ご令嬢のふりをするだけの簡単ではないお仕事 4
侯爵と軽い雑談を済ませたイルクはすぐに彼女に呼ばれた。今日の予定全部なしにしてもらったのでと意気込んでいたがイルクにはあまり話せることはない。
人払いをされ、二人きりなのも落ち着かない。もちろん、部屋の扉を完全に締め切ることもなく、扉の外には人が控えているにしてもである。
「まず、男爵様はどうされてます?」
「寝込みました」
「……は?」
寝込む? え、寝込む? とぶつぶつと繰り返す彼女にイルクはそうだろうと深く頷く。病どころか毒さえも退けそうな、あの当主が、寝込んだのである。
うなされてやせ細る勢いと聞いて嘘だろと見舞いに行ったが、本当だった。
よほど愛娘の色々が堪えたらしい。
それはレティシアの母親である夫人もそうで、なんだかずっとぼんやりしているらしい。
姉のアリアは、少しばかり考えているようであちこちに伝令を飛ばしていた。私が倒れるわけにもいかないからと気丈に言っていたが、レティシアがああなった遠因でもあるので罪悪感に駆られてかもしれない。
誰にも優しく微笑んだレティシアは、言われてみれば誰の一番でもなかった。皆が気にかけるが、常にではなく相手の都合の良いときだけだった。
親族で一番親しいイルクですら、この数年はあまり接していなかった。嫁ぐことが決まっていた年頃の娘に近づくような真似はできない。ただ話をしただけで醜聞になりかけたこともあり、慎重にならざるをえなかった。
幸せになってほしかった。というのは嘘だ。
決まっていたことだからと正視しそこねた後悔だけが残る。
「今までにないパターンですね……。精神的ショックに弱い方でしたっけ?」
「心臓に剛毛の生えているとか、岩とか言われるような強さと鈍さをお持ちですね」
「ですよね……。人の機微鈍すぎて同じの見てますぅ? と突っ込んだこと数えきれずですもの」
彼女が今回は違うというのならば、はっきりと告げられたからだろう。
あなたたちが何もしなかったから、レティシアは死んだのだと。
もちろん、レティシアを保護していなかった婚約者も悪い。しかし、家族ならばもっと気がついてもよかったのだ。
イルクは従兄という立場であるが、それでも後悔と罪悪感を抱えている。実の家族であったのならばもっとではないだろうか。
「じゃあ、統制を取るのは無理そうですね。え、もしかして、男爵夫人もお姉さんもですか?」
「アリア様が対処はされていますが、後手に回っているでしょうね」
「あの人たち、基本的に政治に疎いので統制取れてても上手く立ち回る気しないんですよね……。母さまも侯爵令嬢だったのだからきっと大丈夫とか思っていたころもあったんだけど」
イルクは返答を避けた。彼も嫌な予感しかしないので、当主に関してはしばらく再起不能の方がましな気がしている。公爵家の出方によるが、売られた喧嘩は買うが? と言いだしそうだ。さらに侯爵家もだまってはいないときている。
政治にうといイルクですら荒れそうな予測が立てられるほどに、問題が山積している。
最悪なのが、レティシア一人が黙って耐えていたらこれが起きなかったということだ。
彼女は小さくため息をついて、他には? と尋ねてくる。
「領地には婚約が解消されたことは伝えられました。レティが悪いっていうわけではなく、相手の女癖の悪さと素行の問題でという話になっています。
地元では評判は元々悪かったので、良かった姫様ということにはなりました。
それから、別の問題があって」
イルクは言うべきかは迷ったが、どうせ知られるだろう。
「婚約者不在のレティに婚約を申し込む列ができたそうです」
「……なぜ?」
「諦めていたものも多かったということでしょう」
納得がいかないと言わんばかりの彼女にイルクは苦笑する。
これからはもっと増えるはずだ。
「従兄殿は、申し込むの?」
「申し込む気配でも見せていたら、ここに来ることは許されなかったでしょうね」
「よかった」
心底安心したように微笑まれて、イルクは複雑な気分だった。
迷ったのは確かだが、当主の性格上、今後レティシアに近づく男は全排除されるだろう。レティシアの祖父であるフリックは婚約をちらつかせながら婚約させる気はない。
つまりはその気のない安全な男でなければ、側によることすら許されない。
イルクは幸いレティシアの中身が変わってしまったことを知っていた。それを理由に婚約などを望まないと明言すれば信用はされたのだ。
くれぐれも、馬鹿な真似をするなよと釘はさされたのだが。
幸いというべきか侯爵家でも同じ話は信用された。しかし、期間は決められた。一年と。それ以上はもたぬという予言めいた言葉にイルクは気が重くなる。
「とりあえず、縁談は断ってもらうことにしましょ。
お祖父さまからの話はなんだったのかしら?」
「あ、……言えません」
あまりにも普通に尋ねられてイルクはうっかり口にしそうになった。
ちっと令嬢らしからぬ舌打ちが聞こえる。レティシアの中身は少しばかり柄が悪いらしい。そう言えば性別すら知らない。そもそも神の使いに性別があるのか、というところから話は始まるわけだが。
「そのうちに話があると思います。それまで黙っていないとクビにされますので」
「黙ってるからお願い」
「ダメです」
イルクはこの件は話す気はない。
ハーディ伯からの謝罪があったことも、再度婚約の申し込みがあったことも不快でしかないだろう。息子は反省しているし、レティシア嬢を愛していると言っていた、らしい。
ぞっとするような話だ。
それとは別にイルク自身の身の回りにも注意するように言われた。おそらく、恨まれただろうと。
「ケチ」
どうあってもイルクが言わないとわかった結果言うことが、ケチ。イルクは思わず笑ってしまった。
レティシアが言いそうにないこと。
本当に、レティシアではないのだと思い知らせてくれる。この罪悪感も痛みも受け入れていくしかない。
「他に何かないの?」
彼女は諦めたのかそう話を振ってきた。
「贈り物をもってきました。押し付けられたんですけどね」
「いらない」
「レティが好きだったものなんですが、いらないんですか」
「うっ。わかった、見る」
彼女は不満顔のまま同意した。
「では、別室に用意してあるそうです」
「いっぱいなの?」
「いっぱいです」
傷心のレティシアにと贈られたものは多い。
レティシアが気にかけられていなかったわけではなかった。ただ、それはレティシア本人に通じてはいなかったかもしれない。
強引にでも誰かが手をとっていたら違ったのではないかと。
残念ながらイルクはできなかった。繰り返しても、出来なかったのだろう。レティシアのために手を尽くしたとは言っていたが、それが実っていたら、彼女はここにきてはいない。
手が、届かなかった。
そう言うことを告げたことになるということを彼女は知らない。
「レティシアの好きなのいっぱいか、たのしみ」
彼女は機嫌を直してさっさと部屋を出ていこうとする。
ご令嬢らしさは全くないが、それはそれでいいのではないだろうかとイルクは思う。
もう、レティシアはいないのだから。