女神の間 sideエミリア
気が付くと真っ白な光が見えた。白い光は不思議と眩しさはなく、ぼんやりと見つめていると眦から涙が零れる。
これは涙だ、と認識した瞬間はっとして起き上がり辺りを見回した。先ほど王太子に婚約破棄を突きつけられて、そして処刑された両親の首が――――
「うっ!!」
咄嗟に口元を押さえてこみ上げる何かを必死に抑え込んだ。目から涙がぼろぼろと零れてドレスを濡らす。あの悪夢のような出来事がフラッシュバックしてその場に蹲った。
しばらくして少し落ち着くと改めて周りを見回した。座り込んだままここはどこだろう、とぼんやり見ているとすぐ左側に人がいて驚きで飛び退く。そこには長い黒髪の少女が横たわっており、一瞬プリシラかと思ったが顔が違った。ほっとすると黒髪の少女が涙を流しているのに気付いた。その姿が悲しそうで思わずエミリアは少女の涙を指で掬うと、少女はうっすらと目を開けた。少女が起きたことにびっくりしながらも誰もいない白い空間で寂しさを感じ始めていたので少し安堵する。少女はぼんやりと白い空を見つめながらエミリアと目が合うとはっとして飛び起きた。
「えっ、え?ここはどこ?私、森で切られて……っ!!!」
黒髪の少女は起き上がるとじりじりとエミリアから距離を取りながら自分を抱きしめて泣き始めた。よほど辛いことがあったのか嗚咽を漏らしながら泣く少女の声が白い空間に響いてエミリアも釣られて泣きそうになる。
「ちょっと、泣かないでよ……私だって泣きたいのを我慢してるんだから……っ」
「う、ううぅ、ごめなさっ…………う、うわあああん!」
黒髪の少女が耐え切れず声を上げて泣き始めるとエミリアの目からも大粒の涙が溢れた。ここがどこで彼女が誰なのか聞きたかったのにもう考えられない。拭っても拭っても溢れてくる涙にとうとうエミリアも耐えられなくなり黒髪の少女と一緒にみっともなく声を上げて泣いた。
どれくらい泣き続けただろう。エミリアと少女はいつの間にかお互いに抱きしめ合って泣いていた。それに泣いている二人の頭になにか温かいものを感じる。エミリアが母に甘えた時に頭を撫でてくれた時のような、温かいなにかだ。
エミリアが顔を上げると、全身真っ白な美しい女性がエミリアと少女の頭を優しく撫でていた。それに成人男性よりも二回りくらい大きい。でも体の大きさより彼女のあまりの美しさに目が引かれて涙が引っ込んで呆然と彼女を見つめる。黒髪の少女も顔を上げると、白い女性に驚いて固まっていた。
『エミリア、ユリアーナ、ごめんなさい……』
白い女性はそう言うと、悲しそうな顔をして二人を優しく抱きしめてくれた。とても温かく良い匂いのする優しい抱擁に引っ込んだ涙が再びあふれ出す。エミリアと少女は白い女性に縋りつきながら泣き続けたのだった。
〇
泣いて泣いて、涙が枯れ果てそうになるほど泣いた後。ようやく二人は白い女性から離れて顔を上げた。二人とも泣いたせいで顔は真っ赤に浮腫んでおり酷い顔だ。そんな彼女たちを白い女性は痛ましげに見ると大きな手で二人の頬を優しく撫でた。温かいその手に二人は安堵すると落ち着きを取り戻していく。
「あの、ここはどこでしょうか?あなたは、その……」
『わたくしは、あなたたちが女神と呼ぶ存在。この世にあるいくつかの世界の創造主であり、管理者。そしてここはわたくしの神域。わたくしと許された者のみが存在できる特別な場所です』
「め、女神様!?」
「どういう、ことなの……?」
エミリアの国では確かに女神を信仰している。創造主たる女神が世界を作り出し、世界に平和と安寧をもたらしているというものだ。結婚式でも女神に誓うし、祭事の時は必ず女神を祀る。エミリアの家族は熱心に信仰しているがポーレリア国内では形式的なものでそこまで信仰が強いわけではなかった。
その女神が今自分の目の前にいることが信じられなかった。しかしこの白い空間といい、今まで見たことがないほどの美貌と神々しい雰囲気はとても人間だと思えない。彼女が女神だということは半信半疑だがひとまず今は信じていいのかもしれない。
『エミリア・レクストン、ユリアーナ・ガージル。落ち着いてよく聞いてください。二人がここで目覚めるまであった出来事は全て現実です』
エミリアと黒髪の少女――ユリアーナは女神のその言葉に愕然とした。あの悪夢が現実だなんて到底信じられない。
「どうして!?お父様とお母様は本当に処刑されてしまったの!?どうしてよ!!両親は無実だわ!女神だって言うならなんとかしてよ!」
『……ごめんなさい』
エミリアの言葉に女神は悲しい顔で謝罪をした。違う、そんな言葉がほしかったんじゃない。混乱する頭の中で冷静な部分がエミリアにそう訴えてくる。それでもあんな出来事が現実だなんて信じたくなかった。完全にエミリアの八つ当たりなのに仮にも女神に謝罪させてしまったことに後悔し、行き場のない憤りに悲しくなって顔を覆った。ユリアーナは自身を抱きしめて俯いている。
『……順を追って説明します。今から言うことは全て現実であり、真実です。
まずはエミリアとユリアーナ、二人はわたくしの愛し子であり、世界にわたくしの力を注ぐための受け皿となる存在です。なにか特殊な力があるわけではありません。世界に生きて存在しているだけでわたくしの力となる特別な人間です』
「受け皿って……?」
『わたくしの力は大きすぎて直接世界に力を流すことはできません。だから愛し子を通してその世界にわたくしの力を少しずつ流すのです。大きすぎる力は破滅しかもたらしませんから』
エミリアとユリアーナは顔を見合わせて困惑する。女神の言っていることが理解できないわけではないが、非現実的すぎて何とも言えなかったのだ。そんな彼女たちを愛しそうに女神は見ている。
『そしてここからが本題となります。愛し子である二人が何故絶望するほどの悲劇に見舞われたのか。それはわたくしと敵対する存在である悪魔が二人に目を付けたせいです。悪魔にとってわたくしの愛し子の魂は極上のごちそう。そのごちそうを手に入れるために、愛し子を絶望させて魂を奪おうとしたのです。二人の魂が食べられる直前、わたくしがここへ避難させました。愛し子の魂は絶望して初めて悪魔が干渉できるようになります。悪魔は愛し子を絶望させるためなら手段を選びません。そのためにエミリアの世界にいたプリシラ、ユリアーナの世界にいたアリサを使いました。彼女たちはわたくしの管理していない全く別の世界から悪魔が連れて来た人間です』
「別の世界って……全然関係ない人じゃない。それじゃ何故殿下たちは当たり前のようにプリシラを受け入れていたの?」
『プリシラは、卒業パーティーから一年ほど前にチェスター侯爵の養女となり、学園に編入しました。悪魔がプリシラを使って侯爵を唆して養女にさせ、エミリアの元に行かせたのです。そして貴女を絶望させるために王太子とその側近たちを篭絡し操り、あなたのご両親を葬りました』
「待って、狙いは最初から両親だったの!?それじゃあの婚約破棄はなんだったのよ!あの日の朝はいつも通りだったわ。なんのために……訳が分からない、なんで」
『エミリアにとってかけがえのないご両親を葬り去ることこそ、貴女の絶望。本命は貴女のご両親で、あの婚約破棄はおそらく時間稼ぎかつ貴女をより孤立させるためのものでしかなかったのでしょう。繰り返しますが、悪魔は手段を選びません。どんな手を使ってでも愛し子を絶望に追い込みます』
「あぁ……お父様、お母様……」
エミリアの目に再び涙が溢れた。それじゃあのパーティーでの婚約破棄は全て茶番に過ぎなかったということか。両親からエミリアを遠ざけて処刑の時間を稼ぐためだけに行った芝居。誰も味方のいないあのパーティー会場はエミリアを絶望させる舞台装置だったのだ。俯いて涙を流すエミリアの手を女神は優しく握った。