女神の間④ sideエミリア
『悪魔はわたくしと敵対する存在。わたくしの力が宿るものを嫌います。最も身近なもので言えば貴女たちの肉体です。わたくしの力の受け皿となる存在ですから、その肉体はわたくしの力が宿っている。だからこそ悪魔は直接手出しができず、精神的に追い込んでくるのです。貴女たちが絶望しない限り、決して悪魔はその魂に触れることはできません』
「基本的に生活する上では問題ないってことね?」
『はい。ですがあの悪魔、「双頭の悪魔」は非常に執念深い。一度取り逃がしたごちそうを決してあきらめないでしょう。より慎重に、より狡猾に、二人を狙ってきます』
「そうとうの悪魔?」
ユリアーナが首を傾げた。エミリアも聞きなれない名前に怪訝な顔をする。
『二人を狙った悪魔は「双頭の悪魔」。一つの身体に二つの頭があります。普段は二つに分裂して人間の中に潜んで世に紛れ込んでいます。あらゆる世界の人間社会を渡り歩いては愛し子を絶望させて魂を食い散らかす醜悪な存在。これまで双頭の悪魔に目を付けられたわたくしの愛し子たちは全員、食べられてしまいました』
「そ、そんな」
「じゃあ何で私たちは無事なの?だって、食べられる直前に救い出せたなら皆助けられたはずでしょ!?」
『わたくしが悪魔に手を出せるのは、悪魔の本体が現れた時のみ。つまり、奴の二つの頭が同時に現実に現れた時だけなのです。奴は二つの頭を分裂させて常に片方の頭を隠しています。それ故にわたくしは手も足も出せず、愛し子たちが絶望して食われる様を見ていることしかできませんでした』
女神は悔しそうに唇を噛んで涙を必死に堪えている。
『でも奴は、ついに油断した。極上のごちそうが偶然にも二つ同時に手に入ったことで食べることしか考えられなくなった。あろうことか頭を二つ出してエミリアとユリアーナの魂を食おうとしたのです。わたくしは急いで奴から二人の魂を取り上げ、ここへ逃げ込むことができました』
女神は顔を上げて二人を見つめる。目に溜まった涙は今にも零れそうだが、その瞳には強い意志が宿っていた。
『やっと助けることができた。わたくしの大切な愛し子を食い続けたあの悪魔から、やっと……』
「……ごめんなさい」
『ユリアーナ?』
「さっき、怒鳴ってしまって……女神様が必死に私たちを助けてくれたのに、八つ当たりして、ごめんなさい」
「私も、ごめんなさい。自分のことしか考えてなかったわ」
『エミリア……』
俯きながら謝る二人に女神は大粒の涙を零して彼女たちを引き寄せた。二人の身体はふわりと宙に浮かんで女神に抱きしめられる。突然の出来事にびっくりしながらも女神の優しい抱擁に二人は素直に抱きしめ返す。
『ごめんなさい、全てわたくしのせいなのです。あの悪魔をわたくしの世界に入り込ませてしまったばかりに、こんなことになってしまって……』
「いいえ、それは違うわ!悪いのは女神様じゃなくて悪魔でしょ!でもどうして女神様なのに手出しできないの?いくらなんでも制約されすぎじゃないかしら?」
『その昔、一人の人間を気に入った神がその人間だけに様々な加護を与えたことがありました。神からの加護を得た人間はその力を自分のためだけに使い、世界を滅ぼしてしまったのです。それ以来、神々は人間に干渉してはならないと、強い制約が取り付けられて今の状態になりました』
「それ完全にとばっちりじゃないの!今すぐ改善するべきよ!悪魔と一緒にその神と人間も一発ぶん殴ってやりたいわ」
女神の胸元に顔を埋めながらエミリアは拳を握りしめている。先ほどから淑女らしからぬ言葉使いになっているが誰も突っ込みはしない。ユリアーナはおずおずと口を開いた。
「あの、その悪魔を倒す方法はないんですか?女神様が現実世界に干渉できなくても、私たちみたいな愛し子や女神様に仕える聖職者にお告げをするとか」
『幾度も人間たちに信託をしましたが、全て悪魔に潰されてしまいました。それに、人間の力では悪魔を消滅させることはできません。本体である二つの頭を現実世界に引きずり出さない限り、わたくしが手出しすることは不可能なのです』
「頭って一体どこに隠してあるの?」
『悪魔に魂を売った人間の魂の中です。そういった人間は奴にとって恰好の駒であり居住場所。その人間の魂を隠れ蓑にして常に息を潜ませています。人間の中に潜んでいるだけなら探知できますが、魂の中に入られてはさすがにわたくしにもわかりません』
「ということは、悪魔に魂を売った人間が私たちの近くにいたってことよね……魂を売るなんて反女神、邪神教のすることだわ。邪神教を突き止めれば悪魔が潜んでいる人間を特定できるかもしれない。そうすれば追い詰められる」
エミリアは顎に手を当てて悪魔の対抗策を考えた。ユリアーナはそんなエミリアを不安そうに見つめながら何か言おうと口を開けては閉じている。
『エミリア、話の流れで悪魔を倒す方向へ傾いていますが、まず貴女がするべきはユリアーナと話し合うことです。わたくしは二人がこのまま輪廻の中へ行くことを選択してもかまいません。やっと救い出せた二人を危険に晒してまで生きてほしくはないのです』
「あら、そうだったわね」
話に夢中ですっかり忘れていた。ユリアーナにエミリアは生きたいとは言ったが話の流れですっかり生き返ることになっていた。彼女はこのまま死にたいと言っていたのでエミリアとの意見は真っ二つに割れている。
「ユリアーナ、それでその、意見を変える気はない?」
「……」
怯えた目でエミリアを見つめるユリアーナにそれもそうかと息を吐いた。誰も味方のいない環境はエミリアと似通っているが、そもそもユリアーナには彼女を擁護する人間がいなかったのだ。エミリアは学園や王太子のことでどんなに嫌なことがあっても公爵家で両親が甘やかしてくれる。心の拠り所があったからこそなんとか生きてこられた。でもユリアーナにそれはない。エミリアの身体に入れ替わるとはいえ全く知らない人間に囲まれて生活をしろ、悪魔を倒すために行動してほしいだなんて虫がよすぎる。エミリアにしか利点がないのに彼女にそれを要求するなんてさすがに理不尽だ。