行き場のない気持ち sideユリアーナ
診察を受けて、エミリアの名前、身分、家族構成、何が起こったのかを説明してくれた。説明を受けながらエミリアの記憶と照らし合わせて確認していく。わりとすぐに戻ってきたレイチェル様からも説明を受けてあれこれと質問に答えていくとブラック医師から記憶喪失だと正式に診断された。そのことに心の中で安心するとこれからどうしていくかを話し合った。
「まずはお嬢様のお体を十分休ませ、普段どおりの生活をしてください。ふとした拍子に記憶が戻るかもしれません」
「はい、わかりました」
「エミリアちゃん、お母様と一緒にお茶をしましょう。最近はずっと王妃教育で忙しかったからあまり会話もできていなかったし、ゆっくり体を休めてね。そうそう、エミリアちゃんはいちごのタルトが大好きなのよ!一緒に食べましょうね!」
「は、はい」
会話が途切れないようにレイチェル様が絶えず話を振ってくれる。ユリアーナでは話題を作れないのでありがたい。でもレイチェル様が涙を堪えて無理に話題を作っているのを感じるためどうすればいいかわからない。記憶喪失の設定の手前、エミリアの記憶にあることを下手に話しても不自然だ。結局どうすることもできずユリアーナはレイチェルの話に相槌をすることしかできなかった。
〇
「エミリア!レイチェル!」
夕方になり、ユリアーナがレイチェルとのお茶の時間をなんとか乗り越えてやっと一息ついた時。玄関から屋敷中に響くテノールが聞こえてぎょっとした。この声はエミリアの父であるヒューバート・レクストン公爵だ。ようやく部屋に戻って一人になれると思っていたのにまたもや試練が訪れる。ユリアーナが身構えているとたったったっと足音を立てながら公爵がサンルームにやってきた。
「私のエミリア!目を覚ましたんだね!お父様だよ!」
ヒューバート様は入室すると手を大きく開いてユリアーナを優しく抱きしめた。いかにも貴族といった紳士的な方で、品の良い香りがする。エミリアも抱きしめた時に良い匂いがしたのでレクストン公爵家は体から良い匂いを発する人たちなのだろうか。
ヒューバート様はユリアーナを抱きしめながら愛しそうに髪を梳いてくれる。人と接する機会がほぼないユリアーナにとって異性に抱きしめられるのは初体験だ。カチコチに固まっていると彼は体を離して寂しそうな顔をする。
「エミリア……本当に記憶を無くしてしまったんだね」
エミリアの記憶だとヒューバート様が帰って来ると、彼女は彼に勢いよく飛びついて抱きしめ返す。ユリアーナには無縁のやり取りでたとえ記憶喪失の設定がなくてもそんなことはできなかっただろう。なんとも言えずにユリアーナが黙っていると、レイチェル様が立ち上がってこちらに来た。
「おかえりなさいあなた。今日はずいぶん早いのね」
「仕事よりエミリアの方が大事だからね。周りに押し付けてきたよ。それよりエミリア、目が覚めて本当によかった。見たところ元気そうだ。夕食はまだだろう?久しぶりに家族で食事を取ろうね」
優しい笑みを浮かべながら彼はユリアーナの頭を優しく撫でてくれた。それをこそばゆく思いながらユリアーナは俯く。一人になってエミリアの記憶を整理したいのに全然一人になれなかった。レイチェルとの話し合いではエミリアとジュード殿下との婚約がいかに重要なものであるのかをずっと語られていたので疲労困憊だ。それに目覚めてからずっと誰かと共にいるのでエミリアの記憶を現実と照らし合わせが追い付かない。周りにも気を遣うため体より精神的疲労がすでにピークに達していた。
「エミリア、私は君の父でヒューバート・レクストンだ。詳しいことは食事をしながらゆっくり話そうね。私はお母様と少し話があるから、先に食堂へ行っててくれるかい?」
「はい、わかりました」
ヒューバート様の言葉に内心ほっとしながら頷いた。少しだが時間が取れるのでその間にエミリアの記憶を整理しなくては。ユリアーナは一礼するとメイドと一緒に部屋を出た。扉が閉まった瞬間、レイチェル様のすすり泣く声が聞こえてはっとして振り返る。ヒューバート様の彼女を慰める声が扉越しに聞こえてユリアーナは口を開けるが言葉は出てこなかった。結局何も言えずにユリアーナは目を伏せると、メイドと一緒に食堂へ向かったのだった。




