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清廉なる聖女様は世界一嫌いな男のお菓子がないと生きられない

作者: 鯖缶ひな

  ……私は彼の与える「お菓子」がないと、死んでしまう。


「聖女様、本日のお菓子ですよ」

「あら、そうですか」

「感謝の言葉もないのですか?」


 彼は肩をすくめる。

 そうしたいのは私の方だ。私は彼をキッと睨む。


「よくそんな事が言えたものね。守るべき国民を実質的に人質に取って、私の命を掌握した気になって、調子にのらないでくださる? あなたはいつか、私の手で地獄に落としてさしあげますわ」

「そんなに威勢がよく、口もよく回るようでしたら、聖女様は本日も元気そうですね。うーん、明日もいい日になりそうだなぁ」


 彼はわざととぼけるような事を言って、私を苛つかせる。

 この男はいつだって、この調子だ。私が怒っているのを喜んでいる節があるので、本当は平静でいたいのだけど、ついつい乗せられてしまう。

 私は所詮神殿でぬくぬくと育てられた箱入り娘で、世渡り上手なやり手の紅茶商人であるらしい彼には悔しいけれど、翻弄されてばかりだった。

 この男の職業については、彼は自分の事を殆ど語らないので、彼の部下からたまたま聞けただけの情報だけれども、恐らく本当の事なのだろう。


「聖女様、本日のお菓子はオペラです」

「え? オペラって、歌劇の事ではありませんか」

「そういう名前のチョコレートのケーキがあるんですよ。美味しいですよ、聖女様も気に入るでしょう」


 彼は牢の中に入ると、草原色のふかふかの絨毯を踏みしめながら部屋へと入ってきた。

  この、牢と呼ぶのには違和感がある程に装飾過多な部屋と、成人男性である彼は酷くミスマッチだ。木製のアンティーク調の家具といい、薄ピンク色の毛布のベッドといい、少女趣味が過ぎるからだろう。このインテリアの無意味なまでの可愛らしさは、ここが私を閉じ込める為に作られた部屋だという事を考えると、いっそ悪趣味だ。


「聖女様、このお菓子を僕の手で食べさせて差し上げましょうか?」

「あなたがそう言うのは5回目だわ。飽きないのですか?」

「えぇ、全く。聖女様の嫌そうな顔を眺めるのが楽しいので」


 そういう彼はケロッとした様子で私にケーキの乗ったトレイを差し出してきた。


 それはてらてらと黒光りしている、小さくて丸いケーキだった。


 私はごくりと唾を飲み込む。そのお菓子が、あまりにも美味しそうに見えたからだ。

 これはきっと、自分の生命維持の為に必要になるものへの無自覚な飢えなのだろう。

  私はお菓子なんて、神殿にいた時は必要としていなかった。むしろ、規律により、食べてはいけない事は決まっていたから、食べたいと思う事なんてなかった。

 自分の為ではなく皆の為に生きる聖女に、甘いものだなんていう余分な欲望を煽るものは不要。

 あくまで彼の差し出すお菓子を求めてしまうのは、この人の差し出すお菓子を食べないと生きていけない体にされてしまったから。こうして、毎日差し出されるお菓子がどれもこれも美味しそうに見えるのは、そういう理由でないと説明がつく筈ない。


 私はトレイを受け取ると、のせられたフォークを握りしめ、一口食べた。

 咀嚼し、飲み込む。この人の言う通り、チョコレートの味がした。

 程よい甘さと苦さが口の中に広がり、ほんのりカカオの香りが鼻をくすぐった。

 ……あぁ、これは私が求めていたモノだ。


 私は我慢できなくなり、一心不乱にフォークを動かして今日初めて存在を知ったケーキを食べ続けた。


「毎回、本当に美味しそうに食べますね」


 彼はいつの間にか私が座っていたふかふかのソファに隣り合って座り、私の髪を弄って遊んでいた。


「触らないで!」


 背筋にゾッと寒気が走り、彼の手を振り払う。この男に触れられていると気分が悪くなるのだ。

 彼は「あぁ、聖女様に傷つけられた心も体も痛くて仕方ありません」とわざとらしく手をさすった。

 私がこうして拒絶する度に、この男は笑顔で軽やかに嘆きの言葉を口にする。彼はいつも私に対してふざけた態度しか取らない。そういう所がこの男の星の数ある大嫌いな所の一つだ。

 私が無事生命を彼に握られている問題を解決し、逃げ出せた暁にはこの男の罪を暴きたててやりたい。聖女を脅迫・監禁した罪なら、恐らく終身刑は余裕だろう。


 私は彼になるべく視線を合わせないようにしつつ、皿とフォークを持ってソファから立ち上がり、格子の填められた窓の側へと向かった。

 この男から少しでも距離を取りたかったのだ。彼は私を追いかけてはこなかった。


「……別に、全く美味しくなんてありません。こんな精巧なものを作れる料理人はすごいと思いますが」

「あなたはいつも僕にはつれないのに、料理人の事は必ず褒めてくださいますよね」

「私はいい仕事をした人間の事はちゃんと褒める事にしていますから。あなたの部下だろうが、それは変わりませんわ」

「僕の部下……ね」


 彼はそういってふっと珍しく穏やかに笑った。


 ……この人、こういう顔も出来るのね……。

 私は息が一瞬止まったかのような感覚に陥った。

  

 ……いやいや。この人がちょっと優しく笑ったからって、そんなのどうでもいいじゃない。

 そう思いながらもつい眺め続けてしまっていると、彼は本気で不思議そうに首を傾げた。


「おや、僕の顔に何かついてますか?」

「……別に。あなたはいつも通りの何を考えてるのか分からない不気味な顔ですよ」

「そうですか。僕はよく優しそうとか、人当たりが良さそうだとか、守護騎士ほどではないけど顔が良いと言われるのですが、あなたはそう思ってくれないのですか?」

「そう思われたいのなら、そう思われるのに足りる態度を私に取ってくださいね。ええまあ、あなたが今後どんな態度を取っても、私があなたを好意的に思う事なんてありませんけど」

「聖女様は僕がそんなに憎いですか?」


 彼は薄っすらと笑いながら、私に問いかける。


「当たり前です。私はあなたの事が世界で一番大嫌いです」


 私はツンと澄ました顔でなるべく冷たく言い放つ。この言葉が少しでもこの男を傷つける刃になるようにと思いながら。

 どんな人間でも、ここまで言われてショックを受けない人間はいないだろうと内心決まった……! と思っていた。


 しかし、何故かこの男は私の顔を真顔でまじまじと見たかと思うと、大輪の花が咲くような満面の笑みになった。


「はは、あははは、僕の事があなたは憎くて憎くてしょうがない! 最高ですね!」

「は? 何でそういう反応になるんですか? 全然意味が分かりません……!」

 

 私は窓際に立っていたので、もうこれ以上後退出来ないのに、この男から更に距離を取りたくなる。

 何で剝き出しの憎悪をぶつけられたのにも関わらず、そんなに喜ぶのだろう?

 理解不能すぎる。もちろん、私にこの男を理解出来た瞬間なんて、一秒も存在しないのだけど。 


「さぁ、何ででしょうね? 世界で一番尊い貴人であるあなたに、僕のような凡夫の考えなど、一生理解できないかもしれませんね」


 彼はそうやっていつも私と自分の間に自然に一線を引く。まるで、自分の事を私に知ってほしくないかのように。

 ……何故国民の命を盾に取って、私を脅し、こうして閉じ込るのか。それぐらいは正直な所、知りたい気持ちはあるのだが、彼は笑顔を貼り付けて私の前では常に真意を隠していた。


「私は高貴な人間などではありません。この島国を守る結界の維持の力を持っているだけの、ただの女です」

「何を仰います、僕があなたに向ける言葉はいつだって本気に決まってるじゃないですか。あなたがいないとこの島国の民は壊死の水に飲み込まれて死んでしまう……そんな重すぎる使命はあなただからこそ、背負えるのでしょう」

「……それが、本当に本音なら、どうしてあなたは私を閉じ込めたりなんかしているの?」


 私は毅然とした態度を取りつつも、内心勇気を出して彼に問いかけた。

 この国における結界の重要さを分かっているのなら、それを維持させる役目をもつ私をどうして害するような事が出来るのだろう。


 これは奢りではなく、このアルメイダという国の人間は私を決して害す事は出来ない。

 それは私が死んでしまえば国境を守る結界を維持する事が出来ず、海から島を取り囲む壊死の水がなだれ込み、島ごと破滅する未来が待っているからだ。

 私を害する事が出来るのはそれこそ……


「それは僕が、」


 ……この国が滅んでいいと思っている人間だけではないか。


「こんな国なんて、滅んでしまえばいいと思っているからですよ、この世界の中心たるヒロインさん……なーんてね」


 彼は「陰のある男は聖女様のお好みではないでしょうから」と相も変わらずふざけた調子で言うと肩を竦め、この牢獄から出ていった。

 私は彼が去った後、思わずその場にヘナヘナとへたり込んだ。


「……あれって、本気なの?」


 ここに閉じ込められてから二か月は経ったが、私は彼の言葉の真意を全く察す事が出来ない程、彼の事を何も知らなかった。

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