祈り sideユリアーナ
公爵夫妻との食事後、ようやく一人になれたユリアーナはベッドの上でぼんやりと天蓋を見つめていた。何もかもユリアーナにとって初めての体験だ。誰かに心配されたのもたくさんの使用人に仕えられたのも、きちんと存在を認識されているのも。まともな食事を食べることができたのは嬉しかったが公爵夫妻の相手をしながらだったので正直味は覚えてない。誰かに優しく抱きしめられたのは過去に一度だけ乳母からしてもらった。自分の死期を悟ってユリアーナが一人でも生きていけるように彼女が接触を避けたからだ。エミリアの両親は話してみて本当に優しい人たちだった。ユリアーナは一瞬実父であるガージル国王を思い出して首を振る。あの人は父親ではなく国王であり、何かを期待することはとっくに諦めていた。今更あの人を思い出したところでどうしようもない。でもヒューバート様やレイチェル様を知ってしまった後、言いようのない虚しさを感じるのも事実だ。あれが子どもへ向けられる親本来の姿だとしたら元のユリアーナは一生縁のないことだった。ガージル王国から離れられたのは結果的によかったのだろう。
そしてエミリアの両親と話をしてみてはっきりわかった。彼らの愛情はエミリアに向けられたものであってユリアーナではない。それは当然なのだがユリアーナにとって彼らはどこまでいっても他人なのだと実感してしまった。この先ユリアーナが彼らからの愛情を受け取れる日は来ない気がする。ユリアーナ自身が彼らを他人だと思っていることと、あの歪なガージル王家にエミリアを行かせてしまったことへの罪悪感だ。愛されたかったのは事実だがユリアーナではエミリアの代わりになんてなれない。彼らの愛を自分が受け取るのは間違っているとどうしても思ってしまう。エミリアなら気にするなと言ってくれそうだけど、それはユリアーナが許せなかった。次にエミリアに会ったら謝りたい。
それに一番辛いのはあんなに優しいご両親と二度と会うことができないエミリアだ。ユリアーナも誰かに愛されたくて、家族がほしくて生き返ることを望んだのは紛れもない本心。だからこそユリアーナだけの家族がほしかった。無関心な国王やいじわるな異母姉などではなく、本来のユリアーナ自身を愛してくれる人が。公爵夫妻が愛情をくれるのは嬉しかったけどそれはエミリアだけのものだ。
ユリアーナは起き上がると、両手で頬をパチンと叩いた。うん、しっかり痛みを感じる。いじけてなんていられない、今はこの場を乗りきることを考えよう。ここでうだうだとしている暇なんてないのだ。ユリアーナは誰かから愛され、自分らしく胸を張って生きたい。その願いを叶えるためにも悪魔から一年逃げ切らなくてはならないのだ。いつまでも悩んでないでエミリアの記憶を整理して状況を確認しよう。ユリアーナは机に向かって紙とペンを取り出した。
最初の目標であるエレガルド帝国へ行くために立ちはだかるのは王太子の婚約者という肩書きだ。さすがに将来の王妃が何の理由もなしに隣国へ留学というわけにはいかない。見分を広めるためにしてもポーレリアとしてはエミリアをエレガルド帝国の思想に染まってほしくないし行かせるのに難色を示すはずだ。それにレイチェル様がエミリアが将来王妃になることを願っている点も気になる。今考えられる一番自然な流れとしては学園へ通い出してみてやはり記憶が思い出せないし環境が酷すぎると公爵夫妻へ訴えることだ。学園の方はエミリアの記憶通り、まさに針の筵状態なのでそれに耐えられないと訴える案は大丈夫だろう。本来のエミリアなら絶対に泣き言など言わなかっただろうがユリアーナは彼女のように強くないのでそこは容易だ。でもレイチェル様の様子を見るにこの理由だけでは婚約解消には届かない気がする。エミリアに甘いレクストン公爵でも基本的にレイチェル様の意見を優先させるのだ。あれほどレイチェル様が気にしているならエミリアが婚約について何も言い出せなかったのも頷けた。
ユリアーナはうーんと頭を捻らせる。エレガルド帝国へ行くための決定的な理由がほしい。エミリアは公爵夫妻に言えば大丈夫だと言っていたが言うからには正当な言い訳が必要だ。エレガルド帝国へ行けたとしても中途半端な理由でポーレリアへ連れ戻されては悪魔から生き残れる自信がない。悪魔を抜きに考えても個人的に女神教の信仰が薄いポーレリア王国に住むことはユリアーナには抵抗があった。
考えれば考えるほど問題が迷宮入りしてユリアーナは机へ顔を突っ伏す。エミリアともっと話を練っておけばよかった。今のユリアーナに相談相手はいないし完全に詰んでいる。
どうしよう、どうすればいいんだろう。
答えがでない焦りからか思わず目から涙が溢れそうになる。こんなところで泣いている暇なんてないのに。ユリアーナは目をごしごしと拭う。
「そうよ、泣いている暇なんてないのよユリアーナ。幸せになるって決めたんでしょう」
ぐずぐずと涙を零しながらユリアーナは顔を上げると窓の側までやって来て窓越しに星空を見上げた。
今のユリアーナにできることはエミリアが記憶喪失という状況で周囲がどう動くのかを見定めることだ。周囲をよく観察していればエレガルド帝国へ行く道が見つかるかもしれない。悪魔が動き出すまでにポーレリア王国から脱出できるよう最善を尽くさなくては。
うまくいくのか不安が尽きない。でも今のユリアーナにはそれしできなかった。ユリアーナではエミリアのような振る舞いは到底不可能だし、学園に復帰したら王太子や側近たちと会話すらまともにできないだろう。エミリアにとって学園は戦場だった。同時にそれはユリアーナにとっても戦場ということである。
ユリアーナはその場で跪くと両手を組んで女神様に祈った。
(どうかうまくいきますように。あちらの世界でもエミリア様が無事でありますように)
ユリアーナは目を閉じて心の中で強く願う。小さい頃はよく星に向かって女神様にお願いをしていた。小さい頃の願いは女神に届くことはなかったけれど、きっと今なら届く。そう信じてしばらく祈り続けた。
女神に祈りが通じたのか彼女が祈り続けている間、夜空には流れ星が絶えず流れ続けていた。




