王太子の哀愁②
引き続きレオナルド視点となります
「あら、あなた泣いてるの?ほら、焼きたてのクッキーを召し上がれ。私が作ったんだけどお口に合うかしら?」
まっすぐに伸びた黒髪に緑色の瞳。飛びぬけた美しさはなかったが、控え目で清楚でおしとやか。それが彼女に感じた最初の印象だった。しかし会う回数が増えていく度にそんな印象とはかけ離れた性格をしていたのを思い知らされる。
「まぁ、アンジェリーナ様ったらまた私に生ごみを寄越してくるなんて。本当に嫌がらせのつもりなのかしら……畑の肥料に最適でむしろ感謝しかないのに」
「また陛下はこんな石っころを持ってきて!私が欲しいのは宝石じゃなくて漬物石よ!これじゃ重石にならないじゃない!」
「どうして世のご令嬢はコルセットという名の凶器を平然と身に着けられるの?みんなきっと息なんてしてないんだわ」
「らんらら~~♪ドレスフリフリ~~リボンはふわふわ~~♪女の子は甘くて酸っぱい~シャンシャン♪あら、殿下いらっしゃい!もうすぐマドレーヌが焼けますよ!」
ユーリディア様は何というか、大変自由な方だった。身の回りのことは全て自分で行っており、庭には花壇ではなく野菜畑があった。全て自作の野菜で彼女お手製の野菜スープは今でも一番好きな料理だったりする。着ているものはドレスではなく上流階級の庶民が着るような質は良いが割と地味な服だ。絶対に貴族のご令嬢が言わない台詞を平然と言っているし、お世辞にも上手とは言えない歌をいつも口ずさんでいた。リボンはふわふわってなんだろう?一度気になって聞いてみたら自分が思いついた歌詞とメロディーを適当に歌っているだけらしい。それが良いとも悪いとも言えず、ぎこちない笑顔しか返せなかったけど。
でも彼女とのそんな時間が当時の私には本当に救いだった。笑いが絶えずいつも温かい手作りの料理でもてなしてくれる。私の寂しさなどすぐにどこかへ飛んで行ってしまった。何故父がユーリディア様を愛したのか今ならよくわかる。この貴族社会にはない温かさを彼女は惜しむことなく注いでくれるのだ。こんな人は貴族にはまずいないし、王族と接触すること自体徹底的に避けられる。この国の学園は貴族と庶民が一緒に通っているが身分的に超えられない壁はあり、王族ともなると伯爵位以上の出身でなければすれ違うことすらできないようになっていた。父がどうやってユーリディア様と出会ったのかはわからないが、この方を見初めた父の目は確かだったと思う。父や大人の目を盗んで何度も彼女に会いに行った。
そうやって過ごしているうちにユーリディア様のお腹はどんどん大きくなっていった。ここに赤ちゃんがいると教えてもらい、会う度にお腹を撫でるのが私の日課になっていた。こうしていると温かくて良い匂いがする。これが母親というものなのだろうかといつも思っていた。
「男の子ならルシウス、女の子ならユリアーナっていう名前になるんです。あの人、名前にずっと悩んでてね、昨日やっと決まったんですって。殿下は弟と妹、どちらが欲しいですか?」
「わたしはいもうとがいいです!ユーリディアさまににたおんなのこならきっとかわいいです!」
「まあ、ありがとうございます。こんなに頼れるお兄さんがいたらこの子も安心ですわ」
彼女はコロコロと笑って私のためにハンカチを作ってくれた。でもハンカチに不器用に刺繍された私の名前がレオナルトになっていて作り直すと言って取り上げられてしまう。刺繍だけは昔から苦手だったそうだ。私としてはとても面白かったしこれも記念だったのでいいと言ったが彼女は譲らない。今度会う時までにはハンカチを渡すという約束をしてその日は笑いながら別れた。それがユーリディア様と交わした最後の会話だった。
ユーリディア様のいる離宮が完全に閉ざされて数カ月後、彼女が出産の末亡くなったことが知らされた。私と別れた後から急激に体調が悪化し、ずっと療養していたそうだ。子どもを諦めれば延命できるとのことだったが彼女は絶対に産むと言って断固として譲らなかったらしい。側妃の葬儀だというのにとても質素で参列者は父一人だけだったとメイドの噂話から聞いた。私も行きたかったが母や伯父に外へ出してもらえず、彼女の埋葬が終わり、しばらく経った後ようやく花を持っていけた。後から知った話だがユーリディア様が王宮から一番遠い離宮にいたことや侍女がいなかったのは全て王太后である祖母の仕業だった。側妃アンジェリーナや貴族派からも私が見えていなかっただけで相当の嫌がらせがあったようだ。そしてなにより、母が彼女に美容に良いと言って毒のお茶を飲ませていたことが一番ショックだった。知ったのは本当に偶然で、母が伯父とお茶の効果について話しているのを聞いてしまったからだ。おそらく彼女は母が飲ませていたお茶が良くないものだということに気付いていたと思う。そんな素振りを一切見せず笑っていたと思うとやりきれない気持ちが積もる。父はあの小さな箱庭でユーリディア様をたった一人で守っていたのだ。
そしてユーリディア様が亡くなってから父は完全におかしくなった。アメジストの瞳は酷く淀んだ色で何も映していない。母がユーリディア様に毒を盛っていたことを告げてもわからないほどに。避妊薬を飲まされ続けた中で奇跡的に子を授かり、彼女が命をかけて産み落としたユリアーナは完全に放置で仕事をするだけの人形になってしまった。母は期待した目で父を見つめていたが誰も映すことのない父の瞳に呆然とするだけでそれ以上何も言わなくなった。側妃アンジェリーナや異母妹のジェシカに何度も暴力を振るわれるユリアーナを助けようとしても伯父に止められて時には部屋に閉じ込められて説教を食らった。何が派閥争いを激化させたくないだ。ただアンジェリーナの相手が面倒で見て見ぬフリをしているだけだろう。自ら動こうとしない姿勢は母とそっくりで、あのロバートおじい様の子とは思えないほど頼りにならない。だがこれ以上身動きがとれないようになれば今度はツェッドの身も危なくなってしまう。アンジェリーナを含めた貴族派がツェッドを取り戻そうと狙っているのでこれ以上大事な人を失いたくなかった。あんな気性の荒く性格の悪い女にツェッドを渡してなるものか。本当はジェシカも私の元で育てたかったが、王位継承は王女より王子が優先されるためジェシカは除外されてこちらで保護できなかったのだ。そのせいでジェシカは平気で他者を虐げる悪女のような性格になってしまった。ジェシカとユリアーナ、妹すら助けられない自分の無力さに打ちのめされる。でも王太子という地位が私を立ち止まらせてはくれない。せめてユーリディア様に胸を張れるような人になろう、自分が王になったら真っ先にユリアーナを助けよう。教会で一人、女神様に誓った。
そして時が経ち、ジェシカに階段から突き落とされたというユリアーナは以前とは全くの別人になっていた。私が王ではこの国はおしまいだと言われた時は本気でカチンときたけれど。それを驚いている暇もなく、人形のようになってしまっていた父がついに正気を取り戻した。これは私の推測でしかないが、女神様が運命を変えたとしか思えない。この歪なガージル王家に、女神様の宗主国として相応しくあれと訴えているように感じたのだ。
だったら女神様の思し召しの通り、この歪さを正すために動こう。幸い王太子として地位はある程度固まっており、信頼できる側近も増えた。伯父は領地へ行ってしまったが特に役に立つことはなのでむしろいない方が動きやすい。今度こそ、大切な人を守れるように。




