第77話 再走決定
地獄の階段を下りる途中から、もう嫌な予感は漂ってきていた。
鼻をくすぐる潮の香り。
耳に届く潮騒の音。
階段の先から流れてくる空気は、どことなく夏のように熱く、それでいて塩気を帯びたように粘ついていた。
この時点でもう確定したようなものだけど、最後の0.1秒まであきらめないのがRTAだ。
どこでどんな奇跡が起こるか分からない。
最後の可能性を信じて俺は階段を降りていく。
そうして、最後の一段を降りて広い空間に出た。
抜けるように高い青空と、刺すように強い日差し。
漂う熱気に反して、爽やかな風が心地いい。
左右に目を向ければ白い砂浜がどこまでも広がり、視線を前に向ければ澄み渡るように青い大海原。
間違いようがなく海ステージだった。
>ほんとに海ステージじゃねーか!www
>これは天罰www
>絶対引きたくない結果をちゃんと引き当てる配信者の鑑
>さすが持ってますわ
>これは世界一の配信者も納得
>地獄であれだけ暴れたんだし多少はね
>鬼も阿修羅像もボコボコにしてきたもんな
>地獄って罪人が罪を悔いるための場所なのに、悔いるどころか嬉々として駆け抜けてきたからな
>明らかに罪状増えたよな
>罰当たりにもほどがある
>神罰覿面とはこのこと
なんてこった。
まさかとは思ったけど、本当に海ステージを引き当てるなんて……。
地獄で暴れれば閻魔様から罰を与えられる、なんて迷信みたいなものだと思ってたけど、こうなってくると検証の必要はあるかもしれないな。
次はもっと優しく進んでみようか。
>優しくってどうやるんだ
>一度も攻撃しないで進むとか?
今でも可能な限りそうしていましたが、どうしても戦う必要が出てくる場面はあるんですよね。
次からはより素早く確実に苦痛なく倒すようにしてみます。
>優しくってそういう意味かw
>完全に蛮族の思考
>戦わないで迂回するという選択肢はないんですか
迂回したらタイムが伸びてしまいますからね。
その選択肢はありません。
>そこはブレないんだよなあ
>タイムは命より重い
>これがRTA走者の見てる世界……!
>苦痛なく殺す事こそ優しさ
>生きてるから苦しみを味わうのだ。死こそが苦しみから解放される唯一の方法。
>考え方が地獄の鬼じゃん
とはいえ、本当に海ステージになる確率が上がるのなら、あえて迂回するのも選択肢には入るか。
RTAにおいてもその後のタイムを縮めるために、あえて遠回りをすることはある。
重要なのは総合タイムだからな。
検証の結果次第ではあるけど……。
「いや、閻魔様が天罰を下すなら、その閻魔を倒せばいいのでは?」
>www
>発想がもうおかしい
>神罰を回避するために神様を殺す配信者
>発想が完全にサイコパスのそれ
>閻魔様逃げてー
>それにしてもケンジくんが足を止めて雑談に付き合ってくれるなんて珍しいな
>いつもはどんな時でも走りながらなのに
海ステージに来た時点でもう詰みですからね。
>ん?
>それってどういう……
>まさか……
「はい。再走です」
>マジで再走すんのwww
>ここにきてそれはやめてwww
>いやいやいやいや
>ガチで?
ガチです。
海ステージだけはどうしようもないです。
>ケンジくんでもクリアできないくらい海ステージは難しいのか
いえ、クリア自体は簡単ですね。
時間さえかければ誰でもできます。
>できねーよw
>さらっと無茶言わないでw
>俺たち人間を何だと思ってるんだw
>ダンジョン深層だぞ来れる人間が何人いると思ってるんだ
>ソロで来てる人もいるけどな
>そいつはもう人間じゃないよ
>だよな。人間なら閻魔様を殺そうとか言い出さないし
そんな事はないと思うけど……。
特に強力なモンスターもいないし、難しいギミックがあるわけでもないしな。
これが火山ステージとかなら、溶岩のせいで進めないこともあるだろうけど、海ステージならただの海水だ。
とはいえここで話しててもしょうがない。
俺はショートカットから「ワープゲート」を選択した。
空間を切り取るように、外の世界が映し出された丸い空間が現れる。
ここを抜ければ地上に帰れる。
さっそく再走を開始するとしよう。
>ちょっと待ってちょっと待って!!
>本当に帰ろうとしてる!!
>助けてシオリちゃん!
「ちょっと待ちなさいよ」
ワープゲートをくぐろうとすると、背後からシオリが声をかけてきた。
「実際のRTAだったら再走なんでしょうけど、今はRTAの解説配信中でしょ」
「それはそうだが」
「だったら、すぐに諦めるんじゃなくて、こんな時でも諦めずにできる方法を紹介するのが大切なんじゃない?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「本当に方法は何もないの?」
……方法は、ある。
あるにはあるが……。
けど、言われてみればそうだ。
確かに方法が全くないわけじゃない。
けどそれはあまりにも確率が低く、狙うのは現実的じゃなかったんだ。
だけどタイムのためなら、その低い確率を狙うこともある。
「確かにシオリの言う通りだな。諦めるのは早かった」
>お?
>流れ変わった!?
「海ステージに来た時点で再走と決めつけていましたが、それでも走らなければならない場合があります。
例えばそれまでのタイムがよくて、諦めるにはもったいない場合ですね。
そういう時は、わずかな可能性に賭けて念のために走る事があります。
なので、今回はその方法を紹介したいと思います」
>やった!
>さすが俺たちのシオリちゃん!
>さすしお!
>ケンジくんを操れるのはシオリちゃんしかいない
「基本的に海ステージにはショートカットの方法が無く、広い大海原をひたすらに進んでいくしかありません。しかしそれでも、方法がないわけではありません。
あまりにも成功確率が低く、狙うことはほぼありませんが……」
リスクをとってタイムを狙う。
それもまたRTAの醍醐味だ。
俺はタイムを縮めるためにすべてを捧げてきたつもりだったけど、いつの間にか記録を出すことに固執して、安全策に逃げていたのかもしれない。
挑戦を忘れるなんてRTA走者失格だ。
「ありがとう。シオリのおかげで大切な事に気が付けたよ。やっぱり持つべきものは幼馴染だな」
「……ふん。わかればいいのよ」
口ではそういいながらそっぽを向くけど、幼馴染の俺には分かる。
あれは感謝されて喜んでいる時の顔だ。
「いいからさっさと始めなさい」
おっと、怒られてしまった。
シオリはそういうのをからかうと怒るからな。
本気で怒られる前に再開するとしよう。
「では、最速タイムを目指して海ステージのショートカット攻略を始めたいと思います!」
>やった!
>待ってました!
>でもケンジくんですら成功はほぼ不可能といわせるなんて……
>どんなやばい方法なんだ……
>知りたいような、知りたくないような……
>大丈夫だよどうせ最初から俺達には不可能な事しかしてないし
>それもそうだな




