一歩前進? sideエミリア
その後エミリアは王宮にある客室で温かいスープと焼きたての柔らかいパンを食べるとすぐに眠りについた。部屋は入った時にはすでに暖炉で温められて寝具もふかふかな新しいものだ。体が入れ替わったばかりだけではなく、ユリアーナの身体が寒さと空腹ですでに限界だったようで糸が切れたように眠った。側にいたホワイト医師とメイドたちが慌てたようだがエミリアはそんなこととは知らず深い眠りにつく。十分な睡眠をとり、彼女が目覚めたのは翌日の昼を過ぎた頃だった。
〇
そして現在、エミリアは王宮内のとある部屋にいた。目の前にはクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子がずらりと並んでおり、淹れたばかりのお茶が湯気をたてている。エミリアの向かいの席には国王が当然のように座っていて優しい眼差しでこちらを見ていた。その視線になんとも言えず会話もなく微妙な空気の中を過ごしている。
「昨晩はゆっくり休めたか?」
「はい」
「部屋の内装が間に合わなくてすまなかったな。家具やドレスは後から増やそう」
「……」
いや、だからなんなの?エミリアが今聞きたいのはそんなことではない。
エミリアの今いる部屋はとても日当たりの良い広々としたところで清楚で落ち着いたデザインの家具が置いてある。エミリアとしてはもっと華やかなデザインが好みだが今は贅沢を言うまい。それよりも何故急に生活が変わったかである。国王がまともっぽくなったので王女らしい生活にしてくれと頼もうと思う前に叶った。今日起きた時にはメイドが控えており、甲斐甲斐しく湯あみの世話をされて食事もお腹に優しいものが出された。もちろん虫も浮いていないしパンもカビのない焼きたてだ。ドレスも上質なものが用意されてそれに着替えるとこの部屋に案内されたのである。ここはユリアーナが小さい頃にいた場所で、今までジェシカが使っていた部屋だ。ユリアーナにジェシカの部屋の記憶はないので彼女の部屋がどんなものだったのかわからない。だが彼女の派手で悪趣味なドレスやメイクからして碌なものではなかったのだろうと予想できる。それを一晩でここまで清楚なものに変えたのだから使用人たちの苦労は計り知れない。
そのメイドや騎士たちは今までの無視がなかったかのようにエミリアへ率先して挨拶をしてきてその見事な手のひら返しに苛立った。気まずそうにしている人もいれば今まで何もありませんでしたという顔で慣れ慣れしくする者までいる。とりあえず彼らは全員無視して目の前の現実に集中した。いくら国王がまともっぽくなったとはいえ昨日の今日だ。いくらなんでも急展開すぎるしユリアーナの記憶があるエミリアからすると今更すぎる。複雑な思いになりながらも自分を見つめてくるアメジストの瞳を見つめ返した。色々突っ込みたいが今は事実確認が最優先だ。
「陛下、昨日のお言葉通りお話しを伺ってもよろしいですか?」
「ああ、何でも聞こう」
「私がこの国の王女ということはわかりました。何故私はあの赤毛の方に突き落とされたのですか?あの食堂にいた方たちとの関係は?」
「食堂にいたのはこの国の王族だ。年若い青年二人とお前を突き落とした赤毛はそなたの異母兄弟にあたる。茶髪の控え目な女が王妃、赤毛の女が第二側妃だった。そなたを突き落とした赤毛はそなたが憎かったと喚いていたらしい。赤毛の二人はもう王宮にいないから安心しなさい。王妃と王子たちには後で紹介しよう」
赤毛の二人、つまり側妃アンジェリーナとジェシカはもういないとはどういうことだろう。それに側妃だったという過去形も気になる。それにしても仮にも自分の妻と子どもに対して名前も呼ばないのはどうかと思う。ジェシカたちに至っては赤毛呼ばわりでこの男に父親としての自覚はないのだろうか。
「側妃様たちがいないとはどういうことですか?」
「元側妃はそなたへの虐待に加え、そなたに支給されていた第二王女の予算を奴の実家であるミロー侯爵と横領していた。そして第一王女の監督責任。第一王女は王族という身でありながら騎士と関係を持ち、性病を患っていた。婚約すらしていない王女が処女を失い性病を患うなど言語道断。我が王家の名にも傷を付けるところであった。第一王女は今朝修道院へ送り、元側妃は離縁の上永久幽閉。その他王宮の使用人や近衛騎士の職務放棄についても厳重処分とした。もうそなたを無視するものはいないし、今後そのようなことがあれば罰する。安心してここで過ごしなさい」
エミリアは絶句した。これからエミリアが改善しようと思っていたことの大半が解決してしまったのである。エミリア直々に使用人たちをしごき倒そうと思っていたのに。しかも一番厄介な側妃とジェシカまでいなくなっているなんてなんということだろう。たった一晩で解決するならユリアーナ本人がいた頃にどうにかしてよ!という言葉が喉まで出かかって何とか耐えた。理不尽だ。何故ユリアーナがあれほど虐げられて辛い思いをしていたのにエミリアになった途端にそれが無くなるのだ。あまりの理不尽さに苛立って怒鳴りつけたい衝動を必死に抑える。
「私には以前どのような生活をして、どんな仕打ちを受けていたのかわかりません。それでも、昨日の出来事だけで私がどれほど蔑ろにされていたのかはわかります。何故今なのです?何故今になって私を助けるのですか?」
「私は、腑抜けていた。正気ではなかったのだ。そなたの母、ユーリディアが死んでから昨日まで仕事以外の記憶がない。誰の顔も認識できていなかった。ユーリディアと瓜二つの顔をしているそなたの、ユリアーナの顔さえも……今更なのはわかっている。許してほしいとは言わない。だが私はそなたとやり直したいのだ、これまでの15年を……今まで本当にすまなかった」
国王は立ち上がってエミリアの側でまで来ると手を取ってその場で跪いた。娘とはいえ国王が膝を付いて謝るなんて異常だ。この人がユリアーナに心から謝りたい気持ちはわかった。でもここには本来それを言われるべきユリアーナはもういないし二度と帰っては来ない。エミリアに謝られたところでどうすることもできないのだ。ユリアーナ本人に謝罪できなかったこと、それがこの人への罰なのだろう。
「その謝罪は、記憶を無くす前の私に言ってください。今の私に言われても困ります」
「……そうだな。すまない」
「ユーリディアさんはいつお亡くなりに?」
「15年前……昨日が命日だった」
跪いたまま目を伏せて国王は答えた。だから彼は昨日真っ黒な服装だったのか。どんなに腑抜けていた状態でもユーリディアの命日をこの人は忘れなかったのだ。それだけ彼女を深く愛していたのが伺える。でもだからといってユリアーナを放置していい理由にはならないしすんなり頷くほどエミリアは寛容じゃない。だからこそエミリアからは彼を許すなんて言葉は絶対に言わない。許すか許さないかを決められるのはユリアーナただ一人だけだ。
でもそこでふと気が付いた。彼女はユーリディアが亡くなるのと同時にこの世に生まれたのだ。それってつまりユリアーナの――
「昨日は誕生日だったのね」
思わず零れたエミリアの言葉に部屋は凍り付いた。給仕たちが青ざめて固まっている。エミリアの手を握っている国王に至っては体を震わせていた。さすがに今のは失言だったとエミリアは心の中で反省する。事実であっても今ここで言うべきことではなかった。こうやって何でも口に出してしまうのはエミリアの悪い癖だ。ユリアーナになってから淑女の仮面を捨て去って素でいたために言葉が止まらない。淑女らしからぬ言動でもあるためこれからは気を付けなくては。
「ユリアーナ、本当に、すまない……」
「いえ、お気になさらず」
「欲しい物があったら何でも言ってくれ。すぐに用意させる」
「あの、本当に気にしていませんから」
本当に気にしていない、エミリアは。そんな彼女の思いは国王に届くことなく彼は酷く落ち込んでしまった。ただでさえ重かった空気をより一層重くしてしまったのでエミリアは再び反省する。
「あ、あの、他にもいろいろなことを教えていただけませんか?私、何も覚えていないのでわからないことがたくさんあるんです」
「ああ、もちろんだ。何でも聞いてほしい。後で王宮も案内しよう」
あからさまな話題転換だったが、ぱっと顔を上げて微笑む国王にエミリアは安堵する。なにはともあれ、一応エミリアの生活環境は改善されたはずだ。目覚めてたった一日でここまでいくとは思わなかった。これからの生活と地盤固めのためには有力貴族の後ろ盾のないエミリアには国王の力は必要不可欠だ。騙すようで申し訳ないがエミリアも命がかかっている。それに彼がユリアーナにしたことをエミリア個人としてはやっぱり許せないでいた。それでも国王との関係を保ちつつ今後を見据えて行動していかなくては悪魔と戦うことはできない。とにかく最初の目標であった環境改善は大きく一歩を踏み出せた。これからは言動には気を付けて、慎重に人と接していかなければ。
国王に話しかけられながらエミリアは誰にも見えないように静かに息をついた。
次回からユリアーナ視点となります。次回更新はストックの都合上7月1日です。




