第3部:転換点
## 第3部:転換点
### 第7章:反撃の策定
2027年8月上旬、EDFセントラルコマンド。
「これが『オペレーション・ファーストライト』の全体計画です」
マイケル・ハーディング将軍は、指揮官たちの前で作戦計画を展開した。壁一面のディスプレイには、世界地図と標的となるネイラムの前線基地が表示されていた。
「同時多発的な攻撃で、ネイラムの通信ネットワークに混乱をもたらします。『ニューデリーの奇跡』で学んだように、彼らは予想外の事態に対応する能力が限られています」
趙明玲将軍が画面上で頷いた。彼女は今もアジア地域の秘密基地から参加していた。
「同時性が鍵です」彼女は付け加えた。「個々の攻撃は小規模でも、同時に実行されれば、彼らの指揮系統に過負荷をかけられる可能性があります」
エレナ・コバレンコが質問した。「どの基地を標的にしますか?」
「これらの小規模前線基地です」ハーディングは地図上の5カ所を指し示した。「アフリカ東部、南米北部、オーストラリア西部、シベリア南部、そしてカナダ北西部。これらは比較的防衛が薄く、周辺に我々の部隊が配置可能な場所です」
「しかし、直接攻撃では彼らの技術的優位性が…」誰かが懸念を示した。
「直接的な力の対決は避けます」ハーディングは断固とした口調で答えた。「代わりに、タクミとダニエル・チェンが開発した『量子妨害場』技術を使用します」
タクミ・サトウが前に進み出て説明した。
「これはネイラムの量子通信を妨害するデバイスです。彼らの個体間の連携を切断できれば、効率は大幅に低下します。逆転技術プログラムで得られた知見を応用しています」
「リスクは?」趙が鋭く質問した。
「未知の技術です」タクミは正直に認めた。「成功率は理論上65%程度。また、彼らはすぐに適応すると予想されます。我々には一度きりのチャンスがあるだけです」
重い沈黙が会議室を満たした。これは大きな賭けだった。しかし、現状を変える唯一の方法でもあった。
「では、皆さんの判断を聞かせてください」ハーディングが静かに言った。
一人ずつ、各地域の司令官たちが賛意を示した。最後に、アミナ・カーンが政治指導部を代表して発言した。
「地球連合暫定委員会は、この作戦を承認します。神のご加護を」
オペレーション・ファーストライト—人類初の組織的反撃作戦が、正式に始動した。
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ロッキー山脈、EDF空軍秘密基地。
エミリー・ニュートンは改造された戦闘機のコックピットで最終チェックを行っていた。彼女の周りでは、他のパイロットたちも同様の準備に取り組んでいた。
「ちょっと変わった機体だけど、ちゃんと飛ぶわよね?」彼女は整備士に半ば冗談で尋ねた。
「もちろん」整備士は笑った。「ただし、通常の飛行特性とは若干異なります。特に追加された量子妨害場発生器が起動すると、航空力学的特性が変化します」
エミリーは頷いた。彼女のF-35は、ダニエル・チェンのチームによって大幅に改造されていた。特に目を引くのは、機体下部に取り付けられた奇妙な形状の装置だった。
「緑のスイッチを入れると、装置が起動します」整備士は説明を続けた。「ターゲット上空800メートル以内で起動させてください。効果範囲は半径約1キロメートルです」
「わかった」エミリーは真剣な表情で応じた。「起動後の飛行時間は?」
「最大10分です。その後はシステムがオーバーヒートします。一度着陸して冷却するまで再使用はできません」
エミリーは深呼吸した。これは簡単な任務ではなかった。彼女と彼女の小隊は、カナダ北西部のネイラム前線基地に対する攻撃の一部を担当していた。彼らの役割は、量子妨害場を展開し、基地の通信・制御システムを混乱させることだった。
数時間後、彼女はその基地の上空を飛行していた。
「イーグル1、目標地点接近中」通信で報告が入る。
「了解。全機、散開隊形を取れ」エミリーは命令した。
彼女の小隊は6機からなり、各機が量子妨害装置を装備していた。彼らは効果範囲を最大化するために基地上空で特定のパターンで展開する計画だった。
基地自体は、幾何学的な形状の構造物群からなり、青い光を放っていた。周囲には防御施設と思われる構造物も見えた。
「開始まであと30秒」彼女は通信した。「各自、位置を確認」
彼女のコックピットディスプレイが各機の位置を示していた。すべて正確な位置についている。
「10秒前...5、4、3、2、1、起動!」
エミリーは緑のスイッチを押し込んだ。瞬間的に機体が震え、コックピットの計器が一瞬ちらついた。しかし、すぐに安定した。
地上のネイラム基地では、明らかな変化が見え始めた。基地中央部の光が不規則に点滅し、いくつかの構造物が活動を停止したように見えた。
「効果あり!」彼女は興奮気味に通信した。「地上部隊、進行してください」
基地の周囲に隠れていたEDF地上部隊が行動を開始した。彼らの任務は、混乱した基地内の特定の施設を破壊し、可能であれば技術サンプルを回収することだった。
作戦は計画通りに進んでいた。そして世界各地で、同様の攻撃が同時に実行されていた。
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南アフリカ、ネイラム前線基地。
「量子妨害場、起動完了!」
南アフリカ防衛軍の生存部隊とEDFの合同チームが、ネイラム基地の周囲に量子妨害装置を設置していた。陸上作戦では、航空機に搭載するには大きすぎる大型バージョンの装置が使用された。
「効果を確認」指揮官が双眼鏡で基地を観察した。「ターゲット反応あり。作戦第二段階に移行」
部隊が前進を始めた。彼らは水分散布車両も装備していた。もし基地内の個体と直接対峙することになれば、水を使用して彼らを弱体化させる計画だった。
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オーストラリア西部、ネイラム採掘基地。
オーストラリア特殊部隊「SAS」の残存メンバーが、砂丘に隠れて基地を監視していた。
「量子妨害装置、信号到達」通信士が報告した。
彼らはこの地域では装置を直接設置するのではなく、高高度から投下された自律型ドローンに依存していた。
「攻撃開始」指揮官が命令した。
部隊は事前に配置されていた爆発物を起動させた。それらは基地の主要採掘設備の下に埋設されていた。爆発により、採掘中の坑道が崩落。基地の主要機能が損なわれた。
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アマゾン地域、ネイラム研究基地。
ブラジル特殊部隊とコロンビア・ゲリラの連合チームが、ジャングルの中から基地を観察していた。
「システム起動確認」通信係が報告した。
この地域の作戦は防御的なものだった。彼らは基地を攻撃するのではなく、量子妨害場で基地の通信を遮断し、追加の偵察チームが周辺地域から生物サンプルを回収している間、敵の応答を鈍らせることが目的だった。
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シベリア南部、ネイラム通信基地。
ロシアとカザフスタンの合同チームが、極寒の中、基地周辺に配置についていた。
「妨害場、展開完了」リーダーが防寒マスク越しに通信した。
彼らの計画は最も野心的だった。基地内部に潜入し、中央コアを破壊することを目標としていた。
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世界各地で同時に実行されたオペレーション・ファーストライトは、ネイラムの通信網全体に甚大な混乱をもたらした。初めて、人類は侵略者に対して組織的かつ効果的な打撃を与えたのだ。
カナダ基地では重要技術サンプルの回収に成功、南アフリカ基地では複数のネイラム個体を無力化、オーストラリア基地では主要採掘設備の破壊に成功、アマゾン基地では貴重な生物サンプルの回収に成功、シベリア基地では通信ハブの破壊に成功した。
EDFセントラルコマンドに結果が報告されると、慎重ながらも明らかな勝利の雰囲気が広がった。
「初の大規模作戦は成功と言えるでしょう」ハーディング将軍は静かに言った。「しかし、これはほんの始まりにすぎません」
彼の予測は正しかった。ネイラムはすぐに対応策を講じ始めた。彼らの通信システムは再構成され、破壊された設備は修復作業が始まった。しかし重要なのは、人類がついに効果的な反撃手段を見つけたことだった。
そして予想外の効果も生まれた。各地の成功報告が広まるにつれ、人々の間に希望と勇気が生まれたのだ。ネイラムは無敵ではない—その事実は、数字や戦略的価値以上の意味を持っていた。
オペレーション・ファーストライトは、戦争の転換点となった。
### 第8章:9月反乱
2027年9月15日、世界各地。
それは事前に計画されたものではなかった。少なくとも、EDFの戦略的な指示によるものではなかった。
オペレーション・ファーストライトの成功から約1カ月、世界各地のネイラム占領地域で同時多発的な市民蜂起が発生した。後に「9月反乱」と呼ばれることになるこの現象は、自然発生的なものだった。
パリでは、数千人の市民が下水道システムから地上に現れ、シャンゼリゼ通りのネイラム前線基地を取り囲んだ。彼らの武器は即席の爆発物、消火器(水を放射するための)、そして何よりも数の力だった。
ニューヨークでは、地下鉄に避難していた生存者たちが地上に上がり、マンハッタンの主要ネイラム施設に対して攻撃を仕掛けた。
東京、モスクワ、リオデジャネイロ、ケープタウン、シドニー—世界中の主要都市で同様のパターンが繰り返された。
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ロンドン、テムズ川南岸。
「急いで!水管を確保して!」
地元レジスタンスのリーダー、ジャック・フォスターが指示を出した。彼らはテムズ川の水をポンプで汲み上げ、ネイラム施設に向けて放水する計画だった。
突然の蜂起は予定外だった。彼のグループは長期的な準備を進めていたが、街中で始まった暴動に呼応せざるを得なかった。
「どうしてみんな今日、行動を起こしたんだ?」彼は部下に尋ねた。
「SNSの『ゴースト・ネットワーク』で広まったらしい」若い女性が答えた。「9月15日は『自由の日』だとか。ニューデリーの勝利から3カ月という意味らしいわ」
彼は驚いた。地下インターネットが、まだ機能していたとは。そして人々が自発的に組織化していたとは。
「ここは準備ができていない。もっと計画が必要だ」彼は懸念を示した。
「もう遅いわ」女性は窓の外を指さした。「見て」
通りには数百人の市民が集まり、即席の武器を手に前進していた。彼らの表情には恐怖もあったが、それ以上に決意が見えた。
ジャックは深呼吸した。「よし。では最大限のサポートをしよう」
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EDFセントラルコマンド。
「これは自殺行為です」マイケル・ハーディングが険しい表情で言った。
モニター画面には、世界各地の蜂起の様子が映し出されていた。民間人主導の反乱は、ほとんど調整されておらず、適切な装備もなかった。
「彼らを止めることはできません」アミナ・カーンが静かに言った。「これは希望から生まれた行動です。我々が彼らに与えた希望が」
「しかし、準備不足の反乱は大量の犠牲者を…」
「だからこそ、我々は彼らを支援しなければなりません」アミナは断固として言った。「彼らを見捨てることはできません」
ハーディングは瞬時に決断した。「全域に緊急指令。可能な限り、市民蜂起への支援を展開せよ。特に水の利用と電磁妨害装置の使用方法について指導を行うこと」
彼の指示はすぐに実行に移された。EDFの潜伏部隊や特殊部隊に、可能な場所では市民を支援するよう命令が出された。
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パリ、シャンゼリゼ通り。
炎と煙が立ち上る中、市民たちはネイラム基地に迫っていた。彼らの多くが犠牲となったが、それでも前進を続けた。
突然、彼らの中から組織的な動きが生まれた。EDFの特殊部隊が市民の中に紛れ込み、より効果的な戦術を展開し始めたのだ。
「消火器と水ホースを前線に!」フランス特殊部隊の隊員が市民リーダーに指示した。「電気ケーブルを切断して、この周波数で信号を送れ」
市民たちは迅速に適応した。彼らの無秩序な攻撃が、徐々に調整された作戦へと変化していった。
ネイラムも対応した。彼らの防御システムが起動し、追加の個体が動員された。しかし、あまりにも多くの場所で同時に発生した反乱に、彼らの対応能力は限界を迎えていた。
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東京、新宿区。
タクミ・サトウは小型の量子妨害装置を起動させた。この装置は、オペレーション・ファーストライト後に量産された小型版で、効果範囲は狭いがより携帯性に優れていた。
「効果範囲は200メートルです」彼は市民リーダーに説明した。「その間に水利用チームが接近する必要があります」
彼は本来、偵察任務で東京に潜入していたが、突然の蜂起に遭遇し、支援を決意した。彼の指導の下、市民たちはより組織的に行動し始めた。
タクミの周りには、かつての自衛隊員も数人いた。彼らは軍事訓練を市民たちに急いで教えていた。
「一人ひとりは弱くても、集団として動けば強くなる」元自衛隊員の一人が言った。「それが人間の強みだ」
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9月反乱の結果は、地域によって大きく異なった。
完全な勝利を収めた場所もあれば、壊滅的な敗北を喫した場所もあった。しかし全体として、ネイラムの支配領域は明らかに縮小した。彼らは戦略的に重要でない地域から撤退し、主要拠点の防衛を強化する方針に転換したようだった。
人類側の犠牲も甚大だった。推定で約300万人が9月反乱で命を落としたとされる。しかし、彼らの犠牲は無駄ではなかった。
反乱がもたらした最も重要な変化は、戦略的なものというよりは心理的なものだった。人々は恐怖から行動へと移行した。受け身の被害者から能動的な抵抗者へと。そして何より、個々の国や民族としてではなく、人類として団結して行動し始めたのだ。
EDFの分析官たちは、9月反乱がネイラムにも心理的影響を与えたと推測した。彼らの行動パターンが変化し、より防御的になったのだ。彼らは人類を単なる障害物ではなく、実際の脅威として認識し始めたようだった。
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2027年9月30日、EDFセントラルコマンド。
「9月反乱の総括です」
趙明玲将軍が報告した。彼女は先週、秘密裏にロッキー山脈のセントラルコマンドに移動していた。アジア地域の反乱を遠隔で調整した後、彼女はより直接的に戦略策定に関わることになったのだ。
「ネイラム支配地域は全球表面の45%から32%に減少。彼らは主に資源採掘地と主要前線基地に集中しています」
ハーディング将軍が質問した。「民間人の犠牲者数は?」
「約300万人」趙は冷静に答えた。「しかし、彼らの犠牲なしには、これほどの進展はなかったでしょう」
会議室には重い沈黙が流れた。
「次の段階は?」エレナ・コバレンコが尋ねた。
「南半球での大規模反転攻勢」ハーディングが答えた。「コードネーム『オペレーション・サザンクロス』。9月反乱で生まれた空白地帯を確保し、ネイラムをさらに北半球に押し込む」
「彼らは適応します」タクミ・サトウが警告した。「量子妨害技術への対策をすでに開発し始めています」
「だからこそ、我々も進化し続ける必要がある」ハーディングは断固として言った。「ダニエル・チェン、進捗状況は?」
「『逆転技術』プログラムは予想以上に進展しています」ダニエルがテレビ会議で答えた。「ネイラムのシールド技術の基本原理を解明しました。我々独自のシールド・プロトタイプを開発中です」
「では、前進しよう」ハーディングは決意を込めて言った。「人類は反撃し、そして勝利する」
9月反乱は、明確な転換点となった。侵略開始からわずか5ヶ月で、戦況は一方的な敗北から拮抗状態へと変化しつつあった。
そして、政治的にも大きな変化が起ころうとしていた。
### 第9章:クリスマス憲章
2027年11月、スイス・ニュージュネーブ。
旧ジュネーブの郊外に建設された地下施設「ニュージュネーブ」は、地球防衛連合(EDF)の政治本部として機能していた。ここで、世界各地の残存する国家指導者たちが一堂に会した。
会議場に集まった約50人の指導者たちは、かつての敵国同士、イデオロギーや宗教、文化的背景の異なる人々だった。しかし今、彼らは共通の目的で団結していた。
アミナ・カーンが演壇に立った。
「我々は人類史上最大の危機に直面しています」彼女は落ち着いた声で話し始めた。「そして、私たちは単なる国家の代表者ではなく、人類の代表者としてここに集まりました」
会場には通訳が不要だった。参加者全員が英語を理解し、あるいは即時翻訳デバイスを持っていた。
「9月反乱は、私たちに重要な教訓を示しました」彼女は続けた。「人々は国籍や民族を超えて団結する準備ができています。彼らは既に行動で示しました」
フロアからジャン=ピエール・ルモンド元フランス大統領が立ち上がった。
「私は長年、フランスの国家主権を守るために働いてきました」彼は静かに言った。「しかし今、私は理解しています。この危機において、私たちの古い国民国家の概念は、もはや適切ではないと」
会場にはざわめきが広がった。彼のような伝統的な国家主義者からの発言は、驚くべきものだった。
「私は提案します」ルモンドは続けた。「一時的ではなく恒久的な統一政府の設立を。地球防衛連合から、単に『地球連合』へと進化した組織を」
これに対し、中国代表が懸念を示した。
「各国の主権はどうなるのでしょうか?」
「それは残ります」アミナが答えた。「しかし、より連邦制に近い形で。現在の危機に対応するために必要な分野—防衛、科学研究、資源分配—においては中央集権的に、そして文化や地域行政などは地方分権的に」
議論は数時間続いた。しかし、驚くべきことに、根本的な反対意見はほとんど出なかった。侵略前なら数年、あるいは数十年かかったであろう議論が、わずか一日で基本的な合意に達したのだ。
「では、草案作成委員会を設立します」アミナは宣言した。「12月24日までに、『地球連合憲章』の草案を提出することを目指します」
この日程には象徴的な意味があった。人類の多くが祝うクリスマス・イブ—希望と再生の日に、新たな人類の船出を記念するのにふさわしい日だった。
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12月24日、ニュージュネーブ。
雪が静かに降り積もる中、地球連合憲章の調印式が行われた。
「地球連合憲章」、あるいは通称「クリスマス憲章」は、人類史上初の真の世界統一政府の基本法となるものだった。
憲章の前文は印象的だった。
『我々人類は、存亡の危機に直面し、ここに結束を宣言する。国家、民族、宗教、イデオロギーの違いを超え、人類として一つとなることを選ぶ。この憲章は、我々の生存と、将来の世代のための、より良い世界を創造する決意の象徴である。』
署名式は厳粛かつ象徴的に行われた。各国代表が順に前に進み、憲章に署名した。米国、中国、ロシア、EU諸国、インド、日本、そして数十の国々の代表者たち。
地球連合の第一代総務委員長として、アミナ・カーンが全会一致で選出された。彼女の第一声は簡潔なものだった。
「今日、私たちは歴史を作りました。しかし、これは終わりではなく、始まりです。明日から、私たちは新たな人類として、共に前進します」
式典の最後に、新たなシンボルが掲げられた。青い地球を背景に、五つの星が円環を形作るデザイン。五つの星は五大陸を表し、円環は人類の一体性を象徴していた。
地球連合の誕生である。
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クリスマス憲章は、単なる政治的文書を超えた意味を持っていた。それは人類のアイデンティティの進化を象徴するものだった。
憲章には以下の主要な原則が含まれていた。
1. 人類の存続と安全の確保を最優先とする
2. 旧国家の主権を尊重しつつ、連邦制的統一政府を確立する
3. 科学技術の共有と発展を促進する
4. すべての人間に基本的権利と尊厳を保障する
5. 環境と資源の持続可能な利用を確保する
6. 異星文明との将来的関係の枠組みを準備する
特に注目すべきは最後の原則だった。クリスマス憲章は、ネイラムとの戦争終結後の可能性をも視野に入れていたのだ。それは単なる生存のための緊急措置ではなく、長期的な人類の未来を見据えた包括的なビジョンだった。
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2028年1月1日、地球連合暫定政府が正式に発足した。
アミナ・カーン総務委員長の下、連合安全保障評議会(議長:ジャン=ピエール・ルモンド)、科学技術評議会(議長:ソフィア・ヴァレンズエラ)、資源分配評議会、人道問題評議会などが設立された。
マイケル・ハーディング将軍は地球連合軍の最高司令官に任命され、趙明玲将軍は副司令官となった。かつての敵同士が、今や人類防衛の中核を担うこととなった。
地球連合の誕生は、戦争の転換点となった。人類は単に抵抗するだけでなく、積極的に反撃し始めたのだ。そして、より重要なのは、彼らがもはや分断された国家の集まりではなく、一つの種族として行動し始めたことだった。
クリスマス憲章は、危機が転機となり、人類が進化するという可能性を示していた。それは、悲劇から生まれた希望の象徴だった。
### 第10章:第三次北米戦役
2028年3月、カナダ・ロッキー山脈周辺。
雪解けが始まったばかりのロッキー山脈の麓に、地球連合軍の主力部隊が集結していた。「第三次北米戦役」と呼ばれる作戦の準備が、最終段階に入っていた。
マイケル・ハーディング最高司令官は、モニター上に表示された戦線を見つめていた。
「現在のネイラム配置は?」彼は参謀に尋ねた。
「主力は五大湖地域に集中しています。約2,000の個体と30の中型構造物を確認。彼らのプライム・コマンダーもそこにいると思われます」
ハーディングは頷いた。これまでの二度の北米戦役は部分的な成功に終わっていた。最初はネイラムの優位性が圧倒的だったが、第二次戦役では互角に戦えるようになった。そして今回、人類は初めて技術的にも組織的にも準備が整っていた。
「『ハイブリッド・シールド』の展開状態は?」
「主力部隊の80%に配備完了。残りも24時間以内に完了予定です」
ダニエル・チェンの「逆転技術」チームが開発したハイブリッド・シールド技術は、ネイラムのシールド技術を解析し、地球の技術と融合させたものだった。100%の再現ではなかったが、ネイラムのエネルギー兵器への耐性を大幅に高めていた。
「空中部隊の準備は?」
「エミリー・ニュートン少佐の率いる『ゴースト・スコードロン』を含め、全機が作戦準備完了です」
エミリーの部隊は、ネイラムのセンサーに検知されにくい特殊ステルス技術を搭載した航空機を操っていた。これもまた、逆転技術プログラムの成果だった。
「では、作戦開始を承認する」ハーディングは静かに言った。「全部隊に通達せよ。D-Day、H時です」
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エミリー・ニュートンは、改良型F-35のコックピットで最終チェックを行っていた。「ゴースト・スコードロン」と呼ばれる彼女の部隊は、12機の特殊改造戦闘機からなり、第三次北米戦役の先陣を切る役割を担っていた。
「全機、ステルスモード起動確認」彼女は通信した。
各機から確認の返事が戻ってきた。彼女のディスプレイには、全機のステルスシステム状態が緑色で表示されていた。
「管制、こちらゴースト・リーダー。発進準備完了」
「ゴースト・リーダー、管制。発進許可。神速を」
エミリーは深呼吸をして、スロットルを押し上げた。彼女の戦闘機は滑走路を駆け抜け、やがて空へと舞い上がった。他の機体も次々と続いた。
「高度1万フィートまで上昇。その後、作戦高度まで降下。ステルス効果は低高度で最大化します」彼女は隊員たちに指示した。
彼らの任務は、ネイラム基地の防空システムに検知されることなく侵入し、量子妨害装置を展開することだった。従来の装置よりも強力な「量子妨害場マーク2」を搭載していた。
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五大湖地域、ネイラム主力基地上空。
「目標地点接近中。全機、作戦高度まで降下」エミリーは命令した。
12機の戦闘機は一斉に高度を下げ、レーダー探知を避けるため地形に沿って飛行し始めた。ミシガン湖の水面すれすれを飛行することで、彼らはネイラムのセンサーから身を隠していた。
「敵基地、視認」副操縦士が報告した。
遠くに、青白い光を放つ幾何学的構造物群が見えた。五大湖地域には、ネイラムの北米最大の前線基地が設置されていた。
「作戦開始まであと2分。全機、最終位置に散開」
彼女の小隊は、基地の各セクターを担当するため、異なる方向へと分かれていった。エミリー自身は中央コマンドセクターを担当していた。
「全機、作戦開始!」
一斉に、各機が量子妨害場発生装置を起動させた。マーク2装置は従来のものより強力で、初期型の2倍の範囲と3倍の強度を持っていた。
効果は即座に現れた。ネイラム基地全体が一瞬機能を停止したかのように見え、青白い光が消えかかった。しかし、すぐに補助システムが起動し、基地は部分的に機能を回復した。
「第二フェーズ、開始!」エミリーは命令した。
各機から小型の誘導ミサイルが発射された。これらは通常の爆発物ではなく、液体散布装置を搭載していた。ミサイルは基地の各所に命中し、精製された純水を広範囲に散布した。
基地内のネイラム個体の多くが、水による機能低下の影響を受けた。彼らの動きが鈍り、混乱している様子が観測された。
「地上部隊、前進開始!」エミリーは通信した。
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ロッキー山脈から展開していた地球連合軍地上部隊が、一斉に行動を開始した。ハイブリッド・シールドを装備した装甲車両と歩兵部隊が、基地の弱体化した防御を突破しようとしていた。
最前線には特殊部隊「レイジャーズ」がいた。彼らの任務は、基地内部への侵入と中央制御施設の破壊だった。
「本当に効いてるのか?この新型シールド」部隊の一人が懸念を示した。
彼らの前方では、ネイラムのプラズマ収束砲からの攻撃が地表を焼き焦がしていた。しかし、直撃を受けた装甲車両は驚くべきことに、大きな損傷なく前進を続けていた。
「エンジニアたちの言う通りだ」隊長が答えた。「だが過信は禁物だ。シールドは完璧ではない」
彼らは素早く前進し、基地の外周に到達した。そこで彼らは予想外の光景を目の当たりにした。ネイラム個体同士が混乱し、一部は互いに衝突しているように見えた。量子妨害場がネイラムの集合意識を分断しているようだった。
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基地上空、エミリーは戦況を観察していた。
「思った通りね」彼女は副操縦士に言った。「量子妨害場が彼らの神経ネットワークを混乱させている。個体間の協調が失われているわ」
彼女はこの現象をニューデリーでの戦いで初めて観察していた。しかし今回は、より大規模かつ組織的に再現されていた。
「すべての部隊に通達。ターゲットアルファへの攻撃を集中せよ」
ターゲットアルファ—基地中央部の最大構造物—は、ネイラムのプライム・コマンダーがいると考えられていた場所だった。それを無力化できれば、北米全域のネイラム部隊に大きな混乱をもたらす可能性があった。
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ネイラム基地内部。
「前進!」特殊部隊の隊長が命令した。
彼らはハイブリッド・シールドと水散布装置を使って、基地内を進んでいた。周囲のネイラム個体の多くは混乱し、効果的な防御を展開できていなかった。
しかし、基地深部に進むにつれ、抵抗は激しくなった。特に、中央構造物付近では、ネイラム個体が集結し、より組織的な防御を展開し始めていた。
「奴らが適応し始めている」通信士が報告した。「量子妨害場の効果が徐々に低下しています」
「予想通りだ」隊長は冷静に答えた。「我々には限られた時間しかない。主要目標に集中する」
彼らは中央構造物に近づくにつれ、より強力なネイラム個体と遭遇した。これらは標準的な個体より大きく、明らかに防御的な機能に特化していた。
特殊部隊は慎重に前進し、水を効果的に使用しながら敵を一体ずつ無力化していった。しかし、彼らの前進は遅く、損失も増え始めていた。
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エミリーの戦闘機が再び基地上空に姿を現した。
「地上部隊、退避勧告。エリアホットになります」彼は通信した。
彼女の戦闘機にはもう一つの新兵器が搭載されていた。ソフィア・ヴァレンズエラとダニエル・チェンのチームが開発した「神経系干渉波」発生装置だ。ネイラムの神経システムに直接干渉する高周波音波を発生させることができた。
「装置起動。標的ロック」
装置が起動すると、目に見えない波が中央構造物に向けて放射された。効果は劇的だった。構造物内のネイラム個体が一斉に混乱し、一部は完全に機能を停止したように見えた。
特殊部隊はこの機会を利用して、中央コアへと突入した。
「爆薬設置完了!」地上から通信があった。「全員退避中」
エミリーは満足げに頷いた。「全機、エリアから退避。ミッション完了」
彼女の小隊は一斉に離脱を開始した。数分後、基地の中央構造物が爆発し、青白い光の柱が空高く上がった。
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戦闘は72時間続いた。
当初の大きな進展の後、ネイラムも対策を講じ始め、一進一退の激しい戦いが展開された。しかし最終的に、地球連合軍は主要目標を達成した。ネイラム主力部隊の約30%が破壊され、彼らの指揮系統に大きな打撃が与えられたのだ。
第三次北米戦役の成功は、戦争の明確な転換点となった。初めて、人類は組織的かつ大規模にネイラムに勝利したのだ。
しかし、両陣営とも、この戦いで多大な損失を被った。地球連合軍は兵力の15%を失い、ネイラムも重要な資源と装備を失った。
この戦役の後、両陣営は一種の均衡状態に達したように見えた。ネイラムは残存勢力を極地・高山・一部砂漠地帯に集結させ、人類も次の大規模攻撃に向けた準備を始めた。
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2028年4月15日、EDFセントラルコマンド。
「これが現在の状況です」
マイケル・ハーディングは地球連合安全保障評議会の前で報告を行っていた。大型スクリーンには世界地図が表示され、ネイラム支配地域(赤)と人類支配地域(緑)、そして争奪地域(黄)が色分けされていた。
「ネイラムの支配地域は全球表面の約25%まで減少しました。彼らは主に極地域、高山地帯、特定の砂漠地域に集中しています」
「彼らの意図は?」ジャン=ピエール・ルモンドが尋ねた。
「我々の分析では、彼らは長期的な持久戦に移行したと考えられます」趙明玲将軍が答えた。「彼らは地球外からの補給を期待できないため、資源の保全とリサイクルに焦点を当てています」
「完全勝利の可能性は?」アミナ・カーンが静かに尋ねた。
ハーディングは慎重に答えた。「現時点では、彼らの完全排除は現実的ではありません。彼らの残存技術はまだ我々を上回り、特定の地域では依然として優位性を持っています」
「それでは、次のステップは?」
「均衡状態の強化と、長期的共存の可能性の模索です」ハーディングは言った。「そして、もちろん、防衛能力のさらなる強化」
会議室には静寂が流れた。開戦から約1年、人類は絶望的な状況から驚くべき回復を遂げた。しかし、これは終わりではなく、新たな段階の始まりだった。
ネイラムとの長期的関係をどう構築するか。彼らと共存は可能なのか。あるいは、完全な勝利のために戦い続けるべきなのか。これらの問いに、明確な答えはまだなかった。
しかし一つ確かなことがあった。人類は生き残り、そして団結した。危機は新たな始まりをもたらしたのだ。
### エピローグ:新たな夜明け
2028年4月30日、ニュージュネーブ、地球連合本部。
アミナ・カーンは窓から外の風景を眺めていた。春の陽光が、再建されつつある街並みを照らしていた。
彼女のオフィスのドアがノックされた。
「どうぞ」
ソフィア・ヴァレンズエラが入ってきた。科学技術評議会議長として、彼女は地球連合の技術開発を統括していた。
「総務委員長、重要な報告があります」彼女の表情は複雑だった。
「どうぞ、座って」アミナは促した。
「ネイラムの通信を部分的に解読することに成功しました」ソフィアは一息ついて言った。「彼らの母星について、いくつかの情報が得られました」
アミナは身を乗り出した。「彼らはどこから来たの?」
「オリオン座方向の恒星系、約80光年離れた場所です」ソフィアは答えた。「そして...彼らはもう帰れません」
「どういうこと?」
「彼らの母星系で何らかの危機が発生したようです。彼らは...難民なのです。新たな生存圏を求めてきたのです」
アミナは言葉を失った。侵略者たちも、ある意味では生存のために戦っていたのだ。
「彼らとの...交渉は可能?」彼女は慎重に尋ねた。
「理論的には」ソフィアは肩をすくめた。「しかし、彼らの思考様式は我々とあまりにも異なります。彼らにとって『個』の概念は我々とは全く違うものです。交渉のためには、まず互いを理解する必要があります」
アミナは窓の外を見つめた。遠くの空には、雲の切れ間から青い空が見えていた。
「では、我々は理解から始めなければならない」彼女は静かに言った。「戦いながらも、彼らを理解しようと努力するのです」
「それは難しい道のりになるでしょう」ソフィアは率直に言った。
「でも、それが人類らしい道です」アミナは微笑んだ。「我々は適応し、学び、そして成長します。それが我々の強みなのですから」
二人は黙って窓の外を眺めた。地平線の彼方に、不確かながらも希望ある未来が待っているようだった。
侵略は続いていた。戦争はまだ終わっていなかった。しかし人類は、単なる生存を超えた何かを見出し始めていた。新たなアイデンティティ、新たな目的、そして可能性としての新たな未来を。
これは終わりではなく、新たな始まりだった。
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*完*