プロローグ sideエミリア
エミリア視点
◇sideエミリア
「エミリア・レクストン、貴女との婚約を破棄する」
ポーレリア国の記念すべき卒業パーティーの真っ最中、大勢の生徒やその保護者たちがいる中で王太子ジュードは落ち着いた声で言い放った。彼のすぐ横には側近たちと見慣れない長い黒髪の女性が妖艶な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「王太子殿下ともあろう人が式典中の、それも公衆の面前で婚約破棄を宣言するだなんて思いもしませんでした。時と場所を考えるくらいの常識もないなんて残念ですわ」
「少しは黙っていられないのか?」
「言わなければ殿下には伝わりませんでしょうに。それで、婚約破棄の理由を伺っても?」
王太子に婚約破棄をされた令嬢、エミリア・レクストン公爵令嬢は背筋をまっすぐのばして堂々と目の前にいる集団と向かい合った。周りから冷たい視線を向けられても、陰口を言われても、その青い瞳は揺らぐことなく前を向いている。
「君は、何故今までそのはっきりとした物言いを直そうとは思わなかったんだ?これまで何人の人たちが君の言動に傷つけられたかわかっているのか」
「おっしゃっている意味がわかりません。私は間違いを指摘していただけですが」
「話にならない。やはり君はこの国の王妃に相応しくなかったのだ。王妃とは王の心の支えとなるべき存在であるのに、君といても心労が溜まるだけだった。いつも済ました顔で見下して私の顔を立てようともしない」
「…………」
「それに加えて私の側近たちに言い寄り惑わせた挙句、ここにいるプリシラにも酷いいじめを行ったそうではないか。もうこれ以上君の勝手を許すわけにはいかない」
「殿下の無能な側近など興味はございませんしそちらの令嬢も初対面ですが」
あまりにも的外れな理由に呆れながら本音が出てしまった。百歩譲って何でもはっきり言ってしまう事と言い方がきつくなってしまうのは認めよう。エミリアの性格上どうしても治せない部分でもあった。だからこそ普段はなるべく口を開かないでいるのだが、王太子の側近たちが全く仕事ができないせいで全てエミリアが尻ぬぐいをしているので文句の一つも言いたくなる。小言は言っても言い寄るだなんて絶対にありえない。何度も側近を見直すべきだと言っても彼は聞く耳を持たないので国王や王妃に相談していた。全く改善されなかったけど。それにプリシラとかいう令嬢、いじめるどころか会話したことさえエミリアの記憶にない。それもそのはずで、学園に通っていたこの三年間は授業が終わってからすぐに王宮へ出向いて王妃教育をこなしているためいじめる時間などないし、親しい友人も取り巻きもいないのでエミリアのために動く令息令嬢はいないのである。
そんなこと少し調べればわかるだろうに、何を言っているのだろう。
「レクストン公爵令嬢!我々が無能だとは何事だ!」
「事実ですけど」
「待てマイク、話が先だ。エミリア嬢、私の大切な友人たちを貶める言動はやめてもらおうか。それにプリシラをいじめていた件について証人がいるんだ。言い逃れはできないぞ。そして私はこのプリシラと婚約をし、彼女が新たな王太子妃となる」
「わかりました。どうあっても私を悪人に仕立て上げたいのですね。では婚約破棄の件、慎んでお受けいたします。いじめについては事実無根ですのでこちらから王家へ抗議させていただきますから」
側近とプリシラのことは丸っと無視し、エミリアがあっさり婚約破棄を承諾すると王太子は驚いたように目を見開いた。自分から言い出したくせに何を驚いているのやら。
でもやっと王太子の婚約者という役から解放されたのだ。元々王家からの婚約の打診だったし王太子などこれっぽっちも愛していないし王妃になんてなりたくない。母は残念に思うかもしれないがエミリアとしてはなんの未練もないのでこの好機を見逃すはずがないのだ。せっかく自由になったので結婚についてはしばらく見送りにして家族水入らずで領地でゆっくり過ごしたい。エミリアに甘い両親ならすぐに王家へ抗議して領地へ行ってくれることだろう。
「そうか、君は罪を認めないのだな。君がそのような態度なら私も全てを言わせてもらう。本当は後から手紙で通達する予定だったがもう我慢ならない!衛兵!罪人を捉えよ!」
そう言うや否やエミリアは駆け付けた衛兵たちに取り押さえられ、床に膝をついてその場に座り込んだ。無理矢理腕を捻りあげられたので痛みで顔が歪む。
「ぐっ…」
「エミリア、レクストン公爵と公爵夫人はこの国を乗っ取るつもりだったんだよ。エレガルド帝国と密かに取引をしてね」
「そんなはずないわ。帝国にこの国を乗っ取るメリットがないもの。それにエレガルド皇帝がお母様の意思を無視するわけが、うぐっ」
髪の毛を引っ張られて言葉が途切れた。衛兵は苛立った目でエミリアを睨んでくるが、その視線に彼女は睨み返す。だが王太子が紙の束をエミリアの前に投げて寄越してきたのでその視線は床に向いた。
「レクストン家から証拠となる書類が発見された。ご丁寧に皇帝の印まで押されている。それでも言い逃れをするのか?」
「絶対に違うわ。お父様たちがこんなことするはずがない」
「エミリア様、どうして罪を認めないのですか?」
緊迫した空気の中で場違いな柔らかい声が聞こえた。王太子のすぐ横にいた黒髪の女性、プリシラがゆったりとした動きでエミリアの前にやってくる。
「エミリア様、いい加減認めてください。あなたが罪を認めれば全てが丸く収まるのです。誰も不幸にはならないのですわ」
「…どちら様?」
「ふふふ、エミリア様、悪役令嬢らしく喚いていないでいい加減現実をご覧になった方がよろしくてよ。ご両親はもうこの世にいないのですから」
「は?」
なんてことないようにプリシラは花を愛でるような笑みをエミリアに向けてくる。エミリアはその言葉が信じられず、呆然と彼女を見つめた。
「嘘よ。あなた何を言って……」
「卒業パーティーが始まった頃に公爵ご夫妻は処刑されました。国を乗っ取るだなんて大罪、到底許されることではありません。ジュード様主導の元、速やかに行われたようです。でも安心してくださいエミリア様。あなたが私をいじめた罪はあれど、国の乗っ取りについて関与していないのはわかっていますから。あなたは公爵令嬢から平民になるだけです」
「…………はぁ?」
「エミリア様はもうレクストン公爵令嬢ではなくなりましたがエレガルド皇族と近縁です。だから私、ジュード様にあなたを側室として迎えるようお願いしたんです。エレガルド皇帝がエミリア様を実の娘のように溺愛しているのは有名ですもの。だからあなたがこちらにいる限り、エレガルド帝国は手を出せないでしょう?ならこのまま側室として我が国の安全のためにいてくれた方がいいではありませんか。ちょうど王妃教育も終わっていてお仕事も問題なく行えますし。あ、私も王妃の義務として立派な世継ぎを生みますわ。だからエミリア様は償いも含めてこの国に尽くしてくださいねっ」
――――めちゃくちゃだ。
何もかもめちゃくちゃだ。この人の言っていることが理解できないししたくない。
両親が死んだ?そんなはずない。エミリアの味方がいないこの国で唯一の理解者であり、心から愛してくれた両親がいないなんてそんなはずない。両親を悲しませたくなくて苦手な勉強も王太子や側近たちの尻ぬぐいも嫌いな社交もしてきた。両親の存在が針の筵のような学園生活でエミリアのたった一つの心の拠り所であったのに。
じわじわと視界が真っ黒になっていく。今この場に味方はいない。せめて国王夫妻がいてくれれば状況は違っていただろうが、二人は遠方へ視察に行っていて不在だ。
「プリシラは優しいな。本来であれば罪人の家族は連座で処刑されるのだが、居場所を作ってやるなんて」
「そんな、私はただこの国のために最善の選択をしただけですわ。でもジュード様のお役に立てたのなら嬉しく思います」
近くでバカげた会話が聞こえたがそんなものどうでもいい。それより今すぐ両親に会いたい。会って抱きしめて、安否を確認したい。どうか二人とも無事でいてと心の中で必死に祈った。
「あ、エミリア様っ!丁度来ましたわよ。ほら」
「ぇ……」
プリシラが弾んだ声でそう言うと、エミリアのすぐ近くでぼと、と何かが転がってきた。
それらは、虚ろな顔でエミリアを見上げている。
「あぁ、ぃや……い、や…………」
赤い何かが床に滴り落ちるそれらは、最愛の両親の首だった。
「いやあああああああああああっ!!!!」
絶望の悲鳴の中、ぶつりと何かが切れる音がした。