ハーレム男を振るだけの簡単なお仕事 2
あたしの楽しいお仕事はひとまず、レティシアの体が落ち着くまで待った。これで、途中でぶっ倒れたらなにもかもやり直しだ。
頭痛が和らいだと思えば、今度はずきずきとした痛みがやってきた。頭の中ではなく外皮が痛い系。ちょっと頭を触ってみたものの出血が止まっているかはわからない。ただ、どくどくしている感はないのでたぶん大丈夫?
とりあえず我慢出来ないほどでもないので立ち上がる。ちょっとふらつくのは既に出血がひどかったせいと推測できた。貧血にもなりそうな髪の毛のべったり具合だし、血塗れドレスだし。
それにしても結構な時間が経ったと思うのに誰も不在の主役を探しにすら来ない。
中々にこの婚約はワケありだ。
先代の当主の時代に決められたもので、当人が生まれる前からの約束である。
その時点では未婚の娘がいなかったため、その約束は孫であるレティシアに引き継がれた。
当時のレティシアの家は叙勲されたばかりの男爵、相手は建国よりある伯爵。
しかも、都合の良い相手がいないにもかかわらず、約束させられた。
政略ではあるが、男爵家が後ろ盾を得るだけのように見えた。
外から見れば玉の輿に見えるだろうが、実態は首輪を付けられるに等しい。
レティシアの実家はとある剣術系の流派の直系である。先代より前の時点では爵位を固辞するような立ち位置だったらしいが、先代の方針は違った。小さいながらも自らの領地を求めたのだ。流れ者のようにあちこちに点在していた門下生が集結できる場所ができてしまった。それも、当主のもと動けるような、である。私兵というレベルを超えているのはわかっていたが、その叙勲を避けることができなかった。
退けた場合の被害は大小さまざま出ることがわかっていたからだ。門下生は国内外にいる。影響力は計り知れない。
その結果として、当時かなり有力な伯爵家と縁付くことで離反を事前に防ごうとしたのだ。
幸いなのは、ただの口約束までしかできないことだ。当人が立ち会いの元で婚約式を行わない限り、確定はしない。それも本人が15才以上と年齢制限があった。
なお、レティシアの場合、現在17才であるがこれは遅い方と言われる。
まあともかく、先代当主はそのときに波風を立てるよりも次の世代に問題の先送りをした。
レティシアの母が嫁いだのはその話が決まった数年後のことだ。侯爵家の娘が駆け落ち同然に嫁いだと当時は騒がれたらしい。
母方の祖父の意志がそこにあるのかは不明だが、それなりに仲の良い夫婦だ。
その頃の祖父は、宰相をやっていたのでなにも意図がなかったとは思えない。盛り上がっちゃうように仕向けたとかあり得る。
これで、血縁としてこの問題に介入することが可能になるのだから。
これだけでも問題が山積され、面倒なことになる予想がつくのにさらに最高に最悪だったのは、婚約者がやたらとモテることだ。
こればかりは誰も想定していなかったのだろう。同年代のイケメンはそれなりにいるが、爵位持ちもしくは、次期後継者が少なかった。王太子が10才上でそのあたりに該当者が集中している。
こればかりは時期が悪かったとしか言いようがない。
乙女的条件に目をつむればそれなりに縁談はある。
家の条件もちょっと緩めれば妥協できただろう。
婚約者が近寄る女性にも平等に優しくお友達などとしていなければ、もう少し状況はマシだったと思う。
がんばれば手が届くかも知れないと希望を持たせるのがたちが悪い。
そこにはレティシアがどうしても邪魔だ。婚約者の傷になってはいけないからと彼女の方から辞退するようにいろんな方法で言われてきた。
さらにどん底まで至るのはとある公爵家のご令嬢がレティシアの婚約者にご執心だったことだ。その件が拗れ色々な思惑嫉妬込みでレティシアに向けられることになる。
普通のご令嬢なら逃げ出して良い案件だ。
この公爵令嬢もちょっと引っかかるところがあるんだけど。
げんなりとした気分で、ざわめきが聞こえる方に足を向ける。
幸い体の持ち主は優雅なお嬢様だったので、中身が変わってもその動きは変わらない。とても良いことだ。さすがに礼儀作法を一瞬にして忘れていたら困ったことになる。
さすがにドレスが日常にない異世界生まれのあたしにドレスの裾捌きができるわけがない。体に染みこませているから出来ることだ。
ふらつきながらもドレスの裾を踏んで転ばないのはさすがと言える。
途中ですれ違った使用人が青ざめた顔をしているが知ったことではない。広間に近づくにつれ招待客とも出会うが、それも無視だ。
尋常ではない状態なのは承知しているし、それでも誰も近寄って心配はしてこないということが彼女の居た状況を表している。
「レティ!」
さすがに広間に着けば従兄が血相を変えて近寄ってくる。
レティシアは兄のように慕っていた。
彼は面倒見が良いとレティシアには思われていたが、実のところ妹以上愛情未満のあたりをゆらゆらしていた。
レティシアに婚約者が居なければもう少し進展もあっただろう。毎回、彼女のために奔走し、しかし、報われない。不憫である。
「一体どうしたんだ?」
「階段から落ちまして。兄様、通してくださる?」
これで笑ったらトラウマものだろうと無表情で横をすり抜ける。
階段に落ちて死ぬパターンならまだ彼女は不運な少女で葬り去れる。しかし、生き残った場合にはあの時死ねば良かったのにとくすくす笑われながら陰口をたたかれるという。あの方には似合わないから罰が当たったのだわ。とか。
むしろおまえ等が死ねと言いたい。
これのバリエーションで、従兄を頼ったりしたら、悪女呼ばわり。一人で何とかしたら冷血と。いや、もう、どうしろと。
今日の主役の片割れはどこにいるのかと広間を見渡す。
数十人が集ってもあまりある広さの広間は騒然としている。当たり前だ。血まみれの令嬢、しかも本日の主役が乱入してきたらざわつくだろう。
本来なら一番最初に登場すべき人物は、やはり、ご友人たちに囲まれていた。
ご友人という名の自称恋人たち。彼女たちにとってはレティシアがいなくなれば自分が婚約者や恋人になれると盲信している。
特に公爵令嬢アルテイシア様が今日の主役かと勘違いしそうなくらい仲睦まじく見える。
あー、本当に、なんで、こんな男がいいのか。げんなりしてくる。
確かに顔良し、建国当時からの歴史あるハーディ伯爵家の次期当主、それなりに優しいし、マメだ。優良物件に見える。
ただし、レティシア以外にはと注釈がつく。
この婚約者は、レティシアの前で他の人を褒めて、君も努力しなよと言うタイプだった。
それだけでも嫌なのに、ご令嬢たちを本当に友人だと思っているらしい。無自覚で侍らせ、レティシアに悪意が向くように仕向けている。
優しいけれど、誰も特別ではないと彼女たちは気がついていないらしい。
なんなのこのハーレム男。とあたしがいらっとするのはわかっていただけただろうか。
「どうしたんだい? いつものようにうっかり階段から落ちたのかい?」
そう言われるくらいにはその取り巻きのご令嬢に階段から突き落とされたわけですが。最初は訴えてみたものの、そんなわけない、うっかりだな、君は、で終了するという。
一度目に目撃したときはせめて婚約者の話は聞こうよと脱力したものだ。それも繰り返しが十回を超えれば無心になる。
人の形をしたなにか別種の生き物。その名もハーレム男、だ。
ご令嬢たちは心配そうというよりは、あら、まだ生きてましたの? とでも言いたげというのは被害妄想が激しいだろうか。
まあ、今日で、おしまいだけど。
「ええ、誰かに突き飛ばされましたけど、とりあえず、生きてますわ。突き落とされても華麗に着地できるほどの能力がありませんもの。あなたのように」
にっこり笑って言ってやったわ。
その発言は他の人たちにも当然聞こえている。
唖然とした顔の男にちょっとすっとする。
レティシアは人前でそのことを言ったことがない。それは、結局、優しいからである。そして、もっとひどいことをされるのではないかと怯えていたからでもある。
しかし、あたしはレティではない。一生懸命に生きていた彼女は、今、しばしの安らぎを得ている。
「前々から思っていましたの。皆様のいらっしゃる前ではっきりお伝えしますね?」
婚約者殿にその言葉の意味が伝わるほどには待ってあげる。
唖然とした表情が怪訝そうに変わり、慌てたような顔になって口を開こうとするが、否定されるほどには待ってあげない。
「私はあなたとは絶対に婚約も結婚もいたしません」




