を踏み入れた。警戒は残っていたが、北朝鮮の兵士たちは彼らを敬意をもって迎え入れ、食料と毛布を配り始めた。
将官は静かに微笑んだ。「我々の祖先は言った。『虎が来れば、犬の喧嘩は止む』と。今、地球には虎が来た。そして我々は再び一つの家族として立ち上がる」
遠くの空に、青白い光が見えた。ネイラムの偵察機が朝鮮半島上空を飛行していた。しかし今日、彼らは分断された二つの国ではなく、再び一つになりつつある民族を見下ろしていた。
国境の壁が崩れる日、朝鮮半島に新たな希望の光が差し始めたのだった。